STAP騒動~検証実験で明らかになったこと~

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科学においては、再現性が非常に重要なことを認識しました。

こんにちは。 志水です。

本日12月19日に理化学研究所・検証実験チームはSTAP現象の検証結果を発表しました。

STAP現象とは、「マウスの赤ちゃんの体にある細胞を、酸などのストレスにさらすと、いろいろな細胞になることができる(=万能性)細胞に変化する」という現象のことを指します。このような現象があるという発表が論文によってなされたのは、今年の1月(何がすごいとされたのかは、1月に私が書いた記事をご覧ください)。その後、論文にさまざまな疑いが見つかりました。

この論文には大きく分けて二つの疑いがもたれています。一つは「不正の有無」、もう一つは「科学的事実(科学的結論)」に関して、です。19日に発表された検証結果は、あくまで後者の「科学的事実(科学的結論)」についてのみ調べたものです。ここは、しっかりと分けて考えないといけないと思います。この記事では、今回の検証で報告された「科学的事実(科学的結論)」に焦点をあてます。

参考までに私が3月に書いた記事より、表を引用します。  

20140315_shimizu_01_2.jpg

 

「不正の有無」について

今年4月1日、理化学研究所の調査委員会(研究論文の疑義に関する調査委員会)は、2本の論文中で疑いがあるとされた6つの項目に関して、研究不正の有無を調べた結果を発表しました。その中で、画像の切り貼りによる改ざん1件と、別の画像を使ったねつ造1件を研究不正と認定しました。※1

現在6つの項目以外の点について、外部有識者のみにより構成される調査委員会が調査を進めており、来年1月までにその結果が発表される見込みです。※2

 

 

「科学的事実(科学的結論)」について

今回検証の対象となった「科学的事実(科学的結論)」とは何か。それは、「STAP現象が再現できるのか」という点です。

論文著者のおひとり、丹羽仁史氏を研究実施責任者とした研究チームが4月から検証実験を行いました。8月の中間報告では、STAP細胞の性質を示す細胞は論文に記された酸処理ではできないことを報告しています。

それとは独立に、論文の筆頭著者である小保方晴子氏による検証実験が7月から行われました。今日の会見では、小保方氏の検証結果が報告されたので、まずはそちらを見てみます。

検証では、「万能性をもつ細胞を、つくることができるのか」調べられました。まず、論文と同じようにマウスの脾臓にあるリンパ球を酸で処理します。そして、いろいろな細胞になる能力をもつか二つの手法で検証しました。

一つは、万能性を示す遺伝子の働きを見る方法、もう一つは、実際にマウスの受精卵に細胞を注入して、生まれた赤ちゃんマウスの体が、注入した細胞由来の細胞からできているか見る方法です。

 

① 遺伝子の働きを見る方法

指標となったのは、Oct3/4という遺伝子。万能性を示す遺伝子としてよく使われます。しかし、Oct3/4が働くというだけで、万能性があるとは言い切れないことは注意してください。

まず、Oct3/4が働くと、細胞が緑色に光るようにしたマウスの脾臓を用意します。この細胞を酸で処理して、培養皿にまきます。1皿に100万個ほど細胞をまいて、そのうち何個くらいの細胞が緑色に光るか、計測しました。論文で使われたB6という系統のマウスの細胞に対して、11回実験を行ったところ、それぞれの実験で緑色に光る細胞のかたまりが3~23個見られました。論文に書かれた「数百個」という数に比べれば少ないものでした。

でも、あることはあるんでしょ?

と思われるかもしれません。しかし繰り返しになりますが、Oct3/4が働く、というのはあくまで一つの条件にすぎません。そこで、次の実験を行いました。 

② マウスの受精卵に細胞を注入して、赤ちゃんマウスの体が、注入した細胞由来の細胞からできているか見る方法

万能性があることを示すには、体をつくるどんな細胞にもなることが重要です。受精卵に入れた細胞が全身に行きわたり、様々な部位を構成しているマウスのことを「キメラマウス」といいます。論文ではこのキメラマウスがつくられていましたが、再現できるのか実験が行われました。

酸で処理したことによってできた細胞のかたまりを、論文にあるように切り刻み、マウスの受精卵に注入しました。1615個のかたまりを注入し、845個がマウスの胎児へと成長しましたが、そのうち注入した細胞由来の細胞が体に広がっているもの(=キメラマウス)は1つも見られませんでした。

小保方氏の結果に加え、丹羽氏は、脾臓以外の細胞を使うなど別の手法での検証も行いました。しかし万能性をもつ細胞は確認できませんでした。 以上のことから、検証実験チームはSTAP現象の確認に至らなかったと報告しています。

 

3月の記事でも書いたように、科学的事実(科学的結論)を明らかにするには時間がかかります。検証では同じ実験が何度も行われました。検証実験チームの相澤慎一チームリーダーは会見で「再現性」という言葉を何度も口にしています。科学では、再現することによってしか、確からしさは保証されません。特に生物学では、結果がばらつくこともよくあります。そこで地道に実験を繰り返して、再現性を確認することが必要です(7月の詫摩の記事でも同様のことをご紹介しています)。

今回の検証実験でも結果に幾分かのばらつきがみられました。その中でも「STAP現象の確認に至らなかった」とするまでには繰り返し実験が行われたことを認識しておくべきだと思います。

会見では、「STAP細胞は存在しないと思うか」という問いに対して相澤チームリーダーが「再現することはできないからといって、STAP細胞があるかどうかは科学者として言うことはできない」と答える場面がありました。いくら実験をこなしても、100%の答えを(原理的には)出せない科学の歯がゆさもあるでしょう。

STAP細胞の件を十分に検証することなくお伝えしてしまった者として、科学には再現性が重要であることを改めて認識しなければいけない、と思い直しました。

※1 研究論文(STAP細胞)の疑義に関する調査報告について     http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140401_1/

※2 研究論文(STAP細胞)の疑義に関する本調査の実施について     http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140904_1/

※3 STAP現象の検証結果について(12月19日発表の資料です。) http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20141219_1/

 

この記事への7件のフィードバック

こんにちは、志水様。

なんていうか、私の様に古いタイプの研究者は「再現性を確認して論文にする」というのが、あまりに当たり前すぎて、そうでない論文があるということに「ついていけない」思いがあるんです。

東北大の大隅先生が、「この事件の受け取られ方の違いは、・・・世代によっても大きく違っていた。とくに、今よりも研究人口が少なかった世代と、大学院重点化以降の世代では温度差が大きかったように思う。」と書かれています。私なんかは、古い方の世代なのです。

私などは「研究が評価される」ということに「時間がかかるのが普通」という意識があります。論文なんてのはそれだけでは何の価値も生み出しはしない訳で、その論文を見た学者が更に研究を押し進め、その研究に触発された技術者が社会に役に立つ技術を開発したりしたあげくに、「こういう科学技術の発展の一番最初はあの論文(研究)だったのだな」となってはじめて社会的に評価されるという意識がある訳です。そういう時代の研究者にとって、「再現性」というのは「自分の研究が評価される」ために必須のことです。だって後に続くものが無ければ発展もない訳で、当然に評価もありませんからね。

なんていうか、世の中が「そんな悠長なことをしてはいけない、論文は出たらすぐに評価して、研究ポストや研究費と直結させるべきだ」となっている現代には、私のようなロートル研究者は居るべきではないのかもしれないと思ったりします(まあ、もうじきリタイヤします)が、かってはそういう悠長な研究評価で問題なくやってられたということなんです。そして、ある意味「再現性の無い論文」ということも起こりにくかった訳です。

高額な科学予算を投入して再現実験を行った結果、再現できなかった。
というのはとても残念です。ご本人曰く、当然、再現できるはずでしたからね。
ここで言う残念というのは、本当にSTAP細胞が存在していたという「白」
あるいは、ES細胞と見間違えた、あるいは恣意的に混ぜたいう「黒」が
ハッキリつかなかったという意味においてです。

さらに、本当のところ、STAP細胞なるものが、実験手腕や結果解釈の稚拙さ
に由来するものなのか、恣意的にでっち上げて得られた結果であったのか
の白黒もわからずじまいになりそうなことも...です。

ほんの一部のヒドイ人たちによって、同じような研究が止まったり、
研究の場を追われてしまったり、研究を疑いの目で見られたり...
と、とばっちりを受けた大多数の真面目な人たちにとても同情します。

24時間監視されたり、実験ノートを全部を監査されたりしなくとも
研究結果が信用してもらえるよう、自己に対する正直さの保持と
実験結果に対する客観的な観察眼をしっかりと養うことの重要さを
提示してくれた非常に高額な「道徳教育」だったのではないでしょうか。

技術開発者さま

度々コメントをいただき、ありがとうございます。

どんな論文であっても「再現性」は重要であると私も考えています。
京都大学の山中伸弥教授も産経新聞の取材に対して以下のように答えています。

「山中教授は平成18年にiPS細胞の作製を発表した際、自身の実験結果を『疑ってかかった』と話す。実験担当者に何度も確認し、別の研究者に再現してもらったという。『それでようやく、再現性は間違いないだろうと発表した』と述べ、常識を覆すような研究は特に慎重な確認が求められるとの認識を示した。」

(12月23日の記事より。https://www.sankei.com/life/news/141223/lif1412230011-n1.html)

研究にスピードが求められる時代であっても、ほとんどの研究者の方が慎重に研究を進めているはずです。

再現性は研究者の方には当たり前の話ではあるのですが、一般の方にはなじみの薄い考え方でもあるようなので、今後もお伝えできればと考えております。


こんにちは、志水様。コメントへの返信ありがとうございます。

>再現性は研究者の方には当たり前の話ではあるのですが、一般の方にはなじみの薄い考え方でもあるようなので、今後もお伝えできればと考えております。

う~ん。なんかやっぱり伝わらない気がするんですね。なんていうか、再現性ってのを「重要なルールだから守るべきだ」という感じでとらえられている気がするんです、志水さんも、一般の方もね。変なたとえ話になっちゃうけど、交通量が多くて車のスピードも速い道路があって、そこに歩行者用信号のついた横断歩道があるような場合ね。横断したい歩行者にとって信号が青で渡る(赤なら待つ)のは、「ルールだから守る」という意識とは違うでしょ。なんていうか「無事に向こう側に渡りたければ信号を守らざるを得ない」状態ですよね(笑)。
 まあ、論文の場合には横断歩道と違って生命の危機は無いけど、なんていうかな、「書く意味が無い(その研究に意味が無い)」になってしまうことなんです、再現性の無い論文を書くということはね。だから、研究者は再現性のある論文を書こうとするのであって、ルールを守るべきだからそうするのではない、って部分がなんか、うまく伝わらない感じを受ける訳です。

私は応用系の分析化学の研究者だから、米国のある先生が開発された分析方法を論文で読んで、「こういう材料の分析に使えないか」とやって見て「今までに比べてとても楽に分析結果が得られる」という内容の論文を書くわけね。そうすると私の所に「こういう材料ではどうでしょう」なんて工業現場の人が問い合わせるから「じゃあやって見ましょ」とやって見ることで、その米国の先生の方法はどんどんと社会で使われる様になるわけね。社会に普及した頃にその米国の先生は学会から賞を贈られたりしているけど、こんな風な拡大伝搬が起きるのは、その論文が正しく「再現性」を持っているからだよね。もし、再現性が無ければ拡大伝搬することも無くて、社会にその方法が普及することもないということを良く考えれば、まさに研究そのものの価値が「再現性」にあることが分かるのね。

なんていうか「大事なルールだから守ろう」とは意味が違う意味で「再現性」は大事なんです(表現がおかしいけどね)。

Yutakaさま

いつもコメントをいただき、ありがとうございます。

今日、「研究論文に関する調査委員会」の報告があり、「STAP幹細胞やFI幹細胞は調べた限りではすべてES細胞」であったとのことでした。

検証実験ではあくまで「再現」できるのかということのみを検証していたので、論文作成時に行われた実験で何が行われたのか明らかにするためには、今日の調査委員会の報告を待つしかありませんでした。そして、Yutakaさまがおっしゃるところの「黒」であったわけです。

実験で何があったのか、まだまだ分からないこともありますが、それについては調査報告書で以下のように述べられています。

「これだけ多くのES細胞の混入があると、過失というより誰かが故意に混入した疑いを拭えないが、残念ながら、本調査では十分な証拠をもって不正行為があったという結論を出すまでには至らなかった。これは、本調査委員会の能力と権限の限界でもあると考える。」(「3.まとめ」より)

今回の一件では、多くの方が騒動に巻き込まれたと聞きます。自身の研究時間を割いてまで調査に協力した方もいらっしゃいます(報告書の最後に記されています)。これを教訓に、第二、第三が起こらないことを願ってやみません。

技術開発者さま

お返事をいただき、ありがとうございます。
そうですね、たしかに私も「再現性」を金科玉条のように感じている節もありました。ご指摘いただき、ありがとうございます。

今回「再現性」に関して記事を書かせていただいたのは、端から「再現性がない」と分かっていたにもかかわらず、「再現実験」が行われたことに違和感を感じたからです。ご指摘のように、今回の件も2月・3月の段階で再現性が取れなかった時点で、科学界の中では忘れ去られていくだけのはずでした。しかし、どういうわけか、再現実験が行われる運びになったわけですよね。

たらればの話ですが、発表の時から粛々と事実の検証が行われていたら、「再現できない多くの論文の一つ」として静かに結末を迎えていたかもしれませんね。

こんにちは、志水様。コメントへの返信ありがとうございます。

>今回「再現性」に関して記事を書かせていただいたのは、端から「再現性がない」と分かっていたにもかかわらず、「再現実験」が行われたことに違和感を感じたからです。

矛盾したことを書いてしまうけど、新しい分野では、「本人しか再現できない」なんてことが無いとは言えないんですね。実は私も最近、ある会社に必要な分析の分析条件を検討して、「この条件で分析できるな」とその会社さんに伝えたのだけど、「分析できません」なんて言われて、結構、慌てて、第3分析をやってもらったりしましてね(今は解決してます:笑)。まあ、そういう意味では、本人が「できない」と言うまでやらせて見る価値が全くないとは言えないものなんですね。

ただ、理研の再現実験に関していうなら、社会的パフォーマンスの意味が大きいと思っています。

>たらればの話ですが、発表の時から粛々と事実の検証が行われていたら、「再現できない多くの論文の一つ」として静かに結末を迎えていたかもしれませんね。

たらればで言うなら、「理研が派手なプレス発表をしなかったら」「マスコミがそれに乗っかってリケジョ騒ぎをしなければ」の方を考えてしまいます。研究者の世界で「ダメ論文」として静かに結末を迎えた気がします。そういう意味で、社会の人に「スゴい発見かも」と期待を抱かせたのは、理研の派手なプレス発表であったので、社会の人に「ダメでした」と期待を打ち消すために再現実験をして謝るのも理研の責任ではあろうと思っています。