ヒト受精卵へのゲノム編集 Part 1 ~何ができる?どんな仕組み?科学者の立場から

5月29日にトークイベント「あなたはどこまでやりますか?~ヒト受精卵へのゲノム編集~」を実施しました。
「みらいのかぞくプロジェクト」の一環で、2月初めに行われたキックオフイベント後としては初めてのトークイベントです。

今回のテーマは「ヒト受精卵へのゲノム編集」。ゲノム上の目的の遺伝子をピンポイントで、効率よく書きかえることができる「ゲノム編集」という新技術の登場によって、ヒトの遺伝情報を操作することも夢物語ではなくなってきました。
ヒト受精卵に対してゲノム編集を行えば、赤ちゃんが生まれてくる前に遺伝性の病気を治療できるなど、多くの可能性が広がる一方、加えた変異が次世代以降へも受けつがれる影響や、倫理的な問題などの懸念もあります。
ゲノム編集技術が動物実験のレベルでかなり進展してきた今だからこそ、多くの方とともに考え、語り合いたいテーマです。

こちらの記事では、基調講演の前半、国立成育医療研究センターの阿久津英憲先生の講演の模様をお届けします。

●基調講演① 「受精卵とゲノム編集技術」

国立成育医療研究センター研究所 再生医療研究センター 生殖医療研究部
阿久津 英憲先生

個体は、たったひとつの受精卵から

ヒト受精卵へのゲノム編集について考えるこのイベントは、そもそも「受精卵」がどんな存在なのかをふりかえるところから始まりました。
ヒト受精卵は、女性の胎内で自律的に完全な1個体(赤ちゃん)になれる細胞です。
一方、「万能細胞」と呼ばれるES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)は、細胞の数を増やし、人為的な操作によって様々な種類の細胞に変化させることができますが、胎盤の細胞にはなれないので個体にはなれません。
たったひとつの受精卵が分裂によって数を増やし、様々な機能を持つ細胞に分化して、数十兆個もの細胞からなる身体を形作っています。
受精卵は、私たちの生命の始まり...他のどの細胞とも違う、特別な存在なのです。
ゲノム編集の前に、まずは受精卵について知って欲しい、というのは、企画の初期段階からの阿久津先生の願いでした。

ゲノムに加えた変異は不可逆的

次に、ゲノムとは何か、そして、ゲノムに変異を加えるとはどういうことなのかをお話しくださいました。
ゲノムとは、身体をつくり生きていくための設計図のことです。DNAの遺伝情報は、mRNAという物質に読み取られ、それをもとに身体の中で様々な機能を担うタンパク質が作られます。
これは、すべての生物に共通する基本中の基本で、この流れの中で生命の根本的な事象を理解することができます。

阿久津先生によると、多くの病気はタンパク質の機能不全、量の過不足で説明できるそうです。
つまり、「DNA→mRNA→タンパク質」の流れのどこかで生じている不具合を調整すれば、病気を治療できます。
ここで、薬を投与してmRNAやタンパク質の量に調整を加えるとしましょう。一時的には効果が見られますが、薬の投与を継続しなければ元の状態に戻ってしまいます。
一方、DNA、つまり、設計図そのものを変化させれば、その細胞が生きている限り、効果はずっと続きます(その細胞が死んでしまったら、そこで効果は途切れます)。
この治療方法は「遺伝子治療」と呼ばれ、実際に深刻な遺伝性疾患などに対して行われています。DNAに変異を加えた細胞が分裂をして増える細胞であれば、同じ変異をもつ細胞がどんどん増えていくことになります。
血液幹細胞のように、生涯にわたって生き続ける細胞のDNAを変えれば、一度で根本的な治療となりえます。
しかし、それは逆に言うと、やってしまったらもう元には戻せない、ということ。望んだ効果が得られても、そうでなくても、その影響は生涯続くのです。

ゲノム編集、どうやるの?

ここまでで予備知識の整理は終了。いよいよ、本題のゲノム編集の話に移ります。
ゲノム編集は、狙った場所でDNAに不可逆的な変化を起こすことができる技術です。
その際、必要な道具が「人工ヌクレアーゼ」。これは、DNAの特定の部分を認識するパーツと、DNAを切断する酵素が合わさったもので、言わば「狙ったところでDNAを切るためのハサミ」です。

それでは、切った後はどうするのでしょうか。ゲノム「編集」というからには、「書きかえ」に相当する工程が必要です。
実は、DNAが切断されてしまうと、細胞はすぐにそれを元に戻そうとします。このときに、完全には元通りにならないようにして「書きかえ」を行うのです。

「書きかえ」には大きく2つのタイプがあります。書きかえることで、もとの遺伝子を無意味にしてしまうものと、病気の原因となっている機能不全の遺伝子を働ける形に変えてやるものです。

前者の「遺伝子を無意味にするタイプ」では、切断したDNAを再びつなぐ際、塩基配列の一部が抜ける(欠失)、あるいはいくつかの塩基を間にはさんでつなぐ(挿入)ことによって、「変異による機能の喪失」を引き起こします。
もう1つの「働かない遺伝子を働ける形にするタイプ」では、働ける遺伝子のDNA断片(ドナーテンプレート;上の図で黄色)を、人工ヌクレアーゼと一緒に細胞に加え、細胞が"間違えて"このDNA断片を利用してつなぐことで、「変異による機能の(再)獲得」を狙います。

阿久津先生は、「本来、『変異による機能の(再)獲得』を狙っていても、残念ながら同じ箇所で『変異による機能の喪失』が起こってしまうことがある。また、近年話題になっているCRISPR/Cas9という人工ヌクレアーゼは、特定の配列を認識する力が他と比べて若干弱く、誤った箇所でDNAを切ってしまう恐れがある」と言います。
こうした、意図しない変異や切断箇所のミスによる影響は予測ができず、治療の上で大きな問題となります。

しかし、阿久津先生は「技術は日進月歩」ということも強調します。まだ新しい技術で、改良はこれからです。近い将来、より精度の高いゲノム編集の技術が登場してくるでしょう。

ゲノム編集と従来の技術の違い

ゲノム編集の大きな特徴は、編集した跡が残らないことです。
従来の技術では、大腸菌やウイルス由来の「ベクター」というDNAの運び屋を使って、任意の遺伝子をゲノム中に組み込んでいました。そのとき、ヒトのものでないDNAも一緒に挿入されてしまっていたのですが、ゲノム編集ではそれがありません。
阿久津先生は「治療を考えた場合、他の生物のDNAが入らないというのは大きな利点」と言います。

現在、日本をはじめとするいくつかの国では、遺伝病などの深刻な病気をもつ患者さんに対して、遺伝子治療が行われています。
ゲノム編集の技術を使った遺伝子の書きかえも、イギリスとアメリカですでに実施例があります。
安全面や効果の検証などはまだ十分とは言えませんが、日本でも世界的な流れでも、従来からの病気の症状が見られる一部の体細胞をターゲットにした遺伝子治療をゲノム編集の技術で行うことは、大きな倫理的な問題にはなっていません。
議論になっているのは、ゲノム編集の登場で、ヒト受精卵への遺伝子治療が現実味を帯びてきたからです。

もし、受精卵に対してゲノム編集を行った場合、加えた変異は個体のすべての細胞にいきわたります。
それは、将来的に卵子や精子になる細胞も例外ではありません。つまり、人為的な操作による変異が次世代以降にも受けつがれることになるのです。
何世代も経た後のゲノム編集の影響は、まだ誰にもわかりません。このことも、ヒト受精卵へのゲノム編集を考えるに当たって、議論しなければならない点の1つでしょう。

ゲノム編集で病気は治せる?治してよいのか?...医療者の想い

マウスを使った研究では、受精卵にゲノム編集を行い、「筋ジストロフィー」という筋力が次第に衰えていく遺伝性の難病を治療できた例も報告されています。
これまで治療できなかった多くの病気を、受精卵へのゲノム編集によって治療できるようになる可能性は十分にあります。しかし、ゲノム編集はまだまだ発展途上の技術で、ヒト受精卵に応用できる段階にはありません。

「いいことも悪いことも含めて、受精卵に対してゲノム編集を行うことの可能性を考えてほしい」と阿久津先生。
再生医療や遺伝子治療などの新しい医療について、「治療を受けることで生じるリスクと、治療しないことで生じるリスクを疾患ごとに比較・検討する価値は十分にある」と言います。
現時点では、様々な問題からゲノム編集技術を受精卵に対して治療目的で行うことはあり得ない現状を理解しつつ、「リスクもあれば、ベネフィットもあるというところを考えていきたい」と、患者さんの『治りたい』という希望も医師として大切に受けとめていらっしゃいました。

ゲノム編集技術が社会に理解され、適切な形で利用されるために、私たちは何を知り、どんな議論をしていけばよいのでしょう?後半の武藤先生のお話に続きます。

次回は、基調講演の後半、東京大学医科学研究所 公共政策研究分野 武藤香織先生の講演の様子をお伝えします。どうぞお楽しみに!

関連記事

みらいのかぞくプロジェクトについてはこちら

「あなたはどこまでやりますか?~ヒト受精卵へのゲノム編集」
Part1 何ができる?どんな仕組み?科学者の立場から(この記事)
Part2 倫理的な課題と世界の動き
Part3 あなたはどう思う?会場からの声
Part4 社会としてどのように使う?ルールを考えてみた

キックオフイベント「"みらいのかぞく"を考える~人の心・制度・科学技術~」
第1部 文化人類学から見る家族のかたち
第2部 科学技術と生命倫理
第3部 精子提供による新たな家族のかたち 
第4部 LGBTに見る多様な家族像

「人文・社会科学」の記事一覧