「日本学生科学賞」を知っていますか?

 皆さん、「日本学生科学賞」というコンクールを耳にしたことがあるでしょうか?1957年に始まって今年で65回目の開催となる、歴史のある大会です。中学生の部、高校生の部に分かれ全国から「自由研究」の精鋭作品が集まり、科学研究としての優秀さを競い合います。昨年の応募総数は中高合わせて約32000点とのこと。とても多く感じますが、コロナ禍で学校に集まって研究を進める部活動などができなかったからでしょうか、これでも例年の半分程度の応募数だったとか。非常に大きな大会だということがお分かりいただけるかと思います。9月から各都道府県での地方審査が始まり、そこでの優秀作品が全国の中央審査に進出、そしてそこからさらに選び抜かれた10数点の作品が、晴れて最終審査に進出します。

 今回はこの“日本学生科学賞”を取り上げてブログを書こうかと思うのですが、それには2つの理由があります。1つは、日本学生科学賞の全国最終審査はここ、日本科学未来館で行われてきたということ。そしてもう1つは私、執筆者の科学コミュニケーター大澤も中高生当時この大会に出展していたということです!

田舎から出てきてお台場にビビっている中学生の図。先生も緊張しているのでぶれている。一番左が大澤で、隣の二人は共同研究者である友人。

 ここからはそんな私自身の思い出を振り返りながら、日本学生科学賞について紹介していきたいと思います。

わたしの思い出

 私が日本学生科学賞に出展し、最終審査まで進出したのは第55回、2011年開催の大会でした。(ここから書くことは当時の学生科学賞の思い出ですから、今の大会とは少し異なるのかもしれません。ご了承ください。)

 当時私は中学生で、出身地である東京都八丈島に住んでいました。2011年は、東日本大震災が起こった年です。八丈島には大きな被害はなかったものの、テレビで中継されている各地の被害を見て大変ショックを受けていました。所属していたサイエンスクラブの活動は、それまではシロアリを飼ってみて生態、特に木くずで蟻道を作る様子を様々な条件のもとに観察したり、あるいは八丈島に生息している昆虫を採集しに行ったりとほのぼのしたものでした。しかし、大震災、特に原発事故に関するニュースを見てみんなで、「どんな技術やシステムがあったら役に立つだろうか」と話し合っていた時に、新しい着想を得て、一気に学生科学賞に向けた研究モードに入っていったのを覚えています。

 この時得た着想が、「原発の壁を登って、放水するためのロボットが作れないだろうか?」というもの。とはいえ、ロボットを作る技術は持っていなかったし、どちらかというと“自然のもの”に興味があるメンバーがそろっていたので、研究テーマは「壁を登ることができる、昆虫などの小動物の足の裏の構造」になりました。そういう研究をすれば、壁を登る放水ロボットの足を作るときに役に立つんじゃないかな?と思ったのです。

 テーマが決まってからは、夏休みの大半を費やして昆虫採集やその足裏の顕微鏡観察を行いました。当時はメンバーが3人だったのですが、3人それぞれが得意を生かしながら、50種類ほどの小さな動物たちを慎重に扱い、時には麻酔で眠らせたり、標本にしたりしながら顕微鏡下で足裏の写真を撮っていきました。

ガラス棒を登らせている様子。様々な材質のもとで登る速さのデータをとりました。
実際のレポートの一部。顕微鏡下で足裏の画像をとって、それを観察してスケッチして……。大変だったけど楽しかったなぁ、当時を思い出してちょっと感傷に浸っています笑

 正直、作業はとてもとてもしんどいものだったのを覚えています。それでも、壁を登れる動物たちの足の裏の構造は二つの種類に分類できること——確か私たちはそれを密毛タイプ(ハエなど)と吸盤タイプ(バッタなど)と呼んでいたような気がします——を発見したときには、「自分たちの手で法則を見つけた!」という何とも言えない高揚感があったことを思い出します。その他にも、それぞれの動物が何秒で10cmの壁を登るのか何度も何度も計測するなど、データの精度を増していくための実験を重ねていきました。

 そんな夏の成果をレポートにまとめて日本学生科学賞に応募しました。結果として、最終審査進出が決まった時には、もちろんとてもうれしかった一方、島の外に出て大きなコンクールに参加することへの不安も抱いたのを覚えています。八丈島でずっと過ごしていた私にとっては、まさに学生科学賞が「初めての大舞台」であり、未知の経験だったのです。

 最終審査は研究内容を紹介するブースを構えてそこに来た審査員とディスカッションをするという形式だったので、12月後半の本番に向けてたくさんのパネルを用意したことも思い出します。みんなで慣れないパワーポイントをいじって、研究の伝え方にも工夫を凝らしました。今思えばあまり意味がなかったような気もしますが、「動物たちが壁を登る速度とボルトが100mを走る速度を、双方が同じ大きさだったとして比べたオブジェクト」を作った思い出もあります……笑

わたしたちのブース。地元で作成したパネルをみんなで運んで、設置した。中央の机に乗っているのがボルトと動物たちを比較した“オブジェクト”。

 ちなみに審査は結構厳しかったです。自分の言葉でちゃんと研究が説明できるかな?矛盾と思われるところやちょっとデータが曖昧な、甘いところも、きちんと認識しているかな?ということを試されるような質問を審査員の先生方からたくさん受けて、科学の厳しさ()を教わりました。結果的に科学技術振興機構賞という賞をいただき、とても貴重な経験になりました。

いろいろな研究作品

 最終審査ではほかの進出者の作品やブースも見ることができました。僕が覚えているのは、まず香川県岩黒島の岩黒中学校が出展していた「岩黒島の岩石の研究」。同じ離島勢ということでかなり親近感を感じていたのですが、確かブースは遠くてあまりお話はできなかった気が……。でも、「自分たちの住んでいる島の自然について研究しました!」という姿勢にかなり共感を覚えました。

 研究の内容に感心したのは、その大会で内閣総理大臣賞を受賞した、つくば市立谷田部東中学校の村田さんが行った「ナミテントウは悪い虫?」という研究。個人研究でした。テントウムシのギルド内捕食()に関する研究で、とにかく綿密に実験や観察をしてる!という印象を持ったことを覚えています。自分たちとしてもかなりの時間をかけてたくさんの虫たちの足の裏を見てきたつもりでしたが、彼がテントウムシの観察にかけてきた時間や熱量は完全に私たちを上回っていました。まさに脱帽物で、来年はこれに並ぶくらい頑張って研究をしよう!というモチベーションにつながりました。

注:この研究を行った村田さん本人が高校生になってから書いている文章によると、「ギルドとは同じような資源を利用する生物種のグループのことを指し,この場合,(ギルド内捕食とは)アブラムシやカイガラムシなどを食べる年齢の異なる複数種の捕食性のテントウムシが同一エリア内に共存する場合,体格の大きなナミテントウの幼虫が小さな他種の個体を捕食してしまう事象を指す.」(カッコ内は筆者が加筆)とのこと。つまり、「テントウムシという仲間」の中で共食いのようなことが起こることを指すようです。村田さんの文章は以下のリンクから。村田さんは、高校生になっても研究を進めていたようです!

過去作品を見るには?

 私の思い出話だけでは語るのに限りがありますが、実はこの学生科学賞、過去に入賞した作品が何なのか確認することができます。例えば学生科学賞のHPから過去作品を検索すると、1957年の大会開始以来の入賞作品が、誰が行ったどんなタイトルの研究なのかを確認することができます。

 また、お茶の水女子大学サイエンス&エデュケーションセンターが作成している「理科自由研究データベース」を用いると、作品によってはレポートそのものまで見れる場合があります。このデータベースは、例えば「こんな研究をやりたいんだけど、これってもう誰かがやってしまっているかな……?」と思ったりしたときに参考にしたりできそうですね。ちなみに、ここでは日本学生科学賞以外のコンクールの受賞作品も検索できます。

 気になった方は、ぜひいろいろ検索してみてください!

今年も始まります!

 さて、今年も9月から日本学生科学賞の地方審査が始まります。身の回りにある不思議について、中高生が時には長い時間をかけ、時には思いもよらない工夫を凝らして調べ上げた成果はどれも素晴らしい研究、作品、そして思い出になるはずです。私は、ユニークな題材や視点を扱う研究も、綿密に練られた計画とともに継続して行われているものも、同じ「科学」という土俵で審査され、評価される日本学生科学賞に参加したことがとてもいい思い出になっています。応募される皆さん、今年の地方審査の締め切りはもう間もなくかもしれませんが、悔いのない研究が仕上がっていることを願っています!中央審査に向けて不足を補う時間もあると思うので、まだまだぜひ実験や観察、さらにはまとめ方や伝え方まで頑張ってくださいね。あるいは今年度は応募しなかったあなたも、来年度のコンクールに向けて研究を始めてみるのもありかも!?

 地方審査の結果は各地域の新聞などでも発表されると思いますので、応募されない皆さんや中高生ではない皆さんもぜひ、今年の日本学生科学賞にどんな研究が応募されているのか注目してみるのはいかがでしょうか??

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