STAP細胞があったとしても

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1月末に発表されたSTAP細胞は、再生医療につながる可能性があるとして、大いに注目を集めました(STAP細胞の何がスゴイとされたのかは、発表の翌日に科学コミュニケーターの志水が書いた記事をご覧ください)。

残念ながらこの論文は、捏造や改ざんと判定された箇所があり、また、それ以外にもたくさんの過誤があって、すでに撤回されています。

これまでのところ、STAP細胞が存在したという証拠はありません。

とはいえ、STAP細胞に対する期待は今も大きいようです。

1月末の発表の直後には、生物学への貢献や再生医療への応用だけでなく「夢の若返りが可能になるかもしれない」などとも語られました。もし仮にSTAP細胞が本当に実在したとしたら、その夢はいつごろ、実現するのでしょう? 

あの論文に書かれた通りのSTAP細胞が存在すると仮定しましょう(繰り返しますが、7月15日時点でSTAP細胞の存在を示す証拠は1つもありません。とはいえ、それでは話を進めようがないので、存在すると仮定します)。学問としての生物学への貢献は、すぐにでも始まりますが、ここでは皆さんの関心の高い再生医療への応用を考えてみます。

結論を先に申し上げてしまいます。

1月末の記者会見で、論文の筆頭著者は
数十年後、100年後の人類社会に貢献できるような研究をしたい」
と言っていましたが、まさにこのくらいのタイムスケールになるはずです。

さらに言えば、STAP細胞が本当にあったとしても、
再生医療への応用や「夢の若返り」は実現しない恐れもあります


ES細胞では「マウスからヒト」までに17年

STAP細胞は生後1週間の赤ちゃんマウスの脾臓から作っています。医療を想定した研究に使うのであれば、まずクリアしなければならない課題は、以下の3点です。

ヒトの細胞でもSTAP細胞ができるか
おとなの細胞からでもできるか
③皮膚や血液など採取しやすい細胞からでもできるか

このうち、③はクリアできそうです。論文ですでに検討されていて、マウスの皮膚の繊維芽細胞からでもSTAP細胞はできました(ここでは、論文での主張通りであることを前提にしています)。

論文が疑問視される前は、①のヒト細胞を試みた研究者は相当数いただろうと思います。ですが、成功例も失敗例も報告されていません(共著者の一人であるハーバード大学のヴァカンティ教授はヒトでよく似た細胞ができたとメディアに話していますが、それがSTAP細胞であると確認はされていません)。

②のおとなでも可能かどうかについては、著者たちが3月5日に発表したSTAP細胞の作成手順書に、1週齢の赤ちゃんマウスに由来にする細胞でないと、それほどうまくできないと書いてあります。

ヒト細胞でも可能か、おとなでも可能かで、いきなり壁にぶつかってしまいました。この2つの項目が解決できるかどうかは、まったくわかりません

参考となるほかの多能性幹細胞を見てみましょう。マウスのES細胞(胚性幹細胞)は1981年に得られていますが、ヒトのES細胞の登場は17年後の1998年です。17年はちょっと長くて待ち切れなさそうですが、iPS細胞(人工多能性幹細胞)はマウスでは2006年、ヒトでは翌年に成功しています。1年ならば待てるかもしれません。

大人の細胞でもSTAP細胞は作れるかに関しては、ES細胞やiPS細胞はあまり参考になりません。ES細胞は受精卵から数日たった程度の胚から作りますし、iPS細胞は最初から成人の培養細胞で成功しています。著者たちがわざわざ「1週齢以降のマウスでは、それほどうまくいかない」と書いているということは、試してみたけれどダメだったはずです。

 

①、②、③のすべてが可能になったとしても、まだ課題はあります。

臓器はこれから、若返りは何をするかの検討から

STAP細胞(実際に応用に使うのはSTAP幹細胞になると思います)はそのまま医療に使うのではなく、何か目的とする細胞へと分化させてから使うはずです。例えば、目の網膜にトラブルが生じた患者さんの治療を考えるのならば、STAP細胞からSTAP幹細胞を経て、網膜の細胞へと変化させる必要があります。

論文で主張していることがすべて正しいとすると、STAP幹細胞はES細胞に非常によく似ています。つまり、これまで積み重ねてきたES細胞での成果を、そのまま使える可能性があります。これは応用までの長い道のりを一気に短縮できる大きなチャンスです。

iPS細胞は、異例とも言えるスピードで研究が進んできました。その理由の1つは、まさにES細胞での知識の積み重ねをそっくり利用できたからです。このことを科学の世界では、「巨人の肩に乗る」という表現をします。小さな子供が巨人の肩に乗ることで一気に高みに到達するように、それまでの知識をもとに一足飛びに研究が進むことです。STAP細胞も、偉大な巨人の肩に乗せてもらえる可能性があります。

とはいえ、肩に乗せてくれる巨人がまだ登場していない事柄もあります。血球や神経細胞などのバラバラの細胞や、網膜などのシート状の組織はES細胞などの研究でかなりの部分、可能になっています。ですが、腎臓や肝臓といった3次元の複雑な臓器は、ヒトのES細胞が登場してからすでに15年もたっているにもかかわらず、まだ可能になっていません

もちろん、天才が現れてこれらの課題を一気に解決するかも知れません。でも、その場合でも、やはり年単位の時間はかかります。患者さんの身体に移植するのであれば、安全性の確認には最低でも数年がかかります。

ES細胞やiPS細胞という巨人の肩に乗ることで、治療用の分化した細胞を得るステップは短縮できるかも知れませんが、安全性の確認は違います。「ES細胞では大丈夫だったから」「iPS細胞では安全だったから」などという理屈は通りません。

臨床研究にこぎ着けることができたとしても、その結果を見きわめるのにも、やはりかなりの時間がかかります。安全性が確認でき、治療効果もバッチリだとわかっても、それですぐに誰もが恩恵を受けられるとは限りません。

移植にも使うことを目指して、細胞を培養してシート状の機能する組織(網膜など)にするのには技術力のほかにも、きわめてクリーンな環境を用意する必要があります。現時点では、数千万円の費用がかかります。個人でこれを払える人は少ないでしょう。保険が適用されて、本人負担がたとえば3割になってもやはり高額です。

さらに「若返り」となると、まず、それが何をさすのか、それを実現するには何をどうすればいいのかを検討するところから始めることになるはずです。安全性の確認法や効果の評価法も確認しないといけないかもしれません。

いかがでしょうか?

もし本当にSTAP細胞があり、論文に書かれていたとおりの性質をもった細胞だったとしても、再生医療への応用は10年単位の時間がかかると考えた方がいいでしょう。100年たっても実現しない可能性も小さくないのです。

そして、確認しておくべき現実

さらに、現時点では、STAP細胞があるという証拠はなく、まだスタートラインにも立てていないのが実状です。

さらに加えると、STAP細胞の論文では、「酸につけた脾臓細胞の写真」のはずが「機械的な刺激を加えた骨髄細胞の写真」だったりしています。これは「肺がん患者の肺のレントゲン写真」として議論していたのが、実は「結核患者の肺のレントゲン写真」だった、というようなものです。私から採血したはずの血液が、まったく別の人の血液だったというような"細胞の取り違え"も生じています。

こうした、どれ1つとっても致命的といえるような過誤が3つ、4つではすまないくらいたくさんあるのです。日本分子生物学会の大隅典子理事長は、こうした過誤を「単純なミスである可能性を遙かに超えており」と理事長声明で述べています(3月11日)。撤回されたSTAP細胞の論文は、そういう論文だったのです。残念ながら、これが現実です。

懸念すべきはニセ医療

再生医療への期待とともに、あれだけ話題になった細胞です。3月17日に書いた拙文に対し、apjさんは以下のようなコメントを寄せて下さいました。

「(前略)問題はそれ以外のところで、「実はあった」「実はウチでだけ再現できた」などと称して、インチキ医療の種としてSTAPが復活する可能性が大きいということです。(中略)今回、STAPは有名になりすぎたので、きちんと実験して無いなら無いとつぶしておかないと、一般の人を巻き込むニセ医療に材料を与える結果になるのではないかと危惧しています。」

「研究不正再発防止のための改革委員会」が提言書で、STAP細胞はあると主張している著者による再現実験を提唱した真意は、このapjさんの「実験して無いなら無いとつぶしておかないと」という考えに近いです。

繰り返しますが、仮におとなの人からのSTAP細胞が今すぐできたとしても、医療に使えるくらいの効果と安全性が確認できるまでには、それぞれ数年は確実にかかります。逆にいうと、今後、5年やそこらで「実はウチでは再現できていて」などとしてSTAP細胞を使った医療行為めいたものが現れたら、それは効果と安全性がきちんと確認できていないインチキ医療だということです。

臨床への道は地味な研究の積み重ね

もう1カ月以上も前の6月5日になりますが、STAP細胞をめぐる騒動に関連して、京都大学の髙橋淳先生がツイッター上で、以下のようなつぶやきを発していました。髙橋淳先生は、iPS細胞を使ったパーキンソン病の臨床研究を計画している方です。iPS細胞の安全性などの確認のために、地味で地道な実験を続けていらっしゃるようです。

心よりの敬意を込めて、髙橋先生のツイートを引用し、この拙文を終わらせます。

「たとえばiPS細胞を臨床に応用するために研究者はあのSTAP論文を超える厳密さとボリュームの再現実験を繰り返している。ただ、それらはあくまでも検証実験なのでNatureなどにはもちろん載らないし論文になるかどうかさえ分からない。でも、やる。」

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この記事への47件のフィードバック

詫摩さま
分かりやすい解説、ありがとうございます。
この記事および一連の騒動を読んで感じた事ですが、
生物の誕生や生物が生きているその事自体がなんて巧妙にできているんでしょう!普段私達が当たり前の事として見ている子供の成長や、傷、病気の治癒も、すごく上手く複雑に歯車が組み合わさっているからくり細工のように思えます。仕組みは解明で来ても真似して作ることは非常に難しくて動かないか、ぎこちなくしか出来ない...
この一連の騒動で、再生医療はじっくり腰を据えて取り掛からないといけないことが再認識されたのではないでしょうか?今後、高度に発展すると期待していますが、数十年後に結実する学術研究を真摯に真剣に取り組んでいる研究者を声援します。

yutakaさま

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。

STAP細胞の取材は、ある意味むなしいこともあるのですが、細胞の面白さを改めて再認した取材でもありました。

地道に真摯に活動を続けている研究者の方々への声援、ぜひお願いします。私ももちろん、します!

初めてコメント致します。いつも良識ある情報をありがとうございます。

STAP問題がずっと気になっている一般市民です。
「時間稼ぎ」としか思えない理研の対応に、今、多くの方が疲れてしまったのではないかと思い、危惧しております。

それぞれの環境で、それぞれの立場で、真面目にコツコツと一生懸命頑張っている全ての人々を冒涜していることを、小保方さん、その関係者、擁護者の方々には気がついて頂きたいです。
しっかりして下さい、目を覚まして下さい、と。

この為に、多くの有能な科学者の方々の時間とエネルギーを奪っていること、残念でなりません。多くの方々の限りある時間を台無しにさせてしまうほどの価値が、小保方さんの再現実験にはあるのでしょうか。

理研上層部をはじめ、政府の皆様方に、このことで失うものの大きさを、よくよくご高配賜りたく存じます。

出鱈目なことに多額の税金を使わないで下さい。本当にきちんとした、研究者の皆様方の為に、どうぞお使い下さい。お願い致します。

不正が明らかになったにも関わらず、これまでの給与もボーナスも得て、お茶や実験ノートの用意に、手技の練習に2ヶ月。。。
死角のあるカメラ配置の実験室。。。勘弁して頂きたいです。

まず先に、不正の数々をきちんと検証することでしょうに。。
検証実験参加を、自ら、恥ずかしくて辞退するような人ではない、ということでしたね。。

去年、話題になった、不祥事で即解雇になって、損害賠償まで請求され、人生ダメにしてしまったバイトさん達が、可哀想なほどです。(勿論、あれはあれで、いけないことですが。)

あんな出鱈目をやって、それでいいの?って、子供に聞かれた大人達は、どう答えたらいいのでしょうか、文部科学大臣?

ネット上で交わされている、真の科学者の皆様方、詫摩様をはじめとする良識ある方々のコメントを拝読しております。私は無力で情けないですが、真実はいつか必ず明らかにされると信じ、応援致しております。

詫摩 雅子さま、

状況をしっかりと把握できる、且つ非常にわかりやすい説明をありがとうございます。
今回のこの「馬鹿げた」と言えそうな騒動ですが、研究とは何か、社会と研究はどのような関係を持っているのか、どのような関係を持つべきなのか、などをしっかりと考える機会になったのは確かです。

とはいえ、この文章に書いていただいたほどハッキリしている状況にもかかわらず、まともな説明すらしない組織とそれを支持する大臣については、研究者ばかりでなく、技術や開発で仕事をしている人間としても、非常に恥ずかしい事です。
研究者であれば、日本の国でのやる気を失っても不思議はない。
何とかこの環境を良くできるよう、何とかできることをやっていきたいですね!

科学コミュニケーターの方々のご活動、応援しております。ただ欲を言えば、3月初めの時点でこうした記事が出て来てほしかったと思います。研究者コミュニティの中では既にその頃に分かっていたことですから。今後のご活躍に一層期待したいところです。

「巨人の肩の上に乗る」は、アイザック・ニュートンがロバート・フックへの書簡で使った言葉ですね。自分が遠くまで見通せたのは、巨人の肩の上に乗ったからだ、と。元はベルナルドゥスの言葉で、ニュートンの当時にはよく知られた言葉であったようです。ただ問題の書簡では、体格に恵まれないフックをニュートンが揶揄して述べた、という穿った見方もあります。

STAP細胞が本当に存在するのかは未だ分かりませんが、色々な可能性を探るのは決して無駄なことではないと思います。

詫摩様がお書きになったようにSTAP細胞が臨床応用にまで行き着くのは長い時間がかかるということはその通りだと思いますが、だからと言って否定してしまうのでは科学の進歩に繋がらないのではないでしょうか。

iPS細胞では当初4遺伝子が必要と発表された後、必ずしも4遺伝子全てが必要ではないといったことが分かってきたように、STAP細胞も改良の余地があるのかもしれません。

ES細胞やiPS細胞でできないことがあった場合、STAP細胞のような別の細胞がそれを補うことができる可能性もあるわけですし、最初から否定してしまうのは危険ではないかというのが本記事を読んでの感想です。

くるみさま

コメントをありがとうございます。
この件に関して、まわりの先生方の時間が無駄に使われていることに、本当に憤りを感じます。どう考えても、もはや茶番の域です。

改革委員会は、小保方さんによる再現実験を提言していましたが、それと、撤回された論文に対する不正の調査と、著者たちへの処分は、別々のこととして淡々と進めるべきといった趣旨のことを会見でもたびたび言っていました。

いったい、なぜ調査や処分を先延ばしにしたのか、本当に筋が通っていません。STAP細胞を“再現”できたとしても、論文が撤回されているので、それは新しい業績になるはずです。過去にすでに犯した罪に対する罰は免除されません。論文捏造という罰に対して、理研の規定によって免職あるいは降格などの処分をいったんした上で、新しい業績をみて再雇用や昇格というのならば、まだわかります。

本当に理屈が通らないことが多すぎ、科学の世界ではないところで何か起きているのではないかと疑問をもってしまいます。

こういう、疑問が生じてしまうこと自体が、理研にとって大きなマイナスになると案じております。

Chie Sen Ounaさま

コメントをありがとうございました。

仰るとおり、今回ほど科学の研究と社会とのかかわりを強く感じる事例はありませんでした。自然と日々、向き合うのが仕事とは言え、研究者が属しているのは私たちと同じ社会ですし、多くの研究機関では、研究資金は税金です。

科学の部分だけでも、何が起きているのかを理解するのが精一杯なのに、特許や政治までがからんでくると、一人の人間が調べて全容を知ることには無理があるのかなと感じてもいます。

今回、その点で、ネット上での集合知が非常に活躍したと思っています。それぞれの専門家が、自分の得意分野を持ち寄っていました。

この点についても、いずれご紹介したいなと考えております。

詫摩

Aさま

3月初めに書くべきだった、とのご指摘、ありがとうございました。
仰るとおりで、その点に関しては、私たちも力不足を感じております。

言い訳をさせていただくと、後から後から新しい話題が出てきて、この展開の速さに追いつけなかったというのがあります。

それでも志水と私とで、このブログには何度か書いていたので、ご満足いただける記事ではないかも知れませんが、ご一読いただければ幸いです。

http://blog.miraikan.jst.go.jp/cgi-bin/mt/mt-search.cgi?search=STAP&IncludeBlogs=153&limit=20

詫摩

今様のSTAP細胞騒動は、半世紀前の東洋電機カラーテレビ事件とオーバーラップする。「安価なカラーテレビを開発した」と発表した内容をめぐって信憑性への疑問から株価操作が疑われた事件でしたが、安倍政権三本の矢政策一連の政権延命操作の文部省・理化学研究所の巧妙な三文オペラ的な ト書 は否定できない。

sodaさま

コメントをありがとうございます。

仰るとおり、「酸につけると細胞が初期化する」という現象までは否定されていません。

取材をさせていただいた研究者の中には、「一回は多能性をもつ細胞が得られたのではないか、しかし、それを自分でも再現できなくなっているのではないか」という感触のことを仰る方もいました。

酸によって初期化されたのではなく、マウスにもともとあった細胞が酸によって選り分けられたという解釈もあります。

なので、科学のテーマとして、細胞の初期化の条件を探っていくことは、今後もあってもいいと思います。

ですが、STAP細胞の論文では、「初期化されて多能性を持つようになった」という現象を証明できていません。まだアイデア段階なのです。アイデアをアイデアとして公表するのはいいのですが、アイデアをさも実際にあったようにデータ改ざんや捏造をしてはいけません。

論文が撤回されると、「なかったこと」になります。小保方さんが始める実験で、STAP細胞ができたとしたら、それは彼女の新しい成果です。別の誰かが成功した場合は、その人が好きな名前をつけることになります(これは改革委員会の塩見先生の言葉です。

論文で行われた不正の有無と、STAP細胞があるかどうかは、別々に考えるべきだと思っています。そして、あの論文はさまざまな過誤を含んでおり、撤回されました。「現時点では」STAP細胞の存在を証明する事実はなにもないのです。


すごく面白かったんですが、字が大きならなくて、虫眼鏡が必要でした。字が拡大出来るとありがたいです。

鳩貝さま

ご意見をありがとうございます。
お使いの機器は、スマホででしょうか?
申し訳ありませんが、現在のシステムでは
指で画面を操作して大きくしようとしても、そうならないのです。

機種にもよるかと思いますが
スマホを横にしてもつと、少し大きく表示されます。

お試し下さい。

詫摩

こんにちは、詫摩さま。生物学ではなく材料化学系の研究をしている技術開発者です。

志水様のブログ記事に「探検家のたとえ話」を書かせていただきました。Aという探検家が「暗黒大陸の中に滝を見つけた」と滝までの地図を探検家仲間に公開し、探検家Bがその地図を頼りに滝まで行き、そこから滝を遡ってその上の川を探検してその川沿いの地図を公開する。探検家Cはその2つの地図を頼りに川に到達して、それをさらに遡って湖を見つける。こういう多くの探検家が「正しい地図」を頼りにしてはさらに先の「正しい地図」を探検家仲間に公開することで暗黒大陸がやがて「地図の整備された大陸」になっていくような話です。未知の分野に踏み込んでいく研究も、そういう多くの研究者の努力の積み重ねなしには「この部分は良くわかっている」とはならないものです。そして、その多くの研究者の努力を結びつけるものが探検家の公開する地図にあたる「論文」であるわけです。そういう意味では、「論文通りにやっても再現できない」段階で、もはや研究者仲間からは相手にされなくなっても仕方ない面があるわけです。探検家がその地図通りに行っても滝にたどり着けない訳ですからね。

私は論文不正の問題よりも「研究成果の広報」という問題を大きく感じています。「優れた研究上の発見」というのは、多くの研究者を惹きつけるもののことです。探検家のたとえ話でいうと暗黒大陸の中の滝は良い探検の目印であり、そこを拠点として多くの探検家がさらに周辺を探検して回ることで暗黒大陸を暗黒で無くすることにつながる、だからこそ「その滝を発見した探検家は偉い」わけです。理化学研究所の広報に問題があるとすると「この研究成果は、これから先(多くの研究者の手で)優れた社会貢献につながる(かもしれない)」の括弧で示した部分が欠落しているように感じます。まるで、暗黒大陸の中に滝を見つければそれだけで暗黒大陸が既知の大陸となるかのようなイメージを世間に抱かせたように見える訳です。

技術開発者さま

いつもコメントをありがとうございます。
志水あてにいただいたコメントの中でも特に印象に残っているのが、研究者たちは競争するだけではなく、「競争しながら、さらに 先に進むことを協力しあう者」という部分です。

これは非常に重要ですよね。「協力しあう者」なのに、その相手が間違った情報ばかりを出していたら(それが過失でも故意でも)、先に進むどころか危険な事態になりかねません。

今回の件も、「それでも正しい」と主張し続けていなければ“使えない”と扱われて静かに忘れられたでしょう。本人が正しさを主張するのは心情的にはわかりますが、まわりがそれをサポートしているのが解せません。

私が懸念しているのは、これだけ「本当はあるかもしれない」という期待を持たせてしまったら、本職(?)の詐欺師たちがニセ医療を繰り広げるときの格好の材料になるだろうな、ということです。

今回の件は広報の問題というのは、例えば大阪大学の菊池誠先生も早くから指摘されていました。広報とメディアと、両方に問題はあったと感じております。もちろん、私たち科学コミュニケーションをする者が、時々刻々と変わっていく話を、その都度、きちんとお伝えできなかったという問題もあります。

菊池先生のブログ(2月27日)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/201402.html#1393496909

ただ、大学や国の研究機関などは、そもそも一般の企業とは組織の構造が違いますし、広報のあり方(というより、守備範囲とでもいいましょうか)も違うと感じております。もっというと、研究テーマをトップダウン型で決めるところとフラット型とで、それぞれで広報のあり方も違うのはないかと感じております。CDBの広報が問題だったのか、研究者自身の会見での問題なのか、受け取ったメディア側の問題なのか、そこはきちんと詰めておかないといけない、と考えております。

今回の件では、前職の科学誌に記事を書いているので、どちらかというと「科学」の話ばかりを追いかけてしまっているのですが、それでも「科学以外の部分」も情報として入ってきます。広報の話はどこに発表できるかわからないのですが、何らかの形でまとめておきたいな、と思っております。

詫摩さま、コメントへの返信ありがとうございます。

実は、私も大阪大学の菊池先生の後についてニセ科学の蔓延問題などを考えていたkikulogメンバーの一人です。

>私が懸念しているのは、これだけ「本当はあるかもしれない」という期待を持たせてしまったら、本職(?)の詐欺師たちがニセ医療を繰り広げるときの格好の材料になるだろうな、ということです。

このあたりは、菊池先生のニセ科学批判のお仲間であるapjさんも気にされていますね。それでなくても、ニセ科学問題では「トンデモ博士」のお墨付きが頭痛の種ですから・・・肺閉塞が起きるようなアマメシバ抽出物のダイエット食品にある医学博士が提灯記事を書いていた(裁判で損害賠償の連帯責任が命じられました)とか、いろいろ事例があります。まあ、今後そういうニセ医療系の詐欺が出てくれば丹念に潰していくしかないのだろうと思います。

菊池先生に少し誤解があるように感じるのは、理研の広報が大学よりしっかりしているということは、たぶん無いのだろうと思います。広報と言うのは企業の中の部署で言うと営業部の仕事なんです。大学にも営業部はありませんが、研究所である理研にもやはり営業部は無い訳です。まともな営業仕事の注意の半分は「やりすぎない事」です、うかつに言いすぎると「誇大広告」って叱られるのが営業ですから。そういう意味で理研の広報のやり方は「広報部のマネをしようとして、成り行きでやりすぎた研究部の広報」のように見えます。やりすぎは、やり足らない場合よりたいてい問題が大きくなります。

>広報の話はどこに発表できるかわからないのですが、何らかの形でまとめておきたいな、と思っております。

広報の話ということで参考になれば幸いです。

技術開発者さま

お返事をありがとうございました。
研究機関の広報は、企業の営業部、ですか。

なるほど。

未来館に来る前はメディアの人間として
プレスリリースを受け取る側におりました。
私が駆け出しのころは、大学や国の研究機関に広報などなく
(年齢がばれてしまいますね)
理研は早い方だったと思います。

ただ、個々の研究成果を伝えるのと
研究組織の広報をするのは、重なり合ってはいますが
やはり違いますよね。
個々の商品の宣伝と、ブランドを守ることの違いのようなものでしょうか。

商品の宣伝の部分ではやりすぎてしまい、
ブランドを守る部分では、対応が後手に回ったと感じています。

「やりすぎてはいけない」(=誇大広告はいけない)というのは
非常に納得できました。
ありがとうございました。

詫摩雅子

こんにちは、詫摩さま。

>個々の研究成果を伝えるのと
>研究組織の広報をするのは、重なり合ってはいますが
> やはり違いますよね。

学術的な研究成果というのが、最終的に人に属してしまうのが大きな違いだろうと考えます。私は良く人に「キュリー夫人は知っているでしょ。じゃあ彼女はどこに勤めていてラジウムを発見したのか知っていますか?」なんていぢわるな質問をしたりします。正解は「パリ市立大学のピェール・キュリーの研究室で無給の研究員だった」ということなんですが、まあ、ピェール・キュリーがこの大学の教授だったことも多くの人は知りませんからね(笑)。この話に続けて「田中耕一さんが島津製作所の人だと今はまだ多くの人が知っているけど、あと50年も経つと『どこか、大学の先生でしょ』となるだろう」なんて言うのです。これが『人に属する』ということなんですね。人が忘れない順番から言うと、人名、業績、所属の順です。

工業製品の場合は、この順番が商品名、会社名、開発者名になりますが、開発指名なんてのは最初から出ないことも多いです。タッパーなんて密閉容器は皆知っていますが、それがタッパーウェア社の商品名だというのは結構忘れられているし、開発者名は実は私も知らない(笑)。

この「学術成果は最終的に人に属する」があるので、研究成果の広報と言うのは新商品の広報とはかなり違ってくる訳です。iPS細胞の報道でもマスコミは山中先生を追いかけたし、今回のSTAP細胞でも小保方氏が追いかけられた訳です。逆にその研究成果の発表に今回の様な不祥事があると、批判なんかも非常に厳しく個人に行ってしまう訳です。

このあたりの違いを理解して整理しないと、研究所の広報というのはうまくいかない訳です。

技術開発者さま

コメントをありがとうございます。

あえてステレオタイプな分け方をしていくと、以下のようになると思います。
大学の先生方の場合、「何の研究をするか」「どういうアプローチでするか」を自分で決めていくので、研究成果と研究者が強く結びつき、組織(大学)はそれほど強い結びつきではない。
一方、企業の場合、研究テーマやアプローチの方法は、組織が決め、研究者個人の自由度はそれほど大きくない。なので、研究成果(商品)は組織と強く結びつく。

大学や国の研究所に広報ができて、研究成果をメディアに積極的にリリースするようになったのは、2000年くらいからではなかったかと感じています。少なくとも、私が新聞記者を始めた90年あたりには、広報機能はあっても、それは組織の情報を伝えるところで(幹部の人事や受験情報、不祥事の対応など)、研究成果のリリースというのは、そんなになかったと記憶しています。

2000年くらいから、大学も研究成果の広報を積極的にするようになったと感じていますが、私の知る限り、大学広報が最初にその研究成果の発表するときに、研究者ご自身を“売り”にしようとしたことはないと思っています(私の経験に基づく主観です)。リリースに研究者の名前はもちろん載りますが、顔写真はないのが普通です。今回のSTAP細胞のリリースもそこは同様でした。

研究者の“顔”が見えることは、必ずしも悪いことではないと思っています。その人を知ることで、憧れを抱き、科学者を目指そうと思う次世代も出てくるはずです。

ただ、今回のSTAP細胞では、ちょっといつもと違うことが生じています。これを知りたいと思っています。

詫摩雅子


こんにちは、詫摩さま。

>ただ、今回のSTAP細胞では、ちょっといつもと違うことが生じています。これを知りたいと思っています。

そうですね、たしかに何か違う気がします。

あくまで私なりに考えて見てですが、本来、マスコミも「優れた(と思われる)研究成果が出た」時の報道と「優れた研究成果に賞が与えられた」時の報道は違うものだろうという気はします。山中先生がiPS細胞の作製に成功したことを報告されたときの報道を頑張って思い出しているのですが、研究成果の報道が主で山中先生そのものの報道は(とりあえず)従だったような気がするのです(記憶がはっきりしないのです)。そして、山中先生がノーベル賞をおとりになった時の報道は山中先生そのものの報道が主で、研究成果の報道は従に見えました(こっちは比較的よく覚えています)。これは報道の主対象がもともと「成果」と「人」と違うので、違いがあっても当然なのだろうと思います。

でもって、今回、どういう訳か、「研究成果が出た」ということの報道なのに、「人」に焦点を当てた「人が主、成果が従」的な報道になっていた訳です。まあ、山中先生よりは「絵になる」対象(山中先生もなかなかイケメンとは思いますけどね:笑)だったことも大きいのですが、それ以外に
・山中先生のノーベル賞報道のモードがリセットされていなかったので、マスコミが本来「成果報道」のモードでやるべき報道を「受賞報道」のモードでやってしまった。
・本来は「成果報道」のモードになるように要求すべき理研の広報がマスコミのモードをコントロールできなかった。
などが考えられるかも知れないと思います。

少し私なりの考え方を書くと「人の望みに従う」ということと「人に媚びる」の違いを感じることがあります。研究者じゃない人に開発途上の工業素材の話などをすると「わぁ~、良いな~、早く実用化してよ」なんて言われて、「早くてもあと数年は実用化までかかりますよ」なんて言うと「なんでそんなにかかるのよ!」なんて怒られて、「だって、実用化した後で、いろいろと欠陥が出てきたら、やっぱりあなただって怒るでしょ(笑)。実用化までに欠陥品にならないように悪い所をつぶさないとね。それにはどうしても時間がかかるんですよ。」と説明するのが、まあ、おそらく「媚びない」説明なんだろうと思っています。なんとなく、最近の社会の風潮が「媚びる」ことを要求し、それに応じないと「人の望みをかなえようとしない奴」みたいに思う部分があるような気がして仕方ないのです。偏見かもしれませんが、理研がマスコミ(世間)に「媚びた」ような感触を受けている面があるのです。

詫摩 雅子さま

「STAP細胞があったとしても」を興味深く読ませていただきました。これは、STAP細胞へのエールのようでもあり、オマージュのようでもありあます。
 
若山先生も細胞交換疑惑の会見で「STAP細胞があればいいと思っている」と言われていましたが、果たしてSTAP細胞は実在するのか、幻影なのでしょうか。

「STAP」は、なかなか卓越した概念であると、私は考えます。というのは、この概念によって、これまで個別に提示されてきた、ある刺激/ストレスによって体細胞から得られた多能性(幹)細胞を整理して理解することができるようになるのではないかと思われるからです。「ストレス」の概念を拡張すれば、iPSの「初期化遺伝子群の導入」もストレスの範疇に含めることができるとは考えられないでしょうか。「初期化遺伝子群の発現は、分化細胞の分化状態を維持できない程のストレスをその細胞に与える」と見なすことが出来るからです。

STAPは Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency のアクロニムですが、撤回されたNature論文の中で、いろいろな刺激を stressor といっていたわけですから、S はむしろStress であるべきだと思いす。そうすると、iPSこそはSTAP細胞の1つであり、iPSも含めたSTAP細胞という研究領域が浮かび上がってきます。

この研究領域では、細胞の分化状態を維持できない程のストレスをその細胞に与え、増殖も死滅も出来ない状態を長期間持続させ、最終的に細胞を初期化させる「ストレス」を見いだすことと、そうしたストレスの作用機序とストレスでもたらされた「多能性細胞」を相互に比較することなどが、研究の主題となります。今のところ、そうしたストレスは山中法(初期化遺伝子群の発現)以外には見つかっていないと考えるわけです。小保方法(弱酸性処理)やヴァカンティ法(研和)は理研CDBで検討中であり、他のストレス法も探求されねばなりません。

こうした見方は、iPSの山中先生には大迷惑かもしれませんが、学問の体系化という観点からは、意味がある/正しいのではないか、と私は考えます。しかも、これで、STAP細胞はあるとかないとかの、不毛な議論は不要になり、STAP研究の環境は健全な状態になるのではないでしょうか。

ただし、当面の研究対象となるのはSTAP幹細胞で、前段階のいわゆるSTAP細胞ではありません。iPSと対応するのはSTAP幹細胞です。Nature論文を読んだ当初から疑問に思ったのは、「初期STAP細胞」の解析に拘っている点でした。「初期STAP細胞」は増殖性が乏しく、細胞集団が一様でなく、解析に適さず、実用性も低いにもかかわらずです。
 一方、「初期STAP細胞」に対応するのは「初期iPS」になるのでしょうが、「初期iPS」はほとんど研究されてきませんでした。増殖性のない細胞の細胞特性を解明するのは困難でもあるし、実用性も乏しいからだからだと思われます。最近になって、iPS変換過程に焦点を当てた論文が、山中グループから発表されました。(Nat Commun 5:3678, 2014)
 したがって、今行われている「初期STAP細胞」の検証実験や再現実験は困難であり、失敗に終るでしょう。まずは「STAP幹細胞」の検証・再現を目指すべきだと、私には思われます。

この場をお借りして、私見を述べさせて頂きました。

私は今の日本の科学組織に憤りを感じる。

なぜ、組織として、研究者をケアしてやれないのか。
なぜ、過熱報道から、研究者を守ってやらないのか。
そもそもなぜ、最初にあんな広報活動をしてしまったのか。

結局のところ、日本の科学組織は研究者を寄せ集めたグループでしかなく、チームになっていないのだ。
「成果を上げろ。研究費をかせげ。教育しろ。責任をとれ。次の就職先を自力で見つけてこい。」
これだけのプレッシャーに一人で耐えられる人間が、どれほどいるだろうか?
研究者だって、一人の人間にすぎないのだ。

個人の創造性は尊重すべきである。
しかしそれには、社会の理解と支えが必要である。

もう誰にも、傷ついて欲しくない。

死んではいけない。
死なせてはいけない。

Nekoguさま

いつもコメントをありがとうございます。
お返事が遅くなってしまって申し訳ありません。

iPS細胞もSTAP現象の一形態とみるお考えは卓見ですね。
山中先生のiPS細胞が発表された後、より効率的で安全性の高い初期化方法を探るためにいろいろな研究が行われました。当初の山中4因子からいろいろなバリエーションが作られ、その中には、遺伝子ではなくタンパク質やもう少し低分子の化学物質で初期化する方法もあります。

ご存知のようにSTAP細胞の論文では、毒物も試していて、効率は酸よりは悪いものの、初期化は起きたと主張していました。これなどは、化学物質によるiPS細胞づくりと、きわめて近いように感じます。

あまり増殖しないSTAP細胞よりもSTAP幹細胞のほうが価値が高いというのもその通りだと思います。iPS細胞と比較するのは、STAP細胞ではなく、STAP幹細胞のほうだと、山中先生も仰っていました。

ただ、再生医療や創薬などへの応用ではなく、生物学の視点からでは、胎盤にも寄与するSTAP細胞のほうが新しいタイプの現象/細胞で面白かったのではないでしょうか。

STAP幹細胞は、生物学的な特徴としては、ES細胞にきわめて似ているので、実用化に向けての研究が始まるとすれば、もっと詳細に継代培養時の安定性などを調べる必要があると思います。ですが、性質を詳細に知りたいと思うのは、STAP細胞の方なのではないでしょうか。


本来ならば「論文に不正があったかどうか」だけが問題になるべきところを、いつの間にか「STAP細胞はあるのかどうか」の話にすり替わってしまい、あの検証実験が続けられていると考えています。

STAP幹細胞は、STAP細胞から培養条件を変えることで誘導してきます。4月から進行中の検証実験でも、まずは「STAPを作る」とあり、それが十分に再現性高く見られるようになったら、STAP幹細胞の樹立などに入るとされていました。

詫摩雅子

とっくさま

コメントをありがとうございます。
昨日の第一報を聞き、自分でもわけがわからないのですが
激しく動揺しました。

私でさえ、こうなのですから、CDBの方々や同じ研究分野の方々の衝撃は
いかばかりかと思います。

あの最初の大々的すぎる記者会見がすべての始まりではありましたが、
論文不正としては、それほど大規模でも、社会への影響力が大きいものでもありません。
不正はそれ自体が悪なので、比較するのはおかしな話かも知れませんが、昨今、話題になっている東京大学での数十本にもおよぶ論文不正や、患者さんが巻き込まれている製薬会社の不正などを見ても、STAP細胞は「ただの不正」だったと感じています。

はじめは、論文での不正の有無が争点だったのに、いつのまにかSTAP細胞の有無が問題となってしまい、処分が行われないまま、話がねじれてしまいました。

不正が明白になった時点で早めに処分が行われていれば、こういうことにはならなかったのではないかと考えております。

非常に残念です。
これ以上の、精神的負荷が、まわりの先生方に広がらないことを強く願っております。

こんにちは、詫摩さま、皆様。

研究を行っている者として、皆様に一つだけ理解していただきたい事があるので、コメントさせていただきます。

私自身、研究者として論文を書いてきました。人の論文の査読も行ってきましたし、また学会の関係で論文誌の編集に関与したこともあります。その中で実感として「論文は研究を如実に表す」ということを感じてきました。論文に何か足りない部分があるということはその研究に何かしら足りないことがあるし、論文におかしなところがあるときは、その研究にもおかしなところがあるものなんです。なんていうか、「正しく行われた研究なのに論文が正しく書かれていない」ということはほとんど無いということです。

私自身決して優秀な研究者とは言えませんので、若い時から色々な失敗をしてきました。若い時の論文を今ごろ見ると赤面するほど下手なものもあります。でもそれは「書き方の失敗」ではなく、やはり、「研究のやりかたの失敗」を表しているから、さらに恥ずかしい訳です。

研究と言うのは、まず先行研究の調査を行い、自分自身の研究の目的を定めて、それに適した実験を計画し、実際に実験を行い、その結果を解釈して報告するものです。そして、その報告書が論文であるわけですが、調査して目的を明確にする部分が足らないと、論文の序論がおかしなことになります。実験の計画の検討が足りないと、後から色々な補足実験をすることになって、実験部分の記載がなにやらゴチャゴチャとした分かりにくいものになります。実験結果を目的と照らし合わせながら解釈する部分が正しくできていないと結果考察の部分で人にわかりにくい飛躍した解釈を書くことになります。これらの失敗は、現実に私などがやってしまったことのある失敗です。

研究者に求められる能力として「発想力」を大きくとらえる人が沢山います。でも、単に「こういうことが起きるかも」といった夢想であれば、たぶん研究者よりも広い発想ができる人が世の中には沢山いそうです。研究者の能力とは、発想を具体的な調査や実験によって現実化することだと考えるなら、研究を計画して実行する能力ということになります。そして、その能力がきちんと発揮された研究は、分かりやすい筋の通った論文として報告される訳です。

そういう意味で、「良い研究なのに論文が正しく書かれていないだけ」といった見方には、「研究とはそういうものではないのだけど」という感想を持たざるを得ません。

技術開発者さま

いつもコメントをありがとうございます。
科学論文に常日頃から触れている方ならではの
皮膚感覚のような実感のこもったお話です。

こういったお話は、研究者の方であれば
当たり前すぎることなのでしょうが
私たちは知りません。
一方で、研究者の方々は、当たり前すぎて
ことさら話題にしないのでしょう。

私たち科学コミュニケーターは、論文を読む機会は
一般の方々よりも多いと思いますが
途中の経過を知る機会はあまりありません。
また、「スジの良い論文」を読む機会は多くても
「スジの悪い論文」はあまり読んでいないと思います。

発想力はもちろん大事ですが、それを実現する能力が軽んじられては
結局、何も手にすることができなくなりそうです。

非常に示唆に富むコメントを本当にありがとうございました。

詫摩雅子

詫摩雅子 さま

拙文を丁寧にお読みいただき、ありがとうございます。
 
1つだけ念を押しますと、増殖の乏しい細胞の把握や解析は極めて困難なのが細胞学の現状だと思います。STAP細胞の場合は、ダメージを受けている分、超fragile なのではないかと思われるのです。STAP細胞を経てSTAP幹細胞が生じるのですから、理屈の上では、まずSTAP細胞、次いでSTAP幹細胞となりますが、おそらくその考えが、STAP細胞研究の「落とし穴」なのではないかと考えるのです。

それではなぜ「初期iPS細胞」はまだ同定・解析がなされていないのでしょうか。「初期iPS細胞」がtotipotentである可能性があるにもかかわらずです。

詫摩雅子様
科学の未来を信じる立場である科学未来館のブログとしては、何か身も蓋もないお話のように思います。私は、工学技術者なので分子生物学のことは全くわかりません。日経サイエンスの記事などを拝見して、なるほどねとか思う程度です。
でも、工学技術者から見ると、STAP論文も万能細胞を工業的に迅速に作ることの可能性を示唆する論文として面白く読ませていただきました。分子生物学者の方は、存在しないとの論説の方が多いようですが、工学的にはあるかどうかではなく、万能細胞の化学工学的アプローチができるかもしれないと言う面白さがあるのです。
疑問も満載ですが、だめなものは常温超電導実験でもニセ科学的なものは消え去って行ったように時間が解決します。でも、多くの人が取り組む環境から別の展開が出てくることがあるのも科学です。
技術は特にブレークスルーすることがあるので、科学未来館のブログでは科学技術を信じる立場で書いていただくことをお願いします。

また、ES細胞は17年と言うのも誘導的で感心しません。ES細胞の経験があるからiPSでの臨床研究が進んだように、科学技術は相互作用で発展するのでなにかあまりにも一方的なクレジットの付け方のように思います。ESがあったからiPSが生まれたということの方が大事だと思います。

詫摩雅子 さま

前前回のコメントは、8月4日でした。
忘れもしません。笹井氏が自殺される前日でしたから。
もし笹井氏が、私のSTAP論を読まれていたら、どんな感想を・・・

STAP騒動は、再現実験・検証実験のことなどがあり、まだ少し続きそうです。
私の「STAP論」は、基本は変わりませんが、もう少し洗練 refineできたらと考えております。

その前に、今回のSTAP騒動に対する私の見解(現時点での総括)を、この場を拝借して表明して置きたいと思います。お許し下さい。


STAP騒動ー私の見解ー

 STAP騒動は、世間を一時的に騒がせましたが、その科学上の本質は、一商業週刊誌に掲載された、不十分な実験データを元に作り上げられた2つの論文が撤回された、というだけのことではないでしょうか。

 この騒動によって、日本学術会議が妄想して言うように「我が国の科学研究全体に負のイメージを与える状況が生み出されています」という訳でもないし、STAPという現象/考え方が否定された訳でもありません。この騒動によって、被害を受けた研究は世界にひとつもない(!)はずですし、不利益を受けた科学者は世界に一人も(当事者を除いて)いない(!)はずです。

 残念な不祥事ですが、科学の世界ではまま起こる事象の1つに過ぎなません。科学上の誤り/不正は、訂正・修正されるか、無価値なものとして忘れ去られるだけのことです。私にとっては「当事者たちは、愚かな早とちりをしたのかな・・・」といった印象を持ったにすぎません。この騒動の科学上の責任を問うとすれば、1には論文の主要な著者たち(4名)であり、2には、論文の不十分さを見抜けずに出版に踏み切った週刊誌の編集者ということになるでしょう。論文撤回ということで、両者は既に一応、科学上の責任を取ったことになると、私は理解しています。

 このように、STAP騒動は、基本的には論文が撤回された時点で一段落で、あとはCDBか理研が当事者の応分の責任を明確にし、CDBとして再発防止に取り組む姿勢を具体的に示すことで終結する、ということでしょう。しかし、その動きがCDBにほとんどないことが、問題を長引かせ、不要な憶測を呼び、当事者のひとり笹井氏の死を招いてしまったと、私は見ています。CDB解体再出発をうたった改革委員会の過激・過剰な「提言書」も宜なるかな、という思いです。(Nekogu. 2014. 8.15)

工学技術者さま

コメントをありがとうございます。
「身も蓋もない」とお感じになられましたか。
そうであったとしたら、私の文章力不足ですね。

私は、「STAP細胞で夢の若返りが可能になる」といった、過剰な期待を警戒しています。過剰な期待は、すぐには実現しなかった場合には、不信に変わるからです。

STAP細胞が本当にあって、論文に書かれていたとおりの時間と効率で多能性幹細胞になり、簡単にSTAP幹細胞になるのであれば、本当にiPS細胞にとって代わるものになったかもしれません。

ですが、iPS細胞やES細胞でも、治療の筋道さえまだ立てることのできない疾患はたくさんあります。iPS細胞やES細胞から必要とする臓器や組織を作る研究には、今後、大きなブレークスルーが生じるかも知れませんが、安全性のチェックにはやはり時間がかかります。

幹細胞から細胞や組織・臓器を再建する再生医療はまだ研究段階です。骨髄移植を別とすれば、世界でも臨床例はそれほど多くありません。現状と、今後どのくらいの時間がかかるのかを知っていただき、その上で今後の発展に「期待」を
していただきたいのです。

過剰な期待は、それがうまく行かなかった場合、深い幻滅へと変わります。そうならないようにするためにも、研究者やメディアは受け手が「過剰な期待」を抱かないようにすべきだったのですが、STAP細胞ではその点を失敗しました。

コメントいただいたブログ記事は7月15日に書いたものですが、そのあとの7月21日にカナダで国際幹細胞学会が開かれました。京都大学iPS細胞研究所の八代嘉美先生より伺った話ですが、その国際学会の開会の挨拶としてJanet Rossant会長が、幹細胞研究と社会との関係に関して、2つの問題があると仰ったそうです。その1つが「誇大な宣伝」で、具体例としてSTAP細胞があげられたそうです。論文の不正や疑義などではなく、大げさな情報発信と報道のされ方が問題になったのです。

心筋シートを使って、心臓病の治療(治験)を手がけている大阪大学の澤芳樹先生にお話を聞く機会がありましたが、「まだマウスでの話だし、再生医療(の分野)の話と言うよりは、幹細胞の話」というご意見でした。その通りだと思います。撤回された論文も、徹頭徹尾、幹細胞研究の論文で、これでさまざまな病気が治るといったような記述は一切ありません。ですが、最初の記者会見の後に、「夢の若返り」などという言葉が一人歩きしてしまったのです(あの会見で、小保方さん自身はちゃんと「これはマウスの研究なので、まだまだ」といった趣旨のことも言っています)。

山中伸弥先生がiPS細胞の論文を発表して以来、安全性や効率を高める作成法は研究の1つのトレンドになっています。山中先生の最初の方法では、4つの遺伝子を細胞に入れていました。しかも、その導入した遺伝子は「ずっと入ったまま」でした。これでは、患者さんに使うときに不安に思われるかも知れないので、遺伝子が入ったままにならない方法や、そもそも遺伝子を使わない方法も研究されています。

STAP細胞の研究も、「遺伝子を使わずにiPS細胞をつくる」といった研究トレンドの1つと見ることもできます。ただ、私は少し違うかなと考えています。生物の身体の中で、細胞が経験してもおかしくない程度の刺激で初期化する、というのは生物学としては非常に面白い現象です。いわゆる自然治癒やがん化などがこれで説明できるかなと感じました。

最初の会見以来、STAP細胞は再生医療の文脈で語られていましたが、理研のシニアの方々は現象の面白さに惹かれていたような印象を受けています。

いずれにしても、論文自体はさまざまな疑義があり、素人目にも「おかしい」と思えるグラフがあります。STAP現象が本当にあったとしても、それはまた別の研究として、別の方(もちろん小保方さん自身でもいいのですが)がきちんとデータとともに示すべきだと考えております。

詫摩雅子

謹んで笹井氏のご冥福を祈りつつコメントいたします。

 私の研究内容は工業製品の品質管理と関係することから、いわゆる欠陥商品事故などの知識は人よりも詳しくなっております。
 言えることとして、原因の大きさ(悪質さ)と事故の重大さに相関は大きく無いものです。ほんの些細な製造ミスから製品が消費者の元で大きな事故を引き起こすこともあれば、これは酷いと思えるような手抜き設計の製品が使用中の故障停止だけで済むこともあります。
 しかし同時に言えることとして、人は重大な結果をもたらした事故においては、その原因を重大な(悪質な)ものとして捉えたがるものだということです。ある意味虚妄の(悪質な)原因追及とも言えるものですが、笹井氏にはそういうプレッシャーがかかったのだろうと想像いたします。

 同じく事故解析との類似で言うと、「重大事故は複数の要因を丹念に通過して起きる」ということです。ある要因で発生した事故の芽が、別な要因と合わさることで事故の若葉に育ち、それがさらに別な要因によって育てられて重大事故と言う大木が育ってしまうような話ですね。事故の再発防止のための解析などでは、この複数の要因の関係性などを丹念に精査しないとならないのですが、世間はそのような面倒くさい作業を嫌いますから、「で、結局誰が悪いのだ」と総括的に責任をあぶりだそうとします。笹井氏はその焦点の一つになってしまった感があります。

今回の事件でずっと感じたのが「業界ルール」ということでした。業界それぞれにおいて世間一般のルールよりも一層強く守ることが求められるルールがあります。私はホテル業界におけるホテルマンの守秘義務などを例として出して説明してきました。A社とB社が秘密裡に合併の話を進めている。会社の会議室で協議すると「最近、あの会社との会議が多いな」と話題となるといけないので、ホテルの会議室を借りて協議を進めている。その時にその会議に飲み物をサーブしていたホテルマンが「A社とB社が合併するみたいだ」と人に漏らしてしまう、といった例です。同じ飲み物をサーブする業界でも喫茶店のウエイトレスが他の客に「さっきのお客さんはこんな事話していたよ」と他の客に言うのとはたぶんルール違反の重みが違うのではないかと思います。
 この業界ルールというのは、もし仮に守られなくなるとその業界が大きなダメージを受けることが予想されるもののことです。ホテルマンがホテルの秘密裏の会議内容を漏らすなら、誰もホテルで会議などしなくなるでしょう。そのためホテル業界の人からすれば「許されないミス」ですが、本来、その「許されなさ」というのは、業界内でとどまる話ではないかと思います。論文不正が許されないというのもある意味で研究者業界の業界ルールと考えることができます。今回はその業界ルールがどこかで世間ルールと混在した感があります。このあたり、マスコミもあまり分かっていない感じがします。そういう、業界ルールと世間ルールの誤解みたいなことのプレッシャーもまた笹井氏を追い詰めたのかもしれません。

詫摩 雅子さま
丁寧なご返事ありがとうございます。

おっしゃられる通り、「不十分な実験データにもとづく」は、確かに誤解を与える表現でした。「STAP細胞を支持するには不十分な・・・」のつもりでしたが、「不確実な実験データにもとづく」とでもすべきだったと思います。

理研は、遅々とはいえ、調査委員会、改革委員会などの設置を経て、STAP騒動の処理に取組んでいるわけですから、外部のものは暫く静観していてもいいのではないでしょうか。私の目には「我が国の科学研究全体に負のイメージを与える状況が生み出されています」というふうにはどうしても映らないのです。

私の注意を引いたのは、工学技術者さまへの次のコメントでした。
・・・STAP細胞の研究も、「遺伝子を使わずにiPS細胞をつくる」といった研究トレンドの1つと見ることもできます。ただ、私は少し違うかなと考えています。生物の身体の中で、細胞が経験してもおかしくない程度の刺激で初期化する、というのは生物学としては非常に面白い現象です。いわゆる自然治癒やがん化などがこれで説明できるかなと感じました。

STAP現象仮説は、STAP細胞とiPS細胞の関係だけでなく、もっと広く深い視点から生命現象を捉えることも促してくれると気付かされました。

40億年に渡って、過酷な環境変化に翻弄されて生き延びて今に至る細胞には、まだまだ未知の姿が秘められているように思われます。

詫摩様
お返事ありがとうございます。
STAPのことは専門家では無いのでわかりませんが、私が言いたかったのは科学コミュニケーターとして詫摩様の科学未来館での発言についてです。
うまくいかなかったこと、失敗したことに幻滅していては、科学も技術も発達しません。なぜ上手くいかないかの検討を含めて発展に寄与しているのです。うまく行っているものだけが科学ではありませんよ。
「STAP細胞がなかったとしても」植物と同じように動物も外部刺激で万能性を獲得する可能性にトライしたことを評価するのが科学コミュニケーターの立場ではないかと私は思っています。
お答えの中で大々的宣伝にも批判的なようですが、「光速より速いニュートリノ実験」もSTAP以上に世界の研究者の前で大々的に発表されました。結局、計測ミスという結論になりましたが、発表を問題にした人もいないし、幻滅したということもなかったと思います。みんなの感想は、やはり仮説としての相対性理論が正しかったという感想です。
詫摩さんへのお願いは、科学全体を見渡してコミュニケーションを図っていただきたいと要望いたします。批判的なものは、日経サイエンスなどの科学雑誌にお書きいただければ良いのではと思います。
鳥の羽を真似て空を飛ぼうとした人を笑うのは簡単です。でも方法論が違ってもそういう失敗があり、空を飛ぶことに幻滅しない人たちが飛行機を作り出したことを忘れないでもらいたいのです。
この科学未来館の場では、少なくともいろいろ間違いや失敗もあるけど、科学の未来は明るいという立場でお願いします。

詫摩様
お返事ありがとうございます。
私は工学技術者ですので、STAPがトンデモ科学かどうかの判断は出来ません。
ただ、外部刺激で万能細胞ができるかもという発想に共感を覚えるのです。
日経サイエンスを拝見した時、STAP処理をするとES細胞が桑実胚に似た塊になったり、胎盤へと変化するならこれも新しい発見ではないかと思った次第です。

過剰な期待が不信を生むと言うのも少し考えすぎのように思います。人間が空を飛ぶなんて言うことは当時の人にとってトンデモ科学のように見えたと思います。
でも空を飛びたいと言う気持ちを大事にして、飛べるわけないとする当時の人たちに抗って、ケリーやリリエンタール兄弟が頑張ったのでライト兄弟が生まれたのです。
科学の歴史は、為政者の歴史とは違い、ケリーやリリエンタールなど敗者の歴史でもあります。敗者たちに温かい目を向けることから真の科学が生まれるのです。
言い方を換えれば、大国主命を記述する古事記としない日本書紀の立ち位置の違いとも言えるのです。

そうした意味では、STAPは敗者なのかもしれませんが、それを批判的に捉えるのは記者さんの立ち位置で、科学コミュニケーターの立ち位置は暖かくチャレンジの意味を弁護する立場というものと思っています。両者は矛盾する立場なので難しいところがあるとは思いますが、詫摩様におかれては、ぜひ頑張ってもらいたいところです。

お返事の中で、大々的な宣伝も批判的でしたが、ドイツ人リリエンタールは、イギリスのケリーが趣味で行った王立協会での実験を知らなかったので同じことを実験することになりました。成功しなかったことでも発表しておくことは科学の発展にとって大切です。
大々的な発表といえば、世界の物理学者の前で「光速より速いニュートリノ」実験もSTAPの規模ではない発表でした。結局、1年半かかった検証で測定ミスと言うことになりましたが、物理学者達は「仮説としての相対性理論」が正しいことを再確認したに過ぎません。
決して過剰な期待が不信感を起こすこともなかったと思いますよ。

物理学者と生物学者の違いかもしれませんが、今回のSTAPに対する生物学者の反応を見ると日本の地質学界が、20年も地球物理学界では定式化されてきたプレートテクトニクス仮説を認めなかったことを思い出します。
そのためプレートテクトニクスは日本では1990年ごろまで教科書では教えられないことになりました。
泊次郎「プレートテクトニクスの拒絶と受容」東京大学出版会のあとがきの一文を詫摩様に贈りたいと思います。
「科学とは自然を忠実に模写したものではありえず,科学者集団による社会的な営みとしての側面を持つものなのです。・・・現在進行中の科学もこうした社会的なさまざまな要素がからみ合って営まれていることを,理解して欲しいと思うのです。」

特にお返事を求めておりませんので、聴き捨てていただければ結構ですよ。

工学技術者さま

コメントをありがとうございます。
何より、私の書いたものを「詫摩の書いたもの・詫摩の見方」とし、
未来館の科学コミュニケーターとして一括りにはなさらなかったことに
お礼を申し上げます。

失敗はもちろん許されると思っています。
館長の毛利は、若いスタッフに話すときに、エジソンの逸話をたびたび引用します。
エジソンもたくさんの“失敗で終わった”(と普通は評価される)実験をしているのですが、彼はそれを失敗ではなく、成功した実験の途中段階としていたそうです。

この欄によくコメントを下さる「技術開発者」さまは、研究を探検家にたとえたことがあります。滝までの道を発見するお話です。

滝までの道を探す過程では、崖があったりして、途中で引き返すこともあるはずです。ルート探しという点では失敗ですが、「この道はダメだ」という知識が新たに付け加わったと評価できます。後続の探検家たちは、最初からその道を試さずにすみます。

STAP細胞も、外部刺激で細胞が初期化されるというアイデアは本当にすばらしいものですし(ただしアイデアだけならば、先行論文があります)、それを実験で確かめてみたのもすばらしいことだと思います。「できるか・できないか」がわからない研究は敬遠されがちだからです。

ですので、実際に試した結果が、「○○という刺激ではダメでした」とか、「少しは初期化できました(でも、実用的な効率ではありません)」という内容だったとしても、それは新しい知識として、積み重ねていく価値があります。

けれども、STAP細胞の論文の場合、できていないことを「できました」としているのです。これは、失敗の話ではなく、不正の話です。

失敗は大いに結構です。それもまた、新たな知識の積み重ねとなります。
実際、失敗の経験は実験をやる上での知恵になっているようです。

ですが、できていないことを「できた」といってはいけない。
これは、失敗でもなんでもありません。ただの不正です。

研究がうまく行かなかったとしたら、その事実に向き合って、
次の研究に活かせば良い。

ニュートリノの研究チームも自分たちのミスに真摯に向き合ったからこそ、
あのような訂正となり、それはまた科学の知見の1つになりました。

向き合わずに、データのつじつまをあわせて「できた」としては何も進みません。
これを評価することは、やはり私にはできません。

誇大な宣伝は、医学の場合はやはり賛成できません。
研究資金を得るためにやむを得ない事情があるのは理解していますが
実際に患者さんがいますので、その方たちへの配慮は必要です。

iPS細胞ができた直後に、山中伸弥先生は「薬の副作用をチェックするのに使えるようになる」と仰っていました。その「副作用」の具体例は、薬が引き金となる命にかかわる不整脈でした。薬の副作用の場合、肝臓の代謝能力の個人差によることも大きいのですが、一般向けの講演などで、副作用検査の具体例として上げられるのは、私の知る限り、いつも心臓の不整脈です。

先生に、直接事情を伺ったわけではありませんが、iPS細胞を心筋細胞に変えることは当初からできていましたが、肝臓の細胞への変化は難航しています。つまり、「不整脈の検査に使えるようになる」「肝臓での代謝検査に使えるようになる」には、現実味がかなり違っていたのです。より、現実味のあることを「将来できるようになる」例として挙げておられたのです(実際に、今はできるようになっています)。

志水がブログ記事にした腎臓の研究をしている西中村先生も、トークイベントで未来館にいらした横浜市立大学の谷口英樹先生も、ご自身の研究成果が「何々が治る」的な表現で紹介されるのを非常に警戒しておいでです。実際に治ることを熱望している患者さんに接する機会があれば、そうなるのは当然だろうと感じております。

STAP細胞は、今はまだトンデモとは言えないと考えております。STAP細胞の名前を使った、怪しげな商品も幸いまだ聞いたことはありません。ですが、そういう商品が出ること、ワラをもすがる気持ちでだまされてしまう方が出てくることを恐れています。

詫摩雅子

詫摩 雅子さま

読売新聞に、理研の検証実験に関して、非常に問題の多い、社会に弊害のあると思われる社説が掲載されたので、ここでも批判を表明させていただくことをご容赦下さい。

[読売新聞社説批判]

読売新聞の社説「STAP検証 実験を続ける意味があるのか」を強く批判する。

読売新聞の社説『STAP検証 実験を続ける意味があるのか』(2014. 8 31)は、STAP問題に対する誤認と、科学に対する誤解と、いくつかの事実誤認に基づいた論説になっているので、主にそれらに関連した部分を論評したい。

まず、理研の検証実験・再現実験は、改革委員会の「提言書」に基づいて行われているものであり、実験に計上された費用も必要経費として妥当なもので、外部からの『公金を投じて・・・』とする安易な批判は、正当性に欠けると思います。

次に『日本分子生物学会が、実験凍結を求めたのは、もっともだ』というのにはいくつか問題があります。まず「実験凍結」を求めた「学会理事長声明その3」は、理事長がほぼ個人的に/発作的に表明されたと思われるもので、日本分子生物学会の公式声明というのには疑問があります。そもそも、他の独立機関である理研の運営に「異論」を差し挟むのが、学会として取るべき言動かどうか、むしろ由々しき妨害行為・越権行為ではないかとさえ思います。しかも、「実験凍結」を求める声明の内容は、改革委員会の「提言書」を無視したもので、常軌を逸していると言わざるを得ません。

次に『論文が撤回され、研究は白紙に戻った。STAP細胞は、科学的に「存在しない」状況になった』という認識には問題があります。STAP論文の「科学的」意義付けが曖昧なため、そうした誤解を生み、一般の論争のもとにもなっていると思われます。 STAP論文の本質は、「STAP細胞仮説」の提示と「STAP細胞の実証」ということです。「実証」に不具合があったため論文が撤回され、「「STAP細胞仮説」が残ったのです。つまり「STAP細胞仮説」の検証作業は今後に残された、ということです。

したがって、『理研が実施しているのは、「悪魔の証明」と呼ばれる不存在の証明実験とも言えるだろう』というのは、科学に対する誤解・無理解から来るもので、全く間違っています。理研が実施しているのは「不存在の証明実験」ではなく、「STAP細胞仮説」の検証実験です。これは科学の本質にかかわることで、よくよく理解していただく他はありません。

「STAP細胞があることが証明されなかった」ことをもって「STAP細胞はないことが証明された」というのは論理学的にも誤りであり、「証明なくSTAP細胞仮説を否定する」ということになってしまいます。これこそ非科学的な考えであり、科学的な立場とは相容れません。
 
突き詰めれば、科学とは「仮説」提示とその「検証」である」と言い切ることができます。問題は、仮説が妥当なものかどうか、ということです。「仮説」が不合理でなければ「仮説」として受け入れられ、「検証」が成功しなければ、「仮説」のまま残り続ける、ということです。

「STAP細胞仮説」は不合理でしょうか。不合理とは言えないからこそNatureも論文を一度は受理したのだし、多くの研究者によって議論されたのだと思います。

貴社論説委員の『STAP細胞は、科学的に「存在しない」状況になった』という認識が正しければ、「実験を続ける意味があるのか」ではなくて、「・・・意味はない」と言うべきだし、「実験凍結」ではなく「実験中止」というべきでしょう。なぜ、そう言われないのでしょうか。

また「STAP細胞」を雪男やネッシーに例える、一部の見識の低い科学者の発言を無批判に取り入れて、論説の主張の論拠や補強に用いるやり方は、あまりにも安易であり、無責任であり、世論に多大の弊害をもたらすものだと思います。強く反省を促したいと思います。

詫摩 雅子さま

先日は[読売新聞社説批判]なるものを送付させていただきました。
本ブログには、あるいは相応しくないかな、という思いも抱きながら。
ですから、相応しくないということであれば、採用されなくてもかまいません。

ただ、読売の社説は、ネットを賑わしているSTAP騒動の、大衆迎合的要素の天こ盛りで、黙認できません。社説を書かれた人の科学記者としての見識を疑わざるを得ません。

・理研の検証実験に対する無理解
・「公金を投じて・・・」と、批判を封じる陳腐な常套句の使用
・「ネッシー」や「悪魔の証明」などの、大衆受けする「科学愚弄」句の使用
・問題の多い「学会理事長声明」を持ち出す権威主義
・科学に対する理解の不足(検証実験は「悪魔の証明」とは無縁です)
・理研CDBの規模を半減することに対する無関心

他のブログでも[読売社説批判]をコメントしたところ、ちょっと遣り取りがありました。相手の方は、「STAP細胞/現象」仮説が、仮説のままであることに納得できない様子でした。私の返答の一部を次に転載します。

・・・「読売社説批判」の中で述べたように『問題は、仮説が妥当なものかどうか、ということです。「仮説」が不合理でなければ「仮説」として受け入れられ、「検証」が成功しなければ、「仮説」のまま残り続ける、ということです。』

どうも貴方は、「STAP細胞仮説」が「仮説」のまま残り続けるのが、ご不満のようですが、どうしてなのか理解できません。

分かり易い?例をあげれば、数学の「リーマン予想」です。提示されてから百年を超えていますが、まだ解決されていませんので、仮説です。挑んだ数学者の中には『「リーマン予想」は間違っている』という論文を書いた人もいます。結局、その論文は間違いだったのですが。・・・・・

一部で言われている、『STAPは新発見だったので、多能性が「あった」との証明が失われた時点で、「なかった」という科学の判断を下すことができる』は、正しくありません。長くなるので、話はここ留めますが、私の「読売社説批判」をよくお読み下さい、とだけ言っておきます。

ではこれで失礼します。

こんにちは、詫摩さま。

少し変な話に思えるかもしれませんが、私のようなロートルの研究者になると、「できるものはやがてできるし、できないものはやがてできないことがわかる」という意識になってきます。科学と芸術を比較して「アインシュタインがいなくても(遅れはするけど)誰かが相対性理論を作っただろう、でもモーツアルトがいなかったらモーツアルトの交響曲は永久にできなかっただろう」なんて言う話がありますが、それが実感としてわかるわけです。科学というのは「積み重なっていく」ものであり、積み重なるべき場所があるなら、それはやがて見つけられてそこに積み重ねられると思うようになるわけです。

無駄話をすると若い時に新規な分析装置を思いついて開発しました。その結果を論文投稿しようとした矢先に、まさに私が投稿しようとした論文誌にまったく同じ発想の装置の開発の論文が載っていました。結果がもったいないので急いで論文を「その人が開発した装置の応用」に書き換えて投稿しました。相手もびっくりしたんじゃないかと思います、開発編の論文が出て半年もしないうちにその応用編が出たのですから(笑)。でももっと笑えるのは、その後学会で人と話しているときに「あの発想はそのころに自分も抱いていた」という先生がいたことでした。おそらく、そのころにその装置が開発されるだけの「積み重なるべき場所」があったのだろうと今は考えています(その当時はずいぶん悔しかったですけどね)。

地図のまだない暗黒大陸の中に滝を見つけたという報告をした探検家がいて、その公開した地図にしたがって行っても滝が見つからないとき、「滝があるかどうか」に悩むべきではないという気がするのです。どのルートでも構わないから探検を進めて、やがて暗黒大陸全体の地図が完成すれば、その答えはおのずとわかるからです。

現象が起きるときにそこには起きるべきメカニズムがあります。iPS細胞の発見で体細胞初期化メカニズム解明の最初の手がかりはできました。山中因子のうちいくつかは遺伝子そのものでなく、その遺伝子が関係する化学物質でも類似の働きをすることもわかって「初期化メカニズム解明」は一歩進みました。MUSE細胞が発見され、それに山中因子を作用させるとiPS細胞化が起きやすいことがわかり、さらに一歩進んだように思います。
変な話ですが、iPS細胞やMUSE細胞を手ががりに「体細胞初期化メカニズム」という暗黒大陸は少しずつ地図が作られているように見えます。完全なメカニズム解明はおそらくかなり先の話になるとは思いますが、永久に暗黒大陸が暗黒大陸であり続けることはないのです。そして地図ができた時に滝があるかないかはおのずとわかるように「体細胞初期化メカニズム」が解明されれば酸処理でそのメカニズムが動くかどうかもわかるわけです。

なんていうか、研究という営みが常に「わからないことをわかるようにしていく」という暗黒大陸の地図作りであることを、忘れている人が多すぎるのではないかと思ったりもします。


詫摩雅子 さま
貴重なご意見ありがとうございます。

上段のご意見は、ブログコメンター(のつもりはないのですが)の心得/心構えを述べたもので、大変貴重なご意見として拝聴し、励みにもしたいと思います。

さて、STAP関連の話に移ります。
まず検証実験ですが、丹羽チームの検証実験と小保方実験は区別して理解しています。私の言い方では、前者は「STAP細胞/現象仮説の検証実験」、後者は「STAP論文の再現実験」となります。後者に言及することが少ないので、区別が不明確/混同している、と受け取られたかもしれません。

次に、理研の対応で「処分より「検証実験」を先にすべき」と順番をつける理由が、私にはよく理解できません。(例の、分子生物学会理事長声明3は、処分の遅れとは関係なく、いきなり「再現実験」凍結でしたから、なおのこと私には理解不能です。)処分が遅れたのは、小保方氏だけを「執行延期」にして、「再現実験」に当たらせるのが難しかったためか、センター長、副センター長の処分が躊躇されたためか、不可解です。早い段階に、例えば論文撤回や改革委員会の提言書の提出を受けて、センター長が辞意を表明し、副センター長を解任すれば済んだことだと、私は思います(笹井氏が亡くなることもなかったでしょう)。結局、センター長は、CDB改革で「自然解任」という奇妙な結末になってしまいた。ノーベル賞候補者に傷をつけないためなのか?センター長辞任ぐらいで、影響はないでしょうに・・・。

本論の「仮説の提示」に進みましょう。
「仮説の提示」に相当する部分はどこか、ということですが、論文の中に「これこれが本研究の仮説である」というような「明示的な」仮説の提示はありません。実験科学の論文は、実験に基づいてある種の「理論/論理」(科学的メッセージ)を提示します。言い換えますと、ある「理論」を実証した、という報告書です。

STAP論文の理論(科学的メッセージ)は、冒頭の文章にあるように『核移植や転写因子の導入なしに細胞が初期化されるユニークな現象(刺激惹起性多能性獲得(STAP))』があり、『STAPでは、弱酸ストレスなどの外部からの強い刺激が、哺乳類の体細胞を初期化し、結果として、多能性細胞となる』ということになるでしょう。

今回、実験データ/実証に不具合があったため論文が撤回されたわけですが、ここで「理論」の扱いはどうなるかということです。データが不確実で「理論」もろとも破棄される場合もあるでしょうし、「理論」は科学的に意味あるものとして残る場合もあるでしょう。今回は、後者だと思われるので、実証が不足している「理論」を「仮説」としたのです。意味がなかったら、破棄すれば/考慮しなければいいのです。詫摩さまは『「外部からの刺激で、細胞が初期化する」という仮説はもちろん、残っています(否定のしようがありません)』という言い方をされていますが、中には、科学的に残らなかった「仮説」も、過去にはあるのではないでしょうか。

詫摩さまは『あの論文の価値は「仮説の提唱」にあったのではなく、実証にありました』という言い方をされていますが、「理論/仮説」のない実証はありません。実験論文の本質は「理論/仮説」の提示、とその「実証」です。論文では明示的でなくても、必ずこの2つを抽出することが出来るはずです。

はじめに「明示的な」仮説の提示はない、と言いましたが、仮説として意識していた記述がないわけではありません。Article の Discussion, 第2段落で、Holtfreterの酸処理実験に触れ、STAP論文の考え方との共通性を、Holtfreter hypothesized that ・・・と記して、比較論考しているからです。確か笹井氏も記者会見で「STAP細胞/現象は仮説になった」という言い方をしていたように記憶しています。

『金子邦彦先生と古澤力先生の一連の研究』については不案内ですが、刺激で起こる細胞の応答機構に関心がある研究のようです。

やや散漫な記述になっていまいましたが、以上が私の返答です。
さて、納得していただけましたでしょうか。


詫摩様
わざわざお返事ありがとうございます。
これ以上お話を進めても実りがないように思います。
特に詫摩様が「けれども、STAP細胞の論文の場合、できていないことを「できました」としているのです。これは、失敗の話ではなく、不正の話です。」とおっしゃっているので、科学コミュニケーターとしての役割ではなく、現在を切る立場の記者さんのお立場で話されていることがわかりました。出来ていないことを出来たと言ってることを不正と断罪したら、東海地震の予知研究なども不正ということになってしまいますよ。出来ていないことを元に、法律まで作り多額の費用を掛けたのですから。
そうした研究があっても、東日本震災すら大きな意味での予知ができなかったのです。
もうひとつ事例をあげますと、1908年池田菊苗博士は「うま味」を提唱します。しかし、舌の部位で甘味、酸味、塩味、辛味が分かれているとした西欧の学者からは、ないものをあると言ってるとして批判されました。しかし、2000年にグルタミン酸受容体が見つかり、umamiが認知されるに至りました。池田博士の業績は100年も認められないトンデモ学問扱いを世界的にはされていたのです。他方、味覚は舌の部位により分かれているとした日本の教科書にも載った学説は、近年誤っており、味覚受容体は全てが味蕾の中に入っていると言うのが主流になりました。
科学を語ることは、こうしたことを踏まえていただきたかっただけです。詫摩様がどのような情報を元に「ないものをあるとしている」と断じているのかうかがい知ることが出来ませんが、それに関する反証論文(学術論文のことです。)が公表されたと言う情報を持ってませんので私は、小保方STAP実験に化学的に見て疑問を持っていますが、断じるのは早計だと思っています。ただ、小保方氏を批判するのは科学未来館の場ではなく日経サイエンスと言う場で良いのではとお話ししているだけなのです。
科学コミュニケーターとは、あらゆる可能性を信じて若い人たちに科学の素晴らしさを伝え理系離れと言う現状を救ってもらいたお仕事だから敢えてお話しているのです。STAP詐欺など話が飛躍し過ぎていて身も蓋もありません。私としてはこの場では、詫摩様に希望のある記事を書いていただきたいと思っているだけです。
本当にお返事は結構です。これからの科学コミュニケーターとしてのご活躍を期待しております

こんにちは、工学技術者さん。

私も議論する気は無いけれど、
>STAP詐欺など話が飛躍し過ぎていて身も蓋もありません。
について

現実に6月には既に国民生活センターには相談が寄せられています。内容は
「大手証券会社を名乗る男性から電話があり、「STAP細胞の関連会社が貴市に進出する。その会社の社債を購入できる候補者1,000人の中にあなたの名前がある」と言われた。「興味がない」と断ったが、後日、再び同じ男性から電話があり、「興味がないなら、購入できる権利を当社に譲ってほしい。あなたにお金がかかる話ではない」と言われた。」というものです。

まあ、このタイプの社債や未公開株詐欺は、社会で話題になったものについては全てネタにする傾向がありまして、STAP細胞の前は「iPS細胞の関連会社の社債の購入権があなたにあります」という勧誘の相談があったようです。

自分が興味が無いことの情報と言うのはなかなか耳に入らないものですが、「自分が知らないだけでそういう詐欺の世界があるのかも知れない」と思うか、「自分が知らないのだから、そのような詐欺など金輪際よりなかに存在するハズがない」と思って生きるのかは、ずいぶん違うものですよ。

技術開発者様
貴重なお話ありがとうございます。
ただ、そうした社会の負の側面については、詫摩様の別のフィールドで展開していただければ良いのであって、科学未来館のサイエンスコミュニケーションというフィールドの話として「身も蓋もない」話(露骨すぎて、含蓄がないという意味です。)と申し上げたかっただけです。
何か誤解をされているように感じましたので。

科学を愛する人ならば、今日が何が起きた日か、忘れてはいけないと思います。

今日も日本のあちこちで、誰かが誰かを追い詰めています。
そして一年も経てば忘れてしまう。

あの騒ぎはなんだったのでしょう。
そして、日本人にとって科学者とはなんなのでしょう。

ぜひこのブログで問題提起してほしいと思います。

とっくさま

コメントをありがとうございます。

あの分野の方々や報道その他で少しでもかかわった人は、忘れてはいないと思います。5日に特段の発言がなかったのは、むしろまだあの時の衝撃をまだ受け止め切れていないからでしょう。少なくとも、私はそうでした。

研究不正自体は、残念ながらそこまで珍しいことではありませんが、昨年の件をきっかけの1つとして、学会や文科省、組織、研究室など、それぞれのレベルで、研究不正を防止するための工夫や努力がなされるようになりました。

ただ、個人的には、研究不正を防ぐ努力だけではなく、“疑わしき例”が発覚したとき、不正であることが濃厚になったときに、どう対応をするのかを事前にきちんと話して、詰めて置いていただきたいと考えております。

とっくさまが前に志水への記事に書かれたように、広報のあり方も検討すべき項目でしょう。

このブログが問題提起の場所としてふさわしいのかどうか、正直、私にもわからずにいるのですが、どうなっていくのかは見ていきたいと思っていまし、伝えるべきはお伝えしていきたいと考えていきます。

詫摩雅子さま

コメントありがとうございました。

おっしゃる通り、現場の多くの方々は真面目に努力されていることと思いますし、対策を詰めることで不正問題がなくなることを願うばかりです。
ただ、いろいろな不正騒ぎを見ていると、問題が「騒ぎ」に発展してしまう原因は、不正そのものよりもお互いの話が噛み合っていないことにあるのではないかという気がしています。

どんな仕事でもその仕事に就く権利(right)を得る為には、その肩書きに相応しい人間であることが求められます。しかしそこで「正しい(right)」とされる振る舞いは仕事によって異なります。
ちょっと荒っぽいかもしれませんが、
研究者にとっての「正しさ」はvalid、確かな根拠、適切な方法で研究を行うことでしょう。
技術者にとっての「正しさ」はprecise、精度良く再現性の高い結果を出すことでしょう。
教育現場にとっての「正しさ」はcorrect、自分の答えを正解と一致させることでしょう。
広報担当者にとっての「正しさ」はaccurate、事実を曲げずに伝えることでしょう。
管理職や審査員にとっての「正しさ」はfair、公正な評価を行うことでしょう。
他にも発明家や実業家、タレントのように、利益や価値を生み出すことが「正しい(right)」とされる仕事もあります。

では科学者はどれなのでしょう?
世の中は欲張って全てを求めているように思います。
でも、正解に合うように研究を細工すれば捏造になりますし、報告にストーリーという価値を加えれば、事実からねじ曲がった部分ばかりが注目されて広まってしまいます。正確を期して専門家同士で評価しあっていたら公正さを疑われるし、精度を上げる為に研究を繰り返せば利益が減ると言って非難されます。
つまり、「これが科学者」というjustなイメージが定まっていないのに、正義(justice)に反するな、不正はするなと言ったって無茶な話なのです。おそらく、志水様が以前書いておられた「感覚の違い」もこのことだったのではないでしょうか。

この世界にはいろいろな価値観があるということを、社会も専門家ももっと学ぶべきなのだと思います。そのための場として、このようにいろいろな人が意見を戦わせることができるこうしたブログは貴重な存在だと思っています。
これからも皆様の真面目で熱いブログを期待しております。

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