シリーズ「研究者と考える 次のパンデミックを防ぐには?」は、公衆衛生学、ウイルス学、生態学の研究者と日本科学未来館の協働活動を紹介するブログです。
vol.1 パンデミックを防ぐ鍵、「ワンヘルス」ってなに? https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20260209post-600.html
vol.3 問いを共有し、考え続けるということ https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20260213post-599.html
2025年11月2日、未来館に3人の研究者が集まり、トークイベントを実施しました。
イベントのタイトルは「研究者と考えよう 次のパンデミックをどう防ぐ?」。パンデミックとは感染症の世界的大流行のことを指します。ゲストスピーカーの3人、押谷仁先生、佐藤佳先生、五箇公一先生の専門はそれぞれ、公衆衛生学、ウイルス学、生態学。ふだんはあまり同じ場に並ばない分野の研究者です。
パンデミックというトピックを考えるときに、なぜ、この3人だったのか。
なぜ、専門の違う研究者が同じ場で意見を交わす必要があったのか。
このブログでは当日のトークをダイジェストで振り返り、イベントを通して見えてきたパンデミックの全体像を企画者の視点でお話していきます。
社会の変化によってパンデミックが“起こりやすい”世界になっている
トークイベントの前半は「感染症をどう見る? パンデミックを考える3つの視点」と題して、3人の研究者にそれぞれの立場から、パンデミックのリスクとそれを低減するためにできることをお話しいただきました。
最初のスピーカーは東北大学の押谷仁先生。専門は公衆衛生学です。公衆衛生学は社会全体としてどう病気を防ぎ、健康を守るかを考える分野で、感染症が人間社会のなかでどう広がったのか・広がりうるのかを社会の仕組みや構造から捉えます。押谷先生のお話は、パンデミックがなぜ起こるのかを解説するだけでなく、その背景にある私たちが生きている現代社会の構造を浮かび上がらせるものでもありました。
山登りをこよなく愛する山男でもある。
なぜパンデミックは起こるのでしょうか。
押谷先生がまず強調したのは、パンデミックは偶然起こる出来事ではなく、人間の活動とそれに伴う社会の変化と深く結びついているという点でした。過去に見られなかった新しい病原体によって引き起こされる感染症を、新興感染症といいます。2020年にWHOがパンデミックと表明をした新型コロナウイルス感染症(COVID-19)もその一つです。こうした新興感染症の多くは動物からやってくると考えられています。(動物から人の世界への感染症の拡がりについてはvol.1 パンデミックを防ぐ鍵、「ワンヘルス」ってなに?もご覧ください)。そのため、人と動物の接触する場には新興感染症のリスクがひそんでおり、そうした接点が増えれば増えるほど、感染症が人間社会に広がる可能性も高まります。
押谷先生は、動物から人への感染が起こりやすい状況が人間の手によってつくられてきたことを指摘しました。人口増加に伴う家畜の飼育頭数の増加や、森林を切り開き、これまで人が住んでいなかったような地域にまで人間の活動が広がることは、未知の病原体に人が接触してしまう機会をもたらし、パンデミックのリスクの増大につながります。かつては百年に一度だったような出来事が、いつ起きても不思議ではないものになっていると押谷先生が語る背景には、こうした社会構造の変化があるのです。
では、社会全体として、パンデミックのリスクを減らすためには、何が必要なのでしょうか。強調されたのは、「予防」「準備」「早期対応」の重要性です。感染が広がってから対応する後期対応だけでなく、感染症が発生するリスクそのものの増大を防ぎ、備え、広がりそうな兆しがあれば早い段階で食い止めること。押谷先生はこれを、「火事が起こらないように対策をすること」「起こってしまったときに備えること」「もし起こってしまったらボヤのうちに火を消すこと」に例えて説明しました。これを実現するためには、社会全体がどれだけ連携できるか、国や分野を越えて協力できるかが問われます。しかし現状では、国際的な協力体制は十分に機能しているとは言えず、そこに大きな課題があることも指摘されました。
お話を聞きながら強く感じたのは、押谷先生から示されたのは単に感染症のメカニズムを説明するものではなく、このトークイベント全体の土台となる視点だということでした。パンデミックは、ウイルスという目に見えない存在だけが引き起こすものではありません。人の移動、経済活動、環境の変化など、人間社会の構造そのものが感染症を生み出し、拡大させる条件をつくっています。押谷先生の話は、パンデミックを社会が抱える構造的な問題として捉え直す視点を与えてくれました。
ウイルスの起源を知ることが、予防の出発点になる
続いてのスピーカーは、システムウイルス学を専門とする東京大学の佐藤佳先生です。押谷先生が示した、社会構造がパンデミックを起こしやすくしているという大きな枠組みに対し、佐藤先生のお話は、過去にパンデミックを引き起こしたウイルスの起源を知ることが、パンデミックを防ぐことにどのようにつながるのかという視点を加えるものでした。
活躍は学術界にとどまらず、週刊プレイボーイで「新型コロナウイルス学者の平凡な日常」を連載するなど、感染症の知見の社会への発信も精力的に行っている。
自然界には無数のウイルスが存在しています。ウイルスという言葉からすぐに「危険」ということを連想しがちですが、その多くは人に感染することなく、静かに動物や環境の中を循環しています。問題になるのは、そのなかのごく一部が何らかのきっかけで人に感染し、さらに人から人への感染する能力を獲得したときです。
佐藤先生のチームでは野外での調査や分子レベルの実験、さらにはコンピュータを使った解析など、さまざまな手法を組み合わせてウイルスを理解する研究を行っています。いま取り組んでいる研究の一つが、COVID-19を引き起こした原因ウイルスの起源を突き止めることです。ウイルスの起源を探るために、ベトナムやタイなどで洞窟に入り、コウモリがもつウイルスを調べるフィールド調査を行っています。こうした調査のなかで明らかになってきたのは、新型コロナウイルスと遺伝的に非常によく似たウイルスが、すでに自然界に存在しているという事実です。さらに、そのなかには理論上は人に感染し得る性質をもったウイルスも見つかっているといいます。この結果からは、パンデミックを引き起こすウイルスはもともと自然界に存在しており、それが人間社会との接点を得て表に出てきた可能性が高いことが示唆されます。
ではなぜ、新型コロナウイルスのように、過去にパンデミックを引き起こしたウイルスの起源を解明することが重要なのでしょうか。佐藤先生はウイルスがどこで生まれ、どのように変異し、どんな経路で人に感染するようになったのかを理解することは、次に起こりうる感染症を予測し、より早い段階で対策を講じるために重要な手がかりであると語りました。
これはまさに押谷先生が繰り返し強調した「予防」「準備」「早期対応」を、ウイルス学の立場から具体的に支えるものだと私は感じました。自然界に存在するウイルスを調べ、その特徴を実験や解析で一つひとつ明らかにし、情報を蓄積していく。その積み重ねによって「わからないこと」を減らすことができれば、それは次のパンデミックを防ぐことにつながるということを、具体的な説得力をもって伝えるお話でした。
パンデミックは、人間社会の構造だけでも、ウイルスの性質だけでも説明することはできません。社会が生み出した人間と動物の接点に、どのようなウイルスが存在しているのか。その両方を知ることで、次のパンデミックを防ぐために何ができるのかについて新たな視野がひらけてくるのだとわかる佐藤先生のお話でした。
では、その接点ともなる自然環境そのものは、いまどうなっているのか。五箇先生のお話に続きます。
生物多様性の劣化が感染症リスクを高めている
3人目のスピーカーは国立環境研究所の五箇公一先生。専門は生態学、生物多様性の研究です。ここまで押谷先生からは「社会構造」、佐藤先生からは「ウイルスそのもの」という視点が示されてきましたが、五箇先生はそれらを包み込む自然環境や生態系に焦点を当てるものでした。
「なぜ生物多様性の先生がパンデミックの話を?」
そう感じた方もいるかもしれません。しかし、五箇先生は感染症の問題は決して人間社会のなかだけでの話ではなく、生態系のバランスが崩れた結果として現れる現象でもあると語ります。
黒ずくめの衣装とサングラスがトレードマークで、多数のメディアに出演し、環境科学の間口を広げる活動も行っている。趣味は CGや油彩で生物の絵を描くことと怪獣フィギュアの収集。
まず五箇先生は、生物多様性とは何かからお話を始めました。「生物多様性が高い」とは、生きものの種類が多いということだけを意味しません。生物多様性とは、地域ごとに異なる環境のなかで遺伝子や種の多様性が長い時間をかけて進化し、それぞれ固有の生態系や景観を形づくってきたこと、その積み重なり全体を表します。こうした多様な生態系は、地球上でさまざまな役割を分担しながらバランスを保ってきました。
ところが現在、その生物多様性が急速に劣化しています。その要因の一つとして挙げられたのが外来生物です。外来生物とは人間の手によって、本来の生息地から違う土地へ移動させられた生物種のことです。人が移動し、貿易や物流がグローバル化するなかで、本来なら出会うはずのなかった生きもの同士が接触するようになりました。
五箇先生は感染症の文脈でもこの問題を捉えることができると指摘します。病原体にも本来の生息地があり、そこでは病原体と宿主が共に進化をし、共生関係が築かれていています。その環境のなかでは、病原体は人間社会に必ずしも致命的な影響を及ぼす存在ではありません。しかし人間が生態系の境界を破り、病原体を新たな場所へと運んでしまうことで、病原体は新しい住処に移る機会を得ます。これは押谷先生や佐藤先生からもあった、もともとは動物が持っていたウイルスが人の世界にこぼれ落ちてきているというお話にもつながります。
さらに印象的だったのは、病原体を生態系の内なる天敵として捉える視点でした。生態系のなかで病原体は増えすぎた生物を減らし、全体のバランスを保つ役割を果たしてきました。しかし人間活動によってそのバランスが崩れた結果、感染症は人間にとっては脅威となる存在として私たちの前に現れます。
五箇先生が強調したのは、生物多様性の保全は自然を守るためだけでのものではないということです。それは同時に人間社会の安全を守ることでもあると言います。生態系のバランスが保たれていることは、ウイルスが人間の社会に入ってくることを防ぐ防波堤でもあるのです。
地球環境と感染症、それぞれの問題を切り離すのではなく一続きのものとして捉えること。その視点こそが、五箇先生のお話を通して示された重要なメッセージだったように思います。
パンデミックを立体的に捉える ~三つの視点が重なり合うところ
前半パートの3人の先生のお話で印象的だったのが、同じパンデミックという現象をそれぞれ異なる専門背景から照らし合わせると、その全体像がよく見えてくるということでした。
押谷先生は公衆衛生学の立場から、人の活動や、社会の仕組みといった人間社会のあり方に目を向けます。佐藤先生はウイルス学の視点から、自然界に存在するウイルスそのものの性質や起源を追いかけます。そして五箇先生は生態学の立場から、人と動物、環境が相互に影響し合う生態系全体を見渡します。
出発点や専門は異なっていても、3人の先生たちが向き合っているのは同じパンデミックという現象です。社会の構造が感染症を広げやすくし、ウイルスの性質が拡大の可能性を左右し、さらにその背景には、人と動物、環境との関係性の変化があります。三つの視点を重ね合わせることで、パンデミックは単なる人間の世界だけでの問題ではなく、複雑に絡み合った構造をもつ現象として立体的に見えてきました。
こうした考え方を示す言葉が「ワンヘルス(One Health)」です。ワンヘルスとは、人の健康だけを切り離して考えるのではなく、動物の健康や環境の健全性も含めて、すべてがつながっているものとして捉え、全体を守っていこうとする考え方を指します。今回のトークイベントで示された三つの視点は、まさにこのワンヘルスの考え方を、それぞれの専門から具体的に照らし出しているものであると感じました。
トークイベントの後半ではここにさらに参加者のみなさんの視点が重なっていきます。その様子は「vol.3 問いを共有し、考え続けるということ」にて。
トークイベントの映像はこちらからご覧いただけます。