赤ちゃんが心配──出生前診断、受けますか?

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受ける、受けません、受けた、受ける、受けない...。目の前に山積みされた、全部で800枚をこえる紙片を機械的に左右に分け続けます。しかし、なかなかスムーズには進みません。どうしても紙片にこめられた思いに心を動かされ、読みいってしまいます。

 

未来館では、21日から48日まで、来館者の方々にこんな質問をしてきました。

【質問】-----

30代後半になって妊娠したA子さん。胎児に特定の異常があるか調べる検査法があることを知りました。妊娠の早い時期に、妊婦の血液にわずかに含まれる胎児のDNAを調べ、染色体の数に異常があるかを高い精度で調べる方法です。もしあなた/あなたの奥さんがA子さんだったら、検査(出生前診断)を受けますか?

 -----

皆さんだったら、出生前診断を受けますか?

未来館で集まったご意見は約7割が「受ける」。どんな考えを経て、この判断に至ったのでしょう?

 

展示場ではこの質問の他に、考える手がかりになるように、こんな情報も補足として加えました。

 

【補足資料】

   どうして出生前診断が必要になってきたの?

出生前診断では、特定の染色体に異常があるかどうかを調べます。ここで重要なのは、染色体異常がおきる確率と年齢との関係。下のグラフを見てみましょう。

 染色体異常がおこる頻度

(通常は1種類につき2本となるはずの染色体が1本や3本などになる頻度の推定値。データ:Hook EB. Obstet Gynecol. 1981 Sep;58(3):282-5)

 

ポイントは、

●母親の年齢が何才であっても、ある確率で染色体異常はおこる。

●母親の年齢が高いほど、その確率は高い。

 

近年は、30代後半ではじめて子どもを産む女性が増えており、そのため、胎児の染色体異常を心配する方も増えていることが、出生前診断が注目される背景にあります。

 

   出生前診断って何をするの?

以前から出生前診断は行われてきました。多くの妊婦さんが受ける超音波診断もそのひとつ。他にも「羊水検査」や「母体血清マーカー検査」「絨毛検査」などがあり、それぞれ、検査できる項目、時期、身体への負担、精度などの面で特徴が異なります。おおざっぱに表したものが以下の図です。

 出生前診断の比較

国立成育医療研究センターなどの特定の施設が「MaterniT21 plus」という新型出生前診断の導入を今年(2013年)41日に始めました。検査対象と実施機関を限定して実施されています。

 

   異常がある可能性が高いと診断されたとき、どうするの?

海外で、羊水検査により胎児が染色体異常の一種(ダウン症)であると診断された女性がどんな行動をとるかを調べたところ、92%の女性が人工妊娠中絶を選んでいました日本でも出生前診断によって、もしかしたら中絶が増えるかもしれません。新しく導入された「MaterniT21 plus」は、染色体異常について確率で結果が知らされます。たとえ99%確実としても、残り1%の正常な赤ちゃんまで中絶されてしまう可能性をはらんでいます

 

染色体異常をもつ子どもを産んだ時に、どのような生活が待ち受けているのか──その情報を私たちの多くは十分にはもちあわせていません。悲観的に考えがちですが、アメリカの聞き取り調査では、「ダウン症の有無やその程度と、本人や家族の幸・不幸は本質的には関連がない」という結果が出ています。

 

 ダウン症聞き取り調査結果

こういった情報を一緒にお見せした上で、来場者の方々に出生前診断を受けるか、受けないかをたずねました。その結果、800通ほどのコメントを頂きました。

 

【結果】 受ける:439、受けない:193(残りはその他)

 

出生前診断の選択をせまられた時、どのような視点で考えたらよいのでしょう?皆さんの回答を眺めているうちに、以下のような点がうかびあがってきました。論点別に整理をしてみました。

 

【論点:科学的に追求できること】MaterniT21 plusについての情報を付記します)

●すべてのリスクがわかるのか

検出できるのは、限られた染色体異常のみ(13番、18番、21番染色体について2本か3本かを調べる。ダウン症は21番染色体が3本あることで起きる)。

●確実にリスクがわかるのか

感度と特異性ともに高いが、100%ではない。100%安全な出産などない。

●治療ができるのか

染色体異常を根本から直す治療法はない。

●母体・胎児への悪影響があるのか

母親の血液を20 mlとるのみ。羊水検査や絨毛検査に比べ、母体への肉体的な負担はずっと小さく、胎児に影響はない。

●今後、妊娠の機会があるのか

妊娠・出産に適した時期は、個人差はあるが30代後半まで。それ以降は母親の年齢が上昇するとともに、妊娠・出産しづらくなる。

●コストは高いのか

およそ20万円。ちなみに羊水検査はおよそ10万円、母体血清マーカー検査はおよそ2万円。


 

【論点:個人の価値観が問われること】

●知ったほうが安心か、知らないほうが安心か

心構えとして知っておきたい ― (知らずに)ポジティブな気持ちで過ごしたい

●どこまでが医療か

命の操作であって医療ではない

●子どもに何をもとめるか

残せるなら優秀な遺伝子を - 健康で五体満足 - あるがままを受け入れる

●染色体異常の可能性が高いと判定されたらどうするか

産む・情報を収集する - 中絶する - 受けてから考える

●染色体異常をもつ子どもとの暮らしはどのくらい大変か

生活への影響はきわめて大きかった - 障害者=不幸と決めつけすぎ

●命の選択権は誰にあるか

生む生まないは親が決めること - 「命」の重さを親が決めるべきではない

 


 

【提案・うったえ】

回答の中には、出生前診断をとりまく現在の社会への提案やうったえもありました。

●出生前診断のおこなわれ方に配慮を。

「出生前診断は、産まれてきても死亡率の高い遺伝病のみに限り、治療行為として客観的に基準をつくるべき」(23・女)

「出生前診断を受けて、育てるか殺してしまうか判断してしまうことが問題」(20・女)

●障害児の生活を支援するシステムを。

「障害児を育てていく制度や施設など、日本はまだまだ遅いと思います」(不明)

「みんなで助け合うという土台があれば、障害があっても生活しやすいということがあると思いますが、日本はどうでしょうか。その問題に直接関わらない人たちが、どれだけ助けようとしてくれるかだと思います」(40代・女)

●情報を共有する・考える機会を。

「子どもたちに早くいろいろなことを教えて、自分の考えをちゃんと持てるように考える機会を与えるべき。答えを教える必要はない」(46・女)

「養子縁組をくむのも大変な実情をみなさんに知ってもらいたいし、ダウン症の正しい知識もみんなが知って欲しい」(不明)

●染色体異常のリスクを減らす努力を。

「レントゲン技師や麻酔科医では出生前診断を受けるのが常識である。それはそのリスクの大きさが彼女らにとってヒドイ現実があるから」(不明)

 

最後のうったえに近いのですが、私もそもそもリスクを減らすことができないかと考えています。年齢と染色体異常のリスクが相関している以上、女性が若いうちに納得して安心して子どもを産める環境をつくることが大切かもしれません。私自身も子どもをもつかどうか考え始めたのは30代に入ってから。出産したのは30代半ば。意識する時期が遅かったと感じています。早めに意識し行動していれば出生前診断を受けずにすむ人が増えるかもしれません

 

多くのご意見の中で、特に当事者からのコメントには具体性と現実味がありました。自分が実際にその場に立ってみないと、どう感じ、判断するのか、想像することはむずかしい。でも、結果が出た時どうするかをあらかじめしっかり考えたうえで出生前診断を受けるべきという意見、さらには妊娠自体にもそうした心がまえを求める意見が複数見られました。状況を想像するには、経験者が感じたことを知ることが、何にもまして助けになることを強く感じます。これからも展示やトークイベントなどを企画し続け、問いかけを通して当事者の声を集めて伝えていきたいと思います。

 

【その他のコメント】

皆さんからの回答をずっと読み続けた結果、意見は多様なのですが、共通点が見えました。「子どもに幸せに育ってほしい」という願い何が子どもにとって幸せなのか、思い描く像の違いが、意見の違いにあらわれたように思います。最後に、私がしばらく目をはなすことのできなかったコメントを4つ、ご紹介します。

 

「めいが染色体異常で産まれ、数ヶ月でなくなりました。何のために産まれてきたのか、何十年たっても答えは出ない」不明)

「おなかの中にいるよりうまれてきたほうがたのしいからです7・女)

「死ぬうんめいなら生まれたくない14・男)

「大切な人が事故にあったら、どんな姿でも生きていて欲しいと思う。なぜ、お腹の中の赤ちゃんにそう思えないか、考えてしまう35・女)

 

 

――――――――――――

2012年12月~2013年1月の問いかけに対する集計結果はこちら。

『もしあなたがA子だったら、「卵子提供」を受けますか?』

 

 

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この記事への8件のフィードバック

出生前診断を受けるつもりでした。

主人は難病指定される病気を持っています。

小金がたまると自由診療を受けていました。

民主党政権時代、公費補助分まで支払い、政権の方針に疑問を感じたものです。

結婚してから、腎臓にガンが見つかり、先進医療を受けました。全額実費です。

自営業でしたが、彼の症状が重くなり自由に動けなくなり、取引先にも倒産(自殺や行方不明を伴う)が相次ぎ、生活保護の受給を考えていた頃、子どもを授かりました。

勝手な事とは思いますが、これから彼に時間とお金が必要になってくることが明らかなのに、障害を持った子どもを育てていく事のできる心の余裕はありませんでした。お金の余裕もありませんでした。

妊娠がわかった頃も、彼が発作で倒れた時期で、診断をしていませんでしたが堕胎を考えました。

彼は、堕胎させるくらいなら、ボクが自殺するからと、泣きました。

結局、羊水検査も受けずに、出産し、子どもは今のところ健康に育っています。

親のQOLで出産するかしないかを選ぶことの是非は難しいかもしれませんが、反対する人の意見は、やはりどこか偽善的に聞こえてしまいます。

是非を問う論争も一段落すれば、検査が恒常的になるのではと思います。

さくらさま、ご自身の経験を通した思いを語って頂き、ありがとうございました。

子どもを育てていくことに時間とお金がかかることが、妊娠・出産への大きな障壁になっているという点は大規模なアンケート結果からも指摘されています。子どもをもつことが、余裕のある人だけに許される「ぜいたく」になっているとしたら、悲しいです。

妊娠や出産はプライベートな問題で、周囲からの意見が本人にプレッシャーを与えない環境になるといいですね。「是非を問う論争」が、「誰もが●●すべき」という「正解」を導くものではなく、出生前診断について「こういう考え方もあるよ」「ああいう考え方もあるよ」と、自分が悩む段階になった時の「考え方の参考」になれば良いのでは、と思います。さまざまな考え方に対して自分がどう感じるかを見つめていく作業が、苦しい中で少しでも納得して心を決めることにつながるかもしれません。

それとも、いつか結論めいたものが出て、論争が一段落する日がくるのでしょうか?

私は男性ですが、もし、女性だったら絶対に受けます。

妻となる人にも受けてもらいます。

「あなたはダウン症に生まれたかったですか!?」

この問いにどう答えますか?

私はNoと答えます。

なぜなら、ダウン症は嫌だからです!

ダウン症を産むということは、わが子にダウン症という障害を押しつけるに等しい。

ダウン症協会はなぜ反対するのでしょうか?

理解に苦しみます。

こんにちは。

これは、とても意味深いテーマですね。

(松山さん、考える機会を与えてくれてありがとうございます)

私は幸運にも二人の子を授かりましたが、出生前検査については、「検査結果がどうであっても産み育てることに変わりがない」という考えで家内と意見が一致し、受けませんでした。今もその意見は変わりません。

このテーマは、世間的にあまり理解されていない「ダウン症」だから、余計に悩むのかもしれません(私も申し訳ないことに理解していませんが)。このテーマの前に、次の問いかけについて考えてみてはいかがでしょう:

【お腹の中の赤ちゃんが、たとえば、手や足がないと(超音波検査などで)わかったとします。そのとき、あなたは親として、どういう選択をしますか?】

……中絶するんですか?

「『障害者』を育てる金銭的・物理的余裕がない」から?

「『健常者』でないと生まれてきてもかわいそうな一生を送るだけ」だから?

……だから、生まれる前に殺すんですか? 電化製品の初期不良品のように取り換えるんですか?

そもそも、そんなに忌み嫌う『障害者』ってなんですか?

そんなにこだわる『健常者』って何ですか?

『健常者』でない人は、不健康でも何でもありません。ただ単に、外見や内面のどこかが、大多数の人とは違う性質や特徴をもっている、というだけではないですか?その個性が、左利きやAB型などよりもレアだというだけではないですか?

もちろん、レアであることによって『健常者』向けの商品やサービスの恩恵を受けられない場合があり、その分余計な手間を要するという不利はあります(その不利は当事者にとって非常に大変であるケースもあることと想像します)。でも、その不利を思って「あなたは生まれてきてもかわいそうだから生まれてこないほうがいい」という人は、その心が『健常者』ではないと私は思います。むしろ、「『障害者』を育てる余裕がない」とか「自分の子供としてなら『健常者』の方が」というような、親のエゴ的に聞こえる言い分の方がよほど理解できます。

私は、家内のお腹に赤ちゃんがいるとわかったとき、まず、「もし家内や赤ちゃんの身に何かあったら」というリスクを思いました。その時一緒に、「もし赤ちゃんが『健常者』でなかったら」という問いを自らに投げかけてました(その問いについて、えらそうに言う私もその当時は、リスクとして捉えていました)。当時の結論としては、「いろんな『リスク』をふまえ、もしそれが現実となっても受け容れるんだという覚悟を持たねばならない」というものでした。

その後、長男が軽度の発達障害と診断され医者や施設にも通わせたりしている間に、世の中で『健常』『障害』とされているものに対する私の考え方は上記のように変わってきました。長男も次男もまだ幼いですがとてもいい子です。(ちなみに、今の私が『障害者』を再定義するなら、『社会を生きていくうえで(本人ではなく社会に)障害がある人』、とするでしょう)

大多数の『健常者』と違うというだけのことで、『障害者』は生まれてくるに値しないのですか?

『障害者』に比べ『健常者』の方が本当に優れた遺伝子を持っているのですか?

長い歴史の中で、生物は突然変異を繰り返して、環境変化に適応してきました。地球環境の急激な変化や生物多様性が時代のキーワードとなっている中で、『障害者』が出生前診断などによって淘汰され、『健常者』ばかりになっていく社会というのが、果たして本当に健全なのでしょうか?

私の意見は、正論ぶった偽善でしょうか?

松田さま

率直なご意見をありがとうございます。今いらっしゃるダウン症の方々を否定するわけではなく、ご自身が「障害を子どもに押しつけたくない」というお気持ち、共感される方もいらっしゃると思います。

松田さんがダウン症は嫌、と思われた理由は何でしょうか?

もし、ダウン症は子どもの人生を不幸にする、という理由でしたら、もしかしたら私たちは少し認識を誤っているかもしれません。アメリカでのデータですが記事中で紹介したように、ダウン症の方々も、そのご家族も、99%が「幸せ」と答えています。

ダウン症だと生活しづらい、社会に負担をかけるという理由かもしれません。ダウン症の位置づけは、国によって異なります。イギリスの政策では、全ての妊婦が出生前診断を受けるべきと強く推進しています。その背景には、医療・福祉が原則無料であるため、その支出を抑制したいという意図があったのではと指摘されています。限られた財源をどこに使うか。何を優先する社会を望むか。日本は今後、どのような社会を目指すのでしょうか。

二児の父となりましたさま

経験をとおして醸成されたご意見をありがとうございます。生物多様性の意味を踏まえ、『障害者』とは何か、『健常者』とは何かという問いに共感しました。二児の父となりましたさんは『障害者』と『健常者』を二分したうえで、『障害者』の定義や社会の位置づけに疑問を発していらっしゃいます。私は頂いたコメントを拝読していて、むしろ『健常者』の概念に疑問を抱きました。はたして私たちの大半は『健常者』なのでしょうか。

「健康な人なんて誰一人いない」。同僚は人生で3回も、別々の医師の口からこの言葉を聞いたと言います。コメントを頂いたように、人を含めて生物は多様です。個性を持っているからこそ、さまざまな分野に突出した人々が現れます。例えば、ジャック・ホーナー氏。ジュラシック・パークのテクニカルアドバイザーを務められたアメリカの古生物学者です。彼は書かれている文字を読むのが非常に困難な「読字障害」を抱えています。しかし、変形して平らになった恐竜の化石から恐竜の立体像を想像するイメージ能力が非常に優れており、多数の論文を発表し、活躍されています。

私たちは数値で測りやすい性質について見かけの優劣をつけ、『健常者』『障害者』と分けます。何を指標とするかによって集団からきりとられる『障害者』は変わってきます。外見で判断しづらい性質や数値化しにくい性質については、線引きをしない・できないので、『障害者』はうまれません。また、ある指標で「劣」ときりとられた『障害者』が、別の指標で「優」である例はたくさんあります。前述のホーナー氏が良い例です。

こう考えてくると、私の中の「大多数が健常者、レアな存在として障害者」という2分割感が崩れました。線引きの仕方はいくつもあって、線引きの仕方によっては誰もがなにかしら突出した個性としてきりとられる。その突出度や周囲に与える影響によって、生きづらさの大小が生じるのかもしれません。

私は残念ながらダウン症の方々や発達障害の方々と親しく過ごした経験がありません。どれほどの生きづらさを伴うのか、何もわかっていないと感じております。出生前診断について考えるなかで、限られた知識しかない現状では判断を誤る危険性を感じました。ダウン症の方々の生活の実情を知るため取材を続けます。私が多少なりとも実感をともなって判断できるのは、それからかもしれません。

出生前診断、もっともっと安くなって、当たり前に受けられるようになればいいと思います。勿論ですが、私は受けて貰います。「もし障害児だったら堕胎するのか?生まれる前に殺せるのか!」私はそれにYESと答えます。

障害者だって平等な命だなんて、本当に偽善だなと思います。命は美しくて、平等で、障害者だって幸せに生きられる?そんなものは嘘です。勿論、障害を持っていても幸せな人や家族も大勢いると思いますが、それは生まれてしまった以上、その状況に合わせた幸せを求めた結果ですし、それを正しい選択だったと他人に押し付けるものではないはずです。

ダウン症児を抱えた家族からすれば、自分の子供を否定されたような気持ちになって出生前診断に反対するのかもしれませんが、そんなものはキレイゴトであり、押し付けです。選択の自由はあって当然ですから、むしろ反対ではなく、賛成したっていいはず。それをする事で、障害者が減るわけですから、こんな良いことはありません。

自然界では弱いものは淘汰されます。何でもかんでも守られるのは人間だけです。本来であれば、障害を持っているなら淘汰され、そして強い遺伝子を残すべきが動物界です。障害者への家族の負担、そして家族だけでなく、社会の負担もあります。今の日本には、自分で稼ぐことも出来ないような障害者を支援して保護してあげるような余裕も無いし、ほんの一握りの『優秀な障害者』の為に、障害者自体を歓迎するなんてとても出来ません。

本当はみんな、障害なんて嫌だと思っていると思います。障害児の親だって、そして当事者だって、五体満足で生まれてきた方が絶対に良かったと思っているはずです。でも生んでしまった。生まれてしまった。だからその存在を認めて貰うべく、障害者の権利などを声高に叫んでいるのだと思います。でも、それと出生前診断に反対することは全く違います。障害者家族は、障害者を増やしたいのですか?そうじゃないでしょう。医療の進歩を素直に喜んでほしいですし、建前で命は平等だなんだと叫ばないでほしいです。

私は絶対に出生前診断を受けるべきだと思うし、それで障害がわかって堕胎しても、それは命を粗末にしたとは全く思いません。命、命と叫ぶ人は、障害を持って生まれた人間の事など想像出来ずにいます。障害が有るのと無いのと、どちらがいいですか?みんな答えは同じはずなのに、キレイゴトが好きな人は本心を表に出しません。本当は言ったっていいはずなのに、障害者を少しでも批判すれば冷酷非道な人間になります。でも、それが既に、差別心を持っているという証拠です。健常者を批判したって、冷酷非道にはなりませんから。障害者を健常者と平等だと言う人ほど、実は本心では、二つは違う人間だと理解していると思います。

子供の時はまだいいかもしれません。でも、自分も年を取り、子供を残して死んでいくとなったらどうでしょうか。社会保障で生きていく子供。中には働けもしない障害者もいます。そういう人を介助、介護し、税金を使い、保護していく。一体、障害に何のメリットがあるんでしょうか。

何て非情な人間なんだ、と思う人いるかもしれませんが、私は自分の考えが変わらないことを知っています。ここまで私が言えるのは、家族にそのダウン障害児がいるからです。もう三十も超え、しかし自分では大したことも出来ません。当然、社会で働くことも出来ません。当たり前の事が当たり前に出来ません。はっきり言って、社会のお荷物です。それなりの幸せ家族は出来ると思います。でも、メディアで感動的に取り上げられるほど、現実は甘くありませんよ。

出生前診断を受けるかどうか、堕胎するかどうか、そんなことは個人の自由です。受けて健常児を育てる人生も自由、受けずに障害者を生んで“幸せな人生”を送るのも自由。そんなこと、当たり前過ぎるくらい当たり前だと思います。宿った命を殺す?そんな安易な批判が出来るなら、ぜひ障害者を生んで育てて頂きたいものです。

こんばんは。

ふと久しぶりにここを訪れて、今さらながらメルモさんのご意見を拝見し、非常に衝撃を受け、また深く考えさせられました。

メルモさんは、おそらく、私の想像するより何倍ものご苦労、ご心労を長年にわたって重ねられてきたことと思います。文章の端々ににじみ出る、悲しみ・やるせなさ・怒り・不安・絶望…その他いろんな感情がないまぜになったものを察するには、以前ここに載せていただいた私の考え(「障害者」とは、既製服のサイズが合わない人のように、人間社会のいろんな場面において単に少数派というだけでオーダーメイドを余儀なくされる人。それを人間社会から排除する考え方は人間の画一化につながる)が甘っちょろい書生論ということなのでしょう。

さまざまな「障害」の中でも、自立した生活ができない「高度な障害」をもつと、その周囲の「健常者」の介助・介護が必要になります。その「健常者」にしてみれば、自分が食べていくことだけでも大変なこの厳しい時代に、介助・介護に多大な時間や労力を割かれるのは、たまったものではないことでしょう。そしてきっとその「健常者」の中には、その「障害」のせいで「健常」なわが身の人生まで棒に振ったと感じる方もいらっしゃることでしょう。また、この「障害」が我が子のこととなると、大きくなっても自立できない我が子が心配で死んでも死にきれない、というのが親としての心情というものです。

周囲や社会への負担という実生活上の問題は、この問いかけを考える上で極めて重要です。これはつきつめれば、「障害」の程度による(つまり負担度合いによる)のでしょう。ダウン症をはじめ、さまざまな「障害」に対する勉強・理解が必要と感じます。

それはそれとして、どうして出生前診断が難しい問題かについてですが、これは胎児をヒトとしてみなすかどうか意見が分かれるからということに加え、人の命という倫理に関することとして採り上げられるからだと思います(倫理というとヒトとして絶対に冒してはならないもの、と思いがちなので、倫理という言葉で考えるのはフェアではないと思います)。この問題は、胎児の生きる権利を奪うことの重みをどうとらえるかです。

つまり、こうです。

胎児の命(=生きる権利)を奪うことと、(「障害」をもって生まれた子供の)周囲の「健常者」の人生を棒に振ることと、どっちが重いか。

それはこの問題の議論がしつくされておらず共通する価値観が形成されていない現在の社会においては、メルモさんがおっしゃるように、個人すなわち親の価値観に基づいて判断することであり、この問題に普遍的な正解などありません。

メルモさんは自分の体験に基づく価値観から、現実的な結論を出されましたが、この結論について誰も非難することなどできません。

ちなみに、メルモさんの貴重なご意見を拝見してもまだまだ書生気分が抜けない私の考えとしては、

親の人生のため胎児の命を奪うことは、そもそも中絶自体に抵抗があるのでできません。そうするとメルモさんのような大変な苦労を強いられ、「障害」のため私の人生を棒に振るかもしれませんが、少なくともその選択肢の先には、ごくごく小さな幸せもきっとあると信じます。「そんなの甘っちょろい」「現実を知らない」「実際に障害者を育ててみろ」と言われるのはわかっていますし、実際そのとおりだと思います。それでも、苦しみや辛さはあっても、前を向いて明るく生きられたら……ものすごく大変でものすごくエネルギーが要ることですが、それが私の理想です。

(とにかく私としては、いろんな価値観を許容する社会であってほしいです。とはいえ、他者の自由を奪うような価値観は認めるべきでないのは当然です。「障害」をもった胎児の自由と 介助者の自由のどちらを優先するのか、その答えを人間社会は出せるのでしょうか。)

否定的な意見が多く、びっくりしました。
私は割と重い心身障害を伴う、ダウン症児の母です。
母子家庭で、私も病弱ですが、それでもショートステイの利用を躊躇してしまう位、子どもの事が大好きで、一緒に居たいです。
学校の、他の障害を持つお友だちも、みんな可愛いです。

グラフを見ても、私は若年で出産しましたが、こんな低い確率で、よく産まれてきてくれた、と嬉しい気持ちです。
娘は障害があって、これで完全体と言いますか、今の状態の娘がパーフェクトなんだと思います。
そう思えるのも、助けてくれる人が沢山いたからです。

対する私は、健常で生まれましたが、大して社会の役にも立たず、迷惑ばかりかけています。
それでも娘の為なら爆発的なエネルギーが沸いてくるので、少しずつ人として成長して来られました。
おかげで職を持つことも、それを続けてくることも出来ました。

障害児者をとりまく環境は、おそらく、知らない人が思うより、優しいものに見えます。
足りない部分も多いですが、それさえもカバーする人の熱意に沢山出会います。

綺麗事とは、社会的に賛美される意見を、何の本質も伴わず口にすることです。
色々な意見や選択があることと思いますが、こんなに楽しくて幸せで、沢山の笑顔や出会いや発見があるのに、生まないのはちょっと残念かな、と思います。

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