こんにちは、科学コミュニケーターの漆畑文哉です。
あなたは「基礎科学」という言葉を聞いたとき、どんなイメージが頭に浮かびますか?
2018年にノーベル医学生理学賞を受賞された本庶佑先生をはじめ、多くのノーベル賞受賞者がメディアを通じて「基礎科学が重要」と繰り返しおっしゃっています。基礎科学は文字通りさまざまな技術や応用の"基礎"となる知識をつくる営みです。建物に例えるなら基礎科学は土台の部分、縁の下の力持ちです。
ただ、建物の基礎と違って科学の土台は実体をみることはできませんよね。ならば基礎科学を営む研究者との出会いを未来館でつくりたい! そんな思いから、2019年1月12日のトークイベント「素材をあやつる新時代の錬金術 ~"分子のルール"を支配せよ」を企画し、ファシリテーターを務めました。
今回は、登壇された東京大学生産技術研究所 助教、"新時代の錬金術師"こと髙江恭平さんのお話やイベントの様子をご紹介します。
新時代の錬金術師は状態変化に注目する
錬金術は、その辺の石ころから金や銀といった貴金属をつくろうとした近代科学以前の試みです。残念ながら貴金属はつくれませんでしたが、探究で行われた様々な実験の中で、物質を取り出したり合体させたりする方法(化学変化)への理解が深まりました。私たちの住んでいる世界の物質についての基礎となる知識が、現在身の回りにあふれる便利な素材の開発につながっています。
そんな現代でも、まだ分かっていないことはたくさんあります。そういう意味では、髙江さんもまた錬金術師です。ただし、探究の方法がだいぶ違います。髙江さんが調べているのは化学変化ではなく、状態変化のしくみです。これを深く理解して、素材の機能をあやつろうとしています。
状態変化とは、例えば水なら、冷やせば氷(固体)に、温めれば水蒸気(気体)になったりするアレです。外から熱が加わったり奪われたりするといった、外からの影響を受けて性質が変わる変化です。3種類の状態から「物質の三態」とも呼ばれています。
物質を変化させるのは熱に限りません。たとえば圧力などもそうです。圧力を加えることで、100℃以上でも水蒸気が水になったりします。圧力鍋はこれを利用しています。
この物質の状態の移り変わりを、科学者は固体・液体・気体の3種類よりもさらに細かく種類分けして捉えています。たとえば冷凍庫に入った氷は分子レベルで見ると六角形の隙間がある並び方をしていますが、ある特殊な条件では分子がギュッと集まった別の氷が存在します。この種類のことを「相」、相が移り変わる現象を「相転移」といいます。
この相転移も、物質を組み立てているパーツである分子(水ならH2Oという原子が集まったセット)自体は変化しないという点は状態変化と同じです。パーツそのものから変わる化学変化とは、この点が大きく違います。
髙江さんが特に力を入れているのは、液体~固体の研究(ソフトマター物理学)です。この「~」の部分が実はかなり複雑で、固体と液体の両方の性質を持つ液晶、ガラスのように不規則な構造を持つアモルファス、さらにはゼリーやスライムのようなものまで、さまざまな形や性質をもった状態があります。分子のもつルールによって大きな構造や性質が決まってきますが、どのように関係しているのかは今でもよく分かっていないことが多いのです。
「自然現象のルールは想像ができない。けどそれを見つけるのが面白い!」と髙江さん。もしこの関係が解明されたら、化学変化が新しい素材を作ったように、今度は分子のルールで人間の思い通りに性質をコントロールできる素材をつくることができるかもしれません。
新時代の錬金術師はコンピューターで分子をあやつる
もう一つ、髙江さんがこれまでと違うのは調べ方です。髙江さんは、実験室で物質を混ぜたり反応させたりするような調べ方はしていません。その代わり、コンピューターのシミュレーションで、条件を変えると物質の性質がどう変わるのか、様々な可能性を調べているのです。本来目には見えないほど小さな分子も、コンピューターの中でならどんなふるまいをしているのかを見ることができます。
「どうやって条件を変えるか分からないようなことも、コンピューターの世界では試すことができる」と髙江さん。そんな髙江さんが最近試みたのは、個々の分子の形を変えたら、分子の集まり方や物質の性質がどうなるのかということ。通常、分子には決まった形がありますが、シミュレーションではそれすらも変えることができてしまうのです。
実際どんなことができるのか、髙江さんが2018年に発表された研究を例に紹介しましょう。
分子の中には、図のように全体としては電気を帯びていないけど、個々の分子の一部分だけを見ると、+の電気を帯びた部分と-の電気の部分が対になっているような分子(電気双極子)があります。+の電気と-の電気は磁石の性質とよく似ていて、まるで磁石のN極とS極のように、互いに引き付け合う性質があります。
図のように集まると、全体も右が+、左が-に揃います。このとき物質全体も電気がかたよります。このような物質が使われている例に、ガスコンロの点火装置があります。強い圧力をかけると、バチっという音と共に高電圧の電流が発生します。分子の並び方が物質全体の性質を決めているのです。
ここでシミュレーションを使います。分子を1つ1つ伸ばしてみます。
分子は物質をつくるパーツなので、分子の形が変われば物質の形も変わります。しかし、それだけにとどまりません。分子同士の結びつきが変化し、向きが逆転する分子が現れるのです。すると横方向だけでなく縦方向にも電気の結びつきが新たに生まれます。分子の電気のかたよりが、物質全体では相殺されてしまいます。
これまでの素材の研究は、化学変化によって分子をつくる要素の一部を入れ替えることで性質を変えてきましたが、その性質の変化がどんなルールに基づいているのかはまだよく分かっていませんでした。髙江さんの研究は、分子1つひとつの形が変わると、分子同士の並び方や結びつき方、物質全体の性質がどう変わるのかという関係を明らかにできたのです。
さらにシミュレーションからの発見では、分子の並び方の変化で物質を発熱させたり冷たくしたりもできること、電気とよく似た性質の磁力も同じ原理でON/OFFの切り替えができるかもしれないことも分かりました。電気にとどまらず、他の性質も分子から操れる可能性を見出したのです。
身の回りの道具は素材の機能が集まってできています。髙江さんが見出した可能性から本当に素材の性質を自在にあやつることができたら、まだ誰も見たことのないおもしろい道具もつくることができるかもしれません!
「素材をあやつる可能性はどこにでもある」
ところで、このような性質を持つように"分子の形"を変えるには、実際にはどうすれば良いのでしょうか?
髙江さん「それはまだ私にも分からないんです」
参加者・私「え...?」
実はここが専門家から見ても非常に難しい問題のようです。
今回のイベントで見えたのは、まだ土台だけ。これが基礎科学の素の状態なのかもしれません。この土台の上にどんな技術が生まれるのかはまだ誰にも分かりませんが、髙江さんは可能性を見つける興味深さとやりがいを参加者にお伝えし、「素材をあやつる可能性はどこにでもある。今はまだ分からないけど、実現したらみんながハッピーになれる!」と研究に対する信念を熱く語ってくださいました。
参加者自身が基礎と応用の架け橋に!
そんな髙江さんからは、日本科学未来館にお越しいただいた皆様に科学と基礎の架け橋を体験していただくために、こんな問いが出されました。
"「○○すると■■する素材」でどんなおもしろ道具を作ってみたい?"
○○は外から与える力(きっかけ)、■■はそれによって起こるはたらき。参加していただいた皆様はカードで○○と■■を自由に選び、偶然できた組み合わせからおもしろそうな道具を考えていただきました。
そのアイデアを元に、まだ実現していないけれどあったらハッピーになれそうなものがないか、参加した皆さんと一緒にお話ししました。
なかには、
時間がたつと光る素材 → 賞味期限が来ると光るシール
まわすと冷える素材 → 自転の力で冷える冷蔵庫
......など、研究者の髙江さんも驚くようなアイデアがありました。「できるかどうか、全部答えることはできない。けれど可能性はある」参加者の皆様とお話ししながら、髙江さんはおっしゃっていました。
さいごに
基礎研究で未来の新しい可能性が見出されます。それを実現する方法を探す人がいて、生産を試みる人がいて、できあがったものを私たち社会の一員がどう使っていくかによって未来は変わっていきます。
ぜひそんな技術を足元から支えている基礎研究という営みが、読者の皆様にも伝わればと願っています。
※本イベントは東京大学生産技術研究所のご協力で実現しました。登壇していただいた髙江恭平さん、広報室の松山桃世さん、そしてイベントに参加して下さったお客様にこの場を借りて御礼申し上げます。
参考文献
Kyohei Takae & Hajime Tanaka (2018). Self-organization into ferroelectric and antiferroelectric crystals via the interplay between particle shape and dipolar interaction. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 115(40), 9917-9922.