江戸時代に百科事典があった!東洋の博物学「本草学」とは?

 日本に「科学」が生まれたのはいつのことだと思いますか? ヨーロッパ式の自然科学が本格的に日本に導入されたのは明治維新以降のこと。それから100年も経たないうちに、医学の北里柴三郎、物理学の湯川秀樹など、世界レベルの研究者が次々に現れました。そんな科学発展の背景には、明治以前に普及していた学問「本草学」の存在があるのかもしれません。

 きたる202089日に、国文学研究資料館と日本科学未来館がコラボして、江戸時代の日本の科学と読書事情を探るオンラインイベント「国文学研究資料館×日本科学未来館 和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」を開催します。詳細はブログの最後をご覧ください。

【国文学研究資料館×日本科学未来館 和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー】

江戸時代のエンサイクロペディア『和漢三才図会』

江戸の百科事典、『和漢三才図会』の、天文に関するページ。左側には天動説モデルによる太陽系が描かれている。右の本文には「地球」と書かれているのが確認できる。

 この古い本、いまから300年以上前の江戸時代に出版された百科事典『和漢三才図会』の1ページです。10581冊にもわたるボリュームで、天文・宇宙から人体、動植物、地理、人間社会に関する事柄まで、ありとあらゆるトピックが訓点付きの漢文とイラストを用いて解説されています(江戸時代まで、フォーマルな文書は漢文で書くのが一般的でした)。西暦1609年、中国の明代に発行された『三才図会』をベースに、大坂の医師、寺島良安によって30年余りをかけて編纂され、江戸時代中期の1712年に成立しました。

東洋の博物学「本草学」

 この東洋の博物学とでも言える学問のことを「本草学」と呼びます。本草学は中国から伝来し、さらに日本で独自に発展しました。古代ギリシア・ローマを起源とするヨーロッパの博物学が自然界に存在するものを収集・分類し、世界のありようを探求することを主目的としたのに対し、本草学は人の役に立つ情報、特に医学に役立つ情報を集めることを主な目的にしていました。

 東洋医学で用いられる薬の多くは植物などの自然に存在するものを原料としています。しかし一方で、生き物の名前は地方や資料によってバラツキがあります。例えば春の七草のひとつとして知られ、薬草としても利用されるナズナには、ペンペングサ・シャミセングサ・ビンボウグサといった異名があります。もしも名前のバラツキが原因で薬の原料を間違えると患者の命に関わります。なぜなら、植物の多くは大なり小なり毒を持っているからです(毒を薬効成分として使っているとも言えます)。そこで必要とされたのが、薬草の名前と特徴を整理したリファレンスをつくることでした。このことが「本草学」という名称の由来にもなっています。やがて本草学の守備範囲は医学の外側にまで広がってゆき、東洋の博物学と呼ばれるまでに発展しました。

カマキリの医療利用?

 大百科事典である『和漢三才図会』にも医学書としての精神が込められています。植物の項目では精細なイラストレーションに加え、薬としての効能や服用方法に関して非常に詳しく記述されています。そればかりか、一見薬と関係なさそうな項目にも医用情報が書かれていることもあります。例えば「カマキリ」の項目には、その形態や生態のほかに、「イボをカマキリに食べさせて治療する」といった、ちょっとショッキングなカマキリの医療利用(?)も紹介されています。

『和漢三才図会』カマキリの項目。イラストの下には名前と異名、中国語読みなど、左の本文にはカマキリの形態や生態などのほか、イボ治療への利用についての解説文が記されている。「以保無之利(イボムシリ)」という異名も紹介されている。

「コノシロ」の物語

 医学を主目的とした知識体系である本草学ですが、その守備範囲は広く、いわゆる「理系」の知識だけにとどまりません。例えば、『和漢三才図会』に収録されている、魚の一種「鰶(コノシロ)」の項目では、魚の形態や調理法のほかに、焼くと人間の遺体を焼いたときのような臭気を発することにちなんで、名前の由来の俗説としてこのような説話が紹介されています。

 「 野洲(下野国=栃木県)は室の八嶋(むろのやしま)に一人の美しい娘がいた。娘には密かに心を通い合わせていた男がいたが、娘の父母はそれを知って彼に娘を嫁がせようと考えていた。ある日のこと、国司が娘の美貌を聞きつけ、無理に娘を娶ろうとした。娘と父母はこれを断りたかったが、国司の怒りを買うことを恐れて一計を案じた。すなわち棺を作って数百匹のコノシロを詰めて火葬し、娘は病死したと偽り難を逃れた。これが「コノシロ(子の代=子どもの身代わり)」という名前のいわれである。」

本草学は学際知の先駆け?

 現在出版されている、自然科学系の図鑑には、もちろんこのような情報はあまり記されていません。明治以前には現在で言うところの「文系・理系」という分け方はされていなかったことがうかがえます。生物学者・博物学者・民俗学者として、明治から昭和にかけて世界を股にかけ活躍した知の巨人・南方熊楠は、若き日に6000ページ以上にわたる『和漢三才図会』全巻を書き写したそうです。

 また、本草学の精神はアートの領域にも強い影響を与えました。喜多川歌麿や伊藤若冲などの、同時代の偉大な絵師たちも動植物の生き生きとした姿を精緻に描いた「本草画」をたくさん残しています。

喜多川歌麿作の狂歌絵本『画本虫撰(えほんむしえらみ)』。写実的なタッチに本草学の精神が感じられる。

 あらゆる学問が細分化された現在、分野をまたいで新しい価値を見つけ育てようという動きが再び活発になりつつあります。あらゆる知を取り扱う本草学の精神から現代人が学ぶことはたくさんあるかもしれませんね。


89日(日)13:3015:00、国文学研究資料館教授の入口敦志さん、同館人文知コミュニケーターの粂汐里さんをお招きし、本草学、そして和書の世界について語るオンラインイベント「和書からさぐる!お江戸のサイエンスとライブラリー」を開催します。皆様のご参加をお待ちしています!『和漢三才図会』に掲載されている不思議な生物の謎や、江戸時代の庶民の読書ライフに迫ります!イベントの詳細・参加方法はこちらをご覧ください。

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