イベントレポート「きみに“やさしい”街は、みんなに“やさしい”?」

"みんなにやさしい"は、絵空事?

突然ですが、みなさんはどんな街で暮らしたいですか?
自転車でどこでもいける街? 子育てをしやすい街? それとも治安のよい街?

街という漢字は「十字路」を表しているそうですが、そう聞くと、道と道が交わるところを様々な人々が往来する、にぎやかな情景が浮かびませんか? 多様性という言葉をよく耳にする今日この頃ですが、まさに街は多様性を体現する場所かもしれません。

2023年2月上旬に行ったイベント「きみに“やさしい”街は、みんなに“やさしい”?」では、「どんな人も心地よくいられる街=“やさしい”街」と考え、そんな理想の街の姿を参加者のみなさんとともに探りました。企画・ファシリテーターを担当した科学コミュニケーター大久保が当日の様子をお届けします。イベントの詳細は、このページの一番下の関連リンクをご覧ください。

「“やさしい”モビリティ(移動技術)」体験会

“やさしい”街を考えるにあたって今回キーワードにしたのは「移動」。地下鉄や徒歩、エスカレーターなど、街での日常に移動は欠かせません。また同じ移動でも、ベビーカーを押していたり松葉杖をついていたりすることもありますよね。“やさしい”街では、これらの移動のあり方はどう変わるでしょう。

「自分だったら未来の街でどんなふうに移動したいかな?」と想像するための準備体操として、はじめに2つの「“やさしい”モビリティ(移動技術)」を体験しました。
1つめはナビゲーションロボット「AIスーツケース」。スーツケース型の自動運転ロボットの音声ガイドに従いながら、目的地まで移動します。2つめは対話型自動運転モビリティ「Partner Mobility ONE with PiiMo」。“動くベンチ” (Partner Mobility ONE) やそれを追いかける車椅子 (PiiMo) に乗りながら、家族や友人と一緒に移動時間を楽しむことができます。

よく晴れた朝、未来館のそばにあるお台場の公園でこれら次世代モビリティを体験しながら、各モビリティの「“やさしい”ところ」や「もっと“やさしく”なれそうなところ」を探りました。体験会の様子は、以下の写真をご覧ください。

ナビゲーションロボット「AIスーツケース」体験の様子。白杖を持った参加者が音声ガイドに従って目的地に向かっているところ。
対話型自動運転モビリティ「Partner Mobility ONE with PiiMo」乗車体験の様子。“動くベンチ”(手前)とそれを追いかける車椅子(後方)に乗りながら晴天のお台場を走ります。和やかな雰囲気の中、おしゃべりがはずみました。

「“やさしい”街」デザインワークショップ

モビリティ体験を通じて参加者のみなさんの“やさしい”アンテナがほぐれてきたところで、 “やさしい”街の姿を探るワークショップを行いました。

いろいろな背景や価値観をもつ参加者のみなさんは、“やさしい”についてどう考えているのでしょうか? 参加者は2グループに分かれて、まずは“やさしい”という言葉からイメージするもの・ことについてシェアすることから始めました。

ワークショップの一場面。マイクを持って話す参加者の言葉に、周りの人が真剣に耳を傾けます。発言内容は、後ろのディスプレイに表示されている文字で読むこともできます。

「おばあちゃんが、駅で迷っている外国人の道案内をしていて“やさしい”と思った」、「今日のイベントで、発言が字幕でディスプレイに表示されているのが“やさしい”と感じる」、「QRコードつきの点字ブロックは、音声でも案内してくれてやさしい」などの意見がありました。人による思いやりやサポートが“やさしい”一方、文字起こしや音声ガイドなどの機械のはたらきも“やさしい”。一つの言葉が、参加者の手によって広がっていきました。

このように“やさしい”のイメージが様々なら、理想の“やさしい”街の姿も人によって異なるはずです。私たちがふだん暮らしている街は十分に“やさしい”でしょうか。もし“やさしくない”としたら、どうしたらよいでしょう。「未来の街を“やさしく”するために、移動の手段や移動に関わる街の仕組みをどう変えればよいか」について、アイデアを出し合いました。以下に一部をご紹介します。

「音響付き信号機があるけれど、あの音で本来聞こえるはずの車の音が聞こえづらくなって、かえって危ない道がある。歩行者用の道と車道を1階と2階で分離してしまえば、車道を渡らずにすむのでは?」
「地方で暮らしていたころ、(都市と違って公共交通網がしっかりしていないため)自家用車しか移動手段がなく困った経験がある。自分で車を運転しなければ移動できない街はやさしくない“と思う。将来的に自動運転が一般的になれば、私のように車を運転したくない人やできない人にも選択肢ができそう」
このようなアイデアが次々に繰り出されました。

そんな中、個人的にとても印象に残っているやりとりがあります。目の見えない参加者からこんな声があがりました。
「私は駅の中を移動するとき、エレベーターよりエスカレーターを利用するのが好きです。風や周りの音を感じられるので。でも白杖を持っていると、駅員さんには意見を聞かれることなくエレベーターに案内されることが多いんです」
これに対して別の参加者から、「目が見えないからこうと決めつけるのではなく、大事なのは本人と話し、選択をゆだねることでは」との反応がありました。
駅員さんは“やさしさ”ゆえにエレベーターを案内したのかもしれませんが、結果的に“やさしくなさ”を生んでしまいました。しかしもちろん、受け手が違えば、それはきっと“やさしい”行為になりえたでしょう。そう考えると、“やさしさ”と“やさしくなさ”は紙一重で、「わたしにとっての“やさしい”街」は、言いかえると「誰かにとっての“やさしくない”街」かもしれません。

それでは「みんなにとって“やさしい”街」をつくるのは不可能なのでしょうか? そんなとき、「大事なのは本人と話し、選択をゆだねること」との言葉が響きます。見えるとか見えないとかの表面的な属性では掬いきれない「ほかの誰でもないその人が何を考えているか」は、本人と話をすることで初めてみえてくるものなのではないでしょうか。

複雑な社会の中で、真に「みんなにとって“やさしい”街」をつくっていくには、「特定の誰かが思い描く“やさしい”街」に向かって足並みをそろえるのではなく、さまざまな人が共存するということのややこしさをまるごと受け入れて、その街で暮らすみんなで議論し続けることが大事なのかもしれません。安易に結論づけないことこそが“やさしさ”なのかもしれない。そう信じられるような一日になりました。その証拠に、参加者のみなさんの言葉の数々を、私は綺麗な言葉でまとめられません。「“やさしい”街の姿はこう」と決めずに悩み続けることが希望だと、だからこそ「みんなで」はおもしろいと、そう思います。

イベント終了後の一場面。点字電子手帳を手にしている目の見えない参加者(赤いセーターの方)に「それはなに?」と興味しんしんで質問する参加者の男の子。

最後に余談ですが、このイベントを通じて場に流れていた“やさしい”空気が心に残っています。ワークショップ中にも「思いやり」や「心の余裕」といった言葉がたびたび登場しましたが、互いへのリスペクトが溢れる素敵な時間になりました。上の写真にもあるとおり、参加者同士のつながりが自然と生まれたのもうれしいことでした。こういった「新しい他者との出会いの場」に立ち会うのは、ミュージアムで仕事をしていてよかったなあと心の底から感じる瞬間です。

当日の議論の様子は、グラフィックレコーディングの専門家の方々に素敵なイラストとともに記録してもらいました。以下の記録写真をご覧になりながら、ぜひワークショップ中に流れていた“やさしい”雰囲気を感じてみてください。

ワークショップの記録(グループ①)。このグループは、“やさしい”街として「キラキラでふわふわな街(だれかに“やさしく”した人がキラキラで、された人は“ふわふわ”した気持ちになる街)」を目指しました。話せば話すほど、“やさしい”は人や状況によって本当にさまざまで、一筋縄ではいかないものであることがわかりました。
ワークショップの記録(グループ②)このグループは、“やさしい”街として「移動するのに困らない街」を目指しました。「点字ブロックに音声案内がついていると“やさしい”」、「歩きスマホをする人は、低身長の私にとって“やさしくない”」など、その人だからこそ発見できる“やさしい”、“やさしくない”が登場しました。

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