誰かの頭の中にだけ残っている知識や経験は、やがてその人がいなくなってしまうとともに無くなってしまう運命にあります。今回のブログは、「知識や経験を“残す”」ことに挑戦しているあるプロジェクトのご紹介です。
「れきすけ」ってなんだ?
紹介するのは「れきすけ」。史料(歴史的な資料、の意)にどんな情報が書いてあるのかという情報を検索できるプラットフォームを目指して作られているサイトです。例えば、「江戸時代後期の○○県の天気について書かれている史料はないかな?」と思ったときに、「〇〇県 天気」「江戸時代 ○○県」などのキーワードで検索することが出来ます。
「れきすけ」はどんなことを行おうとしているのでしょう? 「れきすけ」の考案者、開発者である市野美夏さん、北本朝展さん(ともにROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター/国立情報学研究所)に伺ったお話をもとに、まとめてみました。
「れきすけ」への着想—古気候学の研究—
まずお聞きしたのは、「れきすけ」を作ろうと考えるに至った経緯について。市野さんはもともと、「古気候学」の研究をされていたと言います。古気候学とは、文字通り「昔の気候」についての研究です。古気候学が対象とする「昔」という言葉にはかなり幅があって、例えば南極の氷の中に残っている数十万年前を指すこともあれば、江戸時代などの比較的最近(と言っても400年前)を指すこともあります。
市野さんの研究は、主に江戸時代の天候を対象にしています。過去の日記の記録から当時の日射量を復元する研究だそうです。このような「古気候研究」には、その他史料から御神渡り(寒い地域の湖が凍って、その表面が盛り上がり筋のように見える現象)や桜の開花などの情報を読み取るなどの種類がありますが、どれも「史料を集め、分析する」という点で共通しています。研究を始めたころ、市野さんが日射量の復元に用いていた史料の多くは、もうすでに研究に使える状態でまとまっていて、市野さん自身はデータを集める苦労を比較的しなくて済んだといいます。
そこで、市野さんはこんなことを考えました。これから研究を始める人や、歴史が専門ではないけれど史料を使いたい人、例えば古地震について知りたい地震学者がいたとします。そういう人たちはそもそも史料の集め方なんて知らないかもしれません。そうでなくても誰も持っていないデータを使いたいときには史料を集めるところから始める必要があります。これが結構大変な作業で、研究のハードルになっているのではないだろうか、と。
市野さん自身の研究においても、日本全国のあらゆる地点を網羅したり、他の国に関して研究し足りするためには同様の作業が必要になります。
それに、史料に書かれている情報は「お天気だけ」「桜の開花だけ」のようにまとまっているわけではない、という難点もあります。また、現代の気象記録などと比べて、史料に書かれている情報はもうちょっと雑多です。そんな中で、研究を行うためにはまず膨大な量の史料の中に必要な情報が載っているのかを探し、抜き出してくることが必要になります。これは、とてもではないけど一人で闇雲に進めることはできない作業です。
これまではそういう状況に対して、例えば学会等に参加したときなど、偶然その史料について詳しく知っている人に出会うような「数年に一回」の機会だけが史料について知るチャンスだったとのこと。そんな状況を変え、より研究しやすくするために、史料のどこにどんな情報があるかということだけでもアーカイブ(記録を残すこと)しておけないかな、と考えたことがれきすけの開発に至る着想だったと言います。
「れきすけ」の理念①—そんなところにそんな情報が!?—
それでは、「“どこにどんな情報があるかということ”だけでもアーカイブする」というのはどういうことでしょうか。「人名を冠する史料館に保存されている史料」にたとえてみましょう。
例えば私「大澤康太郎」が、江戸時代に何かを成し遂げた人だったと仮定しましょう。現代ではその功績を讃えて、大澤に関する史料・資料を集めた「大澤康太郎記念資料館(以下、大澤館)」なるものができているはずです。ここには、大澤の直筆の日記や家系図、さらに当時の公文書などが保管されています。
これまでは、そこに保管されている資料はほとんど「大澤康太郎」に興味がある人、例えば「大澤館」が所在する地域の人や、「大澤康太郎」を専門に研究する研究者、あるいは伝記や漫画、大河ドラマを見て「大澤康太郎」のファンになった人のように限られた人の目にしか触れることはありませんでした。しかし、「れきすけ」に「大澤館に所蔵されている江戸時代の大澤の日記に、当時の天気が書かれているよ!」と登録されれば、その史料を(「大澤」には本来何の関心もない)古気候の研究者が利用できる可能性が上がりそうです。
これが「れきすけ」の目指すものの一つです。今までは数年に一回、学会で「大澤」研究者と古気候学者が顔を合わせたときに偶然起こるか起こらないかというチャンスに頼っていた「どこにどんな情報があるのかを知る」タイミングを、データベース上でいつでも再現できることを目指しています。
ちなみに、開発の過程で様々な関係者の意見を聞きながら、現在では「書かれている内容」だけでなく、その情報の記録期間、あるいは記録地点などの情報を登録、検索できるようになっています。これによって、「九州の、江戸時代の地震について書かれている史料はないかな?」と探している人にとって使いやすいデータベースになってきました。
「れきすけ」の理念②—不完全でも役に立つ!—
次に考えるのは、「どこにどんな情報があるかということ“だけ”でもアーカイブする」の“だけ”の意味です。ここでいう“だけ”には、たとえ「大澤館の大澤日記に天気の情報が書かれているっぽい」という“だけ”でもアーカイブする価値があると考えている、という意味がこめられています。
従来、史料情報は「きちんと精査した情報、しかも網羅的なものしか出せない」と考えられがちでした。しかし「れきすけ」は、より気楽に情報を蓄積できるようになることを目指しています。正確な情報を網羅的に載せるために時間をたくさんかけるよりも、「どうやらこの史料にこんなことが書いてあるらしい」というくらいの情報を素早く載せていくことに価値を置いているのです。
市野さんと北本さんは、そのような情報を「史料の目撃情報」と呼んでいました。例えば野生動物、特に絶滅危惧種や危険な動物の目撃情報は、それが本当にその種かどうかわからなくてもとにかく「いたらしい」という情報の段階で収集され、それでも役に立つことがあります。それと同じように、史料にも「目撃情報」を蓄積するようなやり方があってもいいのではなかと考えたのです。内容の精査は、その情報が本当に必要な人が個別に行えばよく、とにかく気楽にアーカイブすることを可能にするこの「れきすけ」のやり方は、市野さん自身の「頭の中の情報は、その人がいなくなったら無くなってしまう」という強い思いから生まれています。
具体的には、「カード形式で史料の情報を載せていく」という工夫がなされています。今までは「この史料には○○と△△と~~の情報が書かれていて……」という情報を全部まとめようとすることが多かったのに対し、「れきすけ」は1情報1カード方式で、1つの史料に対応するさまざまなカードを、多少間違っていたとしても、作っていく。そうすることで、気楽に、とにかくありうる情報をどんどん残していくことを目指しているのです。
「れきすけ」の「すけ」ってなんだ?—知識と経験を共有する—
れきすけについていろいろお伺いする中で、ふとこんな疑問を投げかけました。
大澤:そういえば、「れきすけ」の「れき」は歴史のことだと思うんですけど、「すけ」って何なんですか?
単なるサイトの名称か、キャラクター的な名前かと最初は流して読んでしまいましたが、よく考えるとこの名前にも意味がありそう。市野さんは、こんな風に答えてくれました。
市野さん:「れきすけ」の「すけ」は、アルファベットで書くなら「SUKE」じゃなくて「SKE」なんです。Sharing Knowledge and Experienceの頭文字で、日本語でいうと「知識と経験を共有する」。このうち、「経験」がさすのは、史料に対する経験。例えばさっきも出てきた「史料の目撃体験」とか、あるいはこの史料を検証するためにこういうことをしたとか、この史料は実は間違っていることが分かったとか、そういう部分を指しています。「経験」までシェアすることで、異なる研究者が同じ作業を何回も繰り返すようなことが避けられるといいな、という思いでつけました。やっぱりそういう部分も、「その人がいなくなったら無くなってしまうもの」なので。
なるほど。知識や経験を共有する、残していくという「れきすけ」の目標と、根本にある「“その人がいなくなったら無くなってしまうもの”を残したい」という思いが「すけ」の二文字に込められていたのですね!
現時点ではまだ誰でも自由にデータ入力をできるようにはなっていませんが、今後、多くの人に参加してもらえるような体制を整えていきたいと市野さんは語っていました。そうなったら、特別に歴史の専門家じゃない“あなた”がどこかで見た目撃情報も入力できるかもしれません。「史料」は何も専門家の手元だけにあるわけではなく、私たちの身の回りにある可能性もあります。例えばあなたの祖父母や先祖の残した記録はどうでしょう。家の書棚に残っていたりするかもしれません。あるいはあなた自身の日記も、いずれ史料として価値を持つ何かが書かれている可能性があります。ほかにも、学校や地域の図書館で見かけたものにどんな情報が書かれているか、思いもよらないところに「こんな情報が書いてあるんだ!」と気づくことがあるかもしれません。私は先日、ある人が残した郷土資料の中に「植物の和名と方言名の一覧」があることに気づきました。郷土資料室にあるような一般に公開されているものでも、中を拓いてみるとそんなことが書いてあると知っている人は実は少ないかもしれません。もしそういうものを身近で目撃することがあったら、要チェックです!
終活をする祖母
冒頭にも書きましたが、私たちの身の回りには、誰かの中にしか残っていない知識や経験があって、それらはその人がいなくなると同時に無くなってしまう運命にあります。関連して、ちょっとだけ私の経験を書かせてください。祖母がこんなことを言っていました。
茶道の教室はもうやめてしまったんだよ。コロナになって、人が集まりにくいからね。ここには5人くらいの人が集まってやってたけど、私の先生ももう高齢で老人ホームに入っているし、今いる人で終わりだね。
祖母は、茶道の先生をやっていました。コロナ禍も相まって、どうやらこのコミュニティとその知識は消滅の危機にありそうです。でも、何とか残しておきたい。祖母が半世紀かけて蓄積してきた知識と技能とつながりを前に、そんな気分になります。祖母は同時に、「終活」と称して家の中を整理していました。「死んだ後に、あんたたちに迷惑はかけられないからね」と言いながら捨てられていくものは、祖母自身も言う通り「いくら思い出と言ったって、あの世までは持っていけない」ものです。そう頭ではわかっていても、何かもったいないような気がするのです。
祖母に限らず、「終活」やお片付けの「断捨離」という言葉が一般的になってきた社会の中で、それでも残しておきたい何かを感じる私。ある人の中にだけある「史料についての知識や経験」を、残していく手段を考える市野さんや北本さん、そして「れきすけ」は、そんな私のもやもやにヒントをくれたような気がします。
「いつか無くなってしまうかもしれない」ものをどうやって残していけばいいのか、何を残していけばいいのか、そして誰が残すのか。そんなことを考えるきっかけになった「れきすけ」と、開発者の市野さん、北本さん、そして開発チームの一員である立正大学の増田耕一さんに感謝申し上げます。そしてできれば、このテーマを扱って未来館で皆さんとお話ししたり、実際に「れきすけ」を使ったりする機会が作れたらなぁ。デジタルを筆頭に様々な「残し方」が生まれる中で、語り合うべきことがたくさんある気がするのです。皆様、企画までしばしお待ちを!笑