"場の空気"の変化を見逃すな!~南部先生がみつけた世界のしくみ

先日(2015年7月17日)、南部陽一郎先生が7月5日に急性心不全で94歳の生涯を閉じられたと発表され、世界中から南部先生の死を惜しむ声とともに、南部先生がいかに多くの業績を残してきたのかが報じられてきました。

私自身は南部先生にお会いする機会はありませんでしたが、 "物理学の巨人"(*1)、"宇宙人"(*2)などと評され、すべての物理学者にとって別格の存在でした。

南部先生の業績として、「自発的対象性の破れ」「カラーゲージ」「ひも理論」などが、よく挙げられていますが(*3)、これらは一体何の研究なのでしょうか?

南部先生をはじめとする素粒子物理学者たちが知ろうとしていることを一言でいうと「世界のしくみ」です。私たちの暮らすこの宇宙は、何からできていて、どのような原理や法則に支配されているのかを解明したいということです。

そして、「ものは何からできているのか」「私たちの宇宙の他にも宇宙があるのか」「そもそも宇宙はなぜ存在するのか」など人間であれば誰しもが抱く、素朴な好奇心から発する疑問に、科学という道具を使って答えを出そうとしているのです。

その全貌解明はまだまだですが、この1世紀の間に、人類の世界観を揺るがす大発見がいくつも積み重なって、世界の仕組みと成り立ちについてかなりのことがわかってきました。

そのうちの1つが、あらゆる物質は、それ以上わけられない物質のもと「素粒子」が集まってできている、ということです。

これ以上分けられない「アトム」の概念は、すでに紀元前に、ギリシャ哲学者のデモクリトスがつくり出していましたが、実はつい100年前まで、物質は連続体であるというのが主流の考え方でした。

というのも、物質が粒の集まりだったとした場合、粒と粒の間にある何もない真空の隙間の存在も認めることになります。しかしストローの中の空気を吸い込むとジュースが入ってくるように、"自然は真空を嫌う"(ギリシャ哲学者アリストテレス)ように見えます。素粒子の存在を認めることは、物体の中に無数の真空の存在を認めることになり、なかなか受け入れられる考えではなかったのです。

しかし19世紀から20世紀初頭におけるさまざまな実験と理論的考察から、原子核と電子から成る原子の存在が明らかとなり、非常識な「素粒子」という考えが定説となりました。その後、原子核はクォークという素粒子によって構成されていることがわかり、そのほか、電子やニュートリノを含むレプトンという種類の素粒子の存在も解明され、我々の身の回りにある物質を構成する素粒子すべてが解明されるに至っています。

さらに、物質に働く力の実体も素粒子であることが解明されています。同じマイナスの電荷を持った電子同士は「電磁気力」によって反発しますが、その反発は2つの電子がフォトンという別の素粒子をやりとりすることによって生じています。原子核を構成している陽子や中性子は、それぞれ3つのクォークが集まって出来ていますが、そのときクォーク同士を結びつけている「強い力」は、クォーク同士がグルーオンという素粒子をやりとりすることで生じていることがわかっています。

このように、世界のしくみとして、物質は素粒子が集まってできていて、力を媒介する素粒子が、物質を構成する素粒子の間にさまざまな力を働かせていることで、宇宙におけるさまざまな構造や現象が理解できるということがわかったのです。

しかし素粒子の仲間がなぜこんなにたくさんあるのか、なぜこんな重さなのか、宇宙のほとんどの質量を担っている暗黒物質の正体は何かなど、わからないことは一向に減っていません(暗黒物質は、物質を構成する素粒子ではない、別の何かからできています)。それらの謎を解くには、素粒子の存在の背後にある、もっと本質的な何かを解明しなければならないのです。

その、「素粒子の存在の背後にある、もっと本質的な何か」とは、宇宙空間全体を埋め尽くす何種類もの「場」ではないか。南部先生が大きな貢献をした、素粒子物理学ではそのような答えを出しています。

ここでいう「場(英語ではfield)」という専門用語は、空間の各点にある物理量の値が与えられている状態のことですが、宇宙に満ちている"場の空気"のようなモノと理解してもよいかもしれません(このたとえでの"場の空気"は、私たちが日常会話で使う、「場の空気を読め」というときの場です)。

宇宙に満ちている「場」には具体的には、「電磁気場」、「弱い力の場」、「強い力の場」そして「重力場」という4種類の「力の場」があります。さらに物質を構成する素粒子の本質も、「物質場」という「場」だというのです。たとえば電子とは、エネルギーの塊が「電子場」を振動させている状態に対応しているといいます。そして、物質が力を受ける現象は、「物質場」と「力の場」との相互作用によって説明されます。

さきほどの素粒子での説明(物質は素粒子が集まってできていて、力を媒介する素粒子のやりとりで力が発生する)では、とてもわかりやすかったのに、いきなり難しく、わかりにくい世界観となりましたね。こんなわかりにくい理論をわざわざ採用する必要なんてあったのですか、と文句を言いたくなってきますが、実は「場」のもつある性質が「世界のしくみ」を解く鍵を握っているのです。

それは、「場」が起こす宇宙の相転移という現象です。水が氷に変化することも相転移と言いますが、「場」が引き起こす相転移のイメージとしては、自習時間に皆で騒いでいるところに、突然、先生が現れて"場の空気"が一変する教室に近いかもしれません。

今の宇宙には、4つの「力の場」が存在していますが、その起源がこの相転移にあるのではないかと考えられています。誕生直後の宇宙には、ただ1種類の「原始の力の場」しか存在していませんでしたが、宇宙の温度が下がるにつれて「原始の力の場」が宇宙に相転移を引き起こし、それにともない新しい「力の場」が枝分かれして登場してきたというのです。

図に、宇宙誕生直後から時間経過とともに、どのような「場」が宇宙に登場してきたのかを示しました。

時間経過といっても、誕生から1000億分の一秒までのごくごく短い間の出来事です。誕生直後の宇宙には1種類の力しか存在せず、混沌としたモノトーンな世界であったと思います。それが、相転移により多様な場が現れて構造が形成され、宇宙はカラフルに彩られていったのです。教室の"場の空気"が一変する出来事が次々と起こり、そのたびごとに新しい規律が生まれ、クラスに秩序がもたらされるようになる様子を思い浮かべてもよいかもしれません。

また、この図の下の方には「ヒッグス場」も示しています。そう、2012年に欧州原子核研究機構(CERN)の加速器でその存在が確認されて大ニュースになった、あのヒッグス粒子のヒッグスです。ヒッグス粒子は素粒子としての名前で、その実態は宇宙全体に満ちているヒッグス場であり、それは宇宙誕生から1000億分の1秒後に宇宙に相転移をもたらし、素粒子に質量を与えました。そしてこの出来事が、「弱い力の場」を生み出すことにもつながっています。

このように、今の宇宙の構造の素は、場が相転移を起こしてきたことにあると言えます。この相転移を引き起こすメカニズムについて解き明かしたのが、南部先生の「自発的対称性の破れ」というもので2008年のノーベル賞受賞理由となっています。

以上が、現代素粒子物理学の描き出した、「これまででわかっている『世界のしくみ」』の一端ですが、この理論構築に当たっては、「自発的対称性の破れ」だけでなく、南部先生はノーベル賞3つ分(*4)とも言われる大きな貢献をしています。これらのことから、南部先生が永年教鞭を執られていたシカゴ大学は、南部先生のことを、「世界中の何世代にもわたる研究者に多大な影響をあたえた、20世紀後半における最大の物理学者のひとり」(*3)と賞賛しています。

そのように評される自分自身を、ご本人はどのように評価していたのかはわかりませんが、"物理学を追及するわれわれ"の存在の不思議さを次のように語っています。

「われわれが本当に驚嘆せざるを得ないのは、自然の秘密が次から次へと解明されていくことではなかろうか。宇宙の生誕から100億年後の一瞬間とも言うべき現在の時期に、その中の物質の一部をなすわれわれが宇宙の法則を見出し、その歴史を知り、物質自身も有限の寿命をもつ一時的存在かもしれないと悟るのは、まことに不思議だと言わねばならない。」(*5)

参考文献
1. 「物理学の巨人、南部先生」磯 暁(2009年、パリティ臨時増刊号ノーベル物理学賞記念「破れた対称性」)
2. 「座談会:三博士ノーベル物理学賞の報を受けて」上田正仁、羽澄昌史、前川展祐、前川順一(2009年、物理学会誌、第64巻第2号)
3. "Yoichiro Nambu, Nobel-winning theoretical physicist, 1921-2015" UChicago News (July 17, 2015)
4. 「ノーベル賞三つ分の仕事 南部陽一郎さんを悼む」高橋真理子(2015年7月23日、朝日新聞デジタル)
5. 「クォーク第2版」南部陽一郎(1998年、講談社)
6. 「素粒子物理学」原康夫、稲見武夫、青木健一郎(2000年、朝倉書店)

「宇宙・天体」の記事一覧