2017年ノーベル化学賞を予想する

③ プロトン共役電子移動

こんにちは!科学コミュニケーターの梶井です!

2017年ノーベル賞の受賞者発表まであと1週間を切りました! 科学コミュニケーターブログも例年通りノーベル賞の話題で大盛り上がりです。

今年の生理学・医学賞と物理学賞の予想記事は2テーマですが、化学チームではもう1つあげます!(紹介したいテーマがたくさんあるのです......)

ということで、2017年の未来館のノーベル賞受賞予想のトリとして私が紹介する方はこちら!

(写真提供: Prof. Thomas J. Meyer)
トーマス J. マイヤー(Thomas J. Meyer)博士
ノースカロライナ大学チャペルヒル校 特別教授

とてもステキなお写真です! マイヤー先生は多くの素晴らしい研究をされているので、どのテーマでノーベル賞候補として紹介するか本当に悩みました......が!やはり紹介するならこちら!!

プロトン共役電子移動
(Proton-Coupled Electron Transfer: PCET)
の発見

この文字列を見てウィンドウを閉じようと思った方、ちょっと待ってください!
たしかに、呪文のような言葉でビックリしたかと思います。
実際に、完全に理解することはとっても難しい内容です。
しかし!PCETは、私たちの身の回りで当たり前のように起きている超重要な現象なのです!

今回の記事では、皆さんが少々(?)マニアックな世界に足を踏み入れやすくなるよう、数式などの難しいことには(あまり)触れないでお話しします。ぜひお付き合いください。

お待たせしました!本編の始まりです!

■プロトン?電子?共役?-まずは単語の整理から!

はじめに、呪文のような言葉をひもとくことから始めましょう。 中学~高校で下のような図を見たことがあると思います。

原子の中心には「陽子」と「中性子」からなる原子核があり、陽子が持つプラスの電荷を打ち消すように、マイナスの電荷を持つ「電子」が固有の軌道上にあります。上の図の水素(1H)には例外的に中性子がありませんが、今回、そこはあまり重要ではありません。

電子には接着剤のように原子と原子をつないで結合を作る役割があります。 今回の話の中では、その結合を切って化学反応を起こすためには電子の移動が欠かせないということを覚えておいてください。

陽子のことを英語で「プロトン(proton)」と言います。水素原子(H)からマイナスの電荷をもつ電子を取ったものともいえるので、しばしばH+と書かれます。そして、共役は「対になって」という意味です。

プロトン共役電子移動をごく簡単に説明すると、文字通り、「電子の移動が起こる際にプロトンも一緒に移動する現象」となります。

ただし、単純に電子とプロトンが一緒に水素原子として移動するのではないことが注意点です。PCETの肝は、下図左のように電子とプロトンの行き先がそれぞれ異なることです。

■プロトンがいると電子移動が楽ちん?

結論からいうと、電子移動にプロトン移動が伴うことで、電子移動が効率的に行われる、つまり化学反応が効率的に起こるのです!

化学反応はよく山登りに例えられます。 つまり、反応前の状態から反応後の状態に行くためには、途中で山のように登るのが大変な障害を越える必要があります。

例えば、空気中には酸素(O2)と窒素(N2)が大量にあるのに、なぜそれらが反応して大量の窒素酸化物(NOx)ができないのか不思議に思ったことはありませんか?それは、この山が高すぎることが主な原因です。

では、この山を低くするにはどうすれば良いのでしょうか。

プラスとマイナスは相性が良くて、プラス同士、マイナス同士は相性が悪いという基本的な考えを思い出してください。

マイナスの電荷を持つ電子が移動しにくいならば、プラスの電荷を持つプロトンが近くにいれば良いのです!

前に出したPCETの図をイラストにするとこんな感じでしょうか?

先ほどの山登りの例にすると、プロトンが近づくと山が低くなるイメージです。

PCETはいくつかに分類できますが、ディープな話をするとキリがありません。また、混乱を招いてしまう恐れもあるので、これ以上は踏み入れないようにします。

ここまでを整理してみると......

①PCETはプロトン移動が伴う電子移動

②プロトンと電子は別々の場所で受け取られる

③プロトンの手助けがあると電子移動が楽ちんになる

次は、PCETがどんなところで活躍しているかをみてみましょう。

■私たちの中でもPCET!

皆さんにPCETを身近に感じてもらうため、私たちの体の中で起きる反応を1つ取り上げてみます。

私たちの生命活動はタンパク質によって支えられています。タンパク質のうち化学反応を促進し、繰り返し使える能力(触媒能)のあるものを酵素と言います。私たちは食べ物を消化・吸収してエネルギーに変えていますが、そこで活躍しているのも酵素です。

その1つ、シトクロムc酸化酵素(CcO)は、呼吸で取り入れた酸素分子を水へと変換する酵素であり、この反応で生じたプロトン勾配を利用して生体内でエネルギーの通貨と呼ばれるATPが合成されます(生物は身体を動かしたりするときに、このATPからエネルギーを取り出して使います)。

CcOによって酸素分子が水に変わるときの反応を単純に書くと上のようになりますが、実は、少し詳しく書くと下図のような複雑な反応です。PCETはこの複雑な反応を進める上で重要な役割を果たしています。

※参考文献(5)の図22.27(p653)を参考に筆者が作成したものです(クリックで拡大できます)。 図中のFeは鉄、Cuは銅、Y-OHはチロシンというフェノールを有するアミノ酸を表しています。

この他にも光合成やDNA修復などなど、PCETが重要な役割を果たしていると考えられている生命現象が身の回りにはあふれています。

生命現象には複雑でまだまだ多くの謎が秘められています。PCETを理解するということは、私たちの生命活動に直結するような現象をより深く理解することにつながるのです!

■マイヤー先生はどんな貢献をされたの?

マイヤー先生はいち早くこの現象の重要性に気づき、1981年に、以下に示すルテニウム(Ru)という貴金属イオンを含む金属錯体を用いて、この反応機構を世界で初めて実証しました。
(※金属錯体とは、金属原子に有機化合物などがついた物質です。それらの組み合わせ次第で固有の性質をもつことができ、工業的な触媒や顔料、生体内化学反応の中心部など、さまざまな形で活躍しています。)

PCETを実証した際に用いた金属錯体、cis-[Ru(bpy)2(py)(O)]2+

この実証を皮切りに、多くの研究者によって研究が進められPCETの理解は大きく前進したのです。

先ほど、「PCETの理解は身の回りの現象の理解につながる」と言いましたが、それだけではありません。

理論がわかるということは、その理論に従って研究を進めることが可能になることを意味します。つまり、PCETを理解することで、より効率的に反応を進める触媒分子の設計や反応機構を明らかにする研究などにもつながるのです。

いかがでしたか? 「プロトン共役電子移動」という少々(?)マニアックな現象が少しでも身近に感じてもらえていれば幸いです。 (もっと詳しく知りたいという方は、参考文献の(1)~(3)を読んでみてください)。

冒頭でも書きましたが、マイヤー先生はPCET以外にも多くの業績をお持ちです。

例えば、天然の光合成システムを参考に、私たちに有用な化合物を生み出す「人工光合成」という分野にも大きな影響を与えています。

↑詳しい反応機構等は省きますが、ブルーダイマーと呼ばれる、水を酸化して酸素を発生させることが可能なRu錯体であり、人工的に合成された金属錯体では世界初の例となります。人工光合成のマイルストーンの1つと言われているほどの研究です。

個人的には、人工光合成、あるいはもっと大きく「エネルギー課題への貢献」というテーマでの受賞も十分にあり得ると思います。

このように人類に貢献されているマイヤー先生は、ノーベル化学賞を受賞するにふさわしいと私は考えます。

余談となりますが、今回このテーマを紹介した個人的なもう一つのモチベーションは、化学系以外の方がPCETに触れるきっかけになれば良いなという思いです。説明したように、PCETは私たちの身体の中で起きている反応でも利用されているので、化学系はもちろん生物系の研究でも今以上に注目されるはずです。

化学賞は受賞内容の予測が困難と毎年言い訳のように言われています。 たしかにそれは事実ですが、違う考え方をすると前後でいろいろな世界を知ることのできるチャンスでもあります。

今年の未来館化学チームは、化学系のポスドクまで進んだ鈴木、生物系出身の森脇、地学系の伊藤、おまけで梶井。過去最高レベルに濃い布陣です。

ぜひ、私たちと一緒に2017年のノーベル賞を楽しみましょう!

【参考文献、関連リンク】
(1) My Hang V. Huynh; Thomas J. Meyer. Chem. Rev., 2007, 107, 5004-5064.
(2) Thomas J. Meyer et al. Chem. Rev., 2012, 112, 4016-4093.
(3) 西原寛; 市村彰男; 田中晃二 編著. 錯体化学会選書9「金属錯体の電子移動と電気化学」.三共出版, 2013, 244p.
(4) 増田秀樹; 福住俊一 編著. 錯体化学会選書1「生物無機化学」.三共出版, 2005, 403p.
(5) ヴォート生化学(上)第4版. 東京化学同人, 2012, 673p.
(6) 光化学協会 編; 井上晴夫 監修. 「人工光合成」とは何か. 講談社, 2016, 238p.
(7) マイヤー先生の研究グループのHP(※英語です) https://meyergroup.web.unc.edu/ (リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)

【謝辞】
最後となりましたが、本記事を執筆するにあたり筑波大学 数理物質系 化学域の小島 隆彦(こじま・たかひこ)教授、小谷 弘明(こたに・ひろあき)助教にお世話になりました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。
小島研究室のHP: https://www.chem.tsukuba.ac.jp/kojima/Site/Site/Home.html (リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)


2017年ノーベル賞を予想する

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