令和5年(第17回)「みどりの学術賞」 倉田のり博士

お米はどこからやってきたの? ゲノムを通して植物を見る

こんにちは、科学コミュニケーターの青木です。
突然ですがみなさんは植物を育てたことはありますか?
小学校の理科の授業でアサガオやトマトを育てたことがあるという人も多いのではないでしょうか。未来館でも今年は執務室でいろいろな植物を育てることに挑戦しています(一部植物好きスタッフにより)。

未来館でイネ育成中! 4月~5月の1か月でここまで育ちました。

植物を育てていると不思議に思うことがたくさんあります。
「この植物はどうしてこんな形をしているのかな? 」
「どこで生まれた植物なんだろう? 」
こんなことをあれこれ考えてしまいます。

これらの疑問への答えは、植物の見た目からは見当がつかないことがほとんどです。しかし、ゲノムを通して植物を見ると、見た目ではわからない、いろいろな植物の秘密がわかってくるようです。

「イネのゲノム情報基盤の確立と生殖・多様性研究」に関する功績により、令和5年度みどりの学術賞を受賞された国立遺伝学研究所名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授の倉田のりさんもゲノムを通して植物を見続けてこられたお一人です。今回は長きにわたりイネのゲノム研究に取り組まれてきた倉田さんの研究と歩みをご紹介したいと思います。

倉田のりさん(写真:本人提供)

ゲノムを見るとこんなこともわかる~栽培イネの起源

お米だけじゃない? 多様なイネの世界

みなさんはイネと聞くと何を思い浮かべるでしょう? 私たちがふだん食べているお米?
一口にイネと言っても世界には多様なイネが存在します。
私たちがふだん食べているお米は、イネ属というグループに所属していて、Oryza sativa / オリザ・サティバ という世界共通の名前がついています。人間が栽培しているイネなので「栽培イネ」と呼びましょう。栽培イネの中で日本人にとってなじみの深い、もちもちしたお米をつけるものが「ジャポニカ」です。タイ料理などでよく見かける細長くパサパサとしたお米をつけるものは「インディカ」といいます。このように栽培イネの中にも細かいグループが存在します。そしてその細かいグループの中にもそれぞれたくさんの品種があります。スーパーに行くと「あきたこまち」や「コシヒカリ」などたくさんのお米を見ることができますよね。

ではイネは私たち人間が食べる栽培イネだけでしょうか。イネ属には他にも多くのイネが存在します。そのほとんどは私たちがふだん食べているお米とは別の野生のイネです。
栽培イネは最初から自然界に存在していたわけではありません。あるとき、野生のイネの中に栽培化に適した性質を持ったイネが現れ、私たちのご先祖様がそのイネを選び抜き、育てたことで、私たちが現在食べている栽培イネが種として確立しました。野生イネを栽培化し、農耕により安定的に食糧を得ることができるようになったことは、私たち人類にとってとても大きな意味を持っていたことが想像できます。

そんな人類にとって大きな出来事であったイネの栽培化ですが、どこでどのように始まったのかについては長い間論争が続いていました。その論争に一つの終止符を打ったのが倉田さんの研究です。倉田さんのチームは様々な栽培イネと栽培イネの直接的な祖先種にあたると思われていたイネの野生種Oryza rufipogon / オリザ・ルフィポゴン(野生のイネは他にもありますが、このブログではこれ以降Oryza rufipogonのことを「野生イネ」と呼びます)のゲノムを網羅的に解析することで、栽培イネがいつどこからやってきたのか、栽培化のルーツを突き止めました。

栽培イネの直接的な祖先はひとつの野生のイネだと考えられていました。
(写真: 野生イネ - Oryzabase https://shigen.nig.ac.jp/rice/oryzabase/ より引用/栽培イネ - 倉田のりさん)

ゲノムは生物の設計図であり歴史書

倉田さんたちが栽培イネの起源を突き止めるために注目したのはイネのゲノムです。ゲノムを見るとその生物がどこからやってきたのかわかる…どういうことでしょう。

ゲノムとは私たち人間も、イネのような植物もみんな持っている生命の設計図です。生物はこの設計図をもとに体をつくったり、日々活動をしたりしています。設計図はDNAという物質に含まれる4種類の塩基の並び順によって暗号化されており、遺伝情報として親から子へ引き継がれます。生物はまるで伝言ゲームのように、世代を超えて生命の設計図であるゲノムを受け継いでいっているのです。
この設計図、生物の種間(栽培イネと野生イネの関係)や、さらには同じ種内(例えば栽培イネOryza sativa 内)でも、個体ごとに文字(塩基)の並び順に少しずつ違いがあります。伝言ゲームをしていると最初の情報から少しずつ文章が変わっていくことがありますよね。ゲノムでも同じように、設計図の情報が受け継がれる間で少しずつ文字(塩基)の並びに違いが生まれてきます。このような変化によって、種内での設計図の違いが生じたり、種が分かれることに繋がったりします。ゲノムは生物の設計図であると同時に、それぞれの設計図を比較し、違いを見ることでその生物の進化の歩みをたどることができる歴史書でもあるのです。
倉田さんたちはこの設計図の違いに注目することで、栽培イネの直接的な祖先はどこのイネなのかを解明しようとします。

圧倒的なサンプル数と解析結果、そこからわかること

倉田さんたちの研究では世界各地から集めたイネのゲノムを調べました。その数なんと栽培イネ1083種類、野生イネ446種類、合計1529種類! 驚きの数です。この膨大な数のイネについてゲノムの塩基の並び順を解読し、それぞれどれくらい似ているか、どれくらい違いがあるかを調べて歴史を遡っていきます。
446種類の野生イネのゲノムを解析から、倉田さんたちは野生イネが個体ごとに塩基の並び順の違いが大きいこと、そこから野生イネが3つのグループに分かれるということを見出しました。
ここで次の疑問です。では栽培イネの直接的な先祖は野生イネの3つのグループのどれになるのでしょうか。ここでもゲノムの違いを比較することにより、どれとどれがより近い親戚関係にあるのかがわかります。分析の結果、栽培イネの中のジャポニカは野生イネの3つのグループのうちのひとつの、その中のさらに小さな集団から生まれたと推測されました。倉田さんのチームはこのように得られた膨大な分析結果を考察し、浮かび上がる疑問を一つ一つ解いていきます。

ゲノムの情報から歴史を遡り、疑問をひも解いていく

たどりついた栽培化の起源 鍵は栽培化に関わる重要な遺伝子

さらに野生イネと栽培イネのゲノムを比較すると注目すべき点が見えてきました。野生イネと比べて、栽培イネの個体間では塩基の並びの違いが少ない場所が55か所あったのです。ここから考えられることはなんでしょうか。倉田さんはこの結果についてこう分析します。
「栽培イネのゲノムの中に塩基の多様性が低い場所がありました。一方でその他の場所はわりと多様性が高いことがわかってきたとき、その結果をどう考察するかが重要です。この場合は55の場所に栽培化に何らかの形で必要な遺伝子があるだろうと考えられます。」
倉田さんたちのこの推察はぴたりと当たっていました。この55の場所には今までの研究ですでに明らかにされていた、イネの栽培化において重要な性質に関与する遺伝子がいくつか含まれていました。ある野生イネの集団の中に人間にとって良い性質を持ったイネが現れたとします。例えば、他のイネと比べて育てやすい、収穫がしやすいなどがあるでしょう。その性質は栽培化にとってとても重要であるため、大事に伝言されます。その結果、長い時が流れて、ゲノム上の塩基の並び順に違いが生じてきても、その情報が書き込まれた部分だけは変わらず残っていました。栽培イネの歩みがゲノムに刻まれていたのです。

イネの栽培化において重要な性質のひとつに「非脱粒性」があります。野生イネは種子が成熟すると穂から自然に離れ落ちますが、栽培イネはそのまま留まるため、収穫が楽になります。(写真提供:国立遺伝学研究所、佐藤豊教授)   

このように倉田さんたちはイネを採集した国・地域ごとの野生イネと栽培イネのゲノムを調べ、その中でも特に栽培化において重要な遺伝子が含まれている領域の解析を行っていきました。その結果、ついに栽培イネが中国の珠江中流域の野生イネから生まれ、その野生イネの中のある小さな集団からジャポニカが生まれたこと、さらに東南・南アジアの野生イネとジャポニカの交配によってインディカが誕生したと突きとめました。珠江中流域で栽培に適した性質を持った野生イネが人間に選ばれ、イネの栽培化が始まり、アジアの各地域に広がっていったということが、ゲノムを通してイネを見ることで明らかにされたのです。

ゲノム解析から見えた栽培イネの起源

歴史書を読み解くのに必要なのは研究者の知識と推察の鋭さ

「イネをどう見たらいいのかというヒントがゲノム情報の中にたくさん詰まっています。ゲノムを読むというのは進化の道筋を読むことそのものです。ゲノムの情報を比べれば、古い時代に誕生したイネと新しい時代に誕生したイネのどこがどう違うのか、一目瞭然でわかります。たくさんの種類を比べることで、時代によってどうゲノムが違ってきたのかを見つけることは技術さえあればできるんです。ただそこから何を読み取り、どんな仮説を立て、目の前にあるイネと繋げるかは、研究者の知識と推察の鋭さがないとできません。どういう問題を設定し、どういうふうに解いたらいいのかを考えること自体が非常に重要なステップとなると思っています。」

倉田さんはゲノムから情報を引き出すことについてこのように語ってくださいました。分子生物学的視点と情報学の手法を用いてゲノムの情報を追うことで、タイムマシンに乗ったかのように時を遡ることもできるというのはとてもワクワクします。しかし、幅広い知識と推察の鋭さがなければ歴史書は文字が並んだただの暗号。どこをどう読めばいいのか、他の歴史書とどう比べて、何を引き出せるかは読み手にかかっているというところにゲノム研究の面白さの一端を感じました。

一歩一歩前へ

取材では倉田さんのこれまでの多岐にわたる研究内容と研究生活についてうかがいました。取材の中で、「問題設定」や「問い」、「疑問」といった言葉を倉田さんがしばしば口にされていることに気がつき、こんな質問をしてみました。

―倉田さんの中にある「問題」は普遍的な問題なのでしょうか? それとも変容しうるものですか?

「“私は絶対これをやるんだ”というような強い意志で、何か大きな目標を持って、という進み方はしていないと思います。一歩一歩進んでいく中で問題の形も変わっていくし、新たな問いが加わることもあります。世界の大きな動きの中で自分に何ができるのかを考えながら進んできました。」

―大学院でイネの染色体の研究をされた後、しばらくイネから離れられていた時期がありますが、それも問題を更新していく歩みの中のひとつだったのでしょうか?

「はい。自分の中にあるいろいろな疑問を解くためには、やはり分子的な手段というのは絶対に必要だと思っていました。しかし、四十年前は分子生物学の研究ができる研究室は日本でも片手で数えられるくらいしかなく、それもほとんど医学部だったんです。イネから離れ医学部の研究室でいろいろな手法を学びながら研究をした期間は、次にどういう問いを立てて何をしようかと考えるステップだったと思います。細胞生物学のことなど本当にさまざまなことが学べて、当時はものすごく面白かったです。自分がやりたいと思ったことそのものではなかったかもしれないけれど、自分にできることを探しながらやれていたと思います。

―そして再びイネの研究に戻られたんですね?

「医学部の研究室で学びつつ研究を続け、いろいろな分子生物学的テクニックも手に入り、このまま医学部で研究を続けるか考えていた時期でした。農林水産省でイネの全ゲノムを解読しようというプロジェクトが持ち上がり、先輩に来てみたらどうかと誘われたんです。こんな大きなプロジェクトに参加して、答えを見つけ出すような仕事をしてみたい、ということを考えながらそのプロジェクトに参画することを決めました。振り返ると、ずっと前に進みながら、問題を更新し、研究を続けてきました。

取材中に当時のことをにこやかに語られる倉田さん

穏やかな口調で語られる倉田さんのこの言葉からは、常に自分の中の問いと向き合い、本質の部分での信念を貫き研究を続けてこられた研究者としての自信がうかがえました。

ではこのブログを読んでいるみなさんの中にはどんな「問題」がありますか? あるいは「目標」と捉えてもいいかもしれません。
答えを探しながら進んでいく中で目標の形が変わり、時には自ら目標の設定の仕方を変えること、そしてその目標を達成するために必要なツールを得るために行動し、道筋を考え、進み続ける。倉田さんの研究者としての歩みのなかには、誰しもの日常にも当てはまる大切なものがつまっているのではないでしょうか。


―告知―
2023年729日(土)に倉田のりさんをお招きしたトークイベントを未来館で行います!
詳細はこちら。
https://www.miraikan.jst.go.jp/events/202307293016.html

参考文献

Huang X*, Kurata N*, Wei X*, Wang Z-X*, Wang A, Zhao Q, Zhao Y, Liu K, Lu H, Li W, Guo Y, Lu Y, Zhou C, Fan D, Weng Q, Zhu C, Huang T, Zhang L, Wang Y, Feng L, Furuumi H, Kubo T, Miyabayashi T, Yuan X, Xu Q, Dong G, Zhan Q, Li C, Fujiyama A, Toyoda A, Lu T, Feng Q, Qian Q, Li J, Han B. A map of rice genome variation reveals the origin of cultivated rice. Nature. doi:10.1038/nature11532

イネ(稲)データベース Oryzabase https://shigen.nig.ac.jp/rice/oryzabase/

内閣府プレスリリース、令和5年(第17回)「みどりの学術賞」受賞者の決定について https://www.cao.go.jp/midorisho/houdo/houdo230310.html

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