おかえりなさいROSAT

先月アメリカの人工衛星UARSに続いて、今度はドイツの人工衛星ローサット(ROSAT)の地上への落下が話題になりました。

このニュースを聞いたとき、私が真っ先に思ったのはROSATが天文学にもたらした革命的な功績の数々と、そのROSATをつくった人物、ヨアヒム・トゥルンパ博士のことでした。

ROSATのRはレントゲンのRです。そうです、健康診断の時にお世話になるおなじみのあのレントゲンのことです。レントゲン写真は、X線というエネルギーの高い光を人工的に発生させ、それを人体に当てて透過してくるX線を写真としてとらえることで、体の中の様子を見る技術です。このX線というエネルギーの高い光は、普段の私たちの生活環境では人工的につくり出さないと出てきませんが、実は宇宙はこのX線で満ちているのです。

宇宙はX線で満ちている。このおどろくべき発見をしたのは、リカルド・ジャッコーニ博士(2002年ノーベル物理学賞)や小田稔博士というパイオニアでした。私たちが慣れ親しんでいる星空には、おだやかに瞬く星々があるだけですが、1960年代ジャッコーニ博士や小田先生はX線を捕らえる望遠鏡をロケットに搭載して宇宙に打ち上げ、それまでだれも見たことのなかった宇宙の素顔を見たのでした。それは、ブラックホールに星が吸い込まれていく現場であったり、中性子星のつくる強力な磁場で加速される粒子であったり、はたまた1000万度の超高温のガスやX線で光っている様子であったり、光の速度の数分の1にまで迫る超高速現象であったり、X線望遠鏡を宇宙に打ち上げることで初めて見えてきた宇宙は、非常に荒々しく実に過激で、私たちの想像を遙かに超える世界だったのです。

イラスト(Martin Kornmesser, ESA / ECF) ブラックホール(右)と 恒星(左)とがお互いの周りを回っている様子(想像図)

X線という波長で宇宙観測をするX線天文学という新しい分野は、日本、米国、ヨーロッパ、そしてロシアを中心に発展してきました。日本では最初のX線観測衛星「はくちょう」が打ち上げられたのが1979年。その後「てんま」「ぎんが」「あすか」そして現在観測中の「すざく」と常に最先端のX線望遠鏡が打ち上げられてきました。

私の専門はこのX線天文学でした。大学院生時代より「ぎんが」や「あすか」に携わる機会があり、それら衛星の最後の時も特別な思いで見つめました。日本の科学衛星へ指令を出したりデータの取得をしたりする追跡基地は、鹿児島県内之浦町にある内之浦宇宙空間観測所で行われていて、研究者が交代で常時勤務しています。「ぎんが」の最後の運用が行われていたとき、私は相模原の宇宙科学研究所で、鹿児島の運用の様子をみていました。すでに前日から「ぎんが」と交信できない状態がつづいていましたが、この日も最後の交信可能時刻まで「ぎんが」からの"声"を聞くことなく、鹿児島からは運用担当者の寂しい声だけが響いていました。プロジェクトマネージャーの槙野先生が運用の終了を宣言し、その場に居合わせた数人で「ぎんが」に感謝の乾杯をささげました。

「あすか」の最後はとても印象的なものでした。「あすか」は1993年2月に打ち上げられ、その高いX線分光能力によって、X線天体の正体に迫る数々の発見をもたらしました。設計寿命の5年を超えて観測を続けていた2000年の7月、巨大な太陽フレアが発生して地球大気が膨張し「あすか」の姿勢が大きく崩されました。その後「あすか」は観測不能の状態に陥ってしまいましたが、軌道だけは何とか保ち人工衛星として地球の回りを周回していました。2001年3月1日、X線天文学の開拓者である小田稔先生が急逝されるという衝撃的なニュースが世界を駆けめぐりました。「あすか」が大気圏に突入して消滅したのは、そのわずか23時間後のことでした。「あすか」のプロジェクトマネージャーだった田中靖郎先生は、「『あすか』は奇しくも先生の御臨終直後に大気に突入、その生涯を終えた。偶然とはいえ如何にも印象的なcoincidenceを生涯忘れることはできまい」(ISASニュースNo.242)と述べました。また人々は「『あすか』が小田先生の後を追うように逝ってしまった」「小田先生が『あすか』の軌道を支えてくれていたんだ」などと言い合ったのでした。

そして今回落ちたROSATは、この「あすか」と同時期に活躍していたX観測衛星で、それをつくったのが、マックスプランク宇宙空間物理学研究所を永年率いていたトゥルンパ先生です。私は同研究所に1997年から5年間も在籍させてもらい、トゥルンパ先生とROSATにはとてもお世話なったのです。

そのROSATの科学的成果も革命的なものでした。1990年12月の打ち上げ後、最初の2年間を使って、宇宙全体をくまなく観測するAll Sky Surveyを行ってX線での詳細な宇宙地図を初めて作成。1999年12月の観測終了までに20万個にのぼる新天体を発見する偉業を成し遂げました。

トゥルンパ先生にとってROSATは、自分が一番自慢したい息子(Sateliteは男性名詞なので)に違いありません。彼が地球に帰ってくるとき、トゥルンパ先生はどんな気持ちで待っていたのでしょう?

ROSATは、最終的に日本時間の2311時ごろ大気圏に再突入しインド洋へ落下しました。そのニュースが流れたあとに、ご挨拶もかねて先生にメールをお送りしたところ、すぐにお返事が来て、

"I'm very much relieved by the fact that obviously nobody was hurt."

「だれも傷つけること無くほっとしたよ」

とおっしゃっていました。

やはりなにか被害が出てしまうことをとても心配されていたんですね。これで本当に最後のミッション完了! トゥルンパ先生お疲れ様でした。

トゥルンパ先生(1997年ごろマックスプランク宇宙空間物理学研究所にて)

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