トイレと下水道

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みなさん、こんにちは。

今日もいいうんこ、でましたか?

 

さて、本日9月10日は「下水道の日」です。

1961年に下水道アピールのために決められました。

 

今回は下水道の日にちなみ、下水道にまつわる科学論争のお話をご紹介します。

時は19世紀、産業革命で大いに盛り上がるイギリス・ロンドン。

経済発展を続けるその一方で、ロンドンの街は最悪の状況に追い込まれていました。

職をもとめ、都市に集まる人々。しかし、当時のロンドンには下水道と呼ばれる設備がなかったのです。

うんちやおしっこは各家庭の「おまる」にして、所定の場所(といっても、道路の真ん中に掘られた浅い水路)に捨てる決まりになっていました。しかしわざわざすてに行くのがめんどうだと、おまるの中身を窓から外にぶちまけるという悪臭...じゃなかった、悪習がはじまったのです。

水に御用心!/ラトリン

水に御用心!ラトリン/大田区立 郷土博物館所蔵

街はうんこだらけ。

汚物がながれこむテムズ川の臭いは特にひどく、1858年は猛暑で耐えがたいものとなり、川のほとりにあった国会議事堂での議会が中止されるほどでした。

ちなみにシャーロック・ホームズの舞台もこの頃のロンドン。ホームズもワトソンもさぞ苦労していたことでしょう(架空の人物ですが)

「これはまじやばい!」

と、議会はロンドンの汚水をテムズ川の下流地域まで運ぶ下水網の建設を始めました。

そこまでほっとくというのもすごいと思いますが...。

 汚い街では病気が流行します。特にコレラはたびたび大流行をおこし、ロンドンでも多くの人が死んで行きました。当時の人はこの原因を悪臭から生まれる「瘴気」にあると考えていました。臭いを遠ざけるため、お香を焚いたり、タールを燃やしたり。

下水道で汚水を遠ざければ、臭いは発生しません。しかし、それにも関わらず、コレラは発生し続けたのです。

「本当にコレラの原因は瘴気だろうか?」

疑問を持ったのがロンドンの医師、ジョン・スノーでした。もしコレラの原因が瘴気であるならば、隣り合った地域で患者が多いところと少ないところがあるのはなぜだろう?

スノーが行ったのは、犠牲者が住んでいたところを地図に印をつけていくという作業でした。すると、見えてきたのは、特定の井戸や給水業者からの水を飲んでいる地域ではコレラの発生率が高くなっているという事実でした。コレラ患者は下水がまじった井戸水をのんでいたり、下水の排水口より下流の水をくんでいる給水業者から水をかって飲んでいました。

スノーは「コレラは水によって伝染する病気である」という説を打ち立て、上水道の整備を訴えます。しかし当時これは異端の理論でした。「瘴気説」はもはや常識に近い物だったのです。世間に認められないまま、1858年にスノーはこの世を去ります。

 

特にスノーの説を否定していたのが、ドイツ人科学者マックス・ペッテンコーファーです。

「近代衛生学の父」「環境医学の父」「実験衛生学の父」ともよばれ、下水道の重要性を説きました。

彼はコレラの原因は水ではなく土地にあると考えました。じめじめと湿ったような湿地帯ではコレラが多く発生していました。そこでペッテンコーファーはその土地の腐敗物質と排泄物が反応することでコレラの原因となる「コレラ瘴気」が生まれると考えたのです。その頃は錬金術から発達した化学により、様々な便利な物が生み出されていた時代でした。その一方で、「菌」や「ウイルス」はまだ発見されておらず、病気の原因は何らかの化学反応によるものと考えるのが「科学的な考え方」だったのです。

ペッテンコーファーは土壌に汚水が浸透することを防ぐために下水道整備を推進し、結果、ドイツではコレラや赤痢などの流行を止めることに成功しました。しかし、彼は「何の毒素が」「どういった仕組み」で発生するかを実証することはありませんでした。

このペッテンコーファーと異なる説を唱えたのが、ルイ・パストゥールと、ロベルト・コッホです。パストゥールは腐敗の原因が目に見えない微生物、細菌であることを発見し、加熱によって殺菌できるということを発見しました。コッホは細菌を識別できる顕微鏡を開発、今まで原因不明だった様々な病が種類の違う菌によって引き起こされるという事を突き止めました。

そして、とうとうコッホはコレラに感染した被害者から、病気の原因である「コレラ菌」を分離する事に成功したのです。

 当時、コレラ研究の第一人者で権威でもあり「瘴気説」を唱えるペッテンコーファーと、コレラの原因は菌であるとした「細菌説」のコッホは激しく対立。

「コレラは細菌などという訳の分からないもののせいで起きるのではない」という考えを実証するため、ペッテンコーファーは自らコレラ菌を飲み干すことまで行いました。ペッテンコーファーはコレラの症状を示しましたが、生き延び、コッホの細菌説を否定できたと考えました。

しかし、「実証」があるコッホと「理論」のみのペッテンコーファーの差は誰の目からみても明らかでした。

ペッテンコーファーの理論を支持する人は徐々に少なくなり、コレラ菌を飲んでから9年後彼は鬱病を発症、ピストル自殺によって亡くなりました。

 都市の衛生環境を振り返ったとき、ペッテンコーファーが推し進めた下水道整備は多くの人の命を救いました。実際に彼は公衆衛生分野で多大な業績を残したとして、イギリスからもドイツからも表彰されています。しかし、最新の学説が出てきたとき、彼はそれを受け入れることができませんでした。また、自らの説を主張しつつも、それを実証することもできませんでした。

私たちはいま、「答え」を知っている状態でペッテンコーファーを見ています。ですから、彼の正しさも過ちも分かります。

どんなに偉大な業績を残した科学者でも、間違うことはあります。そして、科学は一度の過ちで過去の業績を失ってしまうものではありません。

ペッテンコーファーは最終的には間違いましたが、とはいえ、下水道整備を進めた彼の偉業はきちんと評価されています。いまなお、下水道設備は都市の衛生管理には欠かせない物として機能しています。

しかし、ペッテンコーファーが下水道の整備を進めてから200年がたちました。人口もどんどん増え、当時はあまり考えることのなかった「エネルギー問題」や「持続可能性」といった課題に取り組まなければならない現在、このやり方は本当に最適の方法なのでしょうか?科学的に見たときに、もっといい方法はないのでしょうか?

 ぜひトイレに座ったときには、未来の下水処理についても思いをはせてみてください。いろんな考えのなかから過ちもうまれれば、とてもいい方法もでてきます。

 それでは明日もいいうんことアイディアがでますように!

さようなら。

 gesui.jpg

参考リンク

海外における下水道の歴史:国土交通省

http://www.mlit.go.jp/crd/sewerage/rekishi/04.html

 

参考文献

『世にも奇妙な人体実験の歴史』トレヴァー・ノートン著、赤根洋子訳、株式会社文藝春秋

『はばかりながら「トイレと文化」考』スチュアート・ヘンリ著、株式会社文藝春秋

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この記事への3件のフィードバック

科学論争の面白さ、間違っても世の中のためになる。でも本人は、うつ病になってしまう。ドラマチックだけど科学技術のありがたさが伝わるお話でした。
汚い街から生まれた道具の絵がとても良かったですね。

工学技術者さん

ありがとうございます。
コッホとコレラの話は有名なため、ペッテンコーファーは「若手の新しいアイディアを阻む、学会の権威」のステレオタイプとして語られることが多いようです。
個人的にはそれはどうなんだろうという思いがあり、今回ご紹介させていただきました。

いろんな道具については本当に「必要は発明の母」ですよね。
トイレの問題はまだまだたくさんあるので、今後も様々なトイレ関連のモノが生まれてくると思います。

男性が持っていたステッキもウンチを退けるためだったそうですね。
フランスでは今でもウンチだらけですが、慣れるといまく避けて歩けるようになるそうです。

江戸の町では上下水道が完備されていたそうですね。それに今のウォシュレットを見ると世界の中でも一歩前に行っているように思います。

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