科学コミュニケーターと楽しむノーベル賞2021

化学賞は不斉有機触媒の開発でリスト博士とマクミラン博士

みなさん、こんにちは。科学コミュニケーターの廣瀬です。

106()に発表された今年のノーベル化学賞はベンジャミン・リスト博士とデイヴィッド・マクミラン先生が受賞しました。おめでとうございます!

受賞理由に「不斉有機触媒の開発」とあります。なんだか難しい言葉が並んでいます。どういう意義のある研究なのかを簡単にまとめると、“金属を含まない”かつ“数えられるくらいの数の原子で出来た小さな有機分子”で、“決まった形の分子(不斉をもった分子)”を作ることができる実用的な触媒として発見し、発展させたことなのです。

決まった形の分子を作るという研究では、2001年に野依良治先生らがノーベル化学賞を受賞しています。このとき、決まった形の分子を作るために金属を含む触媒が使われていました。今回、受賞されたお二人は“金属を含まないところが異なっており、新しいタイプでかつ実用的な第3の触媒です。リスト博士とマクミラン博士は2000年に、別々にこの成果を発表しています。お二人のアプローチの仕方は違うのですが、同じタイプの新触媒にたどり着いたというのも興味深い点です。

この研究のどこがすごいのか。「触媒」や「不斉」という聞き慣れない言葉についても説明しつつ、この研究のすごさを簡単にご紹介していきます。

触媒とは?

化学反応では「分子の中にあるつながり(結合)を切って、別の原子や分子とつながる」ことが起きています。触媒はその化学反応を進めてくれる物質です。イメージとして、はさみとのりを持った人と思ってください。触媒の最大のメリットは、化学反応に必要なエネルギーが少なくてすむことです。学校の理科実験では加熱したりしましたよね?あれは化学反応を起こすのに必要なエネルギーを熱という形で加えていました。触媒があると、加えるエネルギーが少なくてすむのです。身の回りにある製品の多くは、開発された触媒のおかげで作れるようになったものがたくさんあります。また、体温程度のマイルドな温度でも食べた物が消化できたりするのも、私たちの身体の中にある酵素という触媒のおかげです。

触媒のイメージ

不斉とは?

では、次に不斉の説明をしていきましょう。まず、次の2つの分子を見てください。中心から4つの方向に延びた先に○、△、□、☆の4つの図形(原子や分子の代わりと思ってください)がついています。この2つの分子は同じ分子と言えるでしょうか?

とある2つの分子

「同じような形をしているので、同じ分子だ!」と言いたくなるところなのですが、化学ではこの2つは同じ分子ではありません。この2つの分子が違う分子であることを実感するために、右手と左手に置き換えて、次の2つの実験をして比べてみましょう。

実験1:誰かと二人で、お互いの左手と左手を重ねてみる(右手と右手でもいいですよ)。

実験2:一人で、自分の左手と右手を重ねてみる

手を重ねる実験の様子。(上)左手と左手を重ね合わせたとき。(下)左手と右手を重ね合わせたとき。

いかがでしょうか?友人の左手と自分の左手はぴったり重なりますね。でも、右手と左手を重ねてみるときれいに重なりませんね…。さっきの分子でも試してみましょう。

さきほどの2つの分子を重ねてみる

うーん、重なりませんね。このように、右手と左手のような関係にある分子は“不斉”をもっている分子と言い、化学では別の分子になります。

この“不斉”があることは、生き物にとって非常に大きな意味があるのです。私たち生き物はこの“不斉”をもった分子を作ったり、見分けたりする機能をもっています。リモネンという香りのもととなる分子を使って説明しましょう。このリモネンという分子も“不斉”をもっており、右手タイプのリモネンはみかんやオレンジのような匂いなのに対して、左手タイプのリモネンはレモンのような匂いがします。この違いが生まれるのは、私たち生き物が片方のタイプの物質でほぼできているからです。生き物は右手タイプ、左手タイプを見分けられますし、片方のタイプだけを正確に作ることもできるようになっています。

リモネンのように右手、左手のどちらか片方のタイプだけの分子を何とかして人の手で作ってみたい!と思った人がいました。生き物のもつ機能を利用すれば、決まった形の分子を作ることができるのですが、人の手で作るとなると、2つの問題がありました。

①普通に作ると、右手タイプと左手タイプの両方が同じ量だけできてしまう

②重さなどが同じであるため、右手と左手のタイプを分けることがとても難しい

①について、これは化学反応ならでは悩みです。先ほどの説明で使ったとある分子で、次のようなことを考えてみましょう

原子や分子はどちらに行くか迷う

今、私たちは“不斉”をもった分子を作る途中の段階にいます。△は右側か左側のどちらかに行こうとしています。この△を誘導する方法がない、または使わなかったとき、△が右に行くか左に行くかの確率は50%となります。左手タイプの分子を作ろうとしても、右手タイプができてしまう可能性があるのです。そして、100回同じことを繰り返すと、左手タイプの分子は50個、右手タイプの分子は50個と同じ量だけできてしまうのです。右手または左手のタイプだけを作るためには、△をうまく誘導する方法を考えて、使わなければなりません。

②について、これは違いがあれば簡単に分けることができます。例えば、大きさの違う砂と石であれば、ふるいにかければ分けることができます。また、同じ液体の水とアルコールであっても、沸点が違うため、その差を利用して分けることができます。しかし、この右手と左手のような分子は、大きさも沸点もほぼ同じなので、分けることが非常に難しいのです。

決まった形の分子を人の手で作ることはとても難しく、生き物の機能を借りずに人の手で作り分けることができるというのはとてもすごいことなのです。

今年のノーベル化学賞のここがすごい!

触媒と不斉の説明を終えたところで、お二人の研究の功績についてご紹介していきましょう。

さきほど、触媒のところで「触媒と呼ばれるものは、“金属を含んだ触媒”、または私たちの身体にもある“酵素”の2つが一般的でした」と言いました。現在では新しいタイプの触媒である有機分子触媒が見つかっているため触媒と呼ばれるものは3つに増えました。有機分子触媒のいいところは、大きく分けて3つあります。

①金属を含んだ触媒に比べて、扱いやすく、環境に優しい触媒であること。

②小さい有機分子で酵素のように決まった形の分子を作ることができること。

③一度に複数の反応を連続して行うことができるので、製造工程で生まれる無駄が減らせるということ。

この3つはとてもすごいことなのです。それぞれ別に有機分子が触媒になり得ることを発見し、開発したのが、リスト博士とマクミラン博士なのです。有機分子触媒にたどり着いたアプローチはお二人で異なっているのですが、最後は「有機分子触媒」という同じカテゴリーのものにたどり着いたのです。そのお話をしていきましょう。

リスト博士は酵素のはたらきからヒントを得て、有機分子触媒にたどり着きました。酵素というのは、アミノ酸という比較的小さな有機分子が数千~数万個くらい連なり、折りたたまったものです。1つ1つのアミノ酸は原子の数にすると数えられるくらいの数しかありませんが、それがたくさん連なっているので、酵素自体は巨大な分子となります。しかし、実際に触媒として働いているのは、全体の中のごく一部分であることが知られていました。リスト博士はある疑問をもっていました。

「アミノ酸は触媒としてはたらくために酵素の一部になっているのか?それとも、たった1つのアミノ酸または似たような単純な分子でも触媒になりうるのか?」

つまり、アミノ酸が触媒としてはたらくには、酵素という大きな形をとらないとできないことなのか?それともアミノ酸または似たような分子が単体でもはたらくのか?という疑問だったのです。それを確かめるために、リスト博士は実験を行いました。酵素を作っているパーツとなっているアミノ酸のプロリン(有機分子)を取り出して、アルドール反応の触媒としてはたらくかどうかを試したのです。なぜアルドール反応なのか?リスト博士はアルドラーゼという酵素を研究していて、アルドラーゼがアルドール反応の触媒になっていることを知っていました。また、1971年にプロリンを触媒に使った化学反応の研究報告と1997年に金属を含む数えられるくらいの数の原子でできた触媒を使ったアルドール反応の研究報告がありました。これらの研究をヒントに、リスト博士はプロリンでも同じように反応が進むかどうか気になったのです。その結果、なんとプロリンが触媒としてはたらくことを発見したのです。これは、数千個のアミノ酸がつらなった巨大な酵素のうち、たった1個のアミノ酸だけでも触媒としてはたらくことが分かった瞬間です。また、プロリン自体が不斉をもった有機分子です。右手のようなタイプのプロリンだけで実験をしてみたらどうなるのか。なんと、右手と左手のうち、右手だけといった決まった形の分子をたくさん作ることができたのです。つまり、酵素の良いところだけを取り出せたのです。こうして、リスト博士は、酵素の中のたった1個のアミノ酸という有機分子が触媒になり、かつ決まった形の分子だけを作ることができる道を示したのです。

マクミラン博士は、金属を使わない触媒の開発から有機分子触媒にたどり着きました。マクミラン博士は当初、金属を含んだ分子の触媒(金属触媒)で、決まった形の分子を作る研究をしていました。この研究分野は研究者の間では注目されていましたが、せっかく開発された触媒は産業界では使われていないということにマクミラン博士は気付きました。それはなぜなのか?金属触媒の扱いが難しくて高いからだとマクミラン博士は考えました。

金属触媒は水や酸素に触れると壊れてしまうものもあります。そこで、金属を使わない触媒を作ろうと考えたのです。金属を使わない触媒を作るにあたって、イミニウムイオンという化学反応の途中でできる分子の形をヒントにしました。

イミニウムイオンの形(図形は原子や分子です)

イミニウムイオンができると、Diels-Alder反応という化学反応の1つが進みやすいことが報告されていました。マクミラン博士は、このイミニウムイオンができるような有機分子を考え、作って、化学反応の触媒としてはたらくかどうか試してみたのです。その結果、見事に触媒としてはたらくことを見出しました。つまり、金属を使わない有機分子が触媒としてはたらくことを発見したのです。また、この有機分子は決まった形の分子をたくさん作ることができました。こうして、マクミラン博士は、金属を使わない有機分子の触媒を作り、かつ決まった形の分子だけを作ることができる道を示したのです。

最後に…

私は学生時代に有機合成化学の分野を研究していたので、今回の不斉有機触媒の開発の受賞はとても嬉しかったです。それと同時に、当たり前のことについて改めて考えてみることの大切さを痛感しました。Popular science backgroundの最後の段落にはこう書かれています。

Our view is obscured by strong preconceptions about how the world should work, such as the idea that only metals or enzymes can drive chemical reactions. Benjamin List and David MacMillan succeeded in seeing past these preconceptions to find an ingenious solution to a problem with which chemists had struggled for decades.

訳:化学反応は金属や酵素でなければ起こせないといった強い先入観が私たちの視野を狭くしています。リストとマクミランは、こうした先入観にとらわれず、化学者が何十年も悩んできた問題を独創的に解決することに成功しました。

当たり前のことや先入観にとらわれずに考えてみることはとても難しいことです。先入観にとらわれず、独創的な発想で第3の触媒である有機分子触媒を生み出したリスト博士とマクミラン博士のお二人は本当にすごいお方だなと思います。改めまして、ノーベル化学賞の受賞、本当におめでとうございます!

参考文献

https://www.nobelprize.org/uploads/2021/10/popular-chemistryprize2021.pdf  (2021107日閲覧)

https://www.nobelprize.org/uploads/2021/10/advanced-chemistryprize2021.pdf (2021107日閲覧)

奥山 格 (2013) 有機反応論 p.162169, 172174

「化学」の記事一覧