よりぬき科学コミュニケーター相談「素朴な疑問編」

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昨年の夏休み期間、わたくし科学コミュニケーター福井が未来館展示フロアにて、来館者から科学に関するどんな質問にでも答えまくるという無茶な企画、「夏休み科学コミュニケーター相談」を開催しました。この度、いただいたたくさんの質問の中から、特に味わい深いものをピックアップしてブログにてお届けしたいと思います。よりぬき科学相談、第二弾は「素朴な疑問編」でお送りします。素朴な謎に隠された深い真実をさぐりましょう。

まずは食べ物の話題。

「ゴーヤはなぜ苦いの?」

ゴーヤはなぜ苦いか、それはゴーヤの中にモモルデシン、チャランチンなどの「苦味物質」が入っているからです。おわり!・・・というわけにはいきませんね。ではなぜゴーヤは実の中に苦味物質を含んでいるのでしょうか?その秘密は「果実」の役割にあります。

ゴーヤはツルレイシという植物の果実です。果実をつける植物はたくさんありますが、そもそも植物は何のために果実をつけるのでしょうか?人間や動物に食べてもらうため、というのは半分正解ですが半分不正解です。なにも植物は親切心から、タダで人間や動物に果実を恵んでくれているわけではありません。

果実と、その中にある種子は花が受粉したのちに、徐々に成長してゆきます。種子が成長し、堅い殻が完成したタイミングで果実は熟して甘くなり、色も緑から赤や紫などの目立つ色に変わり、甘い芳香を放ちます。目立つ色と香りで動物を呼び寄せているのです。

そして、甘く熟した果実を食べた動物は遠く離れた場所でフンをします。果実は動物の体内で消化吸収されますが、その中にある種子は堅い殻で守られているため、消化されることなくフンとともに排出されます。フンという肥料付きで遠くに運ばれた種子は、日当たりなどの条件が良ければ立派に育ち、再び次の世代の果実と種子をつけることになります。脚も翼も持たない植物は、果実を文字通り「エサ」に動物を「運び屋」として使い走らせているのです。

しかしながら、もし種の殻が完成する前の果実が食べられてしまうと、肝心の種子ごと噛み砕かれて消化吸収されてしまいます。植物にとっては完全な「食べられ損」になってしまうのです。そこで、植物は未熟な種子を守るために、熟す前の果実を苦味物質や毒、物理的な堅さなどを用いて動物から守っています。緑色の果実は「今食べても堅くて不味いよ!」、赤や紫の果実は「食べて!」というサインなのです。

もちろん、これは植物が意識をもってやっていることではなく、「未熟な果実には緑色の果皮と苦い果肉を、熟した果実には鮮やかな果皮と甘い果肉を持たせる性質をもった遺伝子の組み合わせ」が自然選択によって生き残った、生物進化の結果です。

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ここまでくればお分かりかと思いますが、普段食べるゴーヤは緑色、すなわち未熟な果実です。ゴーヤを調理したことがある方はご存知かと思いますが、ゴーヤに含まれている種子は柔らかくて未成熟です。緑のゴーヤは未熟な種子を苦味物質で守っているのですね。そんなわけで、人間はあろうことか、「不味くさせる」ための苦味を好き好んで食べているわけです。ゴーヤにとっては身を守るために備えた苦味が、かえって人間を引き寄せてしまい、さらに皮肉にも栽培植物として繁栄しているのですから、ゴーヤもさぞかし苦笑いといったところでしょうか。

緑色の未成熟な果実を野菜として食べている例は、他にもキュウリやピーマンなどがありますが、どれも独特の苦みやえぐみがあり、苦手としている子供が多いですね。子供の味覚のほうが動物的に素直なのかもしれませんね。

ちなみにゴーヤも完熟すると黄色くなり、苦味と堅さが取れて甘くフルーティーになります。「完熟ゴーヤ」で検索するとレシピもたくさん出てきますよ。

「食」に関して、次の質問

「身体に悪いものはどうしておいしいの?」

確かに、身体に悪いとされているもの(脂っこいものや甘いもの)はおいしいですよね。

人間はなぜカロリーの高い食べ物が好きなのか、その理由には脳の進化が関係しているかもしれません。

人間は、数百万年の間に、進化によってどんどん脳が大きくなりました。巨大化した脳は人間に賢さを与えましたが、その見返りに一日中大量のエネルギーを要求するようになりました。現生人類の場合、脳が体重に占める割合は約2%ですが、一日のエネルギー消費の約20%を脳で使っています。生まれたての乳児であれば、実に安静時の消費カロリーの60%を脳で使っています。

脳は精神活動だけではなく、生命維持に必要な臓器の活動もコントロールしているので、エネルギー切れを起こすわけにはいきません。もしも絶対にエンジンを切ることが出来ず、絶対にガス欠を起こしてはいけない車があったとすれば、一番単純で確実な対策は、なるだけ大きな燃料タンクを用意して可能な限り一杯の燃料で満たしておくことです。人体の場合、最も大容量の燃料タンクは脂肪組織です。

そこで、いつからかは定かではありませんが、人類は他の霊長類(体脂肪率3%~10%程度)に比べて格段に多い脂肪(男性15%、女性20%程度)を蓄えるようになりました。高い体脂肪率を維持するため、エネルギーの多い甘いものや脂っこいものが手に入った時は食べられるだけ食べるように、美味しく感じるようになったのかもしれません。

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この、甘く脂っこいものを好み脂肪をため込む性質は、人類史上つい最近まで「飢餓への保険」として有効に働いていました。逆に「栄養の貯めすぎ」が原因で、生活習慣病によって淘汰されることなど、(生命史的にはつい最近まで続いていた)狩猟採集生活時代には決してあり得ないことでした。それゆえに、人間の遺伝子は「栄養の貯めすぎによる害を阻止するシステム」をほとんど持っていません。言い換えれば、栄養の取り過ぎによる害を防ぐには、現状では個人の意思に頼るしかなさそうです(遺伝子からの命令ではなく!)。

人体つながりで次の質問

「なぜ人の目には白目があるの?」

確かに、人間のように白目が外からはっきり見える動物は他にいませんね。人間をのぞく霊長類を含め、多くの動物は通常の姿勢で白目を見せることはありません。人間だけに白目がある理由はいくつかあります。

1)強膜が白い 眼球のうち、白目に相当する部分を「強膜」といいます。人間の強膜は白い一方、人間以外の霊長類は黒い強膜を持ちます。言ってみればサルは「白目が黒い」のですね。生物学的にフェアな言い方をすれば、「霊長類のなかで人間だけが例外的に白い強膜をもっている」ということになります。

2)黒目が小さい 人間の眼球は黒目(虹彩が外から見える部分)が比較的小さいので、白目が外から見えやすくなっています。ネコの巨大な黒目と比較すると一目瞭然ですね。

3)まぶたが切れ長 人間のまぶたは他の動物と比べると異様なほど横に切れ長になっています。そのため両端に白目が露出します。

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上の3つの理由は、「どのような仕組みで」というメカニズム的な理由ですが、興味深いのは「どのような理由で人間だけが白い白目をこれ見よがしに見せているのか」という根本的な原因です。

白目が外から見えることの、機能的な意味は「自分の視線が他者に分かる」ことです。逆に白目が見えなければ、どこを見ているのかはバレにくくなります。

「視線がバレる」ことの不都合は、捕食者に狙われたり、群れの中で闘争になったりしたときに明らかになります。捕食者に鉢合わせしたときには逃走ルートが視線からバレて先回りされてしまいますし、ライバルと闘争するときは視線から攻撃パターンを読まれてしまいます。

一方、「目は口ほどに物を言う」ということわざがあるように、人間は視線をコミュニケーション手段として使います。試しに周りに人がいる状況で、突然びっくりした素振りである方向に視線を向けてください。周りの人は皆同じ方向を向くはずです。目を合わせたり逸らせたりといった感情表現の手段としても視線は欠かせません。

人間以外の霊長類の強膜が黒いことから、人間の祖先もかつては黒い強膜を持っていたはずです。知能が発達し、人間同士のコミュニケーションの重要度が上がるにつれ、視線が敵にバレることのデメリットよりも、仲間とアイコンタクトできるメリットのほうが大きくなり、白目を持つようになったのでしょう。

ちなみに人間が真っ黒なサングラスをかけると威圧的な印象になることがありますが、「視線によるコミュニケーションを拒否し、攻撃方向を読ませない」信号だと考えると納得ですね。

次は人間に関する質問

「どうして、練習すると楽器やスポーツが上手くなるの?」

素晴らしい質問です。こういう、「当たり前過ぎて誰も疑問に思わないこと」に疑問を感じるセンスは科学の発展に欠かせません。

確かに、人間は楽器やスポーツに限らず、たいていのことは練習や経験を繰り返すことで少しずつ上達しますね。パソコンやスマホであれば、プログラムをインストールすればすぐに100%のパフォーマンスを出せますが、人間はなぜ練習が必要なのでしょうか。この秘密は、人間の心の仕組みに隠されています。

人間の心の働きは、大きく二種類に分けられるということが、多くの心理学者や認知科学者から提唱されています。呼び名は提唱者により色々ですが、内容的には

1)分析的、意識的な心のシステム

2)直感的、無意識的な心のシステム

の二つです。普段、私たちが自分を自分と認識しているのは1)の意識的システムです。このシステムは汎用的で、様々なタスクに対応できる反面、処理速度は遅くて疲れやすく、同時に複数のタスクは実行できません。一方、2)の無意識的システムは、脳の中にモジュール的にたくさん準備されています。パソコンの中にアプリケーションプログラムが無数にインストールされている様子を思い浮かべてください。この中には他人の顔を識別するシステム、自転車を運転するシステム、異性に注目を向けるシステムなどが含まれます。こちらは処理速度が速くて複数のタスクを同時にこなすことができますが、動作の内容を意識的にコントロールすることはできません(意識的システムが、使う無意識的システムを切り替えることはできます)。

さて、楽器にせよスポーツにせよ、初心者の内はあらゆる動きを意識的にコントロールしなくてはいけません。意識システムは処理速度が遅く、同時に複数のことが出来ないので、単に動きがぎこちないだけではなく、楽器の演奏では楽譜に集中すると指運びがおろそかになり、スポーツの試合では身体の操作に精一杯で戦術にまで頭が回らない、ということになってしまいます。

一方、上級者は技術のほとんどを無意識的システムでまかなっています。無意識的システムには、生まれつきインストールされているもの(本能的欲求や基本的な体の使い方など)だけではなく、後天的にインストールされたもの(言語や自転車のこぎ方など)もたくさんあります。ただし後天的な無意識システムのインストールには長い時間がかかります。楽器の演奏やスポーツでは反復練習が欠かせませんが、これは技術を無意識のシステムにインストールするためなのです。高度な技術を無意識システムに完全に移行できれば、なめらかで素早い動きが出来るだけでなく、例えば試合中に身体操作は無意識システムに任せながら、意識システムを使って相手の裏をかく戦術を考える、といったこともできます。

そんなわけで、私たちの普段の心の中でも、

意識的システムが必要に応じて無意識的システムを呼び出す

意識:「ここから駅まで移動するには自転車が一番便利だな、よし自転車に乗ろう」
無意識:<自転車を運転>

あるいは、無意識的システムが提示した情報に対し、意識的システムが判断を下す

無意識:<お腹がすいた>
意識:「ラーメンを食べたいけど、ダイエット中だからざるそばで我慢しよう」

といったプロセスが常に進行しています。

ふたつの「なぜ」

今回は4つの「なぜ」にお答えしましたが、「なぜ○○は××なのか」という質問は、二つの意味にとらえることができます。一つは、「どのような仕組みで」、もうひとつは「どのような理由で」です。たとえば、先述の「なぜゴーヤは苦いのか?」であれば、「どのような仕組みで」の答えが「モモルデシンなどの苦味物質をもっているから」、「どのような理由で」の答えが「未熟な果実を守るため」になります。

実は、科学は一般的に「どのような仕組みで」という疑問にしか答えられません。例えば、地球が「どのような仕組みで」出来たのか、科学者は答えられますが、「どのような理由で」出来たのか、科学者は答えられません。「どのような理由で」何かが存在しているのか、という疑問はどちらかというと哲学や宗教の守備範囲となってしまいます。

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その点、生物学は「どのような理由で」という疑問に答えることができる、科学の中では例外的な分野です。そしてこれが生物学の一番の醍醐味だと私は思っています。もっとも、実際には生物学の「どのような理由で」という疑問も、進化理論を使うと「どのような仕組みで」という疑問に落とし込むことができます。ゴーヤの例でいえば、


<「未熟な果実には緑色の果皮と苦い果肉を、熟した果実には鮮やかな果皮と甘い果肉を持たせる性質をもった遺伝子の組み合わせ」が自然選択によって生き残った>


というのが、「どのような理由で」ゴーヤが苦いのかという疑問の答えを、「どのような仕組みで」に落とし込んだものになります。

ここで、生物学も正真正銘の科学になったとも言えるのですが、「そうではない」という声もちらほら・・・。その理由については、また機会があれば・・・。


関連リンク

よりぬき科学コミュニケーター相談「こころ編」
https://blog.miraikan.jst.go.jp/other/20190408post-851.html