「石川さん、ちょっと話しすぎかな。もっとお客さまに話していただかないと」
未来館で働くようになって半年が経ちました。私の課題の1つは、展示の前でお客さまとお話しする時にしゃべりすぎてしまうことです。対話では、お客さまが8割、科学コミュニケーターが2割くらいの発言が理想と言われますが、私の場合、反対に8割の発言を独占してしまいがちです。
それは、沈黙が怖いからです。お客さまが退屈してその場を去ってしまうのではないかという焦り、お客さまから答えられないような質問を受けたらどうしようという恐れから、とにかく沈黙を埋めようと矢継ぎ早に言葉を発してしまうのです。
こんな状況を揺るがす体験をしました。それは、9月15日に行われた一般市民の声を国際的な会議に届けるためのイベントWorld Wide Views(WWV)です。今回のターゲットは、生物多様性条約第11回締約国会議(COP11)でした。25カ国の参加国が、それぞれの国民100人を招待し、一般市民の立場から、生物多様性に関する議論をします。未来館は日本での主催者を務めました。
当日の議論は、6~7人のグループで行われ、それぞれに「ファシリテーター」という進行役がつきます。ファシリテーター(facilitator)の意味は、「物事の進行などを促進する人、容易にする人」。司会よりも「促す」という意味合いの強い役割で、議論を掘り下げていくお手伝いをします。私もその一人として参加することになりました。
約2ヶ月前からファシリテーター同士で集まって、ロールプレイング練習が始まりました。私は慣れない役割のために力が入り、やたらみなさんの発言をまとめたり言い換えたりしてしまいました。試行錯誤しながら学んだ最も大切なことは、ファシリテーターはあくまでも議論の進行役であるということです。その一つ一つの発言のベクトルは、話をきれいにまとめることではなく、参加者がより深くこの課題を考え、積極的に議論に参加し、お互いの意見に触発されることをサポートする方向に向かっていかねばなりません。
いよいよ当日になりました。私のテーブルにも続々とグループのメンバーが集まります。全員がそろうのを待ちながら、緊張を解こうとメンバーに話しかけても、すぐに気まずい沈黙が訪れます。早く開会式が始まればいいのに。
10時半。いよいよ第1セッションの始まりです。テーマは、生物多様性の概要と私たちとのかかわりについてです。これまでに生物多様性についてどの程度知っていたか、生物多様性の消失により影響を受けるのは誰だと思うか、といったことについて自己紹介を兼ねて話し合います。
ここで苦心したのは、進行役の私と参加者の一問一答のやりとりになってしまうことです。グループ内で話し合うのが目標なのに、私が問いかけをして、当てられた人が話すという流れをなかなか崩すことができません。また、話している人がグループのみなさんではなく、私の方を向いて話すことも気がかりです。他人を促して「場」を作る、なんと難しいことでしょう。
それでもあきらめずにいこう。沈黙を私の発言で埋めるようなことはしないようにしよう。
転換が訪れたのは第2セッションで陸の生物多様性について話し合っていた時です。この時の問いは「今後増えていく食料需要と生物多様性の保全を両立させるためには、どのような方法が効果的だと思いますか?」というものでした。爆発的に増え続ける人口を支えるために、森林を切り開き、すぐに食べられる作物ばかりを育てることのリスク、こうした傾向に拍車をかけているのは、経済力を背景に作物を輸入している国であるという事実などを話し合っている時でした。
その時のやり取りです。
主婦:子どものためを思って、なるべく自然に近い状態で育てられた食べ物を買いたいと思っていました。でも、世界的な食糧危機を知ると、少ない土地で効率よく育てられる植物工場なども受け入れることを考えないといけないのかなと思いました。
退職された男性:あとね、最近は作物の形が整い過ぎている。消費者がえり好みし過ぎなんだよね。味も栄養も同じなのにもったいないよ。
学生さん:曲がったキュウリなんかを安い値段で売ったらいいですよね。安く買えたら僕はうれしいな。
すると、今まで黙って聞いていた群馬県から来た建設業の方が口を開きました。
私の住んでいるところは田舎でね、みんな農業をやってるんです。実際には、そういう形の悪い野菜は本当に売れないんですよ。私は周囲の人が苦労しているのを見ています。まずは、買う人の意識を変えていかないといけないですよね。
農業の現場を間近で見ている方の発言に、みなさん聞き入りました。
このやり取りを聞いていて、私は感銘を受けました。一般の方が集まって、こうした日常生活になじみのない(ように感じられる)事柄を話し合う時、大切なのは当事者意識だと思うのです。この時、グループのみなさんは自分の生活に引きつけて発言をされていました。そして私にとって何よりも得がたい体験だったのは、この間、私は口を挟まずみなさんのやり取りを見守ることができたのです。
これまでの長いやり取りを経て迎えたこの瞬間。私は強く思いました。何もしないことと、相手を促して黙っていることとの間にはこんなにも大きな隔たりがあるんだ。そしてこの瞬間は、沈黙に耐え、受けとめ、あきらめずに促し続けたことによってもたらされたのだ。
そして、最後のセッションがやってきました。テーマは設けずに、今までに議論できなかったことを自由に話し合い、最後に個々のメッセージとしてまとめる時間です。幕を閉じたWorld Wide Viewsの会場で、私はグループの方々が、思い思いに書き残して下さったメッセージに見入っていました。
沈黙を言葉で埋め尽くすことをせず、沈黙を受けとめることで、一見すると空白にも見える時間の中にある豊かさを知ることができました。科学コミュニケーターとしてもファシリテーターとしてもまだ駆け出しの私ですが、この経験はこれからの活動に必ず生きてくるでしょう。