400年後への手紙

「1990年代、トルコ、イスタンブール。
16世紀に建てられたモスクの修復 をはじめようとしたときだった。
ドームを支えるアーチの石(その石は、アーチ全体を崩さずに修復するにはどうしたらよいかと研究者が考え抜いた末に見出したもので「キーストーン」と呼ぶ)を外したところ中からガラスの筒に入った手紙が見つかった。
その手紙はそのモスクを設計したオスマン帝国の建築家シナンが書いたもの。
宛て先は400年後の人々、シナンが生きた時代を考えると現代人に宛てたものだ。」
シナンは私たちにむけて何を残したのか?
こんにちは、科学コミュニケーター天野です。
建築と聞いて、私が思い出すのがこの話。
数年前に飛行機の機内誌で読んだものですが、その記憶は強烈に残っています
(タイトルは確か「400年前からの手紙」)。
さて、オスマントルコ語で記された手紙に書かれていたこと...
それは、モスクの建築技術の解説と図面、修復の手順とそのときに使用する材料と産地。
そして、メッセージ。
「この手紙を読んでいるということはモスクの修復をしようとしているのであろう。このモスクは400年後には、修復の必要がある。ただし、400年後には建築技術が変わり、石を使用した建築技術は衰退しているだろう。そして、モスクの修復が難しくなっているだろう。だから、これを参考にしてほしい。
そして、さらにこの手紙を400年後の人に伝えてほしい」
(文章の細かな表現はうろ覚えです)
そして、だいたい400年後に改修は始まったのです。石造りのモスクを直すために研究者も混じり、キーストーンを見つけるというところから。まさにシナンが書いたシナリオのように...思わず「未来を見てきたのか?」と思いました!
(管理人より2011年8月15日に加筆:機内誌で読んだこの記事の内容に関して、事実と確認できない部分がありました。シナンは実在した建築家で、多くのモスクを16世紀に手がけていますが、修復時に関するエピソードに疑問が生じています。詳しくはこちらをご覧ください。)
まず、後世の人に宛てて手紙を残すという発想がすごい。
私だったら、400年どころか10年先のことにも考えが及ばないですし...
シナンはなぜ手紙を残そうと思ったのか?調べてみると、
彼はアヤソフィアという教会の巨大なドームに心を打たれ、
それ超える大きさのドームを備えたモスクを建てようと打ち込んだそうです。
そのアヤソフィアはさらに遡ること1000年、5世紀に建てられたもの。
建築手法がまったく残されていないアヤソフィアを超えようと奮闘し、そして自分の建てたモスクを愛したシナンだからこそ、思いついた発想なのでは?と勝手に考えています。
と...
ここまでシナンの逸話しか話していないのですが、
ここからが本題(東京スカイツリーⓇの話)。
実は私、その改修中のモスクを探そうとイスタンブールに行きました。
残念ながら、モスクは見つからなかったのですが、
シナンが設計したモスクをたくさん見てきました。
そこで驚いたのは400年以上前に建てられた建物が
今でも普通に礼拝に使われているということです。
当たり前ですが、建物は人が使ってこそ建物なんだなぁと実感しました。
そうでなければここまで残らない。
企画展「メイキング オブ 東京スカイツリーⓇ」の会場でお客様と話していると、
東京スカイツリーⓇは周辺の人の"楽しみ"になっていることを実感します。
「中学入学の年に着工し、卒業の年に完成。学校からずっと見ていたんです」
「毎日変わっていく様子が楽しみでずっと見てきました、わが子のようです」
東京スカイツリーⓇのコンセプトは「時空をこえた景観」。
シナンのモスクにも負けない時空をこえた景観になってほしいですね!
それを実現するのは、東京スカイツリーを建てた側の人、見守ってきた人、これからも見守り、利用する私たちや私たちの子どもたち・孫たちの思いです。
皆さんにとって東京スカイツリーはどんな存在ですか?どんな存在になってほしいですか?
400年後に宛てて書きましょう!だから「400年後への手紙」。
どうやって400年後に残そうか?塗装をはがすと...メッセージが!的なのがいいですかね~?
そのアイディアも募集です!
今回はモスクを建てた400年前のトルコのシナンの話から始めましたが
東京スカイツリーを建てている現代日本人にも、熱いドラマがあります。
次回はそれを紹介したいと思います。お楽しみに!