2018年ノーベル化学賞を予想する①
脂質なしでは成り立たない細胞内シグナル伝達

このエントリーをはてなブックマークに追加

ブログでは初めまして!科学コミュニケーターの田中沙紀子です。
今年のノーベル賞を予想するこの企画の先陣を務めます。まずは化学賞の第一弾!早速いきましょう。

私の予想は、細胞の膜の素材となっている脂質の研究をしたルイスC. カントレー(Lewis C. Cantley)先生です!

脂質は膜として細胞を単に物理的に支えているだけでなく、まわりからの働きかけに応じて細胞が反応を示すプロセスでも重要な役目を果たしていたのです。しかも、糖尿病やがんにもかかわっていそう......。ですが、その役目を果たす脂質が細胞内にごくわずかしか存在しない特殊なものだったこともあり、発表当初は、研究者仲間にも、なかなか信じてもらえなかったそうです。

私は学生時代に脂質の研究をしていたので、脂質の大切さとおもしろさを少しでも知ってほしいという気持ちも込めて、ご紹介します!


細胞内のシグナル伝達にかかわる新しい脂質の発見



20180901_tanakas_01.jpg

ルイス C. カントレー(Lewis C. Cantley)博士
1949年生まれ
Sandra and Edward Meyer Cancer Center所長
写真提供:John Abbott

◇細胞はリン脂質の膜に包まれている

「脂質」と聞くと、みなさんの頭にはどんなモノが思い浮かびますか?お肉の脂身や揚げ物の油??おなか周りの贅肉??このような脂質が思い浮かぶ方は『脂質=体に悪いモノ』という印象があるかもしれません。たしかに脂身や油ものの摂りすぎや太りすぎは健康にとってNG!でも、脂質を悪いモノとして避けすぎてしまうのも困りものです。実は脂質は私たちの体になくてはならない大切な物質。というのも、脂質がなければ、そもそも私たちの体をつくっている細胞は存在すらできないのです。

細胞は細胞膜という膜に包まれています。そして細胞の中には、体の設計図であるDNAが入っている核や、小胞体、ミトコンドリアなどの細胞内小器官があり、それぞれが膜によって仕切られています。そして細胞膜だけなく、それぞれの細胞内小器官すべての膜を作っている主成分が、「リン脂質」という脂質なのです。

20180901_tanakas_02.jpg
ですから、このリン脂質がなければ細胞は存在できず、私たち人間も存在できなくなってしまいます。リン脂質があるから、細胞の外と中を区切ることができ、細胞は細胞として働くことができるのです。細胞内小器官も、膜で仕切られることで、それぞれの機能を効率よく果たすことができています。細胞のなかにはリン脂質がたくさんあることも、おわかりになると思います。

◇細胞膜の構造と役割

では次に細胞膜に注目してもう少し詳しく見てみましょう。細胞膜を拡大してみると、下図のような構造をしています。頭1つに足2つの構造がリン脂質です。頭の部分は水になじむ親水性、足の部分は水になじまない疎水性の性質を持っています。体のほとんどは水、とよく言われる通り、細胞の中も外も水がたくさんある場所。なので、その水となじむよう、リン脂質は親水性の頭の部分が外に出るように向かい合わせに並んで膜を作っています。こうして細胞膜は細胞の外と中を隔てる役割を果たします。

20180901_tanakas_03.jpg

しかし細胞はひとつだけでは生きていけません。細胞外から栄養物を内側に取り込んでエネルギーを作り出したり、ほかの細胞や組織からの情報を受けとったりと、外側の世界とやり取りをしています。そのために重要なのが細胞膜に刺さったタンパク質。この膜タンパク質が、細胞の中と外での物質のやりとり(下図(1))や、ほかの細胞などから送られてきた情報を受け取る役割(下図(2)、後ほど詳しく説明します)を担います。

20180901_tanakas_04.jpg

さて、ここでリン脂質の親水性の頭の部分をよく見てみましょう。実はすべてがまったく同じものではないのです。図では色の違いで表していますが、実際には構造が少しずつ異なっています。そう、リン脂質にはいくつかの種類があるのです。このうち、今回注目するのはPI(ホスファチジルイノシトール)というリン脂質。これが細胞内での情報伝達にとても重要なのです。

◇細胞内ではスイッチオフ→オンの連鎖反応でシグナル伝達

先ほど、細胞膜に刺さった膜タンパク質が外からの情報を受け取る、と説明しました。では、情報を受け取った細胞はどのように働くのでしょうか?細胞が外から情報を受け取って、それに対して応答するまでの流れを見てみましょう。

まず、細胞が外から受け取る情報とは、どのようなものでしょうか?たとえばホルモンを出すことが役割の細胞であれば、外から「ホルモンを出して」という指示を受け取ります。これは細胞膜で行われます。そして「指示を受け取った」という情報が、細胞の中を伝言ゲームのようにして細胞の奥へと伝えられていきます。これを「シグナル伝達」といいます。そして、最終的に「ホルモンを出す」という応答をします。

20180901_tanakas_05.jpg

では、細胞内でのシグナル伝達というのは何かというと、一言でいえば、スイッチオフ→オンの連鎖反応です。ここでスイッチオフのお休みモードからスイッチオンになることを「活性化」といいます。

もう少し詳しく見てみましょう。シグナル伝達では、多くのタンパク質が次々にリレーするように活性化(スイッチオン)していきます。そしてタンパク質の活性化に重要なのが、「リン酸化」という反応。図でPと描いたリン酸基をぺたっとくっつけるのがリン酸化です。タンパク質のリン酸化の連鎖反応こそが、シグナル伝達の本質なのです。

20180901_tanakas_06.jpg

しかしシグナル伝達でリン酸化される分子は、実はタンパク質だけではなかったのです。ここで登場するのが、先ほど紹介した脂質であるPI(ホスファチジルイノシトール)。細胞の膜を構成する脂質のPIもリン酸化されるのです!PIはただ膜の成分として細胞を支えているだけではなく、シグナル伝達に欠かせない一員というわけです。

しかもPIがリン酸化される場所は1つではなく、3か所もあります。図中赤字で示した3位、4位、5位という場所がリン酸化され得る場所。そしてその3つの場所のうちどこにリン酸がつくかによってその働きが変わります。このようにリン酸化される場所によって役割が変わる脂質は他にはありません。PIはとても特徴的なおもしろい脂質なのです。

20180901_tanakas_07.jpg

細胞内のシグナル伝達では、PIの中でも3位の場所がリン酸化されたPIがよく利用されています。細胞外からの大切な情報を細胞内に伝えるのに欠かせない役割を果たしています。この3位をリン酸化するタンパク質が「PI3キナーゼ」。そしてPI3キナーゼを発見し、3位がリン酸化されたPIがシグナル伝達に重要であることを示した1-3)のが、カントレー先生です。

20180901_tanakas_08.jpg

◇がんの治療にもつながるかもしれない

PI3キナーゼは、病気に関係するようなシグナル伝達においても重要な役割を果たしています。たとえばがんや糖尿病といった、多くの人が患っている病気にも関連する重要なタンパク質です。したがって、PI3キナーゼの働きを調節できる薬を作れば、がんや糖尿病の治療につながるのでは、と期待されています。もう少し具体的にいうと、たとえば、PI3キナーゼが過剰に働いてしまっていると、がんになります。そこで、この過剰に働いているPI3キナーゼを阻害する薬が、がんの治療薬として効果があると期待され、研究が進んでいます。現在は日本でも治験が行われ、本当にがんに効果があるかを確認しようとしているところです。

20180901_tanakas_09.jpg

【PI3キナーゼが働きすぎてしまうとがんになる】

20180901_tanakas_10.jpg

【働きすぎるPI3キナーゼを働けないよう阻害し、がんの治療に】

◇脂質に光を!

いまではカントレー先生らの研究成果が認められ、シグナル伝達において3位がリン酸化されたPIが重要であることは分子生物学の教科書にも載っています。しかし、発見された当初はこの脂質が細胞にとって重要だとは、他の研究者たちはだれも信じなかったそうです。というのも、細胞全体の脂質の中でリン酸化されたPIというのはごくごくわずかしか存在しないのです。PIは細胞の中に豊富にあるリン脂質のうち、わずか10%にも満たず、さらに3位がリン酸化されたPIはそのうちの0.25%以下とも言われています4)ほとんど存在しないと言えそうなくらいわずかな脂質が、まさかがんに関わってくるような重要なものだなんて、だれも思わなかったわけです。

そもそも脂質というのは、細胞を扱う研究者にとっても、ややマニアックな存在。多くの研究者たちはタンパク質に注目して研究を行っており、脂質のことはよく知らないという研究者も多いのが現状です。なぜなら、私たちの体の設計図であるDNAはタンパク質を作るための情報だから。つまり、脂質はDNAによって直接作り方を指示されてはいないのです。また、タンパク質と脂質では物質としての性質が異なり実験のコツも異なるため、脂質を扱いなれていないと、脂質の実験はなかなかうまくいかないものです。ですからカントレー先生らの研究結果を聞いて、自分たちの研究室でもやってみよう!と同じ実験をしてみても、同じ結果が得られない。カントレー先生らの実験結果は間違いだ!と考えた研究者もいたそうです5)

そんな曲者の脂質と向き合い、実験結果を積み重ねて脂質の役割を証明したカントレー先生。脂質研究をかじっていた筆者としては、ぜひカントレー先生にノーベル賞を!そして脂質に光を!と願ってやまないわけです。

~おまけ~ オートファジーにも重要なPI3キナーゼ

2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞したオートファジー(未来館ブログでも紹介しています)。日本人である大隅良典先生が受賞され、話題になったかと思います。実はこのオートファジーの働きにもPI3キナーゼは重要な存在です。

オートファジーが起こるときには、まず隔離膜という膜ができます。その膜が伸長しながら細胞内の不要なものを包み込み(オートファゴソームの形成)、その中身を分解することで、細胞内のお掃除をするのがオートファジーの働きです。しかしPI3キナーゼが働かないと、オートファゴソームがうまくつくれず、オートファジーができません。オートファジーができなくなると、細胞内に不要なタンパク質などが蓄積し、がんやパーキンソン病など、さまざまな病気につながると考えられています。

20180901_tanakas_11.jpg

参考文献
1. Malcolm Whitman et al., Biochem. J., 247, 165-74 (1987)
2. Malcolm Whitman et al., Nature, 332 (14), 644-6 (1988)
3. Lewis C. Cantley et al., Cell, 64, 281-302 (1991)
4. Lucia E. et al., J. Biol. Chem., 274 (13), 8347-50 (1999)
5. Lewis C. Cantley, Disease Models & Mechanisms, 9, 911-6 (2016)

※コメントをする際は「ブログへのコメント投稿について」をご覧ください

※「名前」は、ハンドルネームでも構いません

コメントを残す