こんにちは。科学コミュニケーターの鈴木啓子です。
遺伝子組換えって最近はよく言葉では使うようになりましたね。例えば、お豆腐に入っている大豆、ポテトチップスに入っているジャガイモなんかには、遺伝子組換え作物を使っているかどうかの表記がされています。このように生まれてくる植物や動物の遺伝子を変える技術は、徐々に身近なものになってきました。
次は、人間の遺伝子を変える? そう考える人もいました。でも従来の技術では、人間で遺伝子組換えをするのはとても現実的とは言えなかったのです。というのも、遺伝子を完全に変えるには2つ以上の受精卵に操作を加える必要があり、数世代かかります。遺伝子組換えできた子どもが生まれるまでにも子どもができてしまいまいます。効率が非常に悪い上、倫理的にも問題があるので、現実的な考えとはいえませんでした。
でも、もしも人間の子どもが生まれる前に、効率よく遺伝子を変えることができるとしたら?
人間でも将来は可能になるかもしれない、ということを考えさせられる論文が、中国から発表されました。
発表されたのは、この論文です。
"CRISPR/Cas9-mediated gene editing in human tripronuclear zygotes."
(https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs13238-015-0153-5)クリックすると本文に飛びます。(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)
タイトルは直訳で、「ヒトの3つの核を持つ受精卵の中でCRISPR/Cas9を使って遺伝子編集した」です。どうやらヒトの受精卵の遺伝子を、CRISPRなんちゃらを使って、編集したようです。この論文では、遺伝子編集としていますが、ゲノム編集という言葉を使うことが多いようです。いずれにしても、遺伝子をもともとのものから変える技術です。この、遺伝子を編集するということが、私たちにとってどんな影響のある話なのでしょうか?
これから
ゲノム編集ってなに?
どんな論文なの?
私たちに何か影響があるの?
について話したいと思います。
ゲノム編集ってなに?
ヒトの体の中には、タンパク質をつくる情報である遺伝子が入っています。この遺伝子をつくりあげているものは、ATGCの4文字で表されるDNAという物質です。「ゲノム編集」は、文字通り、このDNAのATGCを「編集」する技術です。
編集に使うのは「CRISPR/Cas9」(くりすぱー きゃすないん)などの、目的の遺伝子の一部分だけを切り開いてくれるハサミです。切り開いた部分は、あらかじめ細胞が持っている遺伝子を修復する機能(新しいDNAをいくつか入れたり、DNAを削ったりしながらくっつき直すことができる)で、何事もなかったかのようにくっつきます。
今まで並んでいたDNAとは違う並び方になりましたね。そうすると、どうなるのでしょうか。
例えば、私たちの体をつくっていたタンパク質が遺伝子からうまく読みとれなくなって、タンパク質が正常につくられなくなるかもしれません。そんな風に使うことが可能です。
これを応用して、重篤な遺伝病の遺伝子の一部を切り取って、その遺伝子が働かないようにすることもできます。すでに動物実験や、ヒトの体細胞で実験を重ね、きちんと切り開いて、そのあと遺伝子を変えることができることを確認しています。これを「ゲノム編集」と呼んでいます。
すでに、私たちの体をつくりだしている「体細胞」の遺伝子を編集できるということは、数々の研究者たちによって証明されていました。
どんな論文なの?
ヒトの受精卵の遺伝子をゲノム編集の技術で編集できるか、たしかめた論文です。
ここでクリアするべきは、ふたつのこと。
この技術を使ってゲノム編集できるのか確認する!
目的外の遺伝子への悪影響がないかを確認する!
編集の対象にしたのは、ベータグロビンという遺伝子。この遺伝子に異常があると、正常な赤血球がつくれずに、命にかかわる貧血症(ベータサラセミア)になってしまうことがわかっています。この遺伝子にCRISPR/Cas9のハサミを入れることにしました。
使った受精卵は、不妊治療のための体外受精でできた「3つの核を持つ受精卵」です。体外受精をすると少ない割合で見られる現象で、卵子1個に対して精子が2個入ってしまうなどで、核の数が多くなった受精卵です。このような受精卵は、不妊治療では使わずに廃棄してしまうのが普通です。中国の研究者たちは、「決して生まれることのない受精卵を使ったことで、倫理的な問題は取り除かれた」と言っています。
この受精卵86個に対して、CRISPR/Cas9による操作を行い、効果が見られる48時間後まで待ちました。そのうち71個が生存し、さらに54個の遺伝子を調査したところ、28個の受精卵では、きちんと目的の遺伝子が編集できていました。
が、ここで問題が。実は、目的の遺伝子以外のたくさんの遺伝子も編集していたのです。
他の遺伝子も編集されていると何が問題なのでしょうか?
筋肉をつくるのに必要なミオシンやアクチンが編集されてしまって、ミオシンやアクチンがつくれなくなってしまったら、筋肉がつくれなくなってしまいますね。こんな風に、目的としていない他の遺伝子も編集されてしまうということは、まだまだ技術として未熟だということです。(体細胞や、他の動物を使った実験でも他の遺伝子が編集されてしまうということは報告されていますが、その割合はヒトの受精卵を使ったこの実験の方が圧倒的に多いとのことです)
私たちに何か影響があるの?
もしも技術が成熟して、目的の遺伝子だけを編集できるようになったら、実際の遺伝病の治療に使ってもいいでしょうか?
遺伝病の話?なら私には関係ないな、と思った方もいるかもしれません。でも、この話は人ごとではない!のです。ポイントは"気軽に"変えられること。目的の遺伝子で、すでにわかっているものなら使える可能性があります。
「自分の目の色は好きじゃないから、子どもには違う色の目をあげたい」と思う人は、目の色を司る遺伝子を、
「足の速い子が欲しい」と思ったらアスリートの研究などでわかってきた遺伝子を編集すればいい、
なんて考える人も出てくるかもしれません。
そうなったとき、私たちはどうするのでしょうか?
目の前の技術に飛びつく?
それとも、
技術はあっても、使わないというスタンスをとる?
いま、世界中の研究者たちも議論をしています。4月29日に、アメリカの国立衛生研究所(National Institute of Health 、通称NIH)から、声明が発表されました。その内容は、受精卵にゲノム編集を行うことを禁止する、というものです。理由は3つ。技術の安全性が確認されていないこと、倫理的な問題が残されていること。ここまでは上でもすでに話してきましたね。そして、もう一つは、次世代に受け継がれるDNAを改変してしまうことです。
中国の研究者が行ったサラセミアのような命にかかわる血液の病気に対しては、遺伝子治療というのがすでに行われています。患者さんからとった血液のもととなる体細胞に、遺伝子操作を加え、患者さんに戻すことで治す方法です。この場合は、患者さんの卵子や精子はもとのままで、子どもや孫に伝わることはありません。
ですが、今、話題になっている受精卵のDNAを変えてしまうということは、その受精卵から生まれてくる子がつくる卵子や精子のDNAも改変してしまうため、その子だけでなく、その次の世代にも影響が引き継がれることにつながります。仮にその子では何もDNAを改変したことによる影響が起きなかったとして、何世代も受け継いでからも何も起こらないという保証はない、ということです。
でも、今回の研究者たちのように、(最終的には)生まれる前から遺伝病を治せちゃう可能性もあるかもしれません。
さて、もう一度みなさんに聞きたいです。
みなさんだったら、この技術をどのように使いますか?
こんな風に、新しい技術ができてくるごとに、私たちはその使い方についても考える必要があるのではないでしょうか。
どこまでやってもよくて、どこからは避けるべきなのか。
その線引きについて、ご意見をお持ちでしたらぜひ教えてください。