ウイルス研究者とともに考える未来 vol.3

次のパンデミックに備えるためにわたしたちは何ができる?

シリーズ「ウイルス研究者とともに考える未来」は東京大学医科学研究所の佐藤佳さん、西村瑠佳さんと日本科学未来館の協働活動を紹介するブログです。


vol.1「研究者といっしょに実験するワークショップ」https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20250310pcr.html
vol.2「研究の最前線をのぞいてみたら、アツい思いがみえてきた。」https://blog.miraikan.jst.go.jp/articles/20250311post-546.html

次のパンデミックに備えるためにわたしたちは何ができるでしょうか?

 

未来館ではこの1年、ウイルス研究者である東京大学医科学研究所教授の佐藤佳さん、同じく特任研究員の西村瑠佳さんといっしょにこの問いについて考えてきました。この“わたしたち”に含まれるのは佐藤さん、西村さんのような研究者だけではありません。コロナ禍の時代を生きてきたみんながこの経験から教訓を得て、次のパンデミックに備える必要があると佐藤さんは考えます。

「すべての人々にひらかれたミュージアム」を目指す未来館。多様な人が集う未来館だからこそ、実際にその時人々がどんなことを感じながら生きていたか、思い出し、語り合う場所をつくることがきるのではないか、そしてそれは次のパンデミックに備えるための第一歩ではないかとわたしたちは考えました。

そこで2024111日~121日の約1ヵ月間、常設展内に「問いボード」を設置し、来館者のみなさん一人一人のコロナ禍の物語と教訓を聞いてみました。このブログではそこで集まった来館者のみなさんの声の一部をご紹介するとともに、そこから見えてきたこと、わたしたちが取り組みを通して考えてきたことを書きたいと思います。

佐藤さん、西村さんの研究を紹介するパネル(右)とともに設置された問いボード(左)。お二人の研究内容の詳細はvol.2をご覧ください。

687のコロナ禍の物語

問いボードで来館者のみなさんに投げかけた問いはこちら。

「新型コロナウイルス感染症が流行したとき何が大変だった?▶この経験を忘れないために、あなたや社会には何ができる?」

「▶(矢印)」で繋ぐ形で、2つの問いについて考えてもらい、1ヵ月間で687枚もふせんが集まりました。まずは▶の左側、「新型コロナウイルス感染症が流行したとき何が大変だった?」に集まった回答に焦点を当てて見ていきましょう。

集まった687枚の付箋の一部。一枚一枚、すべてに目を通しました。

感染症対策が大変だった

左から順に
「マスクをするのがしんどかった ▶ 手洗い、うがいをきちんとする」
「夏もマスクを付けることが辛かった。 ▶ ・語り継ぐ ・放映された当時の様子を特番として流す」

まず多くあがったのが、マスクをするのがしんどかったなど感染症対策が大変だったという声。コロナ禍では3密回避、ソーシャルディスタンスなど、それまではあまり聞き慣れない言葉も飛び交うようになりました。また、給食での黙食やリモートワークの一般化など、コロナ禍において新しく始まった習慣や、いつしかわたしたちの日常となった習慣について、パネルを前に思い出す来館者も多く見られました。

 

行事の開催が制限された

左から順に
「修学旅行がなくなった。文化祭も大きいイベントぜんぶ× ▶ 感染予防しつつも娯楽を大切に!」
「おうちでひとりぼっちでいたこと. 高校の卒業式がなくなった>< ▶ 日頃から感染症対策をする 正しい情報を得る」

感染症対策に関連して、学校行事やイベントの開催に制限があったことが大変だったという声も多くありました。中には一生に一度の機会を失ってしまったという方も多くいるのではないでしょうか。当時、大学で勤務していたわたしも、卒業式や入学式での入場人数に制限を設けたり、式を複数回に分けて実施するといった対応をしていたことを少し懐かしく思いました。

 

人とのつながりが失われた

左から順に
「高齢の祖母に会うことがままならなくなった。(感染予防で) ▶ ・日頃から気を付けて生活する ・ある程度からはリスクも受け入れてバランスをとる必要も感じた」
「人とのつながりや機会の損失 ▶ 伝え続ける 過去から学ぶ」

行事や外出の制限にともない、人とのつながりが失われてしまったという声。それに関連して人にうつしてしまうことが怖かったと語るふせんも多くありました。わたしも、左のふせんを書いた方と同じく、高齢の祖父母のことを考え、長い間実家に帰省することをひかえていたことを改めて思い出しました。

 

怖いのはウイルスだけじゃなかった

左から順に
「発生の第一号になる恐怖 感染したことを言い出しにくかった。 ▶ 正しい対策のノウハウを蓄積して安心して報告できる環境をつくる.」
「感染した人がわるいわけではないのに、どうしても避けてしまうこと。(distanceってだけじゃなくて、精神的にも><) ▶ じぶんだって感染することはあったし、誰がわるいなんてことはない!!」

ふせんを一枚一枚読みながら特に印象に残ったのが「人が怖かった」という声です。新型コロナウイルス感染症パンデミック時、都道府県ごとの1日の感染者の数が日々報道されるなど、感染者数の推移は人々の大きな関心の一つだったと思います。特にパンデミックの初期は、地域やコミュニティの中で初めての感染者になる、感染したことを言い出す際に人の目を気にしてしまうなど、何ともいえない恐怖感があったように感じます。また、右側のふせんの「感染した人がわるいわけではないのに、どうしても避けてしまうこと。」という回答に対しては、パネルの前でしみじみと「わかるなぁ。」とお話をする来館者の方と何度も出会いました。

ここまでご紹介してきたものだけでも、人それぞれコロナ禍で感じてきたことは様々であることがわかります。さらに、このブログの中では「感染症対策が大変だった」、「行事の開催が制限された」など、ふせんをグルーピングしご紹介していますが、それを書いた人々が当時置かれていた状況は学生であったり、妊娠中であったり、高齢のご家族と同居していたり、都心部に住んでいたり、留学中であったりと様々です。そのため、同じ回答でも実際にその人の中に流れるナラティブ(物語)は異なるかもしれないとふせんを読んでいて強く感じました。

“正しい情報”がもつ意味

集まったふせんを読み進めていく中で、ある言葉をとてもたくさん目にしました。それが“正しい情報”という言葉です。

左上から順に
「今まで普通だった生活をすることが難しかった。本当か判断できない情報であふれていた。 ▶ 「普通」であることを幸せに感じる。日々、正しい情報にアクセスする習慣をつけること!!!」
「正しい情報が何か、何を信じれば良いか分からなくて不安だった ▶ 日頃から知識を蓄えて自分で判断できるようにする 日頃から専門家が情報を発信する」
「目に見えない“ウイルス”への恐怖により、人間が過剰に神経質になっていたこと。 ▶ ネットなど情報にあふれている時代だからこそ、正しい情報を自分で判断する!!」
「中学校の修学旅行大規模変更 ▶ 新たなウイルスに対して正しい知識を早急に身につける」

矢印(▶)の左側「新型コロナウイルス感染症が流行したとき何が大変だった?」の問いにも、右側「この経験を忘れないために、あなたや社会には何ができる?」の問いにも、多くの方が“正しい情報”や“正しい知識”という言葉を使い、その時の経験や感じたことを表現してくれました。未曽有の状況下で様々な情報があふれる中、正しい情報を見極めて行動することが大切、といった言葉は当時もよく耳にしたように感じます。

佐藤さん、西村さんといっしょに実施をしたワークショップで参加者のみなさんと「新型コロナウイルスパンデミックのときに何を知っておきたかった?」という問いを考えていた時も“正しい情報”という言葉が多く登場しました。議論が正しい情報を見極めるにはどうすればいいかという内容に及ぶ中、ある参加者がこう投げかけます。

 

「公的機関の情報をあたったり、なるべく一次情報源を見るようにしていたけれど、では具体的にどう行動したらいいかわからなかった。人と人との距離といわれてもどれくらいなのかわからなかったし、わたしの場合は家族に高齢者がいて、一般的に発信されている情報と同じ対応でいいのかもわからなかった。」

 

この語りはわたしたちが “正しい情報”という言葉のもつ意味を深く考え直す機会となりました。例えばウイルスの感染力の強さなど科学的根拠に基づいた情報は確かに正しい情報かもしれません。しかしそれを知ったからといって、市民全員が適切に感染症対策をとれるとは必ずしもいえない。その情報をもとに自分がどう行動すればよいかということが本当に知りたい正しい情報なのではないでしょうか。

研究者にとっての“正しい情報”と市民一人ひとりにとっての“正しい情報”は違うかもしれない、この両方はどちらも欠かすことができない重要な視点です。

問いが書かれたホワイトボードを囲み、佐藤さん、西村さん、参加者がお話をする様子。

だれもわからないことだからこそ

次のパンデミックに備えるためにわたしたちは何ができるでしょうか?

 

再び最初の問いに戻ります。感染症は他の災害と比べると教訓が残りにくい、それがなぜなのか、いかにして社会として教訓を残していくべきかという佐藤さんの課題意識のひとつからはじまった未来館と佐藤さんたちとの協働の取り組みをシリーズブログでお届けしてきました。この問いについてわたしたちは明確な答えをまだもっていません。しかし、この活動を通じ、答えがないからこそ考えつづける機会をもつこと自体が大切なのではないかとより一層強く感じるようになりました。

来館者のみなさんのふせんでも、「この経験を忘れないために、あなたや社会には何ができる?」の問いについて、伝えていくこと、話す機会をもつことについて触れている回答が多くありました。

左上から順に
「妊娠中にコロナが流行した。感染しない様に大変だった。ロックダウンのためベビー用品が買いに行けなかった。 ▶ 感染対策をしっかりとする。大変だった事を子ども達に伝えていく。」
「外出したい」と思えなくなって、運動不足になったこと! ▶ 近くの人に「こんなことがあった」と話し、伝えていく」
「実はあんまり大変じゃなかったのかもしれない. 飲み会とか球場いけなくてちょっとつまんないなあくらいで. もう忘れちゃってるのか…?? ▶ 深刻な話ももちろんですけど、ふわーっと雑談みたく思い出話が出来てもいいかも. きっかけがないと忘れる.」
「たしかに学校に通えなくなったり、遊びに行く制限があったが、ゴロゴロしてばかりの生活になり、逆に今がキツい. ウォーキングや、色々な種類のアルバイトをしておけばよかった. ▶ 間違いなくコロナ禍は人生の中でも忘れることのない出来事だったから、今後のイレギュラーな事態に対応できるようにする. 新しいパンデミックや災害に対してのリスクを気にしておく.」

「次のパンデミックに備えるために社会全体で何ができるのか、明確な回答がない以上、これからもこのようなキャッチボールを続け、『みんなで考える』という土壌を育んでいくことが大切なのかもしれない。」と佐藤さんは言います。

だれもわからないけれどもわたしたち一人ひとりの未来に関わる大切な問いだからこそ、未来館ではこれからも研究者と市民の垣根を超えてこの問いを考え続ける機会をもちたいと思います。このブログを読んでくださったみなさんも当時のことを少し思い出し、この問いについて考えて、家族や友達とお話してみてください。

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