7月初めのこと。執務室の一画で育てている、個人的な家庭菜園のお話。
大事なトマトがへこたれた。
新芽の勢いは弱く、ついには新しい花もつかなくなってしまった。
水が足りない?──いや、土は湿っている。
日照不足?──いや、室内とはいえガラス張りの部屋。日の光はわりと当たる。
カビなどの病気?──いや、雨に当てていないので泥はねで葉が汚れることもない。
いったい、何が足りないというのだ?
私は大学院で牛やイネなど農業に関する研究を幅広く行い、農学修士を取得した。現在は日本科学未来館でゲノム解読やゲノム編集などの生物学についてリサーチし、発信する機会も多い。農学や生物学に関する知識はある程度持っているつもりだ。
そんな私が今、目の前のトマトの機嫌を取るどころか、なぜ機嫌が悪いかすらわからないでいる。
そんなとき、偶然、園芸の経験がある同僚スタッフに出くわした。その人は高校生のときに花屋でアルバイトをしていたという。トマトを少し見るなりこういった。
「あぁ、風通しが悪いからじゃないでしょうか」
──風通し!
室内と言ってもある程度広い部屋。空気が薄いわけではなさそうだ。葉っぱは見ての通りスカスカで、窒息しそうな気配はみじんもない。それなのに風通し?
「室内で植物を育てている人から、似たような症状の相談がけっこうありました。風通しが原因になっていることがよくありました」
正直、その可能性はぜんぜん思いつかなかった。まだまだ知識が足りないなぁ、この世界にはいったいどれほどの知らないことがまだあるんだろう、としみじみ感じた。
そして、さっき自分が考えていたことを思い出し、ふと気づく。
…アドバイスをもらう前、自分が持っている知識の中に答えはある、とちょっと思っていたな。
私が研究をしていたころ、「隣の研究室の研究内容を全く知らなかった」ということがたまにあった。似たような分野の研究でも、例えば植物の種類や実験方法が少しでも変われば見えるものがガラッと変わることはよくある話だ。ここで大切なのは、自分が持っている知識でわかったつもりにならないこと。なぜなら、世界のいろんな面白いことを見つける目を濁らせるからだ。
先ほどの同僚スタッフからは、他にも肥料のあげかたや水やりのしかたについても教わった。その人曰く、触った感じ、茎がやわらかいから水もやりすぎなのでは、とのことだった。まさか触診も大切な情報源になるとは。そういわれれば、私のイネの研究では茎の硬さのデータをとったことはなかった。これも私の中になかった知識だ。
知らないこと、わからないことはもっとたくさんある。でも、そこに素直になれば、新しいことを知るチャンスになる。このことを思い出させてくれたトマトと同僚スタッフに感謝。
早速、トマトを風通しの良い屋外に出してみた。きっと1週間後くらいには元気になってくれることを祈りつつ、わからなければまた調べたり、同僚スタッフに相談してみたりしようと思う。