ニコニコ生放送で"これからのおやこのかたち"について語りました~インタビューパート~

今年4月にニコニコ生放送で放送したトーク番組「これからの"おやこ"のかたち ~第三者が介入する生殖補助医療を考える~」について、3本立てでブログをお届けしています。

写真:放送中の様子

前回のブログでお届けしたゲストパートに続き、2本目となる今回はインタビューパートについて書きます。このパートでは、次の3人に事前にお話を伺い、それをVTRとして放送しました。

1.精子提供で生まれた子ども:石塚幸子さん

2.代理出産により子どもをもうけた親:みっつんさん

3.不妊治療の経験がある不妊カウンセラー:鈴木さん(仮名)

インタビュー時間はそれぞれ1時間ほどだった(話に夢中になり、気づけばあっという間に1時間たっていました)のですが、繊細でとてもプライベートなことに真摯にお答えくださり、本当に貴重なお話を聞くことができました。できることなら視聴者のみなさんにもインタビューすべてをお届けしたかったのですが、放送時間は全体で90分。泣く泣く一人あたり5分ほどに編集して放送しました。

このブログでは、放送したインタビュー映像には入りきらなかった大切な部分を補いながら、3人のお話を紹介していきたいと思います。

1.精子提供で生まれた子ども:石塚幸子さん

石塚さんは、2016年2月に開催した「みらいのかぞくプロジェクト キック・オフイベント」でもご自身のお話をしてくださいました(そのときのブログはこちら)。今回も、第三者からの精子提供(以下「AID」:非配偶者間人工授精)によって生まれた子どもの立場として、インタビューにご協力いただきました。

きっかけは父親の病気

石塚さんが、AIDによって生まれたことを知ったのは23歳のときでした。きっかけは父親の持つ遺伝性の病気です。正式な病名を知るまでは男性にしか遺伝しないと認識していたその病気が、実は男女とも50%の確率で伝わるということがわかり、自分にも遺伝しているかもしれないと悩み始めたところ、母親から、実は父親とは血のつながりはないことを知らされたそうです。

事実を知らされたときの気持ち

事実を告げられたとき、母親から3つのことを言われました。1つは、父親とは血のつながりはないので病気は遺伝していないということ。次に、昔、慶応大学病院で第三者の精子提供を受けて子どもを作るということ(=AID)をやっていて、そこで石塚さんも生まれたということ。最後に、精子の提供者が誰かはわからないということです。これを聞いたとき、石塚さんはすぐには状況が理解できなかったそうです。そして、一番悲しくてショックだったのは、それまで母親がこの事実を隠していたことでした。病気が遺伝していなくてほっとした一方で、母親への怒り、悲しみ、苦しみ、さみしさなどが入り交じった複雑な気持ち。それが、事実を知らされた後に石塚さんが抱えた感情でした。

他の当事者との出会い

そうした複雑な感情を少しずつ変えていったのは、石塚さんと同じようにAIDで生まれた当事者の方との出会いでした。事実を知った後、同じ境遇の人が他にもきっといるはずと、当事者団体のようなものをインターネットで探してみましたが見つかりませんでした。その後、石塚さん自身がこうした生殖補助医療のあり方を問う活動に関わる中で、他の当事者の方と出会うことがありました。彼らも石塚さんと同じように、親に対する怒りや技術に対する不安を抱え悩んでいることを知り、「悩んでいるのは自分だけではない。悩んでもいいんだ」と思えるようになりました。他の当事者との出会いは石塚さんが複雑な感情を消化する上で、とても大きな助けになったそうです。

AIDという技術に対して思うこと

「私は、反対なんです」と、少し笑みを浮かべながら石塚さんはおっしゃいました。しかし、石塚さんがはっきりとそう言えるようになるまでには長い年月がかかっています。石塚さんは、当初は反対だと言ってはいけないと思っていました。なぜなら、この技術に反対することは、自分や親の存在を否定することにつながるのではないかと悩んだからです。実際、反対だと口に出すことで、それを聞いた人から非難を受けたこともありました。しかし、「当事者の存在を否定することと技術の是非を問うことは別であり、その技術によって人が生まれたからといって、もうその技術を否定することが一切できなくなるというのはおかしい」と石塚さんは言います。「特にAIDについては、生まれてきた子どもがどんな気持ちになったのか、またその家族の中でどんな問題が起こっているのかという調査もされず、事実を隠したまま技術の積み重ねだけでここまできている。しかし、私の例を見てもそれがうまくいっているとは言い切れないし、この技術で人がたくさん生まれてきているのだから認めるべきだというのはおかしい。この技術がこのままの状態で続いていくことはやはり反対だ」というのが石塚さんの見解です。

望ましいAIDのあり方

石塚さんにとって、血がつながっていないことはAIDに反対する理由ではありません。血がつながっていないことよりも、事実を隠されてきたことの方がショックでした。「もし」と強調しておっしゃるには、「小さな頃に血のつながっていないことを告知されていて、それが私たちの親子の形なんだと言われて育っていたら、きっと受け止め方も違っていたのではないかと思う」とのことでした。

提供者のことを知りたいと思いますか?

石塚さんは提供者のことを「遺伝的な父親」とは言いません。石塚さんにとって父親とは育ててくれた父親のことを意味するからです。しかし、提供者のことは知りたいと思っています。それは単に提供者の身体的特徴や環境を知りたいからではありません。「自分が生まれたルーツに、精子提供者が"人"として実在し、関わっていたのだということを確かめたいからです。だから一度でもいいから会わせてほしいと思っている」とおっしゃいました。

出自を知る権利のこと

出自を知る権利には二段階あると石塚さんは言います。まずは、親から子への告知の段階。そして、子どもが知りたいときに知りたい情報を手に入れることができる段階です。しかし、誰もが知りたいわけではないし、知りたいとしても知りたいタイミングは人それぞれです。だからこそ、提供者の情報をきちんと保存し、知るためのサポート体制も整備した上で権利を保障してほしいと思っているそうです。その二段階が認められないのであれば、やはりこの技術を使うべきではないとおっしゃいました。

親子をつなぐものとは

AIDの場合は、「事実を隠しておけば『一般的な家族の枠』に入ることができるからこそ、事実を言わなかった、言えなかったのだと思う。しかし、そうすることで失ったものは親子の信頼関係。AIDを使って子どもを授かった親も、嘘をつきたかったわけではないと思う。一般的な家族の枠におさまることが重要なのではなく、そのままの親子の形を認めてくれる、いつでも安心してそこにいてもいいと思える関係が大事なのではないか」──それが石塚さんの思う望ましい親子の形でした。


インタビューによどみなくお応えになる姿を見ながら、石塚さんがこれまでにどれだけの悩みや葛藤と向き合ってきたのだろうと想像してみたものの、想像できたのは私には到底計り知れないものだということだけでした。

子どもがほしいと思う親の気持ち、生まれてきた子どもの気持ち、それをとりまく人たちの気持ち、様々な感情が交錯する中でこうした技術とどう向き合っていけばよいのでしょうか。放送中に寄せられた視聴者のコメントからも、みなさんが親と子ども両方の視点から考えてくださっていることが感じられました。

2.代理出産により子どもをもうけた親:みっつんさん

みっつんさんは日本人の男性です。スウェーデン人の男性とスウェーデンの法の下に同性婚をし、スウェーデンに住んでいます。今回は、アメリカで代理出産により子どもをもうけた親の立場として、インタビューに応えてくださいました。

子どもがほしいと思ったきっかけ

みっつんさんはもともと子ども好きでしたが、自分が子どもを持つことが現実的とは考えていませんでした。あるとき、夫親族に赤ちゃんが生まれたことから、自然に二人で子どものいる家族について話すようになりました。それから、子どものいる友人家族とふれあったりするにつれ、少しずつ子どもを持とうと変化していったそうです。

代理出産を選んだ理由

実際に子どもを持つことを決めた後、お二人はどういう方法で子どもを持つかを調べ始めました。選択肢は、代理出産と養子縁組でした。

子どもを持つ方法を調べ始めた当時お二人が住んでいたイギリス・ロンドンでは、養子縁組の審査が厳しく、かなりの年月がかかる上、必ず養子を迎えることができるとも限らなかったそうです。イギリスでの養子縁組には持ち家が必要であり、特にお二人の場合はイギリスに住む外国人の同性カップルということもあり、養子縁組の審査条件をクリアするのはかなり高いハードルだったとのこと。代理出産もかなりの期間と費用が必要ですが、子どもを持てる可能性がより高い代理出産をお二人は選びました。

また、代理出産には代理母と卵子提供者が同じである「トラディショナルサロガシー」と、卵子提供者が別で体外受精(IVF)が必要な「ジェステイショナルサロガシー」があります。イギリスでは、金銭の授受を伴わないサロガシーであればどちらも違法ではありません。しかし、トラディショナルサロガシーは、代理母が懐胎した子どもに対し思い入れが強くなる傾向にあることで、ジェステイショナルサロガシーに比べ代理母自身への心理的負担が大きくなりかねない。一方で、ジェステイショナルサロガシーの場合は法的整備が十分でないことから、依頼者カップルと産後のトラブルに発展する可能性もあるそうです。お二人は、子どもを持つ実現性の高さや出産する女性自身への負担などを十分に調べ、相談しました。その結果、依頼者カップルや女性、子どもなど、かかわるすべての人にきちんと配慮した仕組みができているアメリカで、ジェステイショナルサロガシーによりお子さんをもうける決断をしました。

その決断まで、またそれから実際にアメリカの専門機関に登録して子どもをもうけるまでの道のりは簡単ではありませんでしたが、一度子どもを持とうと決めた気持ちが変わることはなかったそうです。むしろ、どうやったら子どもが持てるかという強い思いでお二人は前に進み続けました。

子どもに出自をどのように伝えるか

「すべてありのままを伝えたいと思っています」。みっつんさんは、そうはっきりお応えになりました。

アメリカのクリニックでは、どうやってお子さんが生まれてきたのか、どういう思いがそこにはあったのかを、例えば絵本などを使いながら少しずつ伝えていく方法を教わったそうです。

お子さんが生まれてから約1ヶ月、お二人はアメリカに滞在していました。その間、出産した女性とも一緒に時間を過ごしていたそうです。アメリカを離れる前日、彼女がお二人とお子さんを自宅に招待し、あるプレゼントを渡してくれました。それは一冊のアルバム。彼女がどうして代理出産を引き受けようと思ったのかという気持ちや、みっつんさんカップルとどうやって知り合ったのかといういきさつが綴られており、お腹が大きくなっていく様子の写真などが納められていました。みっつんさんは、このアルバムをお子さんが見ることでも出自を知ってもらうことができるとおっしゃっていました。

代理出産する女性の権利

みっつんさん自身も、代理出産などに対する最初のイメージはネガティブなものでした。どうしても子どもを持つために女性の体を利用しているという印象が拭えなかったからです。実際に自分が代理出産で子どもを持つことを考えたとき、「本当に大丈夫なのだろうか」という不安から、いろいろなことを調べ始めました。その中で、代理出産する女性、生まれてくる子ども、依頼するカップルの権利が十分に保障されていないことがトラブルを招いていることがわかってきました。代理出産ができる国はいくつもありましたが、この三者の権利が十分に保障されていると思えたのが、お二人が選んだアメリカでした。用意されたルールに従ってステップを踏んでいけば女性の権利を搾取することはないと思えたこと、また代理出産を引き受けたいという女性自身の思いを知ることもできたことが、アメリカを選択することにつながりました。

家族や親子の多様性

みっつんさんが代理出産という方法で子どもをもつことを決めるまでに、たくさんのことを調べ、考えなければなりませんでした。初めは、子どもがほしいと思う気持ちは人間だったら当たり前だと無意識に思っていたそうです。けれど、たくさんの人と「子どもを持つこと」について話すうちに、子どもを持ちたいことは決して当たり前のことではなく、一人一人が描く家族の形や将来像は、それぞれの価値観によって違って当たり前であることに気づきました。それでも「やっぱり自分は子どもがほしい」と思って選んだのが代理出産でした。今、みっつんさんは毎日がとても幸せだと言います。それは、いろんなことを調べ、たくさんの選択肢や生き方があることを知った上で、現在の選択に至ったからだそうです。

だからこそ、自分たちの選択は誰にでも当てはまるものではなく、子どもを持つか持たないか、子どもを持つならどんな方法で持つのか、その全ての選択を認め合える社会だったらいいなと思う、と優しくおっしゃっていました。


自分の選択を押しつけるわけではなく、ただ子どもをもちたいという気持ちとまっすぐに向き合った経験を話してくださったみっつんさん。「みんなの選択を認め合える社会だったらいいな」という思いは、みらいのかぞくプロジェクトの目的にも通じるものがあります。しかし、国によっては代理出産する女性、子ども、依頼者の権利が十分に保障されないまま、商業的に代理出産が行われるケースがあるのも事実です。こうした背景を受け、2015年にはタイやインドで外国人の依頼による代理出産が禁止されました。みっつんさんも言っていましたが、法律がただ何かを縛るものではなく、誰かの希望になるものであればと願います。

↓みっつんさんのブログ↓
代理出産のご経験や日々の子育てについて綴っています。

 ふたりぱぱ / スウェーデン x 日本、ゲイカップルの子育てブログ(リンクは削除されました。また、URLは無効な場合があります。)

3.不妊治療の経験がある不妊カウンセラー:鈴木さん(仮名)

鈴木さんは不妊カウンセラーとして、主に電話やメールで不妊や不妊治療に悩む方からの相談を受けています。ご自身も不妊治療を経てご出産した経験があります。今回は、相談者や周囲の方が特定されることのないようにとの配慮から、実名と顔を伏せてインタビューにご協力いただきました。

不妊カウンセラーという仕事

不妊や不妊治療に悩みを抱える方のお話を聞く仕事です。治療に関する一般的な情報を提供することはできますが、医療者ではないため専門的な診断はできません。昨今、不妊治療を行う医師はとても忙しく、患者一人一人の気持ちまでを十分にケアをする時間がとれないこともあります。また、病院などにも不妊カウンセラーがいることはありますが、治療内容の説明を主な役割とする傾向があります。鈴木さんの行うカウンセリングでは、医師や周囲の方には相談できない思いを聞き、共感するということを行います。国家資格はなく、いくつかの学会が不妊カウンセラーの認定をするための講習を行っています。鈴木さんも学会のひとつから認定を受けて不妊カウンセラーの活動をしています。

相談者の傾向

不妊カウンセラーとして十数年のご経験を持つ鈴木さんですが、相談者の傾向も変わってきているそうです。大きく違うのは、1つは相談者の年齢が高くなってきていること、もう1つは親族からのプレッシャーを受けて相談に踏み切ったという方が減ってきていることだそうです。

相談の内容は一人ひとり違いますが、治療期間が長くなると大きな傾向として、「毎回、試験に落ちている感覚になってしまう」「出口の見えないトンネルにいるような気がする」「次はうまくいくかもしれないと思うとやめるタイミングがわからない」といった気持ちになる方が多いようです。

自身の不妊治療中に、救われた言葉

鈴木さんご自身も、治療を始める前の2年と治療を始めてから2年の計4年、不妊と向き合った時期がありました。

ある時、テレビで野生動物に関する番組を観ていたときのことです。「生き物は強い者が子孫を残していく」という言葉を聞き、鈴木さんは、子孫を残したくても残せないでいる自分が生き物として失格ではないかという思いにとらわれるようになりました。

そこで鈴木さんは生物学に詳しいご友人に、そうした自分の思いをメールで告げたそうです。するとそのご友人から「自然界の動物は人間のように、猛暑の屋外とエアコンの効いた室内を出入りしたり、時差のある地域に飛行機で行き来したりしていない。自分を自然界の動物と同じように考える必要はないよ」と返ってきました。その言葉は、それまで鈴木さんがとらわれていた枠の外から物事を見るきっかけを与えてくれ、それ以来すごく気持ちが楽になったそうです。

自身の不妊治療中に、傷ついた言葉

鈴木さんがある病院に不妊の相談に行ったときのことです。意を決して相談した医師から、「やりかた間違ってんじゃないの?」と冗談めかして言われました。きっとその医師に悪意はなく和ませようとして言ってくれた言葉だとわかったものの、不快な気持ちになったことを今でも覚えているそうです。

今も不妊治療のフィールドにいる理由

鈴木さんは、不妊治療を経て妊娠・出産をしました。妊娠がわかったとき、不妊治療を受けていたことを知らない方から「良かったね」という言葉をもらいました。一見、よくある言葉に思えますが、鈴木さんはそのとき違和感を覚えました。

「子どもがほしかったかどうかを知らないのに、どうして"良かった"のだろう。子どもができなければ"良くなかった"のだろうか」と思ってしまったそうです。もちろん、その方に悪意はまったくなく、一緒に喜んでくれていることはそのときも十分に承知の上で、それでもこう思ったそうです。

自分が不妊を経験し、治療の辛さだけしか見えなくなってしまった時期を越えていざ目が覚めてみると、「生めない=良くないこと(残念なこと)」という世間の認識がなくならない限り、不妊の方が抱える辛さはなくならないだろうということに気づきました。この経験から、不妊に悩む方のサポートが何かできないかと思い立ち、不妊カウンセラーという仕事にたどり着いたそうです。

この仕事で大切にしていること

鈴木さんが心がけているのは、まずはありのままの思いを受け止めることだそうです。その上で、はぐらかさず、軽くあしらわず、わかってもいないのにアドバイスをせず、思いを受け止め続けます。すると、それまで誰にも言えなかったことも話してくれるようになる方がいらっしゃるそうです。そうやって、自分の気持ちを吐き出し向き合っていくことで、自分自身が本当にやりたかったことや進みたかった方向に気づく方がいます。そして、その時の自分自身の答えを出せる方がいます。そういう自己決定のお手伝いをしていくことがこの仕事の役割だと鈴木さんはおっしゃいました。


鈴木さんが「良かったね」の言葉に覚えた違和感のように、不妊治療をご経験された当事者でしかわからない新しい視点を知ることができました。一方で、こうしたお話を聞かない限り、当事者以外は気づけない視点とも言えるかもしれません。鈴木さんは「生んでも、生まなくても、生めなくても上下をつけられず、誰もが生きやすい選択ができる社会であってほしい」とおっしゃいました。これは3人のお話に共通している部分でもあり、今回のインタビューが、多様な価値観に触れ、そうした社会について考えるきっかけの一つになってくれたらと思います。

さて、インタビューパートはこれで終わりです。

3本目となる最後のブログは、アンケートパートです。インタビューパートに関わる3つの問いについて、視聴者と一緒に考えていきました。

視聴者からはどんな反応が得られたのでしょうか?

次のブログもぜひご覧ください!

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