東京

 故郷八丈島に帰省したら、必ず行くカフェがあります。高校三年生の時から通っていて、大学生になり年に2回か3回しか行けなくなった後もマスターはわたしのことを覚えてくれています。大学を卒業して東京に引っ越し今の場所で生活を始めたときには、その報告をしに行きました。するとマスターは、「東京に帰ってきたなら、八丈は近くなったね」と言ってくれました。その言葉を聞いてわたしは、ああそうか、島の人間であるわたしたちにとって東京は内側でも外側でもあるんだな、と思いました。

 どういうことか、ちょっと説明が必要かもしれません。八丈島は東京都に属していますから、僕が地方から東京(本土)に引っ越してきたことは確かに「帰ってきた」ことになります。「ああ、地方から東京に“行く”ことになったのね。」とは言わないのです。でも、八丈島から「飛行機で東京に遊びに行く」なんて言い方をするように、あるいはマスターが「八丈は近くなったね」と言うように、東京はわたしたちの外側でもあります。東京がどこにあるか、ということは単純に地理的な問題ではなく、東京でありながら東京ではない場所に住んでいるわたしたちの、「地域での生活」に深く根付いている、意外と複雑な問題なんだと思いました。

カフェ・トリスタンのコーヒー。一番好きなカフェ。“東京”では、長居しやすいルノアールをよく使わせてもらっています。

 こんな話も思い出します。昨年6月に閉鎖した東京・浜松町にある世界貿易センタービルの解体が決まった時の話です。浜松町は多くの島の人間(多分八丈だけではなくて、伊豆・小笠原の他の島の人も含めた)にとっての「東京」の筆頭格だと思います。このすぐ近くにある竹芝桟橋から船が出ているからです。わたしの父は、貿易センターの地下にある喫茶店で食べたカレーの味が忘れられないと言います。高級店なわけじゃない、さらに言えば特段美味しいというわけでもないかもしれない、でも忘れられないのは、浜松町が思い出の詰まった町だからでしょう。家族のみんなと、あるいは部活の遠征や修学旅行で、たびたび訪れた街だからだと思います。浜松町はわたしたちにとっての「東京」なのです。

お正月に、もうなくなってしまうビルからの「賀正」のメッセージに、寂しさを感じつつ撮影。寒くてかなりぶれてしまった。

 きっと一人一人にとって違う「東京」。そんな「東京」に関する語りを集めた、「東京の生活史」という本があります。重量級の本で、ちょっと簡単には手が出せない雰囲気を感じ取られるかもしれませんが、実はそういう方にもおすすめだなぁと思っています。この本には市井の人、150人の「東京の生活」に関する語りがただ並べられているだけなので、どこから読み始めてもいいですし、なんならきっとながめるだけでいいものなのだと思います。いまここに誰かの生活がある。ここじゃないところにもある。それだけが書かれている本です。

東京の生活史。とても分厚い。

 未来館に関する語りを集めた「未来館の生活史」みたいなものが作れないだろうか、というのが最近のわたしの興味です。例えばわたしはこの春から科学コミュニケーターとして働き始めたばかりですが、その前、学生だった間も5階にあるミライカンカフェ(残念ながら現在は休業中……)でアルバイトを2年ほどしていたので、家から未来館までの道にも、未来館という構造物自体にも、いくつもの思い出があります。バイトが終わって大学の課題をやったり、バイト先の仲間と話したり、ふと聞こえてきたお客さんの同士の会話が自分に結構刺さったり。コロナ禍になってからはお金の不安についてバイト仲間とよく話しました。真冬に海浜公園で座りこみ、そんな話をしながら時間を過ごしたこともあります。ここに来なければ出会わなかったメンバーの生活同士の交差点としての“未来館カフェ”で、わたしにとっての「生活史」の一部が作られたなと思います。

 先日、ある“常連さん”が「アナグラのうた」という展示で特別なイベント“まつり”が起こっていたことをわたしに伝えに来てくれました。写真も見せながら、展示場の中にいるときに祭りが起きたのは初めてなんだと、満足そうに語ってくれます。わたしはそれを聴きながら、未来館には(わたしだけではなくて)さまざまな人の生活の場面が刻まれているんだな、と再認識しました。”常連さん”は長く未来館に通っているから、そこに”まつり”があることも、それを自身では経験したことがないことも知っていて、それでその日は”まつり”があって楽しかった。未来館にそういうストーリーがあることは、うまく言葉にはできないけれど、とても楽しいことだと思いました。

 ちょっと抽象的かもしれないけれど、「東京」の意味が生活によって異なっているように、「未来館」の意味も一人一人の生活によって変わっているんだなと思います。たくさん来る人にはそれなりの意味があるし、仕事の視察のために来た人にはそれなりの意味があるし、気まぐれで来た人にはそれなりの意味がある。未来館はあなたにとってどんな場所でしょうか。それは、あなたのどんな「生活」の中に、どんな思いを持つものとして位置づくのでしょうか。来館して下さる皆さんと、もっともっと「生活」について話ができたらいいなと思っています。

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