みなさん、こんにちは。科学コミュニケーターの廣瀬です。
10月5日(水)に発表された今年のノーベル化学賞はキャロリン・ベルトッツィ先生、モーテン・メルダル先生、バリー・シャープレス先生が受賞しました。おめでとうございます!
シャープレス先生は2001年にノーベル化学賞を受賞されており、2回目の受賞です!
受賞理由には「クリックケミストリーと生体直交化学の開発」とあります。私自身も「クリックケミストリーとは?」「生体直交化学とは?」となっているので、今回のブログで詳しく書いていこうと思います。
クリックケミストリーとは?
「クリックケミストリー」とは、シャープレス先生が提唱した概念で、以下の条件を満たすものです。1)
条件1:保護基を用いなくても高収率かつ高選択的に進行し、副生成物が発生しない
条件2:反応操作が簡便でかつ精製が容易である
条件3:多様な原料の入手が容易である
条件4:熱力学的に不可逆な反応である
条件5:水中およびバッファー(緩衝溶液)中など、生理的条件下でも反応が進行する
ひとことで言うならば「目的の有機化合物を作る際に、無駄が少なく、実験操作が手軽な化学反応」となります。特に条件1にある「選択的に分子どうしが結合する」様子が、シートベルトがつながるときの「カチッと音が出る」様子(=英語ではクリックと言います)にたとえられました。それが「クリックケミストリー」という命名の由来です。この5つの条件を満たす化学反応を起こすのは非常に難しく、すべてを満たす「クリックケミストリー」は化学者にとってはまさに夢のような化学反応なのです。特に条件1、2、4、5については、私自身、大学院で有機化合物を使った化学反応(有機合成)の研究をしていたので、難しさがよくわかります。その経験を踏まえて、今回の受賞研究についてお話していきたいと思います。
有機合成は大変
まず、条件1と2についてです。化学反応において、ある有機化合物を作ろうとすると、目的とは違ったものができることがよくあります。その場合、目的とする有機化合物とそうでない化合物を分ける操作(精製)が必要になります。この精製という作業がかなり大変で、1回の化学反応ごとに毎回行うこともあります。1回の精製でうまく分かれてくれればよいほうで、分子によっては複数回にわたって、しかも違った方法で精製することもあります。この精製に1日を費やすこともありました。
次に、条件4についてです。これは高校化学に出てくる化学平衡、特にルシャトリエの原理の話です。加熱したり、圧力をかけたりすると、せっかく作った有機化合物が元の原料に戻ったり、分解されたりすることがあります。極端な話ですが、冬に作った有機化合物が夏の暑さで元の原料に戻ったり、分解されたりしてしまうこともあります。
最後に条件5についてです。有機合成では水を使った化学反応はあまり多くありません。というのは、多くの有機化合物が水に溶けにくいために反応が進まなかったり、反応に使う有機化合物や分子が水によって分解してしまったりするから2)です。
条件3については、目的の有機化合物やその作り方によって難しさが変わってきます。もし特殊な原料が必要な場合には、自分でその原料を作ったり、高いお金を出して買ったりしなければならず、容易とはほど遠くなってしまいます。
条件1~5を達成することが、いかに大変かが伝わったでしょうか。このすべてを満たしている「クリックケミストリー」はすごいということです。
クリックケミストリーの代表例、1,2,3-トリアゾール
クリックケミストリーの全条件を達成した化学反応の代表例が「1,2,3-トリアゾール」という「五角形の構造」を作る化学反応です。これは、アジドと呼ばれる窒素原子が3個連続してつながった状態(二重結合が2個)のものとアルキンという炭素原子が2個連続して並んだ状態(三重結合)のものを結合させる(化学反応)ことでできる構造です。シャープレス先生とメルダル先生のお二人の功績は、この構造を作る化学反応に関わっています。
末端にそれぞれアジド、アルキンをもつ分子を一緒に加熱すると、2種類の1,2,3-トリアゾールの五角形構造をもつ分子を作ることができます。この反応は1961年に知られていましたが、当時はあまり注目されていませんでした。この反応が注目され始めたきっかけは、シャープレス先生とメルダル先生が銅触媒を用いて、片方だけの1,2,3-トリアゾールを作る反応を発見したことです。
また、この反応は25℃という比較的低い温度で、かつ水中でも進行することもわかりました。お二人の功績は、「触媒に銅を用いることで1,2,3-トリアゾールを含む有機化合物を位置選択的かつ高効率で得られること」と「高温を必要とせず、水中でも反応すること」の2つを見出したことです。
1,2,3-トリアゾールの五角形構造を作る反応が「クリックケミストリー」の代表例になったのは、その後の研究で、2つの利点が明らかになったからです。5)。
利点1:イオンやラジカル中間体を経由しないため、反応系中は比較的安定で、かつ他の官能基に対し反応性がほとんどない。さらに、水、溶媒、あるいは生体分子などが共存しても、アジドとアルキンのみが特異的に反応する。
利点2:官能基としてのサイズも小さく、さらに無極性のため他の官能基と水素結合を形成せず、生体分子に導入してもその構造や性質が大きく変わることがほとんどない。
まとめると
・アジドとアルキンの部分しか反応せず、副生成物がほとんど発生しない
・水中でも反応し、他の有機化合物や生体中の分子にも影響を与えない
ということです。加えて、多様な原料(末端にアジドとアルキンをもつ分子)の入手は容易であり、1,2,3-トリアゾールの五角形構造は多少の熱でも分解しません。ゆえに、「クリックケミストリー」の条件1~5を満たすのにぴったりな化学反応ということなのです。この反応は有機合成において非常に有用であり、生き物が関係する生化学にも応用されるようになりました。
キャロリン・ベルトッツィ先生と生体直交化学
もう一人の受賞者のベルトッツィ先生の功績についてお話しましょう。ベルトッツィ先生は、体内で起きているマクロな現象を化学反応といったミクロな視点で解明する研究をされていました。特に注目されていたのが細胞表面に存在する糖鎖に関する反応で、糖鎖は砂糖の元であるグルコースなどの単糖と呼ばれる分子が複数個つながったものです。糖鎖をより身近に感じてもらう事例として血液型があります。血液型は赤血球の表面にある糖鎖の違いによって、A型、B型、AB型、O型の4種類に分かれます。この違いで、輸血できる/できないの組み合わせが変わってきます。このように、糖鎖の調査は体内で起きる現象を解明する重要な要素になります。
ベルトッツィ先生は、細胞表面糖鎖に目印を付ける(化学修飾)ことで、細胞内で起きる現象を観測しやすくしようと考えていました。化学修飾に求められるのは、もともとの糖鎖のはたらきに影響が出ないようにすることです。このように、生体分子の本来の機能を損なわせずに修飾可能な化学反応を研究することを「生体直交化学」といい、最初に名づけたのがベルトッツィ先生です6)。「生体直交化学」では、生体内という特殊な環境で起こす化学反応という前提があるため、化学選択的・高収率・高速反応という3つの要素7)に加え、毒となる物質を使わないこと、かつ出さないことが求められました。
糖鎖にどうやって目印をつけるか
ベルトッツィ先生は、2000年に目印となる分子をアジド化させて、金属を使わずに細胞表面の糖鎖に結合させる方法に成功していました。しかし、この方法では反応が遅いなどの問題があり、改良する必要がありました。そこで目をつけたのが、シャープレス先生とメルダル先生が発見した1,2,3-トリアゾールを作る反応です。当時この反応では、生体には毒となる銅を使っているという課題があり、それを解決する方法が模索されていました。そんななか、ベルトッツィ先生は2004年に銅などの金属を使わずに1,2,3-トリアゾールの五角形構造を作ることに成功します8)。ベルトッツィ先生が見つけた方法は、銅を使わない代わりにアルキンを環状にすることで、アジドと反応しやすくさせたというものでした。この方法では、銅などの金属を使っていないので、生体への応用が可能になりました。
そして、この方法によって、蛍光分子が細胞表面についた状態で撮影した画像が次の図になります。
ベルトッツィ先生の功績は、「金属触媒を使わずに1,2,3-トリアゾールの五角形構造をもつ有機化合物を高効率で得られること」を見出し、その結果「生体分子への利用も可能にしたこと」にあります。1,2,3-トリアゾールの五角形構造を中心にベルトッツィ先生、メルダル先生、シャープレス先生がつながりました。
まとめ
メルダル先生、シャープレス先生の功績は、「触媒に銅を用いることで1,2,3-トリアゾールの五角形構造をもつ有機化合物を位置選択的かつ高効率で得られること」と「高温を必要とせず、水中でも反応すること」の2つを見出したところ。ベルトッツィ先生の功績は「金属触媒を使わずに1,2,3-トリアゾールの五角形構造をもつ有機化合物を高効率で得られること」、その結果「生体分子への利用を可能にしたこと」です。
三人の功績によって、より簡単に機能を持った物質である医薬品や材料が開発されるようになり、幅広い分野で活用されています。例えば、太陽光電池の素子となる高分子の合成12)やHIVウィルスがもつプロテアーゼという酵素を阻害する薬の開発13)があります。
あらためて、ノーベル化学賞の受賞、本当におめでとうございます!
参考・引用文献
1),3),5),13) 北山隆, 馬場良泰 (2012)クリックケミストリー 創薬やケミカルバイオロジーの強力なツール 化学と生物 Vol.50 No.6
2) 山﨑友紀, (2006) 水の中での有機合成反応 オレオサイエンス 第6巻 第8号
4), 9), 10), 11) https://www.nobelprize.org/uploads/2022/10/popular-chemistryprize2022.pdf (2022年10月6日閲覧)
6), 7), 8) 下山 敦史 (2014) 合成化学者による生命現象解明へのアプローチ~生体直交型反応の開発~ 有機合成化学協会誌 72 巻 3 号
12) J. S. Park, Y. H. Kim, M. Song, C.-H. Kim, M. A. Karim, J. W. Lee, Y.-S. Gal, P. Kumar, S.-W. Kang, S.-H. Jin, Macromol. Chem. Phys. 2010, 211, 2464.