2019年のノーベル物理学賞はカナダのジャームズ・ピーブルス博士(James Peebles)、スイスのミシェル・マイヨール(Michel Mayor)博士、その弟子のディディエ・ケロー(Didier Queloz)博士に贈られました。
ピーブルス博士は宇宙の理論的な研究、マイヨール博士とケロー博士は太陽系の外にある惑星「系外惑星」の発見をした方々です。賞金の半分はピーブルス博士に贈られ、その残りの半分をマイヨール博士とケロー博士が分けます。
ピーブルス博士は初期宇宙がどのようにできていたかを研究していました。宇宙マイクロ波背景放射の観測でも重要な貢献をしています。ビッグバンからどのように宇宙ができていたのか、元素がどのようにできたのかの理解に関する研究などがあります。宇宙背景マイクロ波放射に関してはすでに観測のチームがノーベル賞を受賞しています。ですが、ピーブルス博士の理論的な計算がなければ、観測も難しかっただろうといわれています。未来館の科学コミュニケーション専門主任の池辺靖によると「もうずっと、この人がまだ受賞していないなんて!という状態だった」そうです。
系外惑星の発見に関しては、2015年に科学コミュニケーターの谷明洋さんが受賞を予想して、受賞した場合の予定原稿を残していました。以下にその原稿を転載します(なお、谷さんは現在は会社員をしつつフリーランスの科学コミュニケーターをしています)
元・未来館の科学コミュニケーター谷明洋さんによる原稿
マイヨール博士とケロー博士は1995年、恒星の周りを回る太陽系外惑星を初めて発見しました。スイス・ジュネーブ天文台で、マイヨール博士が、当時大学院生だったケロー博士を指導していた、という関係です。
概要は、2015年9月23日の予想記事から、大きく外れてはおりません。
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/201509232015-5.html(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)
内容をざっくりとまとめると、
・太陽系外惑星は、太陽以外の恒星(=夜空に輝く星)を回る惑星。
・マイヨール博士とケロー博士が1995年、はじめて(*)発見した。
・「生命が住む惑星が、宇宙のどこかにきっとある」ということを示し、人類の宇宙観を大きく更新した。
ということになります。
*「初の太陽系外惑星の発見」は、この3年前の1992年、ポーランド出身のアレクサンデル・ヴォルシュチャン博士によってなされました。ただし、中心にあったのは太陽のような恒星ではなく、「パルサー」と呼ばれる超新星の残骸でした。
【恒星のドップラー効果を観測し、惑星を見つける】
続いて、マイヨール博士らが太陽系外惑星を発見した手法「ドップラー法」について説明します。手法に興味のない方は、【それは"常識"はずれの惑星だった】まで読み飛ばしていただいてもOKです。
太陽系外惑星は遠く、小さく、暗い天体です。おまけに、すぐ近くにある恒星の光も邪魔となり、当時の技術では直接観測することができませんでした。(まぶしい太陽の近くにある小さな地球の存在に、ずーっと遠くの星から気付くのは難しそうでしょう?)。
そんな太陽系外惑星は、「ドップラー法」によって発見されました。惑星ではなく恒星の色を観測することで、惑星の存在を突き止めたのです。
順番に、説明します。
惑星は、恒星の周りを回る天体です。が、少々強引な表現をすると、恒星も惑星を"回っている"のです。地球と太陽をイメージしながら、下の図をご覧ください。
恒星(中心)の回りを惑星が回っているように見えるが、重心を中心として恒星もわずかに円運動している。
地球は太陽の周りを回っています。しかし、正確には太陽を中心とするのでなく、太陽と地球の重心を中心に、互いに周り合っているのです。(イメージしにくかったら、頭の中で地球を大きくしてみてください。地球が太陽より一回り小さい程度にまでなると、片方だけが回っているのは不自然な気がしてきませんか?)。
遠くに輝く恒星のわずかな円運動を直接観測するのはやはり、困難です。しかし、この円運動を図のように上からではなく、真横から見たとしたら。恒星が周期的に近づいて、遠ざかります。これによって生じる光のドップラー効果を観測するのです。
【救急車で考えてみると...】
ドップラー効果を、救急車で考えてみましょう。想像してください。少し離れたところに、円を描いた道路があり、救急車が走っています。サイレンの音色は、円の手前に向かうときに高くなり、奥に向かうときには低くなります。このサイクルが続きます。
サイレン音が、恒星の光に変わっても、考え方は同じです。近づいてくるときには波長の短い青っぽい色に、遠ざかるときには逆に赤っぽい色に、ちょっとだけ色が変化するのです。
ドップラー法。恒星の光を救急車のサイレンに変えてみると、想像しやすいでしょうか。
逆に考えれば、周期的でなめらかな色の変化は、円運動の証。そして恒星の円運動は、周りに惑星があることの有力な証拠となります。これが、ドップラー法。マイヨール博士らは、ペガスス座に輝く51番星の色の変化を検出することに成功し、太陽系外惑星の存在を指摘しました。
【それは"常識"はずれの惑星だった】
マイヨール博士たちはなぜ、複数の科学者グループが探していた太陽系外惑星の、第一発見者になることができたのでしょうか?
ひとつに、「運」があったでしょう。たとえば、やはりドップラー法で21個の恒星を10年以上も観測し続け、1995年8月(奇しくも、マイヨール博士らによる報告の直前)、「太陽系外惑星は存在しない」と結論づけたカナダのグループもありました。
そしてもうひとつ。見つかった惑星が、いや、広い宇宙にある惑星の姿が、太陽系の常識からかけ離れていたことが、マイヨール博士らと、ライバルたちの命運を左右しました。
多くの科学者が念頭に置いていたのは、太陽系の姿。水、金、地、火、木、土、天、海、冥(当時は惑星でした)と、小さい惑星が太陽近くにあり、木星や土星といった大きな惑星は離れたところを長い周期で回っています。太陽系外惑星でも見つけやすいのは大きな惑星。多くの科学者たちが、数年周期(たとえば、木星は約12年で一周します)の色の変化を検出しようとしていました。
しかし見つかったのは、①中心にある恒星にとても近く(太陽系に持ってくると水星よりずっと内側)を、②わずか101時間で公転する(つまり1年が101時間の)、③質量が木星並に(地球の10倍くらい)大きい----という想定外の天体だったのです。
マイヨール博士たちは太陽系外惑星ではなく、連星(恒星同士が回り合っている天体)の観測をしていたので、短周期の運動に気がつくことができたのです。
【本人たちも「全く信じられなかった」】
マイヨール博士とケロー博士がペガスス座51番星の奇妙な色の変化に気付いたのは、1994年9月のこと。「全く信じられなかった」。2人は最近のインタビューでも、そう述懐しています。そこで必要になるのは、「本当にそんな惑星が存在し得るのか」という検証。さまざまな他の可能性(恒星の自転や脈動など)を排除していくための時間が必要でした。
「他の誰かが同じ発見をすることも簡単に思えたし、それを恐れていた」(ケロー博士)。さらなる観測をしたくても、秋の星座であるペガスス座の星は、春には見えません。夏の夜明けの東天に、再び51番星が現れるのをどれだけ待ち焦がれたでしょうか。95年の7月、9月の観測で惑星である確信を抱き、10月6日、イタリア・フィレンツェでこの発見を報告したのです。
<参考サイト>
https://nccr-planets.ch/i-could-not-believe-it/(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)
以上、谷明洋の原稿でした!
ピーブルス博士、マイヨール博士、ケロー博士、関係者の皆さま方、おめでとうございます!