DNAをあやつるアイツを追え!

「まま きらい」

「まま だいすき よ」

何か言葉を発する時、私たちはもっている言葉のレパートリーの中から、特定の言葉を選んで文章にします。しかし、たとえ私が、子どもの脳にしまわれている言葉のレパートリーを知っていたとしても、ある状況でどの言葉が選ばれるかはわかりません。

これと同じことが、最先端の生命科学で起きています!

遺伝子のレパートリーをあやつる“イデンジョウホウバ”

2003年、ヒトゲノムのDNA塩基配列が解読されました。およそ31億塩基対、3万2615個の遺伝子(2004年に2万1787個と推定しなおされ、現在も修正され続けています)。これでヒトのことならなんでもわかるのでは、と世の中から大きな期待が寄せられました。もちろん、生命科学、工学、医療、さまざまな分野の基盤として、DNA配列の解読は大きな一歩です。しかし、これでなんでもわかると思ったら大間違い、と“次の一手”をさす研究者たちがいます。

2013年8月25日に大阪の千里ライフサイエンスセンターで行われた一般公開シンポジウム「DNAをあやつる生物のしくみ」。主催は新学術領域「遺伝情報場」と新学術領域「クロマチン動構造」。大阪大学の平岡泰先生が口を開きます。

「あなたの身体には60兆個の細胞があります。すべて同じ細胞ですか?皮膚細胞、神経細胞、筋肉細胞、それぞれ形もはたらきも全然違いますよね。ところが、どの細胞も持っているDNAの塩基配列は同じです。同じなんですよ!それなのに、なぜ、それぞれの細胞は異なる働きをするのでしょう?重要なのはDNAをとりまく環境、“遺伝情報場”。次は、DNAをあやつるしくみを解明する時代です!」

『たとえ私が、子どもの脳にしまわれている言葉のレパートリーを知っていたとしても、ある状況でどの言葉が選ばれるかはわからない』のと同じように、『細胞の中にしまわれている遺伝子のレパートリーを知っていたとしても、そこからどんな細胞ができてくるかはわからない』それが生命科学の現状なのです。

この状況を突破するには、文章を作る時に言葉が選ばれるように、遺伝子が選ばれるしくみを知ることが鍵です。特定の遺伝子が使われるか否かを決めるのは、その遺伝子をとりまく環境であることが知られています。つまり、遺伝子のレパートリーがわかってきた今、次のステップとして“遺伝子をとりまく環境を解明する”時代に突入しているということ。

遺伝子をとりまく“クロマチンコウゾウ”

九州大学の大川恭行先生も、熱く語ります。

「およそ200種類ある細胞。それぞれの細胞では、2万2000個ほどある遺伝子の中から異なる遺伝子群が選ばれて使われています。どの遺伝子が選ばれ、使われるかによって、その細胞がどんな形になり、どんな働きをもつかが決まっていきます。」

「どの遺伝子が選ばれるか、影響を与えるのが“クロマチン構造”です。長いヒモ状のDNAは、“ヒストン”というタンパク質がいくつも集まった塊に、ぐるぐると巻き付いています。この構造がクロマチン構造です。」

“遺伝子をとりまく環境”とは、“クロマチン構造”。中心にあるヒストンの種類によって、クロマチン構造は大きく変化します。

(ご提供:早稲田大学先進理工学部 胡桃坂仁志)

上の図は早稲田大学の胡桃坂仁志研究室の皆さんが長い時間と手間をかけて明らかにした、クロマチン構造の例です。左図では、ヒストンにDNAがしっかりとからみついていますが、右図では、DNAが少しゆるんでいます。右と左の図の違いは、ヒストンの種類。DNAをぎゅっとひきつけて固い構造に保つヒストンや、DNAがふらふらと離れやすくなるヒストンなど、ヒストンの種類によってクロマチン構造の柔軟さには大きな違いが生じます。DNAがふらふらできると、その領域にある遺伝子ははたらきやすくなります。

クロマチン構造の柔軟さに影響を及ぼすのは、ヒストンの種類ばかりではありません。遺伝子のはたらきを制御する方法として、これまで、核内でのDNAの場所の変化や、DNAやヒストンの化学的な修飾、特定のタンパク質のDNAへの結合など、さまざまなメカニズムが提唱されています。しかし、胡桃坂先生は、最終的に重要なのはクロマチンの構造だとにらんでいます。核内の場所の変化や化学的な修飾も、結局それによってクロマチンの構造が変わることで、付近の遺伝子のはたらきが制御されているのでは、と考えているのです。

特殊な“ヒストン”を追え!

前述の大川先生は、特定のヒストンに注目しています。そのヒストンはH3.3。筋肉細胞の中で、筋肉細胞に必要ないくつかの遺伝子を含むDNA領域がH3.3に巻き付いていることがわかってきました。H3.3に巻き付いているDNA領域をかたっぱしから明らかにしていけば、筋肉細胞に必要な遺伝子がかたっぱしから明らかになってくるかもしれません。また、いつH3.3にDNAが巻き付くかを調べれば、どの時点で細胞が筋肉細胞になるように運命づけられるのかがわかります。そこで、大川先生は、未成熟な細胞から成熟した筋肉細胞になるまでのいくつかの段階の細胞からH3.3を集めてきて、巻き付いているDNA領域の配列を次世代シーケンサーという機械で解読しました。

その結果、筋肉細胞で活発に働く遺伝子たちが、かなり早い段階でH3.3に巻き付いていることがわかりました。かなり早い段階で、将来筋肉細胞になるという運命が決まっていることを示しています。

「ヒトゲノムプロジェクトがもたらしたものはたくさんありますが、その一つに、DNA配列を決定する技術の劇的な進歩があります。ゲノムプロジェクトでは、30億ドル、当時のおよそ4000億円、13年間をかけてようやく1人分の人間のゲノムを解析しました。次世代シーケンサーとよばれるDNA配列決定の最新機械を使えば、いまや、1日で1人分のDNA配列を調べることができます。100人の配列を10日間で読め!という賞金プロジェクトすらあるほどです(Archron X Prize for Genomics)。次世代シーケンサーの進歩のおかげで、今回のような大量のDNA断片を一度に解析する研究も可能になったのです。」

今後、他の細胞でも、そして他の型のヒストンについても、巻き付いているDNAの領域が次世代シーケンサーによって次々とわかってくれば、どの遺伝子のグループがどの時点からはたらき始め、細胞にどんな影響を与えるのかが詳しくわかってくるはずです。

ゲノムプロジェクトの次は“エピゲノムプロジェクト”

「世界的にも、“遺伝子をとりまく環境”を解明する研究は活発化しています。例えば、ヒトゲノムプロジェクトが終わり、2010年に発足したのは、国際ヒトエピゲノムプロジェクト、IHEC!」

“エピゲノム”とは、DNAやDNAが巻き付いているヒストンが、メチル化やアセチル化などの化学修飾を受け、ゲノムに情報が付け加えられていることを言います。この変化によってクロマチン構造は大きく変化し、遺伝子がはたらいたり、抑えられたりするのです。IHECは、ヒト細胞のエピゲノムのうち少なくとも1,000を解読することを目標としているそう。

「今、遺伝子の選択をあやつる“遺伝子をとりまく環境”として、ヒストンの置き換え、DNAやヒストンの修飾、RNAポリメラーゼの活性化などがわかっています。しかし、未知の暗号があるかもしれない。クロマチン構造にかくされている暗号をこれからもっと読み取っていきたい」と大川先生。

DNAの配列がわかった次は、DNAをとりまく環境を知る時代。環境の変化がもたらす、遺伝子のはたらき方の制御がわかってきたら、人工的に作られるiPS細胞の安全性や作製効率も改善される可能性も。DNAの配列がわかったときよりも、大きなインパクトがありそうで、わくわくします。

詳細は以下のページをご参照下さい!

●クロマチン動構造のHP (リンクは削除されました)

●胡桃坂研究室HP (リンクは削除されました)

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