シリーズ「研究者と考える 次のパンデミックを防ぐには?」は、公衆衛生学、ウイルス学、生態学の研究者と日本科学未来館の協働活動を紹介するブログです。
vol.1 パンデミックを防ぐ鍵、「ワンヘルス」ってなに? https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20260209post-600.html
vol.2 パンデミックを立体的に捉える ~三つの視点が重なり合うところ https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20260212post-598.html
2025年11月2日に実施したトークイベント「研究者と考えよう 次のパンデミックを防ぐには?」の様子をシリーズブログでお届けしています。トーク前半では公衆衛生学、ウイルス学、生態学の3つの専門の異なる研究者から、それぞれの視点でパンデミックのリスクとそれを低減するためにできることをお話しいただきました。異なる視点でパンデミックという現象を捉えることで、その全体像がより立体的に浮かび上がってきた時間でした。その様子はぜひブログ「vol.2 パンデミックを立体的に捉える ~三つの視点が重なり合うところ」をご覧ください。
トーク後半は先生のお話を聞いて、参加者のみなさんが思った疑問や意見を起点に、3つの視点をさらに重ね合わせていきます。
緊急招集! パンデミック対策本部
後半パートのタイトルは「緊急招集! パンデミック対策本部」。前半のお話を聞いての質問や意見を、参加者のみなさんに書いてもらうところから始まりました。それらを一つひとつ取り上げながら、3人の先生に答えていただき、理解をさらに深めていく時間です。
この後半パートに「緊急招集! パンデミック対策本部」というタイトルをつけた理由には、少しだけ裏話があります。参加者のみなさんを含む、このイベント会場に集まった全員が、パンデミックという社会課題に関わる当事者であり、対策を考える一員であることを表したかったからです。3人の先生方はそれぞれの専門知をもとに状況を読み解く“専門委員”として、そして参加者のみなさんも、自らがもっている知識や経験にもとづいて疑問を投げかけ、考えを共有する“調査員”として、この場に参加していました。
実はこのタイトルには、映画『シン・ゴジラ』に登場する「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」のイメージも、ほんの少し重ねています。各省庁から専門の異なる人達が集まり、知恵をもち寄って未知の事態に向き合う、そんな構図が、今回のトークイベントとも重なると感じたからです。
そんなパンデミック対策本部の議題は、「次のパンデミックを防ぐために社会として何ができるのか」でした。ここでいう「社会」には、制度や仕組みといった大きな枠組みだけでなく、そのなかで生き、行動する私たち一人ひとりに何ができるかということも含まれています。どんな疑問や意見が出て、そこに3人の先生方がどのような考えを重ね合わせたのか、いくつかピックアップしてご紹介します。
参加者からの疑問①
「ヒト感染症でコウモリが自然宿主となることが多い理由は?」
まず取り上げるは参加者のみなさんの疑問はこちら。
自然宿主とはウイルスが長期間にわたって感染し続けてきた、いわばウイルスの本来の住処とされる動物のことを指します。前半の先生方のお話では、重症急性呼吸器症候群(SARS)と新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の原因ウイルスは、どちらも野生のコウモリがもともともっていたものが、人間の社会へと広がった可能性が高いと考えられていることが紹介されました。また佐藤先生からは、ベトナムやタイなどで洞窟に入り、コウモリがもつウイルスを調べるフィールド調査を行っているというお話がありました。これらのお話を聞いて生まれた疑問だったのかもしれません。
まず佐藤先生は、コウモリ以外の動物が宿主である場合もあると前置きをしたうえで、コウモリが様々なウイルスの宿主となっている理由の一つに、免疫システムが特殊であることが関係している可能性を指摘します。またコウモリは唯一、空を飛ぶことができる哺乳類で、それにより獲得した特徴が、たまたまウイルスにとって長期間コウモリを宿主とするのに有利だったことなども考えられているそうです。ただし、なぜコウモリが多様なウイルスと共存できるのかについては、まだわかっていないことも多いと佐藤先生は話します。それを解明するためにも、佐藤先生の研究室ではコウモリを実験動物として用いた研究にも取り組んでいるとのことでした。
この話題からさらに、「コウモリ以外で注目すべき動物は?」という問いに広がります。佐藤先生はインフルエンザウイルスをもっているニワトリなどの家禽や水辺の鳥類、前半の五箇先生のお話にも登場したダニを例に挙げました。感染症によって、注意すべき宿主は異なるという視点です。
ここで押谷先生から、個体数が多いネズミなどのげっ歯類にも危険性があるとのお話が。げっ歯類から人間にやってくる病原体により引き起こされたと考えられている感染症として、中世に多くの人の命を奪ったペストを例に挙げます。現在でもげっ歯類から人間にやってくる感染症もあるため、注視をしなくてはいけないと見解を重ねます。
さら五箇先生が加わり、再興感染症の視点から注意点が示されました。再興感染症とは、一度流行が抑えられたものの、再び流行り始める感染症のことです。五箇先生が警戒をしている動物として示したのが、野生化して日本各地で増えているアライグマでした。アライグマは狂犬病ウイルスを媒介する可能性があり、万が一ウイルスが海外などからもち込まれれば、人の生活圏のすぐ近くで感染症が広がるリスクがあります。狂犬病は現在、日本では発症の例はありませんが、飼い犬の予防接種率が下がっている現状が紹介され、身近な動物の管理も重要な感染症対策の一部であると語られました。
参加者の疑問②
「スピルオーバーはどれくらいの速さで起こるの?」
続いて取り上げる参加者のみなさんからの疑問はこちらです。佐藤先生は、初めに「スピルオーバーは動物がもっているウイルスが人に感染することをここでは指す」と説明したうえで、「動物から危ないウイルスが人にやってくる」という解釈は、実は少し単純化しすぎているところもあると言います。これは、スピルオーバーが起きたからといって、それがすぐに流行やパンデミックにつながるわけではないということです。佐藤先生は、「スピルオーバーがどれくらいの速さで起きているのか」という質問を、「パンデミックを起こすウイルスが新しくどれくらい現れるのか」という意味で捉えるなら、COVID-19やSARS、鳥インフルエンザなど、数えるほどしかないと説明します。一方で動物のもつウイルスが人にどれくらい感染しているのかということであれば、話は大きく変わります。佐藤先生が研究している東南アジアのコウモリがもつ新型コロナウイルスに遺伝的に似ているウイルスについては、人に何回もスピルオーバーしていて、その回数は年間で何万回にもなるだろうと考えられているそう。つまり、動物のウイルスが人に感染すること自体は、決して珍しい出来事ではないのです。
ここに押谷先生の視点が重なります。押谷先生も、スピルオーバー自体はかなりの頻度で起きているとしつつ、重要なのはその次の段階だと指摘します。人がウイルスに接触しても、そもそも病気にならないこともあれば、病気になってもその人だけで感染が終わる場合もあります。さらにその先、人から人へ感染する能力をウイルスが獲得しなければ、人で大きな流行を起こす感染症にはつながりません。例として挙げられたのが、鳥インフルエンザウイルスです。現在、問題となっているH5N1型では、人への感染例は多数報告されているものの、人から人への感染例はごく限られています。つまり、動物から人にうつることと、人から人へ広がることのあいだには、大きな壁があるのです。
さらに、仮に人から人へ感染したとしても、すぐにパンデミックになるとは限りません。そこには社会の状況など、いろいろな要素が複合的に絡み合って影響します。2003年のSARSは国を超えて感染が広がりましたが、押谷先生は、もしかすると同様の出来事が、それ以前にも局地的には起きていた可能性を指摘します。ではなぜ、2003年のケースでは流行が世界に広がってしまったのでしょうか。押谷先生は感染が最初に始まった中国と世界各国との人の往来が増えたという社会的背景が、感染拡大を後押ししたと考えられていると説明します。
このやりとりから浮かび上がってくるのは、パンデミックはウイルスの性質だけでは説明できないということです。動物から人への感染、その後のウイルスの性質、そして人間社会のつながり方、これらが重なったとき、はじめてパンデミックという現象が立ち上がる。まさに社会の状況が感染拡大に影響を与えているという、前半パートでも繰り返し先生方からお話があった内容が、参加者のみなさんの疑問への回答からも改めて示されました。
参加者の疑問③
「ペットとの暮らし方はどうしたらいい?」
私たちの生活と身近な動物といえばまずはペットが挙げられるでしょう。参加者の方から出たのは「ペットと人との、少し異常とも思えるほどの接触は見直した方がいいのではないか」という意見でした。
この意見に対し、まず五箇先生は、現在のペットを介した感染症を取り巻く状況そのものが、以前とは変化してきている点を指摘します。犬や猫は長い家畜化の歴史をもち、人と暮らすなかで育種されてきた存在です。そのため、多くの人が感染症のリスクが低い存在と無意識に捉え、ときに過度に密な接触をしてしまいがちだといいます。しかし、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)のようにダニを介してペットが感染し、人にうつってしまう可能性のある感染症も問題になっています。そういった状況を踏まえると、人とペットとの関わり方を見直していくことも求められるのではないかと五箇先生は語りました。
これに対し佐藤先生はペットとの接し方自体を一律に良い・悪いで判断するのは難しいとしつつも、重要なのはリスクを理解したうえで選択することだと話しました。ペットの病気と人の病気を完全に別物として考えるのではなく、ペットが感染症をもつことで自分自身にも影響が及ぶ可能性がある、という知識をもったうえで関わることが大切だという考えです。
押谷先生もこの点に同意し、具体例としてトキソプラズマ症を挙げました。トキソプラズマは猫を宿主とする寄生虫で、妊婦が妊娠中に初めて感染をすると、赤ちゃんに非常に重篤な影響を及ぼすことがあります。ペットは多くの人に癒しを提供していることも事実だと思うが、こういったリスクが存在するということを知っておく必要があるのではないかと注意を促しました。
ここまで、3つのトピックをご紹介してきましたが、トークイベントではこのほかにも、さまざまな疑問に対して先生方が考えを重ねています。ぜひアーカイブ動画で、そのやり取りもご覧ください。
トークイベントの最後に、先生方が共通して語っていたのは、パンデミックという課題の複雑さでした。人の健康、動物の健康、そしてそれを取り巻く環境の健全性の3つを切り離さずに考える「ワンヘルス」という考え方は、特定の分野の専門知だけで完結するものではありません。
佐藤先生はワンヘルスとはこのトークイベントのように、専門の異なる人たちが集まり、それぞれの視点をもち寄って考える営みそのものではないかと話しました。問題が大きくなればなるほど、一つの分野だけで明確な答えを出すことは難しくなります。だからこそ、議論の場をもち続けることが重要になるという考えです。
五箇先生も、今後は分野横断の取り組みがさらに求められると指摘しました。また、感染症の流行が落ち着いているときも、リスクから目を背けずに向き合い続けることが、私たちの生活を守ることにつながるという視点も加えられます。
そして、押谷先生は、COVID-19のパンデミックを通じて私たちが突きつけられたのは、人類がこんなにも弱い存在なんだということだと言います。この事実をどう受け止め、これから起こりうるリスクをどう減らしていくのかは、社会全体で考えるべき課題だと強調されました。
今回のトークを通して、パンデミックを防ぐためにできることというのは、確かな答えを一度で得ることではなく、異なる立場や専門をもつ人たち、さらには研究者ではない一般の人達もそこに加わって、問いを共有し、考え続けるプロセスそのものなのだと、企画者としてあらためて感じました。
まだまだ続く アフタートーク
トークイベント終了後の控室では、時間の都合で取り上げられなかった参加者のみなさんの疑問を眺めながら、先生方のお話が続きました。そのなかで印象的だったお話を2つご紹介します。ここで上がった話題は、必ずしもそれぞれの先生方の専門分野にピタリとはまっているというわけではないかもしれません。しかし、感染症というテーマを社会全体で考えるなかで避けて通れない、重要な論点だったように思います。
一つ目は私たちを取り巻く情報環境の変化についてです。SNSの普及によって、私たちはかつてない量の情報に日常的に触れるようになりました。その一方で、自分と似た考え方の情報だけが繰り返し届いたり、文脈を失った情報が断片的に流れてきたりするような状況が生まれています。そこでは、発信の背景や前提条件が共有されないまま、目を引く見出しや強い言葉だけが広まることも少なくありません。トークイベントのなかでもSARSの流行時とCOVID-19のパンデミックの時は全く異なる社会状況だったことが繰り返し話されましたが、これもまさにその社会の変化の一つだと思います。そして、次のパンデミックの脅威が現れるときもまた、今とは全然違う情報環境になっているはずです。こうした変化が、社会として感染症に向き合うことをより難しくしているのではないかという問題意識も共有されました。こういった問題に向き合うためには社会学や心理学、メディアに関わる研究など、より広い分野も含めた議論の場が必要になるだろうという示唆が、お話のなかから浮かび上がってきました。
もう一つの話題は、パンデミックと社会の記憶です。押谷先生からは、パンデミックが長期化しやすい出来事であること、そしてそのなかで人々が心理的な負担から距離を取るため、経験を積極的に忘れようとする側面があるのではないか、という指摘がありました。1918年に起きたスペイン・インフルエンザのパンデミックが非常に多くの死者を出し、甚大な被害をもたらしたにも関わらず、社会の記憶としてあまり残っていないことも、その一例として話題に上がりました。自然災害が地域ごとに経験される出来事であるのに対し、パンデミックは社会の多くの人が同時に当事者となる現象です。そのため、起こった出来事を物語として整理し、語り継ぐことが難しいのではないかといった見解も出されました。記憶の残し方や、社会が意識的に思い出し続ける仕組みをどうつくるのか、これもまた、歴史学や文化人類学、倫理学、宗教学など、いろいろな分野と深くかかわるテーマのように感じます。
問いを共有し、考え続けるということ
今回のトークイベントは、パンデミックというテーマが、科学の問題にとどまらず、社会全体のあり方に関わる問いであることを、より実感をもって感じる時間でした。イベントでは、専門分野や立場の異なる研究者がそれぞれの視点をもち寄り、そこに参加者の疑問が重なっていきました。正解を示すというよりも、「何がわかっていて、何がまだわからないのか」、「どこに注意を向け続ける必要があるのか」を、みんなで共有しながら考えていく時間だったように思います。アフタートークで交わされた、情報環境の変化やパンデミックの記憶の残りにくさといった話題も、そうした時間の延長線上にありました。
このイベントが目指したのは、パンデミック対策の具体的な結論を出すことではなく、みんなで考える場をつくることでした。異なる分野や立場の人が協働し、問いを共有し続けること自体が、社会としてリスクと向き合う力につながっていく。そのプロセスを、参加者の皆さんと一緒に体験すること自体に重要な意味があると考えていたからです。そして今回のイベントを通じて、その重要性を改めて実感しました。
このブログも、読んでくださった方の日常のなかで、ふと立ち止まって考えるきっかけの一つになれば嬉しいです。