研究者に素朴な疑問をぶつけてみた!

"べんり"ってどういうこと?

べんりってどういうこと?」

みなさんはそんな問いを考えたことはありますか?

トークイベント「研究者に素朴な疑問をぶつけてみた!」は、そんな日々のふとした疑問を第一線で活躍する研究者たちとさぐっていくオンラインイベントです。面白そうでしょう?

「こころって、どこにあるの?」、「いきているって、どういうこと?」など、だれもが一度は考えるけれど、そのまま忘れ去られてしまうことの多い素朴な疑問たち。

そんなふとした問いを研究者といっしょに、一度立ち止まって考えてみたら面白いのではないかという発想ではじまりました。

3/24() 17時よりYoutube Liveにて、こちらの企画の第2弾として、Q2.「“こころ”って、なにでできているの?」を開催します!

詳細はこのブログの最後で!

そこで本日はイベントに先立ち、以前行われたQ1のご紹介をしたいと思います。(Q1に関して動画でのアーカイブはございませんので、以下の文章でお楽しみください)

Q1に選んだ問いは、「“べんり”って、どういうこと?」。

技術の進歩によって私たちの暮らしはどんどん“べんり”になっています。

例えば、今では自宅にいながらオンラインで学校の授業を受けることも可能です。自宅でお仕事をするようになった方も多いかもしれませんね。今後さらに技術が進めば、学校や会社にわざわざ行く必要もなくなるかもしれません。

みなさんは、それを“べんり”だと思いますか? みなさんがほしい“べんり”って、どんなものなのでしょう?

そんな疑問について今回いっしょに考えてくれるのは、専門分野の異なる3人の研究者です。

実験と探求をくりかえしながら、新しい技術の開発をめざしている研究者たちはどんな“べんり”を求めて、日々の研究をしているのでしょうか?

1回のゲストは、軽くて長持ちする電池の研究を進める佐藤正春(さとう まさはる)さん、人混みで自由に動けるロボットを使って実証実験を行う坂東宜昭(ばんどう よしあき)さん、そして音声を分析してより良いコミュニケーションをさぐる森勢将雅(もりせ まさのり)さんです。

左上:森勢将雅さん、右上:坂東宜昭さん、左下:佐藤正春さん、右下:竹腰

みなさんの考える“べんり”と、それぞれの研究者が考える“べんり”は、はたして同じ意味でしょうか?

それぞれの考える“べんり”、それは果たして何のためなのか……など話が広がりました。

オンライン上で交わされた言葉たちをここに採録します。

みんなはどんなときにべんりだと感じる?

べんりについて探るため、まずはみなさんが思っているべんりについて考えていきます。

みなさんは、どんなときにべんりだと思うのでしょうか。また、どんなものをべんりだと感じるのでしょうか。

そこで、視聴者のみなさまには、逆に「これがないと不便だなと思うもの」についてアンケートをとってみました。

「トイレやベッドや時計、ライフライン」のような生活必需品、「本や学校、スマホ」のような分からないことを教えてくれるもの、「SNS」などの好きなことを楽しむためのもの、「Suicaや自転車」などの時間を短縮できるもの、「クーラーや冷蔵庫」のような快適なもの、などいろいろな視点の「ないと不便なもの」があげられました。

研究者は”べんり”を目指して研究している?

さて、次は研究者の意見を聞いてみましょう。

広い意味で生活を豊かにするため研究に取り組んでいる研究者のみなさんですが、研究者が考えるべんりは、上にあげられたべんりと同じ意味なのでしょうか?

そこで、研究者のみなさまに、そもそもべんりを目指して研究しているのか、きいてみました。

森勢さん(声の研究者)

自分たちの創作活動をべんりにしたい、というのが声に関する自身の研究のモチベーションになっています。

ですが、例えば、絵を描きたいとき、「青い空を飛んでいる白い鳥」と言うとその通りの絵がでてくるというのはべんりなことなのでしょうか?私は、絵を描きたいという点ではそれはべんりではないと思います。また、旅行でも、ただ目的地にたどり着けばよいだけではなく、道中を楽しむのも一つの目的なのではないでしょうか。

声に関しても、どういう声をどのようにつくるかという視点で研究を行っています。つまり、べんりなツール=音声をどのように加工する道具があったらよいか、を考えて研究しています。

人間が人生を楽しむ際に、どのような楽しみ方があるかという視点ですね。

竹腰

効率がよいだけがべんりではなく、その過程を楽しむことにべんりなものを使ってもよいのかもしれませんね。

佐藤さん(電池の研究者)

非常に難しい質問なので結論はだせないのですが、私はみなさんより少し歳をとっていることもあり、昔のことを話題提供したいと思います(笑)。

バブルの時代、電機メーカーの研究所に勤めていた際に、「べんりな/究極の」デバイスが話題になっていました。例えば、究極のディスプレイは、意識しないで見ていられるディスプレイ。究極のスピーカーは、あたかも人がそこにいるように音を発するスピーカー。究極の掃除機は、掃除しようと思ってなくてもきれいになるような(今のロボット掃除機のような)掃除機。ですが実際には、そういったものをつくっていた人たちが最先端になれたかというとそうではなくて、iPhoneのような感動を与えるデバイスが世界に普及しましたよね。究極のデバイスは、単にきれいなディスプレイ、よく聞こえるスピーカーで終わってしまったのです。

私は、究極のデバイスの一つである「長持ちする電池」を研究していますが、本当は感動を与えるのような、べんりのその先が大事だな、この歳になってと感じています。

竹腰

ここまでべんりについてお話ししてきましたが、べんりのその先を考えるというのも大事な視点ですね。

坂東さん(ロボットの耳の研究者)

今私が考えているべんりには2つの意味があると思っています。一つは、人間を超えたものはべんりという考えです。例えば、工場のロボットは24時間、人間のかわりにずっと動いてくれます。レスキューロボットや検査ロボットは人間が入れないところを見に行ってくれたりしますよね。

別のべんりの意味で最近気になっているのは、人間と同じように考えられることです。例えば、Siriやスマートウォッチに「今日の晩ごはんどうしよう?」ときいても上手く反応してくれないですよね。実はこれは、自分がレストラン街にいるのか、スーパーにいるのかで反応が変わるからという背景があります。

こういったところに対応していくためには、ロボットやスマートフォン(計算機)が人間と同じように見たり聞いたり、周りの状況をうまく把握して、人間と同じよう考えられる技術が必要になってくるのではないかと思います。

べんりって、どういうこと?

森勢さん

やっぱり、べんりってむずかしいですよね。ある人にとってべんりなものが、別の誰かにとってべんりだとは限らないといういろんなお話がでていて。

例えば掃除の話だと、極端にいうと掃除をしなくてもすむようになるのかもしれませんが、掃除が好きな人(私は洗濯するのが好き!)は汚れているものがきれいになっているのを確認するとすごく気持ちが豊かになると思うんですよ。自分が人生を楽しむという視点は忘れたくないな、と思っています。

佐藤さんの電池でしたら、たぶん電池を買い替えることは、自分はそんなに楽しくないので、無限に続く電池があったら嬉しいなとは思っています。

人それぞれ何が好きで、何がそんなに楽しくないかという違いによって、何をべんりとするかの解釈は変わるので、多様性があってそれぞれ難しい話だなと思いました。

竹腰

べんりを考える上では、全部自動でやるか、自分である程度やって楽しみをつくるかという両方の観点があるのかもしれませんね。

佐藤さん

べんりと、研究者が目指すものと、産業として成り立つものは違うと思うんですよね。べんりは正解ではなくて、みんなが支持するものが正解だと思います。それが何かというと、好きなもの、感動するものです。

こういうものができたら本当にべんりになるというのは別で考えておいて、目指すべきものは、例えば手間のかかる掃除機や、達成感のある洗濯機(ご褒美としてお菓子がでてくるようなもの)がもしかしたらいいのかもしれません。

場合分けを最後まで残してしまうというのは答えではないのですが、そういう実態なのかなと思います。

竹腰

ロボットにある程度やってもらうという観点で、坂東さんはどのように考えていらっしゃいますか?

坂東さん

ひとつは、ロボットに全部取って代わってもらうという方法はあると思います。ただ、やはり個別の要素技術で実際に使ってもらえるところを目指すことを考えると、森勢さんのいうように作る楽しみを残すやり方はあると思います。全部が全部ではなく、間をあえてぬくHuman in the loop(人間参加型)のような話にもっていけたらよいなとは思います。

将来、もっとべんりになってほしい?

視聴者アンケートでは、先ほどの「これがないと不便だ」と感じるものについて、それが将来もっとべんりになってほしいかどうかについてもきいてみました。結果はこのようになりました!

もっとべんりになってほしい理由としては、技術が変化していけば、例えば「トイレはもっと快適になったり、空飛ぶ自転車ができたりするのではないか」という意見がありました。一方、「SNSはべんりだが危ないところもあるかもしれない」、「オンラインでお話しできるのはよいが面と向かって話したほうが楽しい」のでどちらともいえない、さらに、「なにもできない人間がでてきてしまうかもしれない」ので、これ以上べんりにならなくてよいという意見がありました。

竹腰

研究者のみなさんは、将来どんなべんりになってほしいですか?

森勢さん

べんりであるがゆえに、不自由をもたらすことはあるかもしれません。べんりであるほどいろんな選択肢が生まれるようになりますが、そうなると人間がその中から一つ選ばなくてはならないですね。例えば、掃除をするかしないか選べるようにすると、毎回聞かれたらとても腹が立つ気がしそうですよね(笑)。そんなことを聞かなくてもやってくれよ、と思うかもしれないです。

いろんなべんりなものができて選択肢が増えていくと、次のステップとして、たくさんの選択肢から自動的に自分の気持ちをくんで選んでくれる、というような研究がでてくるのではないかという気がしています。そういう意味で、人間はどこまでも貪欲にはなれるものだと思うので、どこまでいくのかというのは興味があるところですね。

創作活動を支援するという私の研究においては、おそらく初心者は全自動を好みますが、中級者・上級者になって自分の色をだしたいと思ったら、次のステップの全自動ではない何かが欲しくなる、というように層によって需要が変わると思っています。

いろんな人たちが満足できるべんりを研究者がある程度個々に追求していくのがひとつの研究だとすると、研究でやれることはとてもたくさんあると思うので、やれることを少しずつ追及していきたいなと思っています。

竹腰

選択をすることが面倒くさいという人にとっては、坂東さんの研究は助けになるのでしょうか?

坂東さん

ロボットやパソコンが人間の代わりに一緒に考えて、提案してくれるというのはかなり大事だと思っています。僕は、自分で何かを考えるよりは、最初に何かしら叩き台があってそこから広げていく方が得意なので、全てが決められているわけではなくとも、何かしらこうじゃない?と(例えば、Googleの検索時に表示される「もしかして」のように)いろんな選択肢をだしてくれるというのは大事なのではないかと思っています。

佐藤さん

専門とは違うのですが、Youtubeで一度見たものにつながって新しいものがオススメされる機能がありますよね。もう少し広い範囲がみたいのに、同じものしかでてこない、というのはべんりではなさそうですね。

坂東さんの意見とは少し違ってしまいますが、やはり自分で選択もしたい気になりますね。

森勢さん

反対に僕は、Youtubeで似たような音楽が流れるのはわりと好きなので、これは好みの問題かもしれませんね。僕の世代だと、CDをレンタルしてきて、オリジナルのメドレーをつくったことがある世代だと思うのですが、そのように自分の音楽の好みの並びに近いものをYoutubeが推薦してくれると嬉しいなと思います。

一方、全くきいたことのないジャンルに飛ぶのも好ましいという考えもあると思います。やはり万人が満足するべんりというのは難しい気がしています。

例えば自由度という観点でいうと、音声の研究で、英会話の勉強をする際に教材を朗読してくれる声を自分の好みの声に変えると、勉強が長続きするのではというお話もあります。いろんな人の声をつくるということ自体はできているので、自分好みの声を使って何かをするということはべんりにつながると思っています。

佐藤さん

電池も全て、実際に電池を使う製品をつくるメーカーさんと相談しながらつくります。例えば携帯電話だと、携帯電話ごとに新しく設計し直してつくります。その意味でいうと、用途ごとにつくる手間のかかるものです。

竹腰

研究の範囲においても、各々に合わせた技術が進んでいるようですね。製品としても、ある程度それぞれの人に合わせた製品がつくられるというような方向に進んでいくのでしょうか。

私自身、べんりというとついつい、言うことを聞いてくれる・全自動というイメージがありましたが、今日のお話をきいていると、ある程度選択ができたり、自分に合わせてもらえたり、あえて不便な部分を残していくというのも、べんりを考える上で大事なのかもしれませんね。

べんりについて、何か感じ方は変わった?

森勢さん

研究の視点によってべんりの解釈が違うことが分かりました。もちろん、人々の生活を豊かにするという点では共通していると思いますが、それに対してどんなアプローチがあるのかという点で、他の様々な視点からべんりというものを考えていて、自分たちの信念をどう研究に活かしているのか知ることができて面白かったです。

佐藤さん

べんりの次が大切だ、ということをみんなで考えられたのではないかと思います。これからもべんりを追求しなくてはいけないかもしれませんが、べんりのその先、例えば見せ方や人の感じ方、満足を追求していくことが、研究でもビジネスでも大事ではないかと思いました。

竹腰

単に、生活や世の中がよくなる=べんり、というだけではなさそうですね。

研究では、べんりというものさしだけでは測れない部分もあって、そんなべんりだけではないゴールを目指すことによって、私たちの暮らしを豊かにしてくれているのかもしれませんね。

あなたにとっての"べんり"って、どういうことですか?

最後に、視聴してくださったみなさんにこんな質問をしてみました。いただいたご意見の一部をご紹介して終わりたいと思います。

・サポートしてくれるが、出しゃばりはしない。

・自分が、aがなければbができるのに、と考えた時に、aをやってくれること。

・「べんり」を自分で選べること、選ぶのに負担がないこと(あるいはそれ自体が楽しいこと)が大事かなと思います。

・生活を豊かにしてくれること。家事や移動の時間を減らすことができて、自由に使える時間が増えること。

・生活をより快適に楽しくすること

・何か新しいことができるようになった

・なんでもしてくれるけど、選んだりもできる、考える余地のある技術。

・生活と仕事の両立

・楽になること

・人にとってやりにくい事などを簡単に出来るようにする事

・つまらない事に、時間を掛けずに済むこと。

・面倒がなくなり達成感を得やすくなる事

・「何が便利だろう?」って分からなくなりましたw

・ザックリ言ってしまうと「自分が面倒だと思うことを解消してくれる」って事になってしまいますが、人によってそれは異なりますし、「便利」の一般化って難しいですよねぇ...

・エクセルのコントロールキーの様なもの、使ってなれると絶対便利。

・自分自身の成長を助けてくれる仕組み

みなさんにとってのべんりってどういうことなのでしょうか?ぜひ周りの人と話し合ってみてはいかがでしょうか。

第2弾開催!

研究者に素朴な疑問をぶつけてみた!シリーズとして、Q2.こころって、なにでできているの?」を

2021324日(水)17:00より開催します!

次は、新しい「こころ」のとらえ方をいっしょにさぐっていきましょう!

詳細はこちら

https://www.miraikan.jst.go.jp/events/202103241818.html

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