6年前の夏、私は何をしていただろうか。
そんなことを思い、当時の手帳を引っ張り出してみました。
「お菓子作りの道具をネットで大量にポチった。」
「ベランダで育てている野菜が元気ない。肥料を注文してみた。」
「中国語の勉強をはじめた~。○○(中国人のお友達)を驚かせたい!WeChatで早速伝えた。」
「いきなり職場と繋げているネット回線落ちた・・・。資料保存できてないかも。大泣き。」
どれもほんとになんてことない日常の記録。ですがその中に“2020年”の空気が染みこんでいるように感じます。家で過ごす時間の中で、新しい趣味を探したり、オンラインで人とつながったり、まだ慣れないリモートワークに悪戦苦闘したり。
2020年3月11日、WHO(世界保健機構)は新型コロナウイルス感染症をパンデミック(世界的な大流行)と表明しました。そして翌4月には緊急事態宣言が発出され、私たちの日常は突然大きく変わりました。2020年の夏はというと、日本はコロナウイルス感染症の第2波の中にいた時期です。ニュースでは毎日のように感染者数が報じられ、外出時には暑さと戦いながらマスクを着用。お盆の帰省を見送る人もいるなど、大切な人にもなかなか会えない日々が続いていました。感染者が報道されるとSNSで瞬時に「犯人捜し」が始まるようなこともしばしばありました。一方でそれまでとは少し違う日常のなかで暮らしつつもその暮らし方に少しずつ慣れ始めていた人もいた頃ではないでしょうか。
あの時、私たちは確かにさまざまなことを感じていました。そしてそれぞれの立場から、それぞれのかたちであのパンデミックと向き合っていました。けれど6年という時間が経ち、その記憶は少しずつ遠ざかりつつあります。あの頃の不安や戸惑いを、私たちはどれだけ覚えているでしょうか。
過去の感染症をどのように記録し、後世へ伝えていくのか。この経験を社会はどのように記憶し、未来へ手渡していく必要があるのか。
この問いについて考えるヒントを探すべく、ある方にお話を聞きに行きました。
訪れたのは長崎大学の熱帯医学研究所。感染症の歴史を専門とする歴史学者の飯島渉先生にお話をうかがいました。
飯島先生は、東アジア地域の感染症の歴史を中心に研究する歴史学者です。近年は新型コロナウイルス感染症をめぐる資料や記録、記憶の保全と継承にも取り組んでいます。また、熱帯医学研究所の中にある熱帯医学ミュージアムの館長も務めています。熱帯医学ミュージアムは感染症について学べる施設で、展示では病原体の特徴や感染の仕組み、蚊などの媒介生物について紹介されており、感染症を科学的な視点から理解することができます。
しかし飯島先生は、ミュージアムが果たす役割をもう少し広く捉えていると言います。
「感染症をめぐる社会的な記録とか記憶を維持して、継承していきたい。ミュージアムの活動の重要な一つとして意識しています。」
飯島先生が力を入れているのは、感染症そのものだけではなく、感染症をめぐる社会の経験や人々の記憶を未来へ残していくことです。実際に熱帯医学ミュージアムでは従来から取り組んできた風土病の展示とあわせて、新型コロナウイルス感染症をテーマにした企画展も継続的に実施していきたいと考えているそうです。
記録と記憶の継承と“創造”
そんな熱帯医学ミュージアムの取り組みの一つに「ダイヤモンド・プリンセス号の長い航海 - 記録と記憶の継承と創造 -」という企画展があります(開催期間2025年2月25日~8月8日)。私が飯島先生にお話を聞きたいと最初に思ったきっかけは、この企画展のタイトルにありました。気になったのは「創造」という言葉です。記録や記憶を未来へつなぐという意味での「継承」は自然な言葉のように感じます。一方で「創造」という言葉は新しく生み出す、つくるという意味に感じられ、記録や記憶とは少し距離のある言葉のように思えました。
「なぜ継承だけではなく創造という言葉を使ったのでしょうか。」
私のそんな疑問に対して、飯島先生はまず「継承だけだとちょっと弱いなと思ったんです」と話します。
飯島先生によると記憶は人の頭の中にあるものであり、それを記録するのは簡単なことではありません。人は過去を語る時に記憶をそのまま取り出しているわけではなく、説明をしながら考える中で自分なりに再解釈したり、その時に感じたことなど新しい意味を付け加えたりもしています。
「記憶というのは外に出していく過程で、言葉にしたり、人に伝えたりする中で初めて定着していく部分もあるんじゃないかと思うんですよ。」
だからこそ飯島先生は、企画展のタイトルにあえて「創造」という言葉を選びました。
「継承はもちろん大切なんだけど、継承するためにはそういう過程が必要なんじゃないか。その意味を込めたかったんです。」
残すことは歴史への介入なのか
しかし、飯島先生は記録・記憶を残そうとする取り組みにまったく迷いがないわけではないとも言います。誰かにインタビューをしたり、コロナ禍に関するあらゆる記録を集めたり、それを保存したりする。このように起こったことを積極的に残そうとする活動は、本来であれば残らなかったかもしれない記憶が残ることにもなり、そこには何を残すかという意識的な(あるいは無意識的な)選択がはたらきます。
「感染症をめぐる記録とか記憶を残していこうとする時に能動的に働きかけるということは、ちょっと介入的ですよね。介入の結果残ったものと、介入されないまま残ったものは、ちょっと違いがあるんじゃないかという指摘は当然あり得ると思うんですよね。それは歴史への介入なのではないかと。」
飯島先生は歴史学者としての葛藤をこんなふうに語ってくれました。
この先生の語りは私にとってはっとさせられるものでした。記録を残すことは無条件によいことだと思っていたからです。しかし飯島先生の話を聞きながら、残そうとする意思そのものが歴史に影響を与える可能性があることに気づかされました。もし記録を残そうとする行為そのものが歴史への介入だとしたら、そこで残された記録はどこまで当時の姿を映しているのでしょうか。
けれど飯島先生はそれでもなお、記録を残そうとしています。なぜなら意識的に残そうとしなければ残らないものがあまりにも多いからです。それは飯島先生自身がコロナ禍を生きた歴史学者として痛感したことでもありました。歴史学者は残された資料や記録の断片から過去を読み解いていきますが、当事者としてコロナ禍を経験したことでその前提そのものを見つめ直すことになったといいます。
「過去の感染症の事例について研究する中で、なんでこんなに資料が残っていないんだろうと思うこともあったんです。でも自分がコロナの記録や記憶を残そうとしてはじめて、やっぱり過去の感染症の場合も残せなかったんだなと思うこともあって。逆に言うと自分たちは痕跡みたいな資料から歴史を理解したつもりでいたのかもしれない。本当にそれが当時の社会の人たちが考えていたことなのかということについて、少し自信を失ったっていうのかな、自分の仕事を振り返ってみて反省をしたりもしました。」
コロナ禍が始まった2020年以降、日本各地で記録や記憶を残そうという取り組みが生まれたそうです。しかしそれらの多くは継続されず、今では失われたりアクセスが難しくなったりしているといいます。だからこそ飯島先生は、あえて能動的に記録を残す側に立つことを選びました。
「問題点は承知しているんだけど、あえて新型コロナについては記録を残すような、ちょっと能動的な活動をやってみたい。」
飯島先生は穏やかな口調ながら強くそのように語ってくれました。
「見送れなかった死」が問いかけるもの
では社会は何を記録として残すべきなのでしょうか。
飯島先生は感染症や感染対策の科学的な知見や政策の経緯だけでなく、人々がそれをどのように受けとめ、どのような選択をしたのかという経験そのものを残す必要があるのではないかと話します。
「感染症に対する科学的知見が重要だということと同時に、それに対して人々がどう理解して、どういう行動をとったかっていうのも重要なんですよね。どれだけ確からしい科学的知見があったとしても、人々がそれをそのまま受け入れるとは限りません。納得や共感、あるいは同調とか強制とかね。さまざまな背景の中で人は行動を選択します。」
多くの人は科学の知見のみによって動くわけではありません。それぞれの価値観や倫理観、生活環境の中で行動を選択します。だからこそ飯島先生は感染症対策そのものだけではなく、社会がそれをどう受けとめたのかという記録も残していく必要があると考えています。それは単にどの対策や政策が有効だったのかを検証するためではありません。感染症対策によって生じた葛藤や迷い、そこで人々がどのような価値観にもとづいて判断したのかを振り返るためです。その例として先生が挙げたのが、「見送れなかった死」でした。
「亡くなった人を遺族が見送りできないっていうことがたくさんあった。実はかなり大きなことのように思うんです。肉親が亡くなったにも関わらず、その遺体に対面する機会がないまま火葬にされてしまうようなことって、現実にあったわけですよね。それは遺族の側からすると耐えられないことではないかと。」
飯島先生が問いかけるのは、この経験をどう評価するのかということです。
「果たしてそこまで踏み込んでやっていいのかどうか。倫理的な規範の問題とか社会としてどこまで許容するのかということも含めて、もう少し丁寧な議論があってもいいような気がする。しかしこういう議論は、その最中(パンデミック下)にはやっぱりやりにくいんじゃないかと思うんです。逆に言えば今こそやらなきゃいけないように思います。」
こうした出来事に対して社会が何を感じ、どのような議論が生まれ、どのような価値観が衝突したのか。その記録や記憶を残しておかなければ、感染症対策だけを覚えていてもそのとき何を大切にし、何に迷ったのかを忘れてしまうのかもしれません。飯島先生のこの話を聞き、教訓とは「これが起きたらこうする」など対策や行動の指針だけを指すのではなく、その選択の背後にあった葛藤や価値観まで含めて振り返る先に生まれてくるものなのかもしれないと感じました。
私たちは何を取引したのか
インタビューの最後に、「このパンデミックの経験の中で、特に残しておくべき教訓は何だと思いますか」と聞きました。
飯島先生は少し考えた後こんな言葉を返してくれました。
「健康とかね、安全とかを守るためには、何と取引しなくちゃいけないかっていうことをみんなが考えたと思うんです。」
「その時に一番大切だと思ったものは、人によって違ったはずなんですよね。
どんなにコロナが流行っていても、それでもやっぱり自分は外に出たいと思っていた人もいただろうし、家庭の中に高齢の方がいて、その人を守るために自分の行動をかなり控えた人もいたと思うんです。
だから、そういう行動一つひとつがなぜ必要だったのか、どうして自分はその選択をしたのか。そこにはそれぞれ理由があったはずなんですよね。
その時に何が一番大切だったと思ったのか。なぜそれを大切だと思ったのか。
コロナと何を取引したのかという経験をちゃんと覚えておきたいような気がします。」
「取引」。
この言葉がとても強く印象に残っています。
振り返ってみると私自身もたくさんの取引をしていました。友人との約束をあきらめたり、祖父母に会いに行くのを見送ったり、誰かと食事をすることをためらったり。その代わりに守ろうとしていたものは何だったのか。そしてその選択を私はどう受けとめていたのか。
当時は目の前の状況に対処することに精一杯でした。けれど6年が経った今だからこそ、その時に何を守ろうとし何をあきらめたのかを改めて振り返ることができるのかもしれません。私たちがどんな価値観を大切にし、どんな葛藤を抱え、何を選択したのか。その経験の積み重ねもまた、未来へ残していくべき記録なのだと飯島先生の話は教えてくれました。
みなさんはどうでしょうか。
あのパンデミックの中で、何を守ろうとしていましたか。
そして、そのために何をあきらめましたか。
あの日の自分がコロナと何を取引したのか。
その経験を思い出すことから、この経験を未来へつなぐことが始まるのかもしれません。
===2026年9月12日(土)に飯島先生をお迎えしたトークイベントを実施します!===
トークイベントでは2024年に放映されたドラマ『新宿野戦病院』でパンデミック下の社会を描いた監督である河毛俊作さん、ウイルス学者の佐藤佳さん、そしてこのブログでインタビューをした感染症の歴史学者の飯島渉さんの3人をお迎えし、パンデミックの記憶を振り返ります。そして、その経験をどのように記憶し、教訓として残していくことができるのかを考えます。
イベントの詳細・お申し込みは下記のリンクから。
トークイベント「忘れられていくパンデミックは、私たちに何を残すのか? ~ドラマ『新宿野戦病院』が描いたコロナと社会から考える」
https://www.miraikan.jst.go.jp/events/202609124706.html