ウメサオタダオ展をみて~“わたしを記録すること”

このエントリーをはてなブックマークに追加

突然ですが・・・

みなさんは、今日、どこで、なにをして、どんなことを感じましたか?

じゃあ昨日は?おとといは?一週間前は???

私たちはふと思ったこと、感じたことを、日々、忘れていきます。一年前のじぶんが、どこにいて、何をして、どんなことを感じていたのを思い出せないことがあるかもしれません。

そこで今回は連載「にっぽんのシエスタ」をお休みして、未来館で開催中の「ウメサオタダオ展」を見た感想を交えて、「わたしを記録すること」についてお話ししたいと思います。

みなさんは梅棹忠夫さんをご存じですか? 一昨年にお亡くなりになった日本を代表する民族学者、比較文明学者です。フィールドワークという調査方法で、さまざまな文化を持つ民族のくらしを、長期間、ともに過ごしながら観察しました。

梅棹さんは、フィールドワークで体験したことや新しいアイディアをスケッチブックや「こざね」という小さなカードに書きためていました。これらの記録は、じぶんの感性を通して切りとられた体験の断片です。

そしてウメサオタダオ展の会場では、書きためられたスケッチや「こざね」、さらには彼の著書といった資料が整然と並べられています。そのため企画展の会場に身を置くと、まるで梅棹さんの頭の中に入り込んだような錯覚を覚えます。他人の頭の中をのぞく体験って、そうなかなかないと思います。ウメサオタダオ展では、さまざまな角度から梅棹さんの記録が展示されています。見終わった後はなんだかとても興奮して、いろんなインスピレーションを得たのですが、その中でも特に「記録をすること」について考えさせられました。もしわたしだったら、何をどのように記録し続けるか?

実はわたしも大学院時代に、研究会の活動の一環で、日本のさまざまな土地でフィールドワークをした経験があります。そのときに、ことあるごとに言われていたのが、「記憶が新鮮なうちに体験を文章で書きとめること」、そして「その記録をしばらく続けること」

面倒くさがりなわたしは、正直最初はこのことばがピンときませんでした。しかしその感覚が変わってきたのは、じぶんが細々と書いていったものがある程度たまり始めたときです。「記録はある程度たまったときに、意味を持つ」、その時の先生がおっしゃったことばが身に染みてきたころです。

わたしは基本的に飽きっぽい性格なので、小さい頃は日記もつけませんでした。さらに、絵を描くのは好きだったけれども、文章を書くことにアレルギーがありました。そんなわたしが続けている記録が2つあります。一つはiphoneアプリケーションの「瞬間日記」というもの。これは一つあたり140字まで書き込める日記です。写真やカレンダーとも連動します。Twitterに似ていますが、大きく異なるのは、他人に公開しない点です。じぶんが感じたこと、書きたいと思うことを、その場で記録に残すことが目的です。誰に見せるわけでもないので、じぶんの率直なことばがでてきます。感受性が高まっている時期は一日何回も書いたり、逆に2~3週間くらい間があいたりと、まさに気分まかせの日記です。しかしどんなに間があいても、細々と続いています。何かを感じたとき、それを書きとめるクセが少しついたのでしょうか。瞬間日記をつけ始めてから、変わったのはじぶんの感じていることに対して意識的になったことです。うれしいと感じる感覚、悲しいと感じる感覚、一つ一つていねいに扱えるようになった気がします。

もう一つ続けているのは、「年表」です。これは大学での専攻を模索し始めた学部2年生の頃からつけ始めています。3ヶ月から半年の間隔で、何に興味を持ち、何を習得し、次の挑戦は何かの覚え書きを残した気ままなノートです。これは後から読み返してみると本当におもしろい。いま自分がやっていることのルーツがどのようなきっかけにあり、どういった紆余曲折を経ていまに至るのか──そんなじぶんでも忘れてしまっていたことがみっちり書かれています。いろんなことに手を出して中途半端になっている気がしても、結局はすべて一つの考えに影響を受けていた、そんなことがわかって少しほっとしたり(笑)。

これら二つの記録には日付と時間がのります。瞬間日記ははじめて2年、年表は7年が経ちますが、その時どんなことを考えて、どんな気持ちだったのかをふりかえることができ、ちょっとした「じぶん史」のような意味を持つようになりました。こういう記録は他の人から見たら、単なる覚え書きに思われるかもしれません。だけどじぶんにとっては、本当に意味のある「じぶんの記録」なのです。じぶんの感じたことを、記憶が新鮮なうちに書きためる、その大切が最近少しずつ身にしみます。

このようにウメサオタダオ展をみているうちに、「記録をし続ける価値」を実感しました。

余談ですが、先日わたしの父があるDVDを渡してくれました。わたしが生まれたときから撮りためていた8mmビデオカメラの映像でした。パソコンで見られるように編集してくれたそうです。思いがけないプレゼントをもらったこと、わたしの知らない「じぶんの断片」を大切に記録してくれたことに、とても感激しました。「父が記録したわたし」もわたしの記録の一つですし、親子関係のありがたさを再確認した出来事でした。

個人的な話が多くなりましたが、ウメサオタダオ展を見ていると、いろんなインスピレーションをうけるので、みなさまご自身の生活とリンクする部分があるのではないでしょうか。故人の書きためた記録の中に、じぶんの断片を見つけるかもしれません。ウメサオタダオ展、ぜひお越しください。

扉の写真は、企画展の入り口にあるモンゴルの民族衣装のコーナーで撮ったものです。ここでは主にお子様を対象に、衣装を着て写真撮影ができます。お越しいただいた記念に、ぜひ着てみてくださいね。

※コメントをする際は「ブログへのコメント投稿について」をご覧ください

※「名前」は、ハンドルネームでも構いません

コメントを残す