いのちを迎えるすべての人へ Part 2~出生前検査の現状と倫理的課題

9月25日に実施したトークイベント、「いのちを迎えるすべての人へ~赤ちゃんの出生前検査を考える~」のようすを、2回に分けてお届けしています。

Part 1、山中美智子先生の講演パートの紹介はこちら

Part 2では、講演パートの後半、東京大学医科学研究所の武藤香織先生のお話と、ディスカッションパートでの客席コメンテーターの方のお話をふり返ります。

「日本と諸外国における出生前検査の現状と倫理的課題」
東京大学医科学研究所 公共政策研究分野 武藤 香織先生

武藤先生は、倫理学・社会学の立場から、日本で出生前検査や人工妊娠中絶がどのように制度化されてきたかをお話くださいました。

「日本では、中絶は犯罪とされています。みなさんご存知でしたか?」
...え?年間18万件を超える人工妊娠中絶が行われているこの日本で、中絶が犯罪?...
冒頭から、疑問に思った方もいるかもしれません。武藤先生の問いかけに、会場にも「知らなかった」という方が多くいました。
実は、1907年(明治40年)に制定された「堕胎罪」が今も刑法に残っていて、日本は基本姿勢として中絶を認めていないのです。

「しかし、実際は『不良な子孫の出生防止』を目指す法律の中で、一部の中絶が容認されてきました」
現在も、お母さんの心身の状態や経済的事情により妊娠の継続や出産が困難な場合や、性的暴行を受けて妊娠した場合の中絶は認められています。
しかし、戦後間もない1948年(昭和23年)に制定された「優生保護法」では、上記に加え、赤ちゃんの両親や近しい親族が遺伝性の病気にかかっている場合やハンセン病で感染の恐れがある場合も含まれていました。
「優生思想」と聞くとナチスドイツを思い浮かべる人も多いと思いますが、優生思想に基づいた法律や政策は、かつての日本にも(そしてその他の国にも)存在していたのです。

そうした社会の姿勢と、断固として闘った人々もいました。
その一例として武藤先生が紹介したのは、脳性マヒの当事者団体である「全国青い芝の会」です。
「本当はゲバ文字フォントで書きたい」と武藤先生が言う「行動綱領」は、社会の欺瞞と闘う意志に満ちあふれています。
参加者の方の胸にも、鮮烈な印象を残したようでした。


一、われらは、自らが脳性マヒ者であることを自覚する。われらは、現代社会にあって『本来あってはならない存在』とされつつ自ら位置を認識し、そこに一切の運動の原点を置かなければならないと信じ且つ行動する。【略】

一、われらは、愛と正義を否定する。われらは、愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ、行動する。

一、われらは、健全者文明を否定する。われらは、健全者のつくり出してきた現代文明が、われら脳性マヒ者を弾き出すことによってのみ成り立ってきたことを認識し、運動及び日常生活の中から、われら独自の文化をつくり出すことが現代文明の告発に通じることを信じ、且つ、行動する。【略】

(日本脳性マヒ者協会 全国青い芝の会 行動綱領(抄)...武藤先生のスライドより転載)


1996年、優生保護法が改正されて「母体保護法」となり、優生政策に関わる記述はなくなりました。
出生前検査を受けて、妊娠の継続をあきらめる、という選択をする場合には、「経済的な理由による母体の健康低下リスク」と解釈し、人工妊娠中絶が行われます。
「法律上、中絶を認める理由の中に『胎児の病気』は明記されていませんが、あいまいに読み込んで今日まで実施してきたのです」(武藤先生)。

母体血清マーカー検査や新型出生前検査(NIPT)など、近年、妊婦さんの血液を調べるだけで赤ちゃんの病気を推測できる検査が登場しています。
日本では、母体血清マーカー検査については、こういう検査方法が存在すること自体を「積極的に知らせる必要はない」ものの、妊婦さんが希望すれば実施可能、NIPTについては、年齢制限などを設け、遺伝カウンセリングを必須とする「臨床研究」として一部の医療機関で実施しています。
国によって考え方は様々で、武藤先生によると、母体血清マーカー検査について、フランスでは全ての妊婦さんに情報提供を行うこととしているそうです。また、イギリスでは全ての妊婦さんに母体血清マーカー検査と超音波検査を合わせたプログラムを推奨しているとのこと。もちろん、両国とも、遺伝カウンセリングの体制はしかりと存在しています。

制度や方針がどうであれ、出生前検査は「とりあえず、なんとなく」という気持ちで受けられるものではありません。
出生前検査の存在は知っていても、「遺伝カウンセリングって何?それって必要?」と思っている人はまだまだ多いかも知れません。
気楽には受けられない検査だからこそ、遺伝カウンセリングが重要なのだということを、もっと多くに人に知ってもらいたいと思います。

出生前検査の実施体制や、人工妊娠中絶をめぐる法律については、今もさまざまな議論があります。「健やかに生まれて欲しい、という願いと、『内なる優生思想』の間で、私たちは何を、そしてどんな社会を選択するのだろう」という言葉で、武藤先生は講演を締めくくりました。
「日本青い芝の会 行動綱領」の強い言葉にはっとさせられた私の心の中にも、内なる優生思想はきっと存在します。
「それを自覚した上で、それではどうしますか?」という厳しい問いを突きつけられたような気がしました。
イベントの度に繰り返しているようですが、どんな社会をつくっていきたいか、考え、選ぶのは私たちです。
このイベントが、出生前検査について、そして、ひとつひとつの生命の尊厳について、深く考えるきっかけとなればと思っています。

客席コメンテーターの方のお話
楯岡 卓さん

ディスカッションパートでは、妊婦さんのご家族に出生前検査について考えたこと、感じたことをお話いただきました。

コメンテーターの楯岡さんは、今年のはじめに奥様の妊娠がわかり、出生前検査を受けるかどうか夫婦で相談した結果、「受けない」という決断をしました。
不安に押しつぶされそうになりながら検査結果を待つよりも、「どんな子でもいいから、マタニティライフを充実させていこう」という結論に至ったのだそうです。
例え赤ちゃんに病気があったとしても、親族に特別支援教育を専門とする方がいて、安心してサポートを受けられること、
そして、いくら「精度が高い」と言われていても、誤って病気を判定してしまう可能性のあるNIPTを本当に頼っていいものか疑問に感じたことも、重要な判断材料でした。

「技術の進歩によって、知らなくていいこと、考えなくていいことまで考えなくてはいけなくなりました。それは本当にいいことなのでしょうか?技術の進歩が、大人の心のゆとりを奪っている側面はないでしょうか?その場その場で対応できることも、本当はたくさんあります。心、お金、生活、家族など、いろいろなゆとりがないと、出生前検査の結果を受け止めることはできないと思います」(楯岡さん)。

また、当日はもう一人の方に、妊婦さんのお母さんの立場から、現代の妊婦さんが抱える不安や困難についてお話いただきました。
「人々の不安をあぶり出すことで、出産前に知りたいことが明らかになってくる。不安を妊婦さんひとりに背負わせるのではなく、みんなが自分のこととして考え、出生前検査を考えるベースにしないと」という声は、
まさに私たちがこのイベントを通じてみなさんに伝えたかったことでした。
妊婦さんご本人でなく、ご家族の方にコメンテーターをお願いしたのも、家族や社会、新しい命を迎えるみんなの問題として出生前検査を考えたい、というねらいからです。

山中先生、武藤先生、そして2人のコメンテーターの方のお話で、出生前検査について考える視点がより広がった所で、それぞれの意見をもっと掘り下げて話し合う、ワークショップも行いました。
え、そんなの知らなかった!いろいろ話したかったのに...という方にも、未来館では引き続き、参加型ミニトーク「2025年のこうのとり相談室」などを通じて、出生前検査について考え、語り合う機会を作っていきたいと思います。

今後とも、みらいのかぞくプロジェクトの活動にご期待ください。

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