こんにちは、科学コミュニケーターの漆畑文哉です。
あなたは、スマートフォン(スマホ)を使って普段どのくらい情報や画像を発信しますか? スマホがなかった頃も情報を発信していましたか?
スマホがあればいつでもどこでもSNS等で文字や画像・動画を発信できますが、するかしないかは自由です。コンピューターの頭脳であるICチップやカメラのセンサーが小さくなり、組み合わさってカードサイズに収まったタッチ式の電話を私たちは手に入れたにすぎません。それが今では電話機能よりも情報の収集/発信に多く使っています。情報発信は、かつてテレビや新聞などのマスメディアの特権でしたが、今では社会に大きな反響を与える個人(インフルエンサー)まで現れています。"小さくする技術"は、見た目の地味さとは裏腹に、私たちの生活や社会を大きく変える力があるのかもしれません。
私たちが新たな"小さくする技術"に出会ったら、どんなふうに使ってみたくなるでしょうか? そんなある研究者の疑問から、2019年1月19日のトークイベント「ミクロの空間で液体を流してみた ~超ミニチュア工学の挑戦!」というイベントを企画し、ファシリテーターを務めました。
疑問をなげてくださったのは、東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構 特任助教の清水久史さん。新たな小型技術"マイクロ流体チップ・ナノ流体チップ"についてお話を伺いました。
大きさも時間も大幅に短縮!マイクロ・ナノ流体チップ
清水さんの専門は分析化学。いろいろ混ざった液体の中にあるさまざまな種類のタンパク質などの物質を一つひとつ分析し、その性質や濃度などを調べたり、調べるための技術を改良したりすることを目指しています。
血液、汗、水道水、料理の汁など、身の回りにある液体はたいてい何かの混ざりものです。混ぜることに比べれば、分けるのは簡単ではありません。ところが清水さんの持つ技術、"マイクロ流体チップやナノ流体チップ"は「ものすごく細い管を通す」だけで分離することができます。
たとえば血液や食品などの分析には液体クロマトグラフィーという巨大で高価な装置が必要になります。この装置は大学や病院、保健センターなど特別な場所にしかありません。装置は分離する部分だけでも15 cmほどあります。これがナノ流体チップ(写真)では、長さがたったの5 mm。分析に必要な試薬の量もクロマトグラフィーの1000万分の1、分析時間も100分の1に短縮できるそうです。
なぜミクロの空間に液体を流すだけで分けることができるの?
清水さんの流体チップのひみつは、液体の流れる道(流路)の狭さに関係があります。ミクロの空間では、私たちが普段見ている液体とはその挙動が違うのです。
たとえば、ビーカーに水と油を一緒に入れたら、油が浮いてきますよね。和風ドレッシングの浮いた油のように、私たちがよく目にする光景です。
ところが、下の図のように、マイクロ流体チップの中で水・油・水を狭い流路に流して合流させても、油は浮かずに水に挟まれた状態で流すことができます。この流路は10 µm(マイクロメートル)。1 µmは1mmの1000分の1。髪の毛(約80 µm)よりも細い空間です。流路の狭さや液体の流す速さを変えるとまた違った流れ方が現れます。
なぜ油は浮いてこないのか。その原因は液体がもつ「表面張力」にあります。
表面張力は、コップに水をめいっぱい入れたとき、口のあたりで水が少し膨らんで見えるときにはたらいている力です。
写真のように、液体がたくさんあるときはその分重さもあるので重力で沈んでしまいますが、逆に液体の体積が小さくなると、その分重さも小さくなります。相対的に表面張力が大きくはたらいて、丸くふくらんだような形になるのです。
先程のマイクロ流体チップの流路は、油が浮かなかったのではなく、水が沈まなかったと考えることができます。流路の壁との表面張力によって、水が沈み落ちなかったことによって起きたのです。
流路をさらに小さくすると、通すだけで水に溶けたタンパク質を分離することができます。タンパク質の種類によって、流路を進む速さが違うことを利用するのです。
最初に紹介したナノ流体チップの5 mmの溝の深さはたったの950 nm(ナノメートル)です。1 nmは1 µmの1000分の1。毛細血管よりもせまく、インフルエンザウイルス(約100 nm)を横に並べても10個しか入らない極小の空間です。
ただ、タンパク質の分子は1 nmくらいです。タンパク質(約1 nm)を人間(約1 m)に例えるなら、大勢で幅950 mの道を進むイメージです。一般車道(約3 m)の300倍以上もある通り道にもかかわらず、タンパク質の場合は種類によって進み方が変わってしまうのです。
タンパク質の分子は流路をまっすぐ進むのではなく、ブラウン運動というでたらめな動きをして壁にバンバンぶつかりながら進みます。しかもその運動は1秒間に数マイクロメートル。分子を人間に例えたら、たった1秒で富士山を登り降りするような凄まじいスピードです。
そんな分子を極小の流路に流すと、より水に溶けやすい分子は水と一緒に進むため速く流れます。一方、水に溶けにくく流路の壁にひっかかりやすい分子は少し遅れて進みます。ナノ流体チップはこの性質を利用して混ざり物を分けることができるのです。
小型化で"したいこと"と"できること"をつなぐ
マイクロ流体チップを紹介しながら、清水さんはスマホなどの例を出し「小さくする技術は私たちの生活を変えてきた。この液体を流す道を小型化していけば、もっとすごいことになるんじゃないか?」と参加者に熱く語ってくださいました。
清水さんの疑問はその使い方です。そこで、参加者には事前に①病院や薬局、②農場や工場、③大学、④その他の中から1つ選んで、小型化できたらやってみたい使い方を教えていただきました。
参加者からは、
小型化した病院や薬局を高齢者や発展途上国に送る(①病院・薬局)
農場が小型化すると、新鮮な食物を自宅で作って食べられるので、スーパーの必要性が変わる(②農場や工場)
新薬の実験、ボディ・オン・チップ、香りの分析(③研究所)
自分が小さくなって小さな世界をみてみたい(④その他)
......など、たくさんのアイデアをいただきました。
病院のカテーテルや血液検査装置、化学工場のプラントなど、私たちの社会には様々な液体を流したり分けたりする場面が実は多くあります。①~③はマイクロ・ナノ流体チップの技術を応用してもっと小型化できるかもしれないものを清水さんから挙げていただきました。
研究者ではない私たち一般人のほとんどは、液体の分離や分析なんて日常ではやりません(調べる環境も持っていません)。けれど参加者からいただいた、病院を届けたり自宅の中で食べ物を育てたりといった"したいこと"は、血液や汗、土の栄養、香りといった成分分析といったマイクロ・ナノ流体チップで"できること"とのつながりがみえてきました。例えば、病院そのものを届けることは無理でも、病院で行っているような検査の機能は流体チップの形で届けることが可能になるかもしれません。血液などから、そこに含まれている栄養素や病原体などを分離できれば、いろんなことがわかりそうです。
マイクロ流体チップやナノ流体チップを使った分析装置がいつでもどこでも持ち運べ、手軽に安く使えるようになったら、今は一部の職業に限られている分析が本当に誰でも当たり前に使う未来もあり得るかもしれません。
また、④の意見では、自分自身を小さくする代わりにマイクロマシンで体内を調べに行ったりする技術を作っている研究を清水さんは紹介しました。流体チップ以外にも、"小さくする技術"で社会に貢献しようとしている"ミニチュア工学者"が大勢いることを清水さんは語ってくださいました。
ところで、清水さん自身は今、マイクロ・ナノ流体チップをどのように使おうとしているのでしょうか。
清水さん「脳の研究にその技術を活用しようとしています」
さいごに
かつては情報発信も一部の人にしかできなかったことでした。それが"小さくする技術"で生まれたスマホによって、世界中の人が発信者になりました。
マイクロ・ナノ流体チップで世界中の人が液体の分析者になる......かどうかはまだ分かりません。けれど、あなたの"したいこと"が、手軽に使える"できること"とつながったとき、あなたもいつのまにか分析者となって社会を変えるかもしれませんよ?
そんな未来、あると思いますか? ぜひ想像みてください。
※本イベントは東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構のご協力で実現しました。登壇していただいた清水久史さん、広報室の佐竹真由紀さん、そしてイベントに参加して下さったお客様にこの場を借りて御礼申し上げます。