みなさんこんにちは、日本科学未来館 科学コミュニケーターの宮田です。
今回は未来館3階の常設展エリアにある展示「未来逆算思考」についてご紹介しながら、社会が抱える中長期的な課題に対しての向き合い方を見てみましょう。
50年後の子孫に豊かな地球を届けよう
未来逆算思考は理想的な未来を実現するためにはどんな課題があって、どんな考え方をしたらいいのかをゲーム形式で体験することができる展示です。まずは、現在から50年後に暮らす子孫たちに、どんな地球で暮らして欲しいかを考えるところから始めます。望ましい未来の姿を考えはじめると、たくさん出てきて数え上げればきりがないかもしれません。ただ、この展示では残したいものを8つの選択肢から選び、それが残された地球を50年後の子孫に届けることを目指します。それぞれを以下の8つの「地球」で表します。
・地球温暖化がストップした地球
・いつまでもきれいな水が飲める地球
・エネルギーで豊かな暮らしができる地球
・芸術文化に満ちあふれた地球
・ことばの多様性が守られている地球
・いつまでも魚を食べつづけられる地球
・誰もが健康でいられる地球
・不平等や貧困のない地球
あなたはどれを選びますか?もちろん全部そろっているに越したことはないですが、その中から1つを選ぶことで普段なにを大事にして生活しているかが見えてくるかもしれません。科学コミュニケーターはここで、「どうしてそれを選んだのですか?」という問いからみなさんとお話することがあります。いろんな意見が聞けるので、ここは僕のお気に入りの対話スポットです。また、この8つの「地球」はどれも、今の社会でこのまま私たちがなにも対策をしないでいると、50年後には実現することが困難だと危惧されています。日本に住んで普段の生活をしているだけでは、実現できないことがあまりピンとこないものもあるかもしれません。しかし、社会システム上の障害、人間の欲求、価値観やライフスタイルの相違、情報の不足などさまざまな障害が理想的な未来の実現を妨げています。これらを乗り越えていくために必要な考え方として、この展示では、「フォアキャスティング」と「バックキャスティング」という2つの思考方法を提案しています。
1つ目のフォアキャスティングは、抱えている課題に対して今どんなことができるか、現在を起点に物事を進めて積み上げていく考え方です。一つひとつの行動は実現性が高く堅実なものになりますが、未来への長期的な目標を立てにくくなってしまい、必ずしも理想的な未来を実現できるとは限らないという懸念があります。
2つ目はバックキャスティングです。バックキャスティングは目標とする未来を先に設定して、それを達成するためには今から何をしていけばいいか、理想の未来を起点に逆算していく考え方です。あらかじめ明確なゴールを設定しておくことで常に目標から現在を意識して行動することができます。目標を見失うことはありませんが、バックキャスティングな思考だけだと目の前の問題に対応することが難しくなってしまう恐れがあります。理想の未来を実現するためにはこの2つの思考法をかけ合わせることが重要になってきます。
展示ではこの2つの考え方を、最初に選んだ、残したい「地球」を50年後に贈るというゲームを通して体験することができます。贈り届けなければならない50年後付近から過去はどう見えるか?という視点(バックキャスティング)と、スタート地点である現在から未来はどう見えるか?という視点(フォアキャスティング)の2つを駆使して50年後まで無事に贈り届けて下さい!
ここまで、未来逆算思考を紹介しながら、理想の未来を実現するための考え方についてお話してきました。ここからは、理想の未来を実現するために私たちの社会が抱えている課題と、目標を達成するために行われている取り組みを見てみましょう。
今回は8つの「地球」の1つである「芸術文化に満ちあふれた地球」を例にご紹介したいと思います。
文化財の保存と公開のジレンマ
50年後の未来が「芸術文化に満ちあふれた地球」となることを妨げている課題はなんでしょうか。その1つが保存と公開のジレンマです。世界には、これまでの歴史の中で人類がつくりあげてきた様々な文化財があります。それらは時代を超えて、当時の人々の暮らしの様子を私たちに教えてくれるだけでなく、芸術作品として公開され、心を豊かにしてくれます。しかし、文化財は、時間の流れとともに劣化していく場合があります。
例えば、僕の出身地である奈良県にはたくさんの古墳があります。公園だと思って鬼ごっこしていた場所が古墳だと後から知ったこともあるぐらい、実家の近くもたくさんの古墳に囲まれていました。その古墳の中には、壁画が描かれている場合もあり、放っておくと湿気などによりどんどんと劣化して見えなくなっていくという課題があります。貴重な文化財を劣化させずに未来に残していくためには、温度や湿度などがきちんと管理された場所で保存する必要から、人目に触れさせることが難しくなります。すると私たちは文化財を鑑賞することができなくなってしまいます。このように、文化財を未来に残すために保存することと、公開することによって社会に豊かさをもたらすことが、場合によっては、相いれないという課題が生まれます。その他にも、火災などの思わぬ事故で文化財が失われてしまうことや、社会の価値観のすれ違いから失われてしまう事例など、「芸術文化に満ちあふれた地球」を未来に実現することが困難な状況になっているのです。
現在、未来に向けて文化財を保存しつつ文化財に触れる機会をつくり、かつ失われた文化財をよみがえらせるための活動として、「スーパークローン文化財」という取り組みが東京藝術大学COI拠点で行われています。
単なる複製ではないスーパークローン文化財
「スーパークローン文化財」は保存と公開のジレンマを解消するために東京藝術大学が開発した技術です。保存が必要な文化財を最先端の科学技術を用いて計測します。例えば、法隆寺の釈迦三尊像を再現するにあたっては緻密な3D計測を行い、釈迦三尊像を3Dデータとして記録したのちに、3Dプリンターを用いて鋳造の原型となる模型を制作します。ここで計測できなかった背面などに関しては、東京藝術大学がこれまで文化財の研究を行ってきた知見から再現していきます。模型が再現されたのちの鋳型の造形や、鋳造、彫金に関しては伝統的な技術をもっている職人の方たちが、それぞれの技をあわせることにより釈迦三尊像を再現しています。その他、ゴッホの絵画を再現する際は、3Dデータをもとに絵の具の凹凸一つひとつが芸術家の手により再現されました。
このように、最先端の科学技術と、歴史的な背景までも踏まえた文化財研究の知見、受け継がれてきた伝統的な技の組み合わせによってスーパークローン文化財は完成します。本物と違わぬ姿で完成されたスーパークローン文化財は公開され、本物が安全に保管されたままでも、人びとが文化財を鑑賞することが可能になるのです。また、バーミヤン東大仏天井壁画などすでに失われてしまっている文化財も、記録されたデータを元に蘇らせる取り組みが積極的に行われています。
保存だけじゃない新しい鑑賞の在り方
スーパークローン文化財は保存と公開のジレンマを解消するだけではなく、新しい鑑賞の在り方を提案しています。みなさんは文化財を美術館などで鑑賞したとき、触ったことはありますか。基本的に文化財の多くは触れずに鑑賞します。しかしながら、スーパークローン文化財は触れることができるのです。ゴッホの絵画や仏像をただ観るのではなく、絵画の凹凸や仏像の曲面に触れるなど、視覚以外の感覚を用いた新しい鑑賞が提案されています。このような芸術の楽しみ方が広がっていくことで、より多くの人が楽しむことができるようになり、新しい感動の体験に繋がっていくことが期待されています。その他にも、平面だった絵画を立体模型として再現するといった実験的なスーパークローン文化財も生まれています。
理想の未来を達成するために
ここまで、「芸術文化に満ちあふれた地球」を実現するための取り組みとして、スーパークローン文化財のご紹介をしてきました。科学技術と伝統的な技をかけ合わせることによって、文化財を未来に向けて保存しつつ、今を生きる私たちが文化財を楽しむ豊かな社会を実現し、更に、今までになかった新しい鑑賞の在り方も提案するというものでした。このスーパークローン文化財の研究を行っている宮廻正明名誉教授は未来逆算思考の監修者の一人でもあります。未来逆算思考には研究者からのメッセージを読むことができるコーナーもあるので、未来館に来館したときはぜひ宮廻名誉教授からのメッセージも読んでみてください!
50年後はどんな地球であってほしいですか?そしてその地球を50年後に届けるためにこれからできることはなんでしょう。フォアキャスティングとバックキャスティングの両方から考えてみてください。また、一人ひとりの行動の他にも、今あるたくさんの研究の中に、みなさんにとっての理想の未来をつくるためのヒントが隠されているかもしれません。ぜひ、科学コミュニケーターと科学や社会について対話しながらいろんな未来を想像してみてください。