こんにちは。科学コミュニケーターの上田です。
最近、企業が生物多様性の保全に取り組む事例を耳にする機会が増えてきました。その世界的な流れができる契機となったダスグプタ・レビュー※1という文献があります。経済活動がいかに自然に影響を与えていて、これからは自然環境への配慮が必要であることが説明された報告書のなかでは、そもそも私たちの存在や経済活動も、自然の営みの内部に組み込まれていることを認識することが大事だと書かれています。私たち自身や経済を自然の内側に置くとはどういうことなのでしょうか。今回はマルチスピーシーズという考え方を紹介しながら、人や自然、生きものの関係性について考えたいと思います。
マルチスピーシーズ※2とは直訳すると「複数種」となりますが、単にいろいろな種類の生きものがいるというだけでなく、これまでの人間中心的な見方から離れて他の生きものの存在を意識していこうという考え方を含んでいます。人類学や民族学の分野で注目されているこの考え方を導入すれば、SDGsでも言及されている地球環境のサステナビリティも根本から見直されるかもしれないそうです。このように提案しているのは愛媛大学 准教授のルプレヒト・クリストフさんです。
※1 2021年にイギリスのケンブリッジ大学名誉教授、パーサ・ダスグプタ氏により発表されたレポート。生物多様性と経済のつながりについては過去ブログで紹介しているので気になった方はご覧ください!いま世界で注目されている生物多様性のいろいろ(https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20220527content-18.html)
※2 書籍や文献ではマルチスピーシーズ人類学やマルチスピーシーズ民族誌と呼ばれますが、本記事ではマルチスピーシーズという言葉でお伝えします
―そもそもマルチスピーシーズという考え方はどういうものなのでしょう?
ルプレヒトさん:
私がこの考えに出会ったきっかけからお話ししますね。名古屋に住んでいたのですが、近所の川沿いには、様々な植物が生える緑豊かな場所がありました。しかし地図で調べてみるとそこは緑地になっていませんでした。このような空間が気になり、大学院の研究対象にしました。公園や広場など、人が緑とふれあうために植物をそだてている場所ではないのに、そこにはさまざまな植物がおのずと繁茂しており、人々が自然とふれあう空間になっていました。都市の空間は人間がつくっているものというイメージが強いかもしれません。しかしこの空地のように、人の都合に関係なく都市に現れ、緑あふれる空間をつくる雑草のような存在があって、私たちがよく見る風景をつくっています。このように、人間以外の生きものを“私たちに主体的に関与している存在”として改めて意識する。そこからマルチスピーシーズの考え方は始まります。
―なるほど、まずは意識することが大事だということですね。
ルプレヒトさん:
はい。ただし意識するだけではないので、もう一つ例を紹介しましょう。世界農業遺産にも登録された和歌山県の「みなべ・田辺の梅システム」の事例があります。養分に乏しい山の斜面を活用して、高品質な梅を持続的に生産してきた場所です。400年にわたり梅を作ってきた仕組みには、ニホンミツバチとのコラボレーションが欠かせません。ニホンミツバチはセイヨウミツバチと違って居心地が悪ければ巣箱から逃げてしまうので、人間の思い通りに飼育して都合よく花粉を運ばせたり蜂蜜を採取したりすることができません。つまり家畜のようにコントロールすることが難しい生きものです。家畜でたとえると、鶏がいつでも逃げられるような農場で鶏がいてくれるような飼い方を考えなければいけないようなものです。
―ニホンミツバチを飼うためにはどんな工夫が必要なのですか?
ルプレヒトさん:
この写真はニホンミツバチの巣箱ですが、ニホンミツバチにい続けてもらうには彼らが好む環境を整えることが大事です。例えばミツバチが飛ぶ2~3kmぐらいの範囲でエサとなる植物があること、そしてそれが十分に足りていることなどを気にする必要があります。ニホンミツバチのエサとなる植物が十分かどうかを調べるために植物の数を測ろうとするととてつもなく労力がかかりますが、ニホンミツバチが巣にとどまるかどうかや、巣にとどまったミツバチたちが無事に冬越しできるかどうかで知ることもできます。人間に簡単に調べられないことも、ミツバチとチームを組めば見えてくるんです。興味深いことに調査を進めていくと、ニホンミツバチは飼い方がセイヨウミツバチのような家畜的な方法と異なるだけでなく、養蜂家との関係性も異なることがわかりました。実際に養蜂家にアンケート調査をすると、家畜扱いではなく、パートナーとかペットとか、人によっては「ミツバチは私の先生だ」など、いろいろな捉え方をしている人がいました。
―養蜂家の皆さんは、ミツバチの存在を意識しているだけではなく、自分と対等な存在として捉えているというように感じます。
ルプレヒトさん:
そうですね。養蜂家の方々はニホンミツバチを協働する相手として尊重しながら、周りの自然と関わっています。これをマルチスピーシーズの観点では、「行為主体性を尊重している」と言います。つまり人間のためだけに生きものをコントロールするのではなく、ニホンミツバチ自体の生を尊重しながら、ニホンミツバチとともに、みなべ・田辺の風景をつくっています。マルチスピーシーズの考え方では、人間以外の生きものの存在を意識するだけでなく、その主体性を尊重することも大事なんです。そして、人とニホンミツバチの間に頼り頼られる関係性があったように、この考え方では多種多様な(人を含んだ)生物種がどのように関係し合っているかということに注目します。
―意識するだけでなく、その生を尊重するとなるとイメージすることがなかなかに難しいです。ニホンミツバチのような例はほかの生きものでもありますか?
ルプレヒトさん:
例えば「植物と叡智の守り人」という本では、北アメリカの伝統的な暮らしを送っている人たちがサーモンの生活を尊重するような付き合い方をしていることを紹介しています。人間はサーモンが暮らす川の環境を整え、サーモンがちゃんと海から川に戻って、川で産卵するのを見守ります。そうしてライフサイクル全体を終える、死の直前のサーモンを人間がご馳走としていただくという関係だそうです。
ここまでのルプレヒトさんの話を整理してみると、雑草の例では他の生きものを主体的に私たちに関与している存在として意識するというものでした。そしてニホンミツバチやサーモンの例では、生きものたちのそれぞれの生活を尊重しながら我々も恩恵を受けるという話でした。
マルチスピーシーズの考え方とは、人が活動するときに、周りの生きもののことを私たちの思い通りにいくわけではない何者かとして意識し、尊重しながら関わり合うことと言えそうです。また、マルチスピーシーズに関する書籍を読んでいると、「絡まり合い」という言葉を何度も見かけたのですが、ルプレヒトさんのマルチスピーシーズの考え方では生物種の関係性にも注目するという話を聞いて納得しました。人を起点として結ばれる周りの生きものたちとの相互関係を見てみると、関係性のネットワークは網目のように絡まり合っているように感じます。しかしふだん接する自然の中から、生きものの存在を意識するだけでも大変そうです(あるいは意識していないからこそ”自然”とざっくり認識しているのかもしれません)。そして、その主体性を尊重するとなるとさまざまなやり方があって、人間側の態度にこれという正解はなさそうです。
ルプレヒトさんの話を聞いて、私は学生時代に研究で通っていた兵庫県の農村での風景をふと思い出しました。農作物を食べるニホンザルを研究していたのですが、その中でも特に人間に慣れて軒先の柿さえも食べてしまうサルがいました。被害対策をがんばる農家のおじさんは、そのサルのことを憎々しげに語ることもあれば、うまく追い払えた日には知恵比べに勝ったように生き生きとした表情で語ってくれることもありました。被害管理の視点で考えると、ニホンザルの個体数を調整したり追い払ったりすることで、いかにコントロールするかという考え方になります。しかしその農家のおじさんは、サルのことをただ被害管理の対象としてだけではなく意志を持つ他者として捉えていたようにも感じました。あのおじさんの態度もサルという生きものの主体性を尊重するかたちの一つと言えそうです。
マルチスピーシーズの考え方で見直すサステナビリティ
一方でルプレヒトさんは「マルチスピーシーズの考え方をとりいれると、サステナビリティの考え方もこれまでとガラッと変わるかもしれない」とも話されています。気候変動や生物多様性の喪失などの問題がある現代では、地球環境への影響を抑えたサステナブルな社会を目指すことが求められています。いったいどんなふうに変わるのでしょうか。
―サステナビリティというと、私たちの社会や経済、そして地球環境を将来にわたって持続させていこう、そしてそのために配慮しようという考え方だと思いますが、どんなふうに捉え直せるのでしょうか。
ルプレヒトさん:
地球環境を、経済や社会と同じレベルで考えることを改めるところから始まります。一般的なサステナビリティの考え方では、人間以外の生きものはあくまで人間のニーズを満たすための存在であると捉えられています。そうすると現在の経済成長や社会のために地球環境の資源を使って、他の生きものの生活やその居場所(環境)をどんどん奪っていっていくことになります。まずはそこから捉え直すことが必要です。
―SDGsでは、地球環境を私たちの社会や経済のための大事な基盤として位置づけています。これは1900年代後半まで経済成長のために地球の資源を考えなしに使ってきた反省があり、現代になって地球環境への配慮が求められるように変わってきたという認識です。ですが、その考え方すらも見直す必要があるとは驚きです。そもそも根本的なところから考え直す必要があるということなのでしょうか? たとえば、これからも人間が地球に住み続けるには地球の限界(プラネタリーバウンダリー)を意識して、限界を超えないように配慮した人間活動を行うのが大事という考え方もありますが、その考え方とはどこが違うのでしょうか。
ルプレヒトさん:
プラネタリーバウンダリーもすごく大事な考え方なのですが、そもそもの問題として、地球環境との関係性を考え直すことは必要だと思います。なぜなら限界がわかっているなら、社会や経済の成長のためにその限界ギリギリまで使っていいという考え方になりかねないと心配しています。気候変動への懸念は1980年代から国際的な問題になってきました。当時から科学者が政治家や社会に対策を訴えてきましたが、今も問題は解決していません。また気候変動などの環境問題は原因がいろいろなところにあって、どれか一つを解決するだけでは終わりません。それなら一つ一つの原因に対処するのではなく、根本的に人と生きものや環境との関係性を考え直すことも大事じゃないかと思うのです。
―国連でもSDGsなどの問題意識が共通認識となった今だからこそ目指せる、より進んだ議論のように感じます。具体的にどんなふうに関係性を見直せばよいのでしょうか。
ルプレヒトさん:
まず大事なのは先ほども言ったように環境を人間のニーズを満たすものとみるところから考え直すことです。私たちの社会や経済と、環境との関係性を捉え直したのが次の図です。上のウェディングケーキモデルの図と比べてみてください。私たち人間の社会や経済の影響力は大きいものの、あくまでも地球システムをつくっている生きものの一種に過ぎないという構造になっています。この図では便宜上、人の社会が中心に置かれていますが、私たちは環境に影響を与える唯一の存在ではなく、環境の中には様々な生きものの存在があって、相互に関係しあっています。そもそも私たち人間だけが地球システム全体を管理できるものだという考え方を改め、他の生きものから搾取するのではなく共同で地球というシステムを維持していくという考え方に変わっていくことが大事です。世界農業遺産などに登録される地域では昔から生きものたちとコラボレーションしながら持続可能なかたちで生活が営まれています。
―まさに先ほどのニホンミツバチの例ですね!
ルプレヒトさん:
そうですね。人間以外の生きものの生を真剣に考えていくと、生きものの生態だけでなく、次はそれぞれの生きもののニーズを知ることが必要になってきます。たとえばミツバチがどのように生きて死ぬかという生態の情報だけでなく、ミツバチの幸福は何だろうかという研究も必要かもしれません。言い換えると、その生きものがギリギリ死なないというラインはやはり不十分で、人間とミツバチが真に共存共栄できるために必要な知識は何なんだろうというところまで考えていく必要があるのだと思います。そのためには研究者に限らず生きものに接する私たちみんなで、他の生きものとふれあいながら知識やスキルをみがいていくことが大事なのでしょう。
終わりに
今回はマルチスピーシーズの考え方やサステナビリティの捉え直しに関するお話を聞きました。ふだん未来館で来館者の方々と環境問題について話すとき、自然(生物多様性)は私たちの生活の基盤になっていて、こんなふうに役に立っているから守る必要があると説明する機会が多いです。その説明に自分自身が慣れすぎてしまい、気づかないうちに自然を人間のためのものと捉えていたのかもしれないと気づかされました。実際、ルプレヒトさんは「マルチスピーシーズの考え方は“気づきの術”とも言われている」とおっしゃっていましたが、私自身も大きな気づきを得ることができました。
読んでくださっている皆さんの身の回りにはどのような生きものがいるでしょうか。そしてその生きものはご自身のふだん見る風景や生活にどう関わっているのでしょうか。まずはマルチスピーシーズの視点で見直してみてください。
参考文献等
詳しく知りたい方は、ぜひあわせて下記の書籍や論文をご参照ください。
- ニホンミツバチ・養蜂文化ライブラリー| https://japanese-honeybee.info/
- 奥野克巳、シンジルト[編]、MOSA[マンガ].『マンガ版マルチスピーシーズ人類学【シリーズ 人間を超える】』.以文社
- 奥野克巳、近藤祉秋、ナターシャ・ファイン[編].『モア・ザン・ヒューマン──マルチスピーシーズ人類学と環境人文学【シリーズ 人間を超える】』.以文社
- 近藤祉秋、吉田真理子.『食う、食われる、食いあう マルチスピーシーズ民族誌の思考』.青土社
- アナ・チン[著]、赤嶺淳[訳].『マツタケ 不確定な時代を生きる術』.みすず書房
- ロビン・ウォール・キマラー[著]、三木直子[訳].『植物と叡智の守り人』.築地書館
- 『思想 2022年10月号【小特集】マルチスピーシーズ人類学』.岩波書店
- Rupprecht, C., Vervoort, J., Berthelsen, C., Mangnus, A., Osborne, N., Thompson, K., . . . Kawai, A. (2020). 『Multispecies sustainability』. Global Sustainability, 3, E34. doi:10.1017/sus.2020.28
- McGreevy, S.R., Rupprecht, C.D.D., Niles, D. et al. (2022) 『Sustainable agrifood systems for a post-growth world』. Nat Sustain 5, 1011–1017.