皆さん、こんにちは。科学コミュニケーターの綾塚達郎です。
すっかり暖かくなり、ツツジがきれいに咲きました。
季節が変わると、気温や日光の強さ、雨の量など環境が変わります。植物にとっては、それ以外にも隣に生えている植物や虫、土の栄養バランスなど気になる環境条件が様々あります。植物は動きません。そこで、環境に合わせて茎、葉、花...と、自分の体を巧みに変化させています。
このような変化はいったいどのような仕組みで起こっているのでしょうか。いろんなことがわかるようになった今でも、実はまだ謎だらけです。こうした謎に世界中の研究者が日々挑戦し続けています。
「令和2年みどりの学術賞」を受賞された福田裕穂(ふくだひろお)先生もその一人です。『「植物の木質形成機構の解明とバイオマス利用基盤の構築」に関する功績』というタイトルで受賞されました。この記事では、福田先生の研究の中でも初期の研究について、論文の裏にある謎への挑戦の物語をご紹介します。
「良い問いを投げかけると、植物は答えを返してくれる」
福田先生はこのように言います。福田先生が研究を始めたのは1970年代でした。今よりもさらに多くのことが謎に包まれており、高性能な実験器具も今ほど多くありません。このような中、福田先生はどのように植物の仕組みの謎へ挑戦していったのでしょうか。
まず、どこから手をつけるか?
なぜ、植物はたくさんの葉っぱを生やしたり、そうかと思えばあるとき急に花を咲かせたりするのでしょうか。さらに、植物はほんの小さな切片から新しい植物体を丸々再生させることすらできます。福田先生はこうした仕組みの謎を解明したいと考えていました。
しかし、とにかく謎だらけの中で急にそのすべてがわかるはずもありません。まずどこに目をつけるべきか、これを決めるのがとても難しいのです。わかり切ったことを調べても新しい発見にはなりません。今ある知識や技術、実験材料、実験器具の限界を超えすぎていても失敗します。分かるか、分からないか、その微妙なラインを見抜くのが腕の見せ所となります。
研究に適したシンプルな構造はあるか?
1つの細胞がやがて大きな組織を形作っていくような大きなプロセスは、調べるには複雑すぎると福田先生は考えました。そうしたプロセスが進むにはたくさんの条件を調べなければなりません。例えば、細胞分裂が盛んな場所といえば茎や根の先端が知られていました。ですが、ここにある細胞はいろいろなタイプの細胞へとダイナミックに変身していくため(これを分化と呼びます)とても複雑です。
そこで目を付けたのが維管束でした。維管束は根から茎にかけて中心をとおっている細長い管のような組織です。水を運ぶ「木部」や栄養を運ぶ「師部(しぶ)」、この2つに挟まれた「形成層(けいせいそう)」などからできています。この形成層には維管束幹細胞(いかんそく・かんさいぼう)という細胞があります。この細胞は、状況に合わせて木部や師部どちらかの細胞に分化するだけでなく、自分自身を増やすこともできます。維管束幹細胞が完全に木部や師部の細胞に分化して無くなってしまうと、それ以上維管束は大きくなれないからです。
維管束幹細胞は、自分自身を維持しながら師部または木部のどちらかに分化します。実はここにも非常に巧妙な仕組みがあるのですが、根や茎の先端に比べれば比較的シンプルで扱いやすい部位でした。
実験材料は何を使う?
当時、指導教官の先生と一緒に選んだ材料がキクイモという植物でした。
根のイモの部分をスライスし、その一部が木部の細胞へ分化する様子を観察する実験でした。このときのキクイモは東京教育大学(筑波大学の前身)附属駒場キャンパス内の野生のものを掘り起こして使っていました。
しかし、野生のもの、というのが大きな問題となっていました。田んぼの稲や畑のナスのように、みな一斉に咲き、ある程度同じ大きさや形になるのは、自然界では稀なことです。野生の植物は環境の変化で全滅しないよう、あえて不揃いになることが多いのです。
イモごとに個性があるため、実験条件を均一に揃えるのが大変でした。また、イモのスライスを観察するのでは、本当に見たい分化している細胞が大きな組織のうちのごく一部にすぎません。全体で見ると分化しない細胞の割合が多くなるため、実験や解析に不向きでした。
1つの細胞に起こる変化を追う
細胞は隣同士で複雑なコミュニケーションをとっています。これも実験を難しくする理由の1つとなっていました。そこで思いついたのが、バラバラにした細胞1つがどのように分化するか、という実験方法でした。
福田先生は、植物の細胞がいろんな組織に分化する仕組みの本質について、別の考えを持つようになっていました。
1つの細胞の中で起こる分化のプロセスに本質がある、と。
今までは組織の中にある細胞を観察していましたが、1つの細胞のままで分化させる実験方法が望ましいと考えました。そして、ヒャクニチソウを実験に使うアイデアに行き当たりました。
ヒャクニチソウの葉を乳棒と乳鉢で磨り潰すと、簡単に葉の細胞をバラバラにできることが分かったのです。一見、どんな植物でも同じようにすれば細胞をバラバラにできそうにも思えます。ですが、これができる植物は、タケニグサ、アスパラガス、落花生の若い葉などごくわずかでした。
効率が悪い!機械がほしい!
これで1つの細胞を使った実験の準備が整いました。バラバラにした細胞を木部の細胞へ分化させることにしました。
しかし、またしても実験の壁にぶつかります。乳棒と乳鉢で実験に必要な分の細胞をバラバラにするのはとても大変だったのです。また、その作業を行えそうな装置を購入するお金は研究室にはありませんでした。
どのような巡りあわせか、その時たまたまゴミ置き場に捨ててあった、壊れたワーリングブレンダーを見つけました。なるほど、これは使えそうだとなり、当時の助手の坂野さんに手伝ってもらい直しました。しかし、これでもまだ問題は残っていました。たとえば、細胞をきれいな状態で培養するためには装置を無菌化する必要があります。そこで、ブレンダーのカップと刃を高圧蒸気で滅菌し、それ以外の装置を紫外線室に放置することで無菌化することができました。他にも、細胞をバラバラにする条件を揃えるために、刃の回転数を同じにする工夫も行いました。
「葉が健康的で美味しそうに見えた」~壁を乗り越えたある日の閃き~
実験方法が整い、細胞1つひとつの分化を観察する研究が本格的にスタートしました。しかし、やはり苦悩は続きます。培養の条件を工夫しても、なかなか期待通りに分化しなかったのです。この難関を突破する鍵が、細胞の材料となるヒャクニチソウの育成にありました。
「実は、実験材料として優れた葉を持つ植物を育成することが一番難しかったことです」
すでに山ほどの壁が立ちはだかってきましたが、福田先生はこのように言います。
当時、どのような葉の細胞が実験に適しているかが不明でした。その上、たくさんのヒャクニチソウの芽生えを均一かつ健康に育てる方法が分かりませんでした。土や種の準備から始まり、水、光、温度といった条件など、調整しなければいけない条件が次々と出てきました。とにかくわからないことが多かったのが実験材料としての植物の育成だったのです。
1年ほどたつと、少しずつヒャクニチソウを育てるのが上手になってきます。芽生えから健康な植物を育てられるようになりました。
そして、そのときが来ます。
「14日目の芽生えのちょうど広がりきった葉が健康的でおいしそうにみえたのです」
それまでは成熟した植物体の葉を使っていましたが、この閃きにしたがって若い葉で実験することにしました。細胞壁が弱かったため、生育環境の浸透圧を調整することで奇麗に培養できるようになりました。こうして、再現性よく高い頻度で分化させる実験方法を作ることができたのでした。
定説を覆し、細胞分化の謎を解き明かす
当時、細胞が分化するときは、いったん自分のコピーをつくってから分化すると考えられていました。しかし、1つの細胞を別々に見る実験方法のおかげで、細胞の分化は個別に起こることが新たに証明されました。
植物の細胞がいかにダイナミックに分化するか、その謎をひとつ、解き明かしたのでした。
その後も研究は続く
福田先生はその後も根気よく同じ実験を使った研究を続けました。当時、「ここまで1つのことをずっとやり続けているのは珍しい」と研究室外の方から言われるほどでした。
「私の知りたい、植物における分化の原理を、この実験系を使って明らかにすることが継続的にできたからです」
福田先生がゼロから作り上げた実験方法が、植物の仕組みの謎を解き明かすのにいかに優れていたかがわかります。
そうして時は流れ、新たな研究技術が次々と生み出されるようになりました。それまで簡単にできなかった遺伝子解析も1980年代後半ごろから盛んになっていきます。国内外いくつかの大学・研究所に移動しながら多くの研究者と出会い、福田先生の研究は続きました。
...今回の記事はここまでにしたいと思います。
私たちがふだんニュースで目にする研究は、新しくわかった結果について大きく語られます。ですが、研究の世界において、その結果は無限に続く謎の一握りであり、過去のたくさんの研究に支えられて初めてわかるものです。こうした謎の物語を紐解いてみて見るのも、とても味わい深いものだと私は感じています。