益川先生からのメッセージを受け取った子どもより

 ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英先生が723日にお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。私は高校二年生のときに益川先生の講演を伺う機会があり、そのとき深く印象に残った言葉によって科学の世界へといざなわれました。そんな私の個人的体験を、益川先生が子どもに与えた初期衝動の一例として皆さんと共有することで、次の世代の子どもたちにも先生の意思を残してゆく一助となればと思い一筆したためさせていただきます。

高校生よ、未来の科学者へ!京都大学理学研究科 益川敏英名誉教授および教授5人による講演会(数学、物理、化学、生物、天文)未来の科学者への扉(2010年8月)
https://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/news_data/h/h1/news4/2010/100808_1.htm

 ちょうど今から11年前に、高校生が京都大学の研究活動へ参加するための選抜プログラムの一環としてこのような講演会がありました。これは益川先生を筆頭にさまざまな先端分野の研究者の方々が講演を伺い、後日講演に関する小論文や数学の試験を受けて、選ばれた高校生は研究活動に参加できるというプログラムでした。私は数学の試験が全く分からず選抜に落ちました。

 益川先生の講演は「科学とあこがれ」という題で、先生ご自身の研究の内容と科学の世界へいざなうメッセージをお話になりました。私は数学が解けなかったのみならずこの講演で紹介された科学的な知見もさほど理解できず、内容に関して今や思い出せることは「(イオンの粒子を加速させる装置である)サイクロトロンを一回動かすと宇治市の一日あたりの電力消費量と同じくらいの電力を使う」だとか、友人たちと帰り道に「(アニメ『機動戦士ガンダム』などに登場する兵器の)荷電粒子砲を撃つためにかかる電気代が高そう」と話していたとか、そのような枝葉の話くらいです。

 ただ益川先生が講演中の言葉で「まあ、君たちには分からないかもしれないけれどロマンが伝わればいいよ」と仰っていたことだけは印象に残っていました。私は、なんだかよく分からないけれど凄い研究をしている先生が「ロマンだけでいい」と言い切ってしまうことや「ここまでの講演は何だったのだ」という元も子も無さに得も言われぬエモさを感じ、「あこがれやロマンで知りたいことを知る道を歩けるのならば楽しいだろうな」とだけ感じたことを覚えています。

 ちなみに本記事を執筆するにあたり、一緒にこの講演会へ参加した友人に当時のことを聞いたところ「ブラックホールなのに高速で物体が出ていっているという話が印象に残っている、ブラックホールから出ている上下のアレが何なのか疑問に思っていたことが少し解決したから覚えていた」と言っていました。私とは大違いですね。

ブラックホールから出ている”上下のアレ” Wikipedia Commons, public domain

 それから11年。難しい数学も解けなければ講演の内容も分からなかった私は、知りたいことを知るというロマンを追ううちに、気付いたら難しい数式をこねくり回す研究をして博士号を取得していました。研究者としてはまだまだですので益川先生と比較することもおこがましいですが、もしもいま私が「高校生に向けて講演をせよ」と言われたなら数式の話はさておいて益川先生と同じように「分からなくていいけどロマンが伝わればいいよ」と語るだろうと思います。

 そのような日々を経て今思うと、益川先生が「君たちには分からないかもしれないけれど」と仰っていたのは高校生の知識レベルや素粒子物理研究の難解さに対するハードルへの懸念ではなく、「自分がロマンを感じたことを知るために歩んできた道の先にある景色は歩んだ者だけに見えるのだ」という意味にも感じられます。自分が好き好んで知ろうとしたことの面白さは、本質的には伝えようがないのです。

 ともすれば益川先生が子どもたち、当時の私を含む高校生に期待なさっていたことはきっとロマンやあこがれから「自分が知りたい、誰も知らないことを知るための道」の入り口を見つけることで、もしも手ぶらで歩き始めても、例えば科学の世界でいう知識や数学を解く能力のような道具は後からついてくるものなのだと思います。私がそう語ると、数学の試験が解けなかったことへの自己弁護のようですが。

 こちらの記事で紹介されている、未来館で行われた小学生を対象としたイベントへ益川先生にお越しいただいた際のエピソードからも、自分の好きなことや熱中できることを見つける大切さを子どもたちへ語っていらしたことを読み取ることができます。

益川先生から、子どもたちへのメッセージ
https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20210730post-427.html

 益川先生が私たちに遺してくださったのは素粒子物理研究における発見であると共に「ロマンを探求する道を歩んだ先で見える景色の心地よさ」で、私は素粒子物理の世界にこそ進みませんでしたが、そんな自分にしか見えない景色を求める道へいざなわれた子どもたちの一人でした。

 あなたのあこがれ、ロマンはどこにありますか?

日本科学未来館企画 空間インスタレーション「ひらめきの庭」にて展示された益川先生の言葉(2020年8月)

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