人と自然の関わり方を考える 大地の芸術祭の現場より

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厳しい自然とともに生活することは、「かっこよく」生きる形の一つなのかもしれません。そして、そんな価値観がある現場に立ったとき、科学コミュニケーターは何ができるのでしょうか。



2015年9月(ごめんなさい、だいぶ経ってしまいました)、新潟県の山里を舞台に開かれた「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015」に、科学コミュニケーターの谷と大渕が参加させていただきました。目的は、「人と自然の関わり方を考える」ことです。


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「大地の芸術祭」の会場のひとつである奴奈川キャンパス(左側の建物)
旧小学校を利用した会場で、谷と大渕が地元の方々にインタビューを行いました。



未来館は、科学技術を「文化」のひとつとして捉え、未来に向けてどう活用していくのかを考える場。ならば、「自然との関わり方やさまざまな地域社会、生活にも科学技術同様に目を向けたい」と考えたのです。私たちから何かを届ける以上に、学ばせてもらうことが重要だと考え、インタビューを中心に行いました。


今回紹介するのは、地元の役場に長年勤めた米持徳二さんと、地元ラジオ局でパーソナリティを務める佐藤広樹さんのお話。厳しくも豊かな自然に囲まれた現場で、科学コミュニケーターが見て、聞いて、感じたことをお伝えいたします。


大地の芸術祭は、新潟県の越後妻有地方(十日町市、津南町)を舞台に2000年から、3年に1度開催されている世界最大級の国際芸術祭。「人間は自然に内包される」という基本理念に沿って、田んぼや山の中、川沿いなどさまざまな場所に、アート作品を点在させています。


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同じ場に足を運び、同じテーマを、直感的に訴えかけるアートではなく、科学的な視点から考えようと試みました。




「裕福になった先に何があるのだろう?」

最初にお話を伺った米持さんは昭和13年生まれ。高校卒業後に郵便局や葉たばこ産業などで働いた後、町役場入りして助役も務めました。奴奈川キャンパスのすぐ近くに自宅があり、地域をずっと見続けてきました。

「昔は何もない代わりに、自然との距離がもっと近かった。山の中に行って遊んだり、果物を探して食べたり。今の生活は、裕福すぎて疑問に思うこともある。何でもあるから」

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米持徳二さん


終戦後の苦労が原点にあるという米持さん。便利になった今を否定するのではないけれど、その先に何があるのだろうか――。「人と自然との関わり方」についての、素直な感情がにじみ出ました。

「この便利な生活がずっと続けば良いけれど、5年先にどうなっているかも分からない。これからどうすれば良いのか」。お互い、なかなか着地点が見いだせず、時間ばかりが過ぎていく中での、突然のことでした。



「おい、ラジオ、こっちへ来い!」


通りがかった男性を、米持さんが呼び止めました。地元のラジオ局でパーソナリティを務める、佐藤さんです。



「自分たちも否定し続けた生き方が今、認められた」

佐藤さんは昭和41年生まれで、米持さんの息子さんとほぼ同じ世代。親の世代にとっての芸術祭の意味を、自分の世代の体験から語ってくれました。地域の同世代はほとんどみんな「高校を卒業したら、都会に出て行くんだよ」と親から言われて育ったそうです。


「子どもの出世を願う気持ちはもちろんでしょう。でもそれ以上に、子どもが実際に自分の元を離れることになった時に寂しいから、なんだと思います」


地元を離れることを自ら決断されたら寂しいから、我が子にも自分自身にもあらかじめ言い聞かせておいたのではないか――。佐藤さんがそう思う背景には、日本有数の豪雪地帯と言われる越後妻有の厳しい自然と、時代とともに開く都市部との生活格差がありました。

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佐藤広樹さん


「1年の半分は雪に閉ざされるところに、人なんか来なかった。親父たちの世代は、ここ(芸術祭)で出している野菜だって、『こんげなもの』って思いながら食べていた。『誰も知らない土地で生まれ、誰も知らない土地で生きて、誰も知らない土地で死ぬ』くらいに思っていた」



それが、大地の芸術祭を機に、変わりつつあるというのです。


「都市部から若い人が来るようになり、みんなが親父たちの生きる力を『かっこいい』と言った。たとえば竹藪の急斜面を登りながら作業するなんていう、体力だけでは難しいことも軽々とやってしまう。野菜だっておいしいと言って食べてもらえる。自分たちが否定してきた生活を認めてもらい、やっと今、誇りを取り戻したんです。おやじたち、ほんとにかっこいいんですよ」



【科学コミュニケーションってなんだろう?】

大地の芸術祭を手がけているアートディレクターの北川フラム氏は、「アートを本来の形に戻す」と、自然の中に作品を点在させる意図を話しています。「アートだけでなく、自然の中でかっこよく生きられる人もいるはず」と佐藤さん。厳しい自然の中で生き抜いていくからこそ身につく力は、都市部とはまた異なる「自尊心」や「幸せ」の形なのかもしれません。

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山里にアート作品が点在する「大地の芸術祭」(6月の下見時に撮影)
作品は大岩オスカール「かかしプロジェクト」



そんなことを感じた、その一方で。



私たちの科学コミュニケーション活動がこうした現場でどんな意味を持つのか。考えなおす機会にもなりました。

未来館は今回、生態系のつながりや環境変化などのデータを地球規模で可視化した「ジオ・スコープ」を持参しました。(未来館のシンボルの展示ジオ・コスモスでも上映しているデータを見られる、ポータブル端末です)。地域の方々が自然とかかわりながら実感していることと、地球規模の大きな視点から見えてくることを重ね合わせることで、互いの考えが深まっていくのではないか、と考えたのです。


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インタビューと並行し、ご来場の方々にジオ・スコープをご覧いただきました
画面左は解説する大渕です



しかし、実際にインタビューを始めると、米持さんや佐藤さんに「ジオ・スコープ」を見てもらいながら対話をすることに、違和感を覚えました。

米持さんや佐藤さんには地域の現場があり、言葉にも生活の中で得た実感がこもっていました。「人と自然の関わり方」だって、当たり前のように考えている雰囲気がありました。


未来館側から、「話の材料を少し」とジオ・スコープをご覧いただきましたが、あまり話は膨らみませんでした。地球規模のデータが、越後妻有の現場で生きる方々にどのような意味や説得力を持つのか。明確な答えは見つかりませんでした。


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地球規模のデータは、越後妻有の人たちにとってどんな意味を持つのでしょう



未来に向けた科学技術のあり方を、広い視野で考えて、発信していく。それは、多様な価値観や幸福感に出会い、学び合っていくことなのかもしれません。


では科学コミュニケーターは、どんな場で、どんな方々に出会い、何をテーマで、どういう対話を深めていけば良いのか。大きな宿題を出された気がしました。



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