どうにも気が滅入り気味の巣ごもり生活ですが、地球上には特別なことがなくとも毎年長く(物理的に)暗い季節が続く場所があるのをご存じでしょうか?それは北極です。北極域に住む人々は、毎年長く暗く寒い冬をどうやって乗り切っているのでしょうか。彼らの暗さや寒さを乗り切る術から、今日我々が直面している巣ごもり生活を明るく乗り切るヒントが得られないでしょうか?今回は、西シベリアでトナカイ牧畜を営む民族、ハンティの人びとと共に暮らしながら、彼らの文化を調査・研究してきた文化人類学者・大石侑香さんから、北極域に暮らす人々との暗い季節の過ごし方について聞いてみました。
福井智一(未来館科学コミュニケーター):自己紹介をお願いします。
大石さん:国立民族学博物館の大石侑香です。民博では、研究の成果を社会に分かりやすく伝える「人文知コミュニケーター」として働いています。自身も文化人類学者で、西シベリアの少数民族・ハンティの文化の研究をしています。調査に当たっては実際に彼らと長期間生活をともにしました。
福井:大石さんには、北極域研究プロジェクト(ArCS)*と未来館とで共同開発したボードゲーム「The Arctic」において、北極の先住民に関する情報を提供いただきました。今はコロナウイルスの影響で体験会など開催できず残念ですが・・・。(ボードゲーム「The Arctic」に関して、詳しい情報はコチラ https://www.nipr.ac.jp/arcs/boardgame/)
北極の冬は暗くて寒い!
福井:ただでさえ寒そうな北極、さらに冬となるとどんな感じですか?
大石さん:私が調査のために暮らしていた西シベリアを含む大陸地域は、夏の間は最高で30℃近くまで気温が上がり、花やベリーを楽しむことが出来ます。冬はとても長くて10月ごろから雪が降り始め、川や湖が凍ってゆきます。真冬には気温がマイナス50℃にも達します。5月ごろから雪が溶けはじめ、春夏秋とあっと言う間に 季節が過ぎて、また長い冬が始まります。この短い春から秋にかけて植物が芽吹いて枯れ、獣の仔が産まれて育ち、渡り鳥が往来します。氷と雪の世界から景色ががらりと変わるので、いっそう生命のエネルギー、躍動感を感じます。
福井:マイナス50℃!私には想像もつかない寒さです。冬の間、暗いとのことですが、どのくらい暗いのですか?
大石さん:私が調査していた北極圏の境目(北緯66度33分)あたりだと、一番暗くなる12月の冬至の頃であれば、午前11時ごろから明るくなりはじめ、昼過ぎには太陽が地平線からほんの少しだけ顔をのぞかせて、午後3時にはもう真っ暗ですね。
北極に暮らす人々
福井:北極に住んでいる人と言われてもピンとこない人が多いと思いますが、どのような人々が暮らしているのですか?
大石さん:北極にも様々な民族が暮らしているので、一概には言えません。北部のツンドラ地帯だけで13の、少し南のタイガ(針葉樹林)地帯も含めると70くらいの民族があります。それぞれに北方への移動や集団間の混交の歴史をもっているので、言語をはじめとした文化はもちろんのこと、顔つきも異なります。
福井:彼らは北極で何をして暮らしているんですか?
大石さん:北極にも地域によってツンドラやタイガ、沿岸や内陸といった環境の違いがあります。それぞれの環境で獲ることが出来る、動物や魚介類を対象にした狩猟や漁業、トナカイ(場所によっては馬や牛も)の牧畜、ベリー類や木の実、キノコなどの採集などを生業にしています。これらの一つを専業にしているわけではなく、社会状況と自然環境の変化に応じて様々なリソースを柔軟に組み合わせて活用しています。
福井:彼らは同じところにずっと暮らしているのですか?
大石さん:いいえ、特に牧畜や狩猟を主な生業にしている人々は、移動性の高い暮らしをしてきました。現在では仕事や勉強のために都市部で暮らす先住民も多いです。ただし、都市生活者と牧畜・狩猟採集生活者、というようにスパッと切り分けできるわけではありません。例えば都市部では会社で働き、故郷の森に帰省したときには狩猟や採集、と二足のわらじで暮らしている人や、Uターンで都市から森に帰ってくる人もいます。
福井:やはり農業は難しいのでしょうか?
大石さん:ソ連時代に家庭菜園や集団農場でのジャガイモづくりが推奨されたこともあって、しているところもありますが、基本的に北極域は農業に適さない場所が多いです。
西シベリアのトナカイ牧畜民、ハンティの暮らし
福井:彼らはどんな家に住んでいるのですか?
大石さん:私が調査していたトナカイ牧畜をしているハンティの人びとは、遊牧による移動生活の間、移動式の大きなテントで暮らしています。テントは、帆布風の丈夫な布と毛皮の二重構造になっています。外側の布は雪除け用で、毛皮だけのテントもあります。このテント一張りでトナカイ50頭分くらいの毛皮が使われています。移動するときにはこれをクルっと巻いて、柱と一緒にソリに乗せます。ソリはトナカイまたはスノーモービルで引きます。
福井:広さはどれくらいですか
大石さん:中は8畳くらいになりますね。子供たちなら詰めれば20人くらいは眠ることが出来ます。中心にストーブと調理スペースがあって、その両脇に毛皮を敷いた寝床があります。このテントひとつで2世帯くらいが暮らしています。仕切りは無いので、プライバシーはありません(笑)。
福井:トナカイ牧畜以外の生活をしている人々はどんな家に住んでいるのですか?
大石さん:漁業を主な生業としている人々は、複数の漁場ごとに木造の家を持っています。それぞれの漁場のシーズンごとに移動するというライフスタイルですね。トナカイ牧畜の場合は、気温や雪氷、トナカイの餌となる草やコケの状態を見て頻繁に移動するので、持ち運びできるテントが合理的なわけです。もっと北のツンドラではそもそも大木が生えていないので、木造の家を建てることが難しいです。
北極の冬は巣ごもり生活?
福井:そんな北極の暗くて寒くて長い冬、やっぱり皆家の中から出ずに、コロナウイルス退避中の私たちみたいに悶々と暮らしているのですか?
大石さん:実は、彼らは冬の間もアクティブに暮らしています。それに、森に住んでいる人たちの場合、冬の方が移動しやすいです。なぜなら、凍結した川や湖が道路になり、スイスイ移動できるからです。徒歩やソリを引かせたトナカイ、さらには雪を踏み固めてあれば自動車も通行可能になります。ですので、冬にスノーモービルで何百キロメートルも離れたところにある都市部に買い物に行ったり、遠方に暮らす親戚を訪ねまわったりと移動することが多いです。普段、トナカイ牧夫たちは森でバラバラに暮らしていますが、冬の方が移動しやすいので、熊送りの儀礼や「トナカイ牧夫の日」等のイベント、村の集会など、人々が集まる催し物も冬の方が多いですね。
福井:冬もアクティブとは意外ですね!せっかくの明るくて短い夏に旅やイベントを楽しまないのですか?
大石さん:夏の場合は移動の際に水場を迂回したりボートを使ったりしなくてはいけませんし、西シベリアのツンドラ地帯であれば溶けた凍土がぬかるみとなって、装甲車のようなキャタピラのついた車やヘリコプターでなければ移動できなくなります。夏の間はトナカイ牧畜、ベリーやキノコの採集、テントの修繕や保存食づくりといった仕事で忙しく、しかも広大な森の中で数家族程度のグループで暮らしているので、村の行事に参加する余裕はあまりありません。逆に比較的自由な時間を取りやすく移動もしやすい冬に行事が集中しています。
福井:冬の催し物はやっぱりインドアでやるんですか?マイナス50℃の屋外でイベントなんて考えられない・・・
大石さん:意外とアウトドアの行事が多いですね(笑)。例えば「トナカイ牧夫の日」という行事では、外でトナカイそりのレースを行います。地域の有力者が視察に来たり、マスコミが取材に来たりすることもあるんですよ。
長く暗い冬、ストレスはどう対処している?
福井:へー!それは意外でした! とは言っても毎日暗いと気が滅入らないですか?
大石さん:気が滅入らないためにやっているかどうかは分からないのですが、彼らはとてもたくさん寝ます。明るくなり始める午前11時ごろに起きて、午後5時前にはもう横になっています。ただし横になってすぐに眠ってしまうわけではなくて、そのまま長い時間お喋りをしています。昔の思い出話や、お爺さんお婆さんが孫に語る民話、ただの世間話など、あらゆる話を眠りにつくまでぼそぼそと話しています。
福井:仕切りのない家のメリットですね。
大石さん:そうですね。目が覚めてからもすぐに活動するわけではなくて、横になったまま、今度は寝ている間に見た夢の話をします。お互いに見た夢の話をするのが挨拶の一種になっているのですね。毎朝どれだけ面白い話が出来るか試されます。あいさつ代わりに夢の話をする民族は他にもあるようです。夢で占いをする人もいますね。
オールラウンダーじゃないと生きていけない?モテない?
福井:今、コロナウイルス退避で巣ごもり生活をしている日本人の場合、ストレスの原因のひとつとして、普段は生活の中で仕事とプライベートがハッキリ分かれているのに、在宅勤務だとそれが曖昧になってしまっているというのがあるかと思います。彼らのような遊牧生活者だと、もともと仕事とプライベートの境目があまりなさそうですが。
大石さん:そうですね、あまり分かれていなさそうです。一般に近代的な労働では、それぞれの人が分業して、生産物やサービスを、お金(報酬)を通じて交換し合うという形をとります。それぞれが特別な仕事をするために特別な場所に集まらないといけないので仕事とプライベートの生活が分かれることになるわけです。ですが、北極に暮らす彼らの場合は、服を作ったり家を建てたり食事を作ったり、生活に関わるすべてを自分たち自身で賄わなくてはいけません。ですので、仕事とプライベートをあまり分けてはいなさそうです。もともとそのような生活なので、ストレスには感じていないと思いますよ。
福井:皆がオールラウンダーなんですね。
大石さん:はい、一個一個の技術は高くなくてもよいのですが、あらゆる仕事を一通りはこなせないといけません。もちろん人によって得意不得意はあるのですが・・・例えばトナカイの扱いが下手で、逃がしてしまったり、トナカイから攻撃されたりしてしまう人はモテないですね(笑)。逆にトナカイをきれいに装飾できたり、そりを作るのが上手かったりするとモテます。
福井:やはり容姿などより、実際的な能力の方がモテに関わってくるのですか?
大石さん:そうですね、女性も縫物が上手にできないと評価されないですね。毛皮の服に穴が開いていると寒いですしね。私も縫物をさせられました。「(女性が)出来なくてどうするんだ」と言われ(笑)。
男女の分業はある?
福井:なるほど、欧米などでは「性別による仕事の割り振り(ジェンダーロール)は良くない」という価値観が段々と浸透してきたと思うのですが、彼らの社会ではどうですか?
大石さん:ジェンダーロールはかなりありますね。皆がオールラウンダーで、女性もトナカイの世話は出来るし、男性も縫物は出来るのですが、男に望ましい仕事、女に望ましい仕事とされているものはあります。
福井:「男なのに、女なのにこの仕事が出来ないのはマズイでしょ」といった感じでしょうか?
大石さん:それもありますが、個人というよりは、一緒に暮らす世帯単位でオールラウンダーという意味です。昔の日本の「男子厨房に入るべからず」というような価値観とはまた異なります。
福井:ジェンダーロールの価値観が強くあるのに皆オールラウンダーという意味が分かりました。世帯のみんなが協力して厳しい環境で生きているということですね。
大石さん:そうです。ただし、飼っているトナカイの数が多いと群れを二つに分けて、男女で世話を分担するために生活も別々になることがあるので、必然的にその期間中は男女とも全部の仕事が出来ないとダメですね。
巣ごもり生活のヒントをいただくつもりが、「冬の間も実はアクティブ」という予想外の展開になりました。そのまま巣ごもり生活する私たちがマネできるものではないかもしれませんが、「長くて寒い北極の冬や、仕事とプライベートの区切りがない生活も、受け入れてしまえばストレスにならない」、という姿勢から学ぶことはたくさんあるかもしれませんね。
次回後編では、大石さんの研究内容について深く掘ってゆきたいと思います。まさかトナカイがアレで餌付けされているとは・・・
*北極域研究プロジェクト(ArCS)は、文部科学省の補助事業として、国立極地研究所、海洋研究開発機構及び北海道大学の3機関が中心となって、2015年9月から2020年3月までの約4年半にわたって実施した、我が国の北極域研究のナショナルフラッグシッププロジェクトです(現在は終了)。https://www.nipr.ac.jp/arcs/
国立民族学博物館
https://www.minpaku.ac.jp/
人文知コミュニケーター
http://www.nihu.jp/ja/training/jinbunchi
北極ボードゲーム「The Arctic」
https://www.nipr.ac.jp/arcs/boardgame/