「自然や生物多様性は大切だ」という言葉はよく聞きますよね。しかし「なぜ大切なのか?」と問われるとみなさんはどう答えるでしょう。自然や生物多様性が私たちの生活の役に立っているから? 自然にはそれ自体に価値があるから?
このブログでは、人と自然が関わりあいながらできた“関係性”や“文化”を価値あるものだと考える「関係性価値」*1という考え方をご紹介します。
※関係価値とも呼ばれます
これまでのブログで、人間中心的な考え方から視点をずらすマルチスピーシーズという考え方について取材※2を行い、自然との関係性を変える重要性やその方法について話を聞くことができました。私自身は人と自然との関係性自体も価値あるものに感じてきました。
※2マルチスピーシーズってなに? | 科学コミュニケーターブログ (jst.go.jp) https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20240415post-508.html
マルチスピーシーズの視点で考えるためには | 科学コミュニケーターブログ https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20241025post-532.html
そこで今回は「関係性価値」という、自然と人間の関係性自体に価値を見出す視点について研究者にお話をうかがってきました。取材をさせていただいたのは、東京大学サステナブル社会デザインセンター准教授の石原広恵さんです。石原さんは生物多様性条約の科学的知見を蓄積する機関が出した「自然の多様な価値と価値評価の方法論に関する評価報告書」の作成にも関わっておられます。
関係性価値ってなんだろう?
−関係性価値という考え方は、どういうものなのでしょうか?
石原さん
関係性価値を知るためには、そもそも自然の経済的価値を測る「生態系サービス」という考え方を知ることが重要です。1900年代後半から自然破壊が注目されるようになり、自然を守る大切さが訴えられてきました。しかし経済成長が重要視される社会の中では、お金に自然の価値を換算しなければ、その大切さを伝えることが難しかったのです。そのような経緯から、生態系サービスの考え方が生まれ、国連の主導で行われたミレニアム生態系評価において、その価値の評価が実施されました。例えば森林による生態系サービスには、きれいな水をもたらすことや、洪水などの被害を軽くすることなどが挙げられます。例えば、水の浄化を人力で行うとすると、浄化施設の建設をし、それを維持していく必要があります。このような設備の建設や維持管理にどれだけのお金が必要かという試算をすることで、森林の経済的な価値を測ることができます。ミレニアム生態系サービス評価では、このように自然が私たちの生活にどう役立っているかを経済的な指標(お金)によって測ってきました。これを「道具的価値」ということもできます。
−多くの人たちには、自然の経済的な価値を言うだけで、自然を守る大事さは伝わるような気がします。これで充分にも感じますが何が足りなかったのでしょうか。
石原さん
結論から言うと、他の評価基準もあるはずなのに、経済的な評価が唯一の指標という状態になっていることです。自然が持っている、お金に換算できない価値を測っていこうという取り組みの中で、関係性価値という考え方が生まれてきました。
−では関係性価値は、何を基準に価値を測っているのでしょうか?
石原さん
関係性価値とは客観的に測定するものではなく、人が生活や生業の中で自然と関係性を育むことによって築かれるものです。大事なポイントは「目の前にある自然や生きものはなにものにも替えられない」と思うことです。例えば、森林に水をきれいにしてくれるという道具的価値を見出している人がいる場合、自分が飲む水をきれいにしてくれた森が別の場所のものに置き換わっても問題ありません。しかし、「私が子供時代を過ごした思い出の森」という関係性価値を感じている人にとっては、その森がなくなってしまうと、大切な思い出が消えてしまいます。このように、ある人がある場所に存在する自然や生きものとの関係性から生み出される価値のことを「関係性価値」と呼んでいます。
−金銭としての評価ではなく、個々人が感じるという評価の仕方は新鮮です。でも一つの地域の中にもいろいろな職業や価値観の人がいます。その人たちがそれぞれ大切に思う価値ってバラバラになりませんか?
石原さん
はい、そうですね。人が代替不可能と感じる自然がそれぞれ異なることは重要な観点です。とはいえ大切に思う価値に違いがあったとしても、自然と直接関わる人たちの意見を尊重できるようになることには意味があります。先ほどから例に出している森林の道具的価値は、森林の恩恵を受ける都市部の人たちを含む社会全体からの視点で評価されているものです。そこでは自然を守るときに当事者となる地域の人たちの視点を大事にできていませんでした。その問題を、関係性価値を評価しようとすることでクリアできるかもしれません。
−関係性価値がどんなものなのか、そしてその考え方が生まれた問題意識が少しずつわかってきました。ここで少し視点を変えてうかがいたいのですが、そもそも石原さんはどういう経緯でこの考え方に注目されたんでしょう?
石原さん
私自身はもともと里山・里海や棚田などの日本の伝統的な自然との付き合い方について、社会学的な観点で研究を行っていました。そこで生物多様性に興味を持ったのですが、生態系サービスという考え方が整理されていくときに、自然の文化的な価値をレクリエーションやエコツーリズムという観光客の視点で経済的な評価を行うことにモヤモヤしていました。そのような問題意識を持っていた経緯もあって関係性価値について関わることになりました。
−石原さんの問題意識は、関係性価値を測ろうとすることで自然と直接関わる地域の人の声を拾うことが可能になったという話ともつながりそうですね。
石原さん
はい。実際に里海に関わる地元の方に話を聞いていると、みなさんは「海を耕す」というふうに言っていました。そこには海から恵みをもらうからお返ししなきゃいけないと自然との持ちつ持たれつの関係性を意識していることが読み取れます。里山や里海と呼ばれる日本の自然の多くは人が利用してきた自然です。漁業をしている人の海に対する考え方や、漁業するための知識などの文化的な側面も関係性価値と呼ぶことができます。これまで築かれてきた人と自然の関係性から生まれた文化は道具的価値では十分に測ることができなくて、関係性価値という考え方を導入することで価値づけられるのではないかと期待しています。
自然が社会にとってどう役に立つかではなく、自分たちにとっていかに大事かどうかという新たな視点を与えてくれるお話でした。それと同時に関係性価値というものの複雑さを感じずにはいられません。
さらに、関係性価値の具体的な事例についてもうかがってきたので、その内容についても紹介します。
伊勢志摩の海の自然は漁師の人たちにとって関係性価値がある
−ここからは具体的に“関係性価値がある”と言える事例について教えていただけますか?
石原さん
まだまだ具体的な事例は研究途中で、これが関係性価値の事例です! と言い切ることはむずかしいです。ただ三重県の志摩市和具地区における伊勢海老の持続可能な管理手法は関係性価値の一事例として紹介できるかもしれません。伊勢海老漁の期間は決まっており、漁の期間も前半と後半に分かれています。前半では漁師の人たちがチームを組んで、伊勢海老をつかまえるための網が2枚に制限されます。後半の期間は個人個人で自由に漁を行ってよい期間で、網も9枚使うことができます。
−伊勢海老をつかまえるための網の数が決められているというと、漁業資源でもある伊勢海老をとりすぎないようにするためでしょうか? 長期的に安定して自分たちの収益を確保するための資源管理の方法だとすると、経済的な観点のように感じました。
石原さん
もちろん資源管理の側面もありますが、漁に関わる人たちの助け合いという側面が見えてきます。前半の漁で得られた売り上げは、参加した漁師全員に均等に分けられます。ですので、一人で漁にいくことが難しいような高齢者の漁師さんも前半の漁には参加されます。その土地に住まう人たちがその土地で生き続けるための工夫として、世代を超えてこのようなルールをつくってきたのでしょう。自分たちでつくりあげてき文化の中には過度に海の自然を壊さないようにするための工夫だけでなく、地域のコミュニティを支えるための工夫などのさまざまな知恵が含まれていて、それらは関係性価値と言えます。関係性価値というと、人と自然の関係性に思えますが、人同士の関係性や助け合いの精神などもとても重要だと私は思っています。
−人同士の関係性まで含めるととても複雑ですね。石原さんの言葉の端々からは地域の人がつくりあげてきた文化へのリスペクトを感じます。この伊勢海老漁のルールもやはり自分たちでつくったというところが大事なのでしょうか。
石原さん
もしいきなり行政がこのようなルールで漁をしてくださいという命令のような形で決めたら成り立たないのではないかと思います。地域の人たちの関係性が前提となって漁業のルールができていることが重要です。漁師の皆さんは、互いに競争相手でもあり地域の仲間でもあるという複雑な関係性を持っています。例えば若手の漁師の方から話を聞くと、「もっと稼ぎたい」という気持ちと、「お年寄りの漁師仲間を助けたい」という気持ちの両方を持っています。実際、漁の前半と後半を切り替えるタイミングは毎年漁業者間で時間をかけながら調整していて、助け合いや利害関係という人同士の関係性、そして海の状況などの人と自然のバランスを自分たちで考えながら仕組みを維持しています。関係性価値は、人と自然の二者間ではなく、人間同士の関係性も含むという考えはここにもあると思います。
−石原さんが人と自然の関係性自体の道具的価値は測りづらいと言っていましたが、今の話を経済的に評価することはむずかしそうですね。最後に、もう少し都会に住むような方でも実感できるような話で関係性価値をイメージしたいと思っています。例えば未来館でも、2023年に身近な生きものと自分との思い出を振り返るようなミニワークショップ※2を行いました。そのときにとりあげたのはイチョウと私の思い出です。これも一つの関係性価値ではないかと思えてきたのですが、いかがでしょうか?
※2身近な自然の見る"目"が変わる⁉ よく見る生きもの観察会 | 科学コミュニケーターブログ (jst.go.jp) https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20240508post-511.html
石原さん
代替不可能かどうかという細かな尺度もありますが、おおむねそう言ってもいいのではないでしょうか。イチョウといっても、自分が幼少期に通っていた公園に生えていて実を拾っていたイチョウというふうに捉えたとき、その公園が壊されてしまうと再会することはできません。それも一つの代替不可能な自然といえます。イチョウに限らず、ある特定の場所の生きものとその人が結んだ関係というのも一つの大事な関係性で、道具的価値には換算できなくとも価値あるものと言えるでしょう。
終わりに
身の周りの自然には価値があるとはよく言いますが、それが社会にとってどうかだけではなくて、あなたやあなたの周りの人にとってどう大事かというとても重要な観点をうかがうことができました。
この話を聞いて、あなたはどこの、どんな自然を思い浮かべたでしょうか?それはきっと、あなたと自然との関係性から生まれた関係性価値と言えるのではないでしょうか。