先日、バドミントンをプレー中にアキレス腱を断裂(18年ぶり2回目)し、もっぱらデスクワークの日々を送る科学コミュニケーター福井です。ちなみに松葉杖生活では7年ぶり3回目の快挙(前回は骨折)となります。
「受領は倒るる所に土をつかめ(転んでもただでは起きるな)」との古の諺もあるので、この怪我を機会にひとつ筆を執ってみた次第であります。
実は痛くない!?アキレス腱断裂
アキレス腱を断裂すると、「バンッ」と大きな音が鳴り、糸が切れたマリオネットのように倒れこみます。それもそのはず、アキレス腱はふくらはぎの筋肉(腓腹筋とヒラメ筋)とかかとの骨をつなぐ、「足の踏ん張り」の要所なのです。アキレス腱を切ってしまうと、踏ん張る力がゼロになるので立つことができません。また「痛かったでしょう?」とよく言われますが、アキレス腱そのものには痛覚神経が通っていないので、痛みはほとんどありません(腱の周囲の出血や炎症があるので全く痛まないわけではありません。アキレス腱断裂時の痛みには個人差があります)。
アキレス腱はなんのためにある?
さて、名前の由来であるギリシア神話の英雄アキレウスの伝説から、致命的な弱点の代名詞となったアキレス腱、いったい何の役に立っているのでしょうか?サバンナで狩猟採集をしていた大昔であればもちろんのこと、現代でさえ時と場所によってはアキレス腱の断裂はそのまま死の宣告となります。「腱」は筋肉と骨格をつなげる装置として体中にありますが、アキレス腱のように長く太く、かつ大きな負荷がかかる腱は他にはありません。このような弱点をつくってまでして、長く太いアキレス腱にしたことのメリットは何があるのでしょうか。
実は、ヒトは霊長類の中では例外的に長大なアキレス腱を持っています。ヒトのアキレス腱は10cm前後の長さがありますが、ヒトの近縁種であるチンパンジーのアキレス腱は1㎝しかありません。このアキレス腱の長さの違いは、ヒトの祖先のライフスタイルに由来すると考えられています。約190万年前ごろから、私たち現生人類の祖先を含む初期ホモ属(いわゆる原人)が、ヌーなどの大型動物の狩猟をはじめたことが分かっています。
まだ弓矢や鋭い投げ槍などの優秀な飛び道具を持たず、獲物とする大型哺乳類に俊敏性で圧倒的に劣るそのころの人類は「持久狩猟」と呼ばれる戦略をとったと考えられています。すなわち持久走を武器にした狩猟方法です。短距離走では獲物とする動物に全く歯が立たない人類ですが、優れた持久力で暑い日中に獲物がオーバーヒートで倒れるまで粘り強く追い続け、仕留めることができました。日中のサバンナではほとんどの動物は暑さをしのぐため日陰で休んでいます。ですが、人類は直立二足歩行によって日光を受ける面積が小さいこと、体毛を失い汗腺が発達していることにより、水分の確保さえできれば暑さに耐えて日中に追い続けることができたと考えられています(夏の炎天下でのマラソン大会を思い出して!)。
このヒトの持久走力を支える身体的特徴の一つが長いアキレス腱なのです。走行時、アキレス腱はバネのようにしなやかに伸び縮みし、身体が生み出す力学的エネルギーのほぼ35%を蓄積したり放出したりするといいます。腱は筋肉と違いエネルギーをほとんど消費しないので、アキレス腱の伸縮を活用すれば、より少ないエネルギーでより長い距離を走ることができるのです。
ちなみに、このアキレス腱のバネを最大限に利用している動物がカンガルーです。カンガルーのアキレス腱は、すねの2/3ほどの長さにもなり、この伸縮を使ってウマなどの四本の脚で走る動物に比べ、非常に高いエネルギー効率で移動することができます。最大種のアカカンガルーの雄は、雌を探して砂漠を一日に100km以上移動することもあるそうです。
というわけで、当たり前すぎて不思議に感じることもあまりない私たち自身の身体ですが、腱ひとつにも悠久の進化の歴史が刻まれているというお話でした。また機会があれば身体と進化の物語についてお話したいと思います。