さて皆さん、立春の卵、試してみましたでしょうか??
大澤はやってみました。見事、立ちました。
そしてこれが、立春を3日過ぎた2月7日。皆さんがこのブログを読むのがいつだったとしても、実は、「今日も卵は立つ」のです。
これ、実は「立春の卵」というタイトルで中谷宇吉郎という科学者がかつて書いた大変面白いエッセイを基にしています。このエッセイの中では、「立春の日に卵が立つ」という言い伝えを実際に実験してみて、またそれが立春の日に限らないということを示し、さらに「なぜ卵が立つのか」ということについての説明もなされています。肝心なところはぜひ本文を読んでほしいですが、要は、卵の重心からまっすぐおろした線が、卵の表面のざらざら(つるつるのようで、よく見るとざらざらしてますよね!)によって作られる「底面」の中を通過していれば立つ、ということです。
ただ実験して「立った!」と思うだけでなく、原理に関する説明をきちんと行う姿勢は、とても科学者らしいなぁと感じます。
説明があるだけでなく、その周辺のストーリーもとても面白い(ちょっと古さを感じる部分もありますが……)です。すでに著作権が切れていて、全文がウェブ上で公開されているので、卵を立ててみた方も、立ててみなかった方も、立てられなかった方も、ぜひ皆さん読んでみてください。
大澤の経験談
私は大学生の時に、大人が10人ほど集まる場所で実際にみんなで卵を立ててみるというイベントをやってみたことがあります。これ、大人数で(しかも、おとなが集まって!)やってみると結構面白いことが起こるのです。
まず、「卵を立ててみてください」と言われたとき、みんなまじめには取り組みません。きっと、「そんなこと無理でしょ?」と心の中で思っているからだと思います。いくら私が、「いや本当に立つんですよ!」と言っても、みんな疑っています。しかし、そんな中でも何人か私を信じてまじめに取り組んだり、あるいは私自身が一生懸命取り組んでいるところを見たりする中で、そのうちに一応やってみてくれる人が増えていきます。
試していただいた人は信じてくれると思いますが、10分もすれば1人、2人と卵を立てることに成功し始めます。ここですごく面白い現象が起こります。さっきまで半信半疑だった人たちも、あれ、本当に立つんだと一生懸命取り組み始めるのです。そこからはもう全員が立てられるまで何分もかかりません。みんな、さっきまで信じていなかった現象を自分の手で再現し始めます。制限時間の中で自分の手で立てられなかった人がいても、例えば「今回は立てられなかったな、また家でチャレンジしよう!」と思うのです。そんなことで、もはやその場に「卵は立たない」と思っている人は一人もいなくなります。
私はそんな状況を見て、いろいろなことを感じました。例えば、「信じていないと成功できないんだなぁ」という精神論じみたことを思ったりします。何かをやってみるときには、その成功を本気で信じていないとどこかで手を抜いてしまったり、そもそもチャレンジをしなかったりするものなのかもしれません。
あるいは、「ここで起こったことは、研究をしているときに起こることに似ているなぁ」とも思います。例えば、私たちは科学の論文に書かれていることを、必ずしも自分の手で再現していなかったとしても信じるのです。そういう意味で、論文を読むということは、となりで卵を立てている場面を目撃することととても似ています。もちろん、自分の手で卵を立てる現象を再現する——科学の世界では、それを例えば“追試”と呼んだりするでしょうか?——人もいます。でも、それは全員に課される課題ではないのです。おそらくこのブログを読んでいただいた方の中にも、自分では立てていないけど、でも卵が立つということ自体は信じたという方がいるのではないでしょうか?
とまぁ、私はそんなことを思いながらこの実験をやっています。ちなみに中谷本人はエッセイを以下のように結んでいます。
卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細(ささい)な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。
私たちのまわりには“まだ立っていない卵”、つまりまだ誰も見つけていないようなささいな盲点があるだろう、そしてそれらは実は人類の歴史に大きな影響を与えているのかもしれない。そんなことを中谷はこの実験(事件?)から感じたようです。なるほど、と思います。
みなさんも身の回りで、“まだ立っていない卵”を探してみるのはいかがでしょうか。面白いものが見つかったら、ぜひ教えてくださいね!