朝起きたら、まずは電子レンジのお任せモードで朝ごはんをあたため、電車に乗って出勤、エアコンの効いたオフィスで仕事をし、帰ってきたらお風呂を自動で沸かす…さて、この生活に隠れている技術、何だと思いますか?
2020年も熱かったイグノーベル賞、皆さんにはさらに味わい尽くして頂きます(イグノーベル賞って何?という方は同僚の科学コミュニケーター廣瀬が書いたこちらのブログをどうぞ)
イグノーベル賞の授賞式には、受賞者の表彰以外にも色々な趣向が凝らされています。その一つが、24/7レクチャー。24/7はもともと「毎日24時間、7日間(1週間ひっきりなしに)」、という意味だそうですが、ここでは識者が科学用語を24秒、その次に7単語で説明します。なんと今回の24/7レクチャーのプレゼンターに日本人研究者がいらっしゃるのを発見しました!
授賞式のテーマ「BUGS」にちなみ、「コンピューターバグ」を名人芸で説明しているのは、国立情報学研究所(以下、情報研)にご所属の岸田昌子先生。イグノーベル賞に出演することになった裏話や普段のご研究について伺ってみました。そうするうちに、私たちの生活のあちこちに潜む技術の存在が見えてきたのです。
コンピューターバグを説明するつもりは…
「今回の授賞式に出演したのは、実は偶然だったんですよ」と岸田先生。
「立教大学・特任准教授の古澤さん(日本科学未来館・科学コミュニケーターのOBで、退職後もイグノーベル賞に関わる活動を行っています。上の写真で太鼓を叩いている人物)から情報研に、『24/7レクチャーに協力してくれる若手の女性研究者を探している。今年のテーマがバグなので、コンピューターウイルスやバグについて研究している人ならベターだが、バグについて話さなくてもよくてコンピューターサイエンスを専門としていればよい』という連絡がありました。それで情報研の広報から、『コンピューターサイエンスではないけど、まぁ良いだろう』という感じで私に声がかかったのではないかと思います。
ところが、マークさん(イグノーベル賞を創設し、企画運営している人で、上の写真でシルクハットを被っている人物)に詳しい話を聞いてみたらスピーチのお題が『コンピューターバグ』だったんです。専門ではないのでいいのかなと思いましたが、せっかくなので引き受けました」
最近はイグノーベル賞の認知度が高まってきていることもあり、関わることができてうれしかったそうです。こうした偶然からの出演という経緯も、なんだかユーモアや手作り感にあふれたイグノーベル賞らしい感じがしますね。
先生の解説はこちら(2020年の授賞式の動画)で見ることができます。
※45:05あたりから。
コンピューターバグはご専門ではないという岸田先生。本来のご専門は「制御理論」なのだそうです。
モノの挙動を、数式で表現する
岸田先生によれば、制御理論をひと言でいうと「モノを望み通りに動かす(制御する)ための理論」となります。モノといっても物体とは限りません。温度のような状態も含まれます。ちょっとむずかしい感じもしますが、実は、私たちの日常生活にも深くかかわっているのです。
ブログ冒頭に登場した電子レンジ(食品を温める)、エアコン(室温を調節する)などは、どれも制御を行っている例です。制御は動的システムに対して行われます。動的システムというのは、出力が入力に応じて、時間が経つにつれてある規則にもとづいて変化するものです。制御とは、動的システムから望み通りの出力を得られるよう入力を調整することなのです。
エアコンについて詳しくみてみましょう。この場合、部屋の温度を望み通りにしたいので、制御対象は部屋の温度です。エアコンをつけると、時間とともに室温も変化しますよね。
部屋は室温を「状態」として持つ動的システムです。まず、リモコンで好みの室温を設定する(目標を決める)と、現在の室温(状態)に応じて風を温めるヒーターの電流量や、逆に冷やすための冷却水の量が調整されます。そうして部屋への「入力」としてエアコンから温風や冷風を吹き出し、部屋の「出力」である室温を設定温度に近づけます。
※日常会話での入力・出力は、入力=リモコンへの信号、出力=送風、とすることが多いと思いますが、「何に対しての」入力か、「何からの」出力かが変わると、入力と出力も変わってきます。部屋に対しての入力は風で、部屋からの出力は室温です。
制御理論ではモノを望み通りに動かすための法則を、数学を使って導き出します。まず、入力と動的システムの状態、出力の関係を方程式であらわします。方程式をつかうと、二つ以上の数の関係を示すことができます。例えば、時速30 kmで走る車は、X時間後にYkm進みますから、Y = 30 X という式で時間と距離の関係を示せるわけです。
※出力は動的システムの状態の関数(動的システムの状態に対応して出力も変化する)ですが、二つが同じ場合もあります。エアコンがその一例で、部屋の温度は、部屋という動的システムの状態であり、出力でもあります。
制御理論で使う方程式は、微分方程式といって、動的システムの状態の時間変化の割合を、その時の動的システムの状態と動的システムへの入力を用いて表すものです。なので、微分方程式を使えば、時間によって変化する動的システムの状態を記述できます。実は、動的システムから望み通りの結果を得るために入力を調整する部品(制御器)は、微分方程式などで書かれた数理モデルを基に設計されているのです。そして、制御器に動的システムの実測された出力の値を入れると、動的システムへの入力を弾き出すという仕組みになっています。
「制御のキーとなるのは、フィードバックです」と岸田先生。フィードバックとは、目標とその時々の出力の差を検知し、その差に基づいて入力を調整するしくみをいいます。制御にもフィードバックのあるものとないものがあり、制御理論は特にフィードバックのあるものを扱います。
生活用品で考えてみましょう。エアコンは温度センサーで室温を感知し、それに応じて送る空気の温度を変えますから、フィードバックのある制御です。温度にかかわらず単純にタイマーにしたがってパンを焼くトースターは、フィードバックのない制御といえます。
フィードバックは、人間が担う場合もあります。自動車の場合なら、ハンドル(入力)で車の方向を決める(出力)とき、もし思ったよりも道路脇に寄っていく場合には、目に映る景色をもとにそう判断した脳から指令が出され(フィードバック)、ハンドルを回して道路の真ん中に戻そうとしますよね。この場合、方向のズレを感じとって指令をだす人間の脳は、制御器にあたります。数学を用いて制御器を設計しようというのが、制御理論の大きな目的の一つなのです。
岸田先生の主なお仕事は、「数理モデルを使って、 モノの動きを解析し、モノを望み通りに動かすために必要な条件」を考えて制御器を設計することです(文献1)。また、数理モデルと現実のシステムの間には必ずズレが生まれるので、その差(不確かさ)までも考慮に入れた制御の仕組みを作ろう、というのが先生の得意分野なのだそうです。
「道具」以外にも応用されている
薬学部出身のブログ筆者・飯田が、「モノを望み通りに動かす」と聞いて真っ先に思いついたのはお薬です。薬が効くまでには、身体の中に入り、ねらった器官に適切な量が届かなくてはなりません。そうした体内の薬の動きをコントロールして、効果を長続きさせたり、必要のない器官には行かないようにすることで副作用を減らしたりしようという技術、ドラッグ・デリバリー・システム(DDS)の分野でも、制御理論を用いた研究が行われているそうです。
また、感染症、電力ネットワークや交通など、マクロな現象にも制御理論は応用可能だといいます。感染症の例では、新たに感染する人や重症化する人を減らすために、ワクチンや治療薬のような医療資源を場所ごとにうまく振り分けるにはどうすればよいか、といった問題へ制御理論を応用しようという研究もあるのです。大小かかわらず、モノゴトを理想の状態に近づけたいときには、本当にそこかしこで顔を出す技術なんですね!
シンプルにとらえれば広い分野に対応できる
紙とペン。それが岸田先生の主な仕事道具です。「だから実は、授賞式で解説したコンピューターバグに遭遇することはあまりないんです」と笑います。チラッとお仕事の様子を見せて頂きましたが、先生が封筒から取り出した紙には青字の数式が整然と並んでいました。実際のモノの動きはたいへん複雑そうなので、手作業で扱えるとは到底思えませんが…。
「コンピューターでシミュレーションする研究者もいますが、私は数式の性質を調べるような理論を中心に研究していますから」
例えば、数式がある条件を満たすかどうか調べると、システムが安定かどうかが分かる、といいます。安定なシステムではそれを乱す要因(車の例では、タイヤを滑らせる雪など)があっても時間が経てば自然に元の状態に戻りますが、不安定なシステムでは、そうはいきません。エアコンをつけても室温がずっと上下していたり、自動運転の車が道を逸れかけても戻って来なかったりしたら、困りますよね。システムが不安定と分かれば、制御器をうまく設計することで、ほとんどの場合はシステムを安定にすることができます。
紙とペンで扱えるのに加えて、制御理論がこれほど多様な分野に対応できるのにも理由があります。制御理論ではシステムを抽象化してとらえるからだ、というのです。抽象化とは、様々なシステムに共通する構造や性質に注目することをいいます。
「抽象化しているから、交通、バイオ、飛行機、宇宙、感染症も全て同じ数式の土俵に落とし込めるんです。例えば、ニュートンの運動方程式とコイルの自己誘導が同じ形の微分方程式で表されます」
このように全く異なって見える現象も実は似た性質を持つことがよくあるそうです。なので、複雑なシステムの制御の問題であっても、解くための基礎はあくまでも大学で履修する制御理論にあるのだと、いいます。
物理学でも、高校でニュートンの運動方程式を習い、投げたボールなど単純なモノの動きを計算しますが、他の規則を学び組み合わせることで、空気抵抗や摩擦がある条件など複雑な現象をあらわせるようになっていきます。それと似て制御理論も、基本となる方程式(状態方程式)の上に成り立っているのです。
「もちろん、(制御理論においても)あつかう現象によって細かい調整が入ってきます。それこそが新たな論文成果になる、ということなんです」
最近のお仕事を紹介!
現在、岸田先生は、未来館の母体であるJST(科学技術振興機構)が実施している、ERATOプロジェクトに関わっています。ERATOプロジェクトとは、これまでの研究分野やアプローチを超え、技術革新につながるような基礎研究を推進させることを目的としたプロジェクトです。
「ERATOプロジェクトでは、自動運転制御というテーマに取り組んでいます。去年は、自動運転の車が信号のない交差点で、どのように意思決定をすれば事故を起こさないで早く交差点を通り抜けられるか、というテーマについて報告を出しました。研究ではこの状況に、あおり運転する車が出現する条件を入れてみました。乱暴な運転をする車がいたら、交通ルールを守るだけでは事故になってしまう可能性があります。交差点に入ってくる他の車がどう動くか常に予測しながら、事故を起こさないように、でもコンサバティブ(保守的)になりすぎないようにするにはどうすれば良いか、といったことを調べました」
こうした研究は機械だけでなく、人間が運転をする際にも効率のよい決定を下す助けにもなるのでは。そう先生に伺ってみました。
「応用できる可能性はあると思いますよ。ただ、まだ理論の段階だから(自動運転にしても人間が運転するにしても)実際のシチュエーションで使うためには、まだまだ実証実験も必要ですね」
交差点を安全かつ早く通り抜けるには…普段の生活でも見かけそうな光景ですが、岸田先生はどのように研究のアイデアを得るのでしょうか。
「リラックスしているときはあまり考えていないので、頑張ってひねり出すタイプです。あ、でも寝る前に浮かぶことはありますね。ベッドから机までの距離は50㎝なので、ときおり起きてアイデアを書いたりもします」と、研究スタイルの一端を覗かせます。
いろんなモノを制御したい!
今でこそ制御理論のおもしろさにとりつかれている岸田先生ですが、もともとの夢は他にあったそうです。
「小学生の頃から理論物理学をやりたかったんですよ。そのときはノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹先生に憧れていて、素粒子に興味がありました。でも大学から数学についていけなくなって。
しかし、大学の制御の授業では、絵も使われるんです。ブロック線図など、図やフローチャートっぽいものを見て、こんなふうに分かりやすくシステムを表すことができるんだ、という驚きをきっかけに、制御にのめりこんでいきました」
制御の世界を知る中で思いもよらず生まれた感動。それが研究者としての道を歩むターニングポイントとなったんですね。今後はどんな研究に取り組まれるのでしょうか。
「理論が好きなので、今後も紙とペン中心にやっていきたいですね。テーマについては、最近は応用的なものにも手を出しています。情報研に移ってからはコンピューターサイエンスなどにも関われるようになりましたが、実際にそうした話を聞いてみると現実の事象につながる話になっているんです。最近はプログラミングにも挑戦し、新しい方法論を取り入れようとしています」
最後に、制御理論に興味を持ち始めた方へのメッセージも頂きました。
「個人的な醍醐味は、やはり色々な問題にアプローチできるという点にあります。抽象化することで広い分野に首を突っ込めるから楽しいですよ!」
先生の語り口からは、「制御」しきれないほどの情熱が見え隠れしていました。その矛先となるテーマは、これからもどんどん広がっていきそうです。
【引用文献】
(文献1)池田圭一, 国立情報学研究所 岸田先生HPより引用・改変
https://www.nii.ac.jp/faculty/informatics/kishida_masako/(閲覧日:2021年02月28日)
【参考文献】
平成29年度市民講座 第4回 :「動きをデザインする科学-制御屋さんのモノの見方と考え方-」 岸田 昌子 - 国立情報学研究所
https://www.youtube.com/watch?v=Y5DfnDbn698 (閲覧日:2020年10月15日)
※動画にリンクしています。
小蔵正輝, IEICE Fundamentals Reviews, 12, 191-200 (2018)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/essfr/12/3/12_191/_pdf/-char/ja (閲覧日:2020年10月15日)