どうも、ドジョウです。
口元から伸びるヒゲ……
キミのそのつぶらな目……
とぼけた風を装い相手のことを油断させるポーカーフェイス……
一見して、地球外生命体の感があります
(筆者は地球外生命体を見たことはありませんが)。
ヌルヌルとした体の下に、魚であることを隠すかのようにそのウロコをうずめてしまい、仲間によってヒゲの本数が違ったりする、気まぐれなキミ……
なぜにこのようなフォルムになったんでしょう。
キミを突き放すような書き方をしたけれど、そんなつもりはないんだ(注1)。小川でこの生物をすくいとる人間の姿を表現した「どじょうすくい踊り」で知られる島根県の出身としては、地元の特色になってくれているキミのことを、決して悪く書くことはないので、どうか怒らないでほしい。ここに約束する(注2)。
注1:冒頭(終始?)、筆者のドジョウ(=キミ)に向けたひとり語りが続きます。キミは、ドジョウなのでしゃべりません。筆者が勝手に空想のドジョウに向けて話し続けます。
注2:読者の皆様におかれましては、1人と1匹のおしゃべりを第三者的な立場で聞くような、そんな感じでお付き合いいただければ幸いです。
キミ(=ドジョウ)のおしり
そんなことより、今日はおしりの話なんだ。
※厳密には、後腸とよばれる、肛門(おしりの穴)から近い腸の部分の話です。
キミ、そのおしりの中にまさか秘密を隠し持っていたなんて……
そんなのぼくは聞いてませんよ。
とぼけたって無駄だ。
ここに書いてあるじゃないか!
証拠は上がってるんだ。
水産増殖 15(3) 1967年
『ドジョウの腸呼吸について』
平山和次・広瀬一美・平野礼次郎
ドジョウがときどき水表面に浮かび出て水面の空気をのみこみ、肛門より気泡を放出する特殊な習性をもっていることは、古くから知られている。(中略)排出されるガスを分析した結果、酸素が減少し炭酸ガスが増加していることなどが報告されている。
論文はこちら
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aquaculturesci1953/15/3/15_3_1/_article/-char/ja
水の中にこそこそ隠れながら、まさかおしりの中で空気を取り込んでいたなんて、聞いてないよ!
われわれ、キミもぼくも、酸素を使って、食べものからエネルギーを作りだす生きものは、外気から酸素を取り込む必要がある。そうだね。
カエルは皮膚呼吸、われわれ人類は肺呼吸。酸素のとり方は生き物それぞれってことも知っている。
でも、エラで呼吸しないお魚は、肺魚とか特殊な生き物だけだと思っていたのに……
何でもないですよと言わんばかりの顔をしていながら、キミもそっちがわ(エラ以外で呼吸できる)の魚だったのか。よし、これからはもっと特別扱いしよう。
あ、そうなんだ。
キミも普段はエラで呼吸しているんだね。
え!?皮膚呼吸もあるの!?
呼吸のしかたというのは、生き物によって案外柔軟なのかもしれない……
……そうなんだ。
後腸での呼吸は、特に水中の酸素が極端に少ないような場所で活躍するんだね。
またひとつ、キミに詳しくなれたよ。
誰がこのことをバラしたって?
そんな犯人探しをしてどうなるというんだ。
むしろキミのヒミツをぼくに教えてくれた人たちなんだから、感謝してほしい。
東京医科歯科大学教授の武部貴則先生とそのラボ(研究室)の人に、ぼくはキミのことを聞いたんだよ。先生のサテライト・ラボが未来館にあるんだ。
先生は、ラボのメンバーの岡部亮さんからキミのお話を聞いたって言ってたよ。
いいえ、先生も岡部さんもお魚の研究者ではありませんよ。お二人ともお医者さんでありヒトを対象にした医学の研究者です。
先生たちは、ひょっとしたらわれわれホモ・サピエンスもおしりから呼吸できるんじゃないかと考えたんです。そして、それを実際に、キミよりはわれわれ人間に近い哺乳動物で実験したんです。
治療の方法は、腸で呼吸、つまり空気の入れ換えを行う「腸換気法」。英語では、Enteral Ventilation via Anus。
Enteralは「腸の」という意味。
Ventilationは「換気」。日常会話ではよく「呼吸」って言っているね。
Anusは「肛門」つまり「おしり」ですね。
途中のviaは、「~を経由して、介して」という言葉なので、「おしりを介して、腸で換気(呼吸)をする」という意味になります。
先生たちは、この方法の頭文字をとってEVA法と呼んでいます。有名映画をほうふつとさせる名前でかっこいいです。
……ヘンって言わないでください。キミのその呼吸の方法を、われわれヒトに応用するちゃんとした理由があるんです。
なんでそんな実験をしたの?
今も、国内、世界各地で新型コロナウイルス感染症が猛威を振るっています。
新型コロナウイルスが人間に感染し重症化した場合、最終的な死因になりうる「呼吸器合併症」や「呼吸不全」をどのように抑えるかが重要です。
しかし、ニュースでも取り上げられているように、重症化した場合は人工呼吸管理や体外膜型人工肺(ECMO:エクモ)によって患者さんを支える方法はあるものの、機械の台数には限りがありますし、これを動かしながら患者さんを見守るには大勢のスタッフが必要です。簡単にだれでも使用できる状況にないというのが現状です。
このような状況もあり、呼吸を補助する新しい医療技術、治療法の選択肢をつくることは非常に重要になっています。
実はこのアイデアを試した人はなんと今からさかのぼること1950年代にもいたそうです。
しかし、腸に酸素を投与する、という、当時考えられていた方法は医学的な根拠が少なく、酸素を送り込む処置に伴うリスクもありました。残念ながらその後の研究開発にはつながらずに途絶えてしまいます。
その後、この流れとは別に、潜水病の応急処置法の研究として、酸素をたくさん含む液体が注目されてきました。
潜水病は、深い海に潜ってから急に水上に戻ると血中に溶けていた窒素が気泡になることによる疾患で、治療には一般的には圧力を高めた酸素を使います。
PFC(パーフルオロカーボン)という液体は、酸素をたくさん含むことができることから、関心が集まり、研究が続けられていきました。
現在では、酸素を運ぶ赤血球の代わりとして使う“人工血液”など、ほかの循環器系の分野でも、PFCを使用した新しい治療法の臨床試験が行われており、材料としての人体への安全性も確認されている優秀な液体です。
武部先生、岡部さんたちのグループは、このPFCを使用して、おしりから酸素を体内に送り込むことができないかと考えた、というわけです。
おしりじゃなきゃ、ダメなのか?
いや、でも、なんでまた、よりにもよって、おしりから?
ドジョウとヒトを含めた哺乳類では、姿かたちも違うというのに……
キミもそう思うかもしれませんね。でも、ちゃんとこれにも理由があるんです。
そもそも、なんでドジョウは後腸で呼吸できるんでしょうか。そこにヒントがあります。
実はドジョウの後腸は、粘膜の上皮がとても薄く、そのうえ、酸素を取り込むのに適した毛細血管が上皮近くに張り巡らされています。そして、体のつくりとして、後腸は肛門を通して外の世界とつながっています。これらの特徴から、外界の空気を取り込むことが可能になっていると考えられています。
ヒトが酸素を取り込む肺も、薄い上皮のすぐ近くに毛細血管があり、空気中の酸素を赤血球が受け取るようにできています。
では私たちの腸は?
なんと、一般にヒトを含む哺乳類の直腸(肛門からすぐの腸の部位)も、おしりの構造(解剖学的な特徴)は、腸呼吸のできるドジョウと似ているそうなんです。
直腸は薄い粘膜上皮で覆われており、その上皮のすぐ近くに直腸静脈叢という毛細血管の網が張り巡らされているらしいのです。
ちなみに、熱冷ましの坐薬や浣腸(かんちょう)など、おしりから直腸内に薬を投与する方法があります。このとき、直腸の上皮が薄くて血管が近くにある特徴、外から吸収されやすい性質を利用しているんですって。なるほど。
これは確かに、哺乳類の腸での酸素取り込みを先生たちが期待するのもうなずけますね。
そこで、岡部さん、武部先生たちは、これを確かめるために実験を行いました。
どうやって調べたの?
肺での換気ができない低酸素の状態のマウスとブタに対し、酸素を含ませたPFCを直腸内に投与します。
すると、どちらも静脈と心臓(左心室)で血中の酸素濃度の改善(上昇)が確認され、全身への酸素の供給源として機能することがわかりました。
また、それぞれの動物の実験での生存率を高めること、その他の治療に伴う重篤な合併症が生じないことも確認されました。
ちなみに実験では、血中の二酸化炭素の濃度の低下も同時に確認されました。これは実験の操作によって、酸素の取り込みのみならず、二酸化炭素の排出も含めた「換気(=呼吸)」が促されたことを意味します。
実験はまず、小型のマウスで効果がありそうかを確かめ、そのうえでラットを用いてPFC投与の処置に伴う腸の粘膜の損傷や障害がないかを確認しました。ラットの実験で明らかな副作用が見つからなかったことを確認した後に、呼吸不全のブタを用いて実験を行ったそうです。
特に体を流れる血液の量がヒトに近い、大きめの動物であるブタでも、EVA法のアイデアが実際に効果を示すことが確認されたこともあり、この研究は呼吸不全に対する新しい呼吸管理法の開発に貢献すると考えられています。
ちなみに、ブタへのPFC投与は、人間が浣腸薬を直腸に注入するとき、実際に医療現場で用いる容器を使ったそうです。容器の中に酸素を含ませたPCFを注入し、先端についた細いチューブを通って、PFCを直腸内に投与します。
発表時の反響
キミがきっかけになったこの研究が発表されたとき、面白いニュースの見出しで人々を笑わせてくれました。
「哺乳類もお尻(腸)で呼吸できる、との研究結果 呼吸不全治療に役立つ可能性」
ニューズウィーク日本版(2021年5月19日)「「かん腸液」で酸素供給 呼吸不全の新治療法開発―東京医科歯科大など臨床試験へ」
時事ドットコムニュース(2021年5月15日)「尻から酸素、腸呼吸で呼吸不全を改善 コロナ治療に期待」
朝日新聞デジタル(2021年5月15日)
SNSでの反響も大きかったようです。
“It looks like a crazy idea…But if you look at the data, it’s actually a very compelling story”
「『なんてクレイジーなアイデアなんだ!』と思うが、データを見てみると、これはたしかに説得力があることがわかる」(筆者訳)
米サイエンス誌のTwitterより(2021年5月15日)
SNSでは、#ButBreathe(おしり呼吸)というハッシュタグが使われたり、国内では液体を使った呼吸法が登場する人気アニメを想起させる「EVA法」のネーミングと研究の内容で盛り上がったようです。
【このイベントは終了しました】 「イグノーベル賞2021 授賞式 日本語版公式ライブストリーミング」
キミには申し訳ないんだけどね、
ここまでは実は大きな前置きでした。
早いもので、もうこの季節になりました。
そうです。イグノーベル賞の季節です。
え、ご存じないんですか?
大丈夫です。
どなたでもWelcome(ウェルカム)です!
イグノーベル賞(Ig Nobel Prize)は、雑誌「Annals of Improbable Research(風変わりな研究の年報)」の編集長、マーク・エイブラハムズさんが創設したユニークな賞で、今年で31回目を迎える由緒正しい(?)賞です。
「イグノーベル」という名前は、毎年、10月にノーベル財団が発表する「ノーベル賞(Nobel Prize)」の名前に、否定の意味を表す「Ig」を加えた、ノーベル賞に対するパロディーという意味を含んでいたり、さらに「不名誉な、恥ずべき」という意味の“ignoble”という言葉にちなんでいたりします。
賞は毎年10の分野について、「人々を笑わせ、そして、考えさせた業績」に対して贈られます。
医学賞、物理学賞、化学賞のほかに、平和賞、経済学賞など分野は多岐に及びます。10の分野はすべて毎年同じではなく、なかには心理学賞や栄養賞、音響学賞など、たまにしか登場しないユニークな分野もあります。
授賞式は米国時間の9月9日(木)午後6時。通常であればハーバード大学サンダーズシアターで行われますが、今年は去年に引き続き「完全オンライン」で実施します。
授賞式の模様は、日本時間9月10日(金)の朝7時から、ニコニコ生放送で中継を行います。ご心配なく!こちら日本語字幕付きでご覧いただけます。
厳正な審査のもと、本家!?ノーベル賞受賞者から授与される「イグノーベル賞」。名誉あるこの賞を、これまでなんと日本人が14年連続で受賞しています。
日本人の15年連続受賞は果たして……?
ひょっとして、おしりで呼吸するEVA法の研究が受賞しちゃう!?かな?
今年もみんなでイグノーベル賞を楽しみましょう。
【このイベントは終了しました】 「イグノーベル賞を科学コミュニケーターと楽しもう 2021」
そして、授賞式の翌日、9月11日(土)夕方18時からは、未来館の科学コミュニケーターがニコニコ生放送にて授賞式をふりかえるオンラインイベントを行います。
イグノーベル賞って、そもそもどんな賞?というところから、今年の受賞内容や授賞式の様子にいたるまで、詳しく解説します。
謝辞
本記事を執筆するにあたりご協力くださった、東京医科歯科大学の武部貴則先生、大内梨江さん、岡部亮さんに、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
参考文献
「腸呼吸の応用により、呼吸不全の治療に成功!」― 腸換気技術を用いた新たな呼吸管理法の開発へ光
https://www.tmd.ac.jp/topics_detail/id=20210515-1
Ryo Okabe et al.(2021). Mammalian enteral ventilation ameliorates respiratory failure. Med 2. 773-783
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2666634021001537?via%3Dihub
岡部亮・米山鷹介・武部貴則(2021). 腸呼吸技術(EVA法)を用いたCOVID-19関連重症呼吸器合併症治療の可能性 循環器内科, 89(2), 1-7.