"みらいのかぞく"を考える~精子提供による新たな家族のかたち~

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科学コミュニケーター田中健のブログに続き、「"みらいのかぞく"を考える~人の心・制度・科学技術」のディスカッションパートを前編と後編にわけてご紹介します。前編のテーマはこちら。

非配偶者間人工授精(AID)

カップルが無精子症などを理由に不妊で悩んでいる場合、他人の精子を使って妊娠するという技術。この場合、産まれてくる子供と父親との間に、遺伝的なつながりはないことになります。この技術で生まれた人たちは日本全国に1万~2万人いると言われています。

これだけの数の人が生まれているにも関わらず、あまり聞いたことがありませんよね? 

「子ども(本人)に事実が伝えられていない」、「(親から聞いたりして)知っていたとしても他人には言えない」といったさまざま事情があることから、あまり知られてはいないのです。

トークイベントでは、自らがAIDによって生まれたことを公表している加藤英明さん、石塚幸子さんに、当事者としての率直な意見を述べていただき、技術の裏側にある、子どもの「出自を知る権利」などの課題について会場全体を巻き込み意見交換していきました。

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左側:加藤英明さん       右側:石塚幸子さん

※トークイベントの前に、加藤さんと石塚さんからお話をうかがっており、その内容も盛り込んでお届けします。


どのようにしてAIDで生まれたことを知ったのか


加藤さんは医師です。医学生だった頃に、実習で血液を調べ、自分と父親に遺伝的なつながりがないことに気がつきました。そのことを母親に聞いたところ、母親はAIDを使って産んだことを認めました。

石塚さんの場合は、23歳のときに、父親が遺伝性疾患をもつことが判明しました。「自分も将来的に同じ病気にかかるかもしれない」と不安に感じたところ、母親から自分と父親とは血縁がないことを唐突に告げられました。

お二人に共通しているのは、親御さんが十分に準備をしたとはいえない状態で知らされたことです。遺伝上のつながりがないことを聞いた2人は、ともに「裏切られた」と感じたそうです。そして、結果として親子の信頼関係がこじれてしまったとも言っていました。石塚さんは、今でも親子関係が完全にもとにもどったとはいえはないと話しています。


なぜ2人は「裏切られた」と感じたのか?


AIDは他人の精子を使って妊娠する技術です。母親との遺伝上のつながりはありますが、父親とはありません。加藤さんが「父と自分に遺伝的なつながりがないのに、あたかも血の繋がった家族かのようにふるまっていることが一番大きな問題だと思う」 と言うように、家族であるにもかかわらず、自分がどのように生まれてきたか、その経緯を大人になるまで長年隠されていたことが不信感につながっていたのです。

石塚さんは、純粋に子どもを望むのとは別の意味でもAIDが使われているのではと指摘していました。

それは、「血のつながった子どものいる家族」を"普通"とする社会的風潮があり、「この技術は、世間体を保つために"普通"の家族であることを取り繕うために使われている」と述べていました。

AIDの場合、養子を迎えるのとは異なり、母親が出産します。母親のお腹がだんだん大きくプロセスが見えるだけに、周囲からは自然に子どもをもうけたように見えます。家族の外に対し、自分たちが血のつながった"普通"の家族であるように見せることができるのです。

石塚さんは、「実情を隠すための使い方が、技術を後ろめたいものにしている」と主張しています。ただし、レズビアンのカップルが精子提供を受けて子どもを得る場合には"普通"を取り繕う使い方にはならないため、「隠すために使うよりはまだいい」と考えています。しかし、基本的なスタンスとしてはAIDを使うことに反対です。

AIDという技術がある以上、血のつながりがない親子のかたちは今後もあり続けるでしょう。彼らにとって、「家族」を築く上で何が大切なのでしょうか。


家族を築く上で大切なこととは?


加藤さんは「信頼感」が重要であり、その上で「親子関係をどう作っていくかが重要だ」と述べ、石塚さんも「はたらからみるものではなく、家族の間で築きあげるもの」と発言していました。

お二人の言葉を聞いて、私は「家族のなかで心の通ったコミュニケーションができていれば、血のつながりがあろうとなかろうと親子関係は十分築くことができる」、そんなメッセージに読み取れました。同時に「でもそれって、別にAID技術によって生まれたからとかではなく、むしろそれがあるから家族なのでは」とも感じました。

今後、AID技術はどのように使っていけばいいのでしょうか?


これから先AIDをどう使っていくか?


当初、石塚さんはAIDを使うことに反対していました。しかし、「技術を使ってでも子どもが欲しいという」という声をたくさん聞くなかで、社会の流れはとめることができないと感じるようになりました。「AIDを使って子ども産むことをオープンに言える社会になってくれたら」と今は考えているそうです。

加藤さんは少し違う視点を持っていて、技術を使うことに否定的な意見はありません。ただし、子どもがどのように産まれてきたか、生物学的な親が誰であるかを知ることができる「出自を知る権利」を保障してほしいという意見を述べていました。石塚さんもこの権利の重要性を説いており、「裏切られた」と感じる人が少なくなるだろうとおっしゃっていました。


なぜ子どもに出自を伝えるのか?


参加者の1人は、高校受験のときに自分が養子であることを偶然にも知ってしまい、「知らなければよかった」と感じたそうです。

加藤さんと石塚さんもそうでしたが、偶然や唐突に出自を知ってしまうことは子どもにとって非常にショッキングな出来事として残り、その後の人生にも影響してきます。

親は、子どもの気持ちを第一に考え、入念に準備し、ていねいに伝えていくことが大切であることがうかがえます。子どもの気持ちを考えた上で「告げない」という選択をすることもあるでしょうが、加藤さんや会場の参加者のように、何かのきっかけで知られてしまうことは十分にありえます。そのときに、どうするのかを考えておいた方がよいかもしれません。

出自を伝えることについて、体外受精で2人の子どもを授かった参加者は「(AIDと状況は違うけれども)子どもたちには体外受精で授かったことを言う予定。出自を知ることで同じような境遇の人にも優しくできるように育って欲しい」と、準備をした上で子どもに出自を知らせることで、子どもの成長に良い影響を与えたいと述べていました。

ここまでのディスカッションを通して、生殖補助医療のことを議論するときに、安全性や倫理のことは話題にしても、生まれてくる子どもの権利に関しては、議論が足りなかったのかもしれない。そんなことを思わせる議論になりました。

この先もAIDを使っていくのであれば、「生まれてくる子どもの視点に立ち、どう伝えていくか」について議論を深めていかなければなりません。


語り合うことで見えてきたこと


普段はあまり語られないトピックについてオープンに話し合うことで、少なくとも3つの意味があったとも考えています。 1つ目は、参加者から、「AIDという技術をはじめて知った」という声があるなど、事実を知ることができたこと。2つ目は、「出自を知る権利」など技術の裏側にある課題を深掘りできたこと。3つ目は「子どもの視点にたって考えることの大切さ」を会場全体が実感できたことです。

このように、さまざまな背景を持った人が集まり語り合うことで、多くのことが見えてきたのです。同時に、「子どもにどう伝えていけばいいか」などの宿題は残りましたが、今後も語り合うことで、ひとつひとつ答えをだしていけたらと思います。

このAIDの問題については、今年度の後半に実施予定の「第三者が介入する生殖補助医療と制度」をテーマにしたトークイベントの中で、あらためて詳しく取り上げる予定です。

ディスカッションの後半部分では、別のトピックについて語り合いました。最近、新聞やテレビのニュースでも見聞きすることが多いLGBTについてです。彼らがどんな家族像をもっているか、またそこにはどんな課題があるのか、次のブログにて紹介します。

2月11日「みらいのかぞくを考える~キックオフイベント」の報告
文化人類学から見る家族のかたち
科学技術と生命倫理
精子提供による新たな家族のかたち(この記事)
LGBTに見る多様な家族像
特別ワークショップでは Coming Soon!

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この記事への1件のフィードバック

40年近く前のこと、TBSの深夜放送で、故 野沢那智さんがパソナリティを務めていた深夜放送で、ある女性のT大医学部の彼氏さんが精子提供をする際の女性の心情が紹介されていたことを思い出しました。
実際に、そうした事例により生まれた方が数多くいるという事実に多少なりとも驚きを感じました。
私は、宗教的、倫理的主張を持つ者ではありませんが、科学的研究を目的とする方、子供を欲する方、様々な思いが波紋の様に広がりを見せる現実には関心を寄せずにはいられません。

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