"窒素"が環境問題を引き起こしている?

気候変動、生物多様性の減少、プラスチックによる環境汚染……。

日々の生活のなかで、このような言葉を目にすることがありませんか?
現在の私たちの社会は、さまざまな地球環境問題に直面しています。その一方で、個人や企業、自治体や国など、さまざまなかたちでこれらの問題への取り組みが進んでいます。

こうしたなかで、日本に住んでいると目にする機会は少ないのですが、世界的にみると注目されている環境問題があります。それがタイトルにある、“窒素”が引き起こす環境問題。 今回は、“窒素”がなぜ注目されているのかについて、探っていきたいと思います!


この記事の文章は、下記の書籍を参考に執筆しています。
林健太郎・柴田英昭・梅澤有(編). 『図説 窒素と環境の科学―人と自然のつながりと持続可能な窒素利用―』.朝倉書店.


わたしたちと窒素

まずは、窒素とわたしたちの関係について探っていきましょう。
みなさんは日々の生活で、“窒素”の存在、気にしていますか? 私はこれまで、全然気にせずに生きてきました。ただこの窒素、私たちの“命”と“暮らし”にとても深く関わっているのだそう。例えば、私たちの身体の組織(タンパク質など)にも、遺伝情報をつかさどるDNAにも、窒素は含まれています。質量で計算すると、人体の約3%が窒素なのだとか。つまり、私たちが生きていくうえで必須の存在なのです。

一方で環境中に目を移すと、窒素は大気のなんと約78%を占めています(酸素は約21%、二酸化炭素は約0.04%)。この数字をみると、窒素はかなり身近な存在に思えてきます。

人体にとって必須な要素、かつ環境中にはたくさん存在している……ということがここまででわかってきました。 たくさんあるなら不足もしないし、なんの問題もなさそう、と思われるかもしれません。しかし、ここで問題が。実は大気中に存在している窒素を、多くの生物は直接利用することができないのだそうです。つまり、頑張って空気を吸っても、窒素が体内の組織に取り込まれることはありません。

わたしたちと窒素:一部の微生物は、N2を反応性窒素(Nr)に変えることができます。また、野火や雷などの高エネルギーが発生したときにも、N2が反応性窒素(Nr)に変わることが知られています。この変化の過程は「窒素固定」と呼ばれています。参考書籍*の情報をもとに、図を作成しました。

それでは、どのようにして私たちの身体に窒素が取り込まれるのでしょうか?

答えは、食べもの。タンパク質の食べものを通して、窒素は体内に取り込まれます。少し詳しく説明すると、大気中の窒素は”N2“という状態で存在しています。このかたちの窒素は、他の物質と反応しにくいことから、私たちは体内の組織のなかに取り込むことができません。一方で、他の物質とも反応しやすい、“反応性窒素(Nr:ここではさまざまな窒素化合物を総称して反応性窒素という用語をつかいます)”というものが存在します。タンパク質はこの反応性窒素を含んでおり、私たちはタンパク質を摂取することを通して、窒素を組織内に取り込むことができているのです。

この反応性窒素ですが、自然界のなかで存在する量には限りがあるとのこと。なぜなら、環境中に存在する窒素(N2)が反応性窒素に変わるのは、一部の微生物によって変換されたときと、野火や雷などの高エネルギーが発生したときだけだから。つまり、わたしたちをとりまく窒素は、利用できないはN2の窒素はたくさんあるけれど、利用できる反応性窒素の量は限られている、といった状況だったのです。

人工的に“反応性窒素”をつくる技術がもたらしたもの

反応性窒素が限られているという状況は、例えば、作物の生産量を制限する要因のひとつになります。なぜなら、作物の植物が生長するには、反応性窒素が必要だからです。そのため、世界の人口が増えていくなかで食料を供給するうえで、大きな問題となりました。 そのようななか、20世紀初めに、人工的に環境中のN2から反応性窒素であるアンモニア(NH3)を合成できる方法が開発されました。これを、「ハーバー・ボッシュ法」といいます。これにより、アンモニアをはじめとする反応性窒素を大量に作りだすことができるようになったそうです。

こうしてつくられた反応性窒素は、例えば化学肥料として利用されています。肥料の使用により、作物は反応性窒素をこれまで以上に効率よく摂取できるようになりました。これは、食料供給の大幅な増加をもたらし、人類の食料の確保に大きく貢献しました。しかしながらその後、こうした化学肥料によるデメリットも浮かび上がってきたのです。

化学肥料として農地にまかれた窒素の半分以上は、作物には吸収されず、土壌を含む環境中に流出してしまうのだそうです。つまり、肥料を使えば使うほど、環境中に反応性窒素がどんどん増えていくといった状況が生まれたのです。

世界の農地に供給された窒素の半分以上(53%)が土壌などの環境中に流出しているといわれている。参考書籍*をもとに、図を作成しました。

環境中に反応性窒素が流出する経路としては、化学肥料によるものだけではありません。私たちが生活のなかで行う、食品・作物の非可食部分や衣類などに用いられる一部の化学合成素材などの廃棄に伴う焼却処分の過程で、反応性窒素である窒素酸化物(NOx)が大気中に排出されるという経路もあります。また、化石燃料の燃焼も排出源となっています。

環境中に流れ出た、“反応性窒素”のゆくえ

環境中に多量の反応性窒素が流れでることは、なぜ問題なのでしょうか。 みなさんは身近な場所や教科書などの写真で、湖などの水が緑色になっているのをみたことはありませんか?

反応性窒素が含まれる排水や肥料を含む水が河川を通って湖などに流れ着くと、そこで藻類が大発生することがあります。どういうことが起こっているかというと、反応性窒素は、さきほどの作物と同様、藻類にとっても利用できる“栄養分”なのです。つまり、栄養分がどんどん流れてくるので、これまで以上に増えることができるようになったということです。このような藻類の増加は、その生態系に影響を与えることを通して、生物多様性の低下をもたらすことが懸念されます。また、こうした環境で有毒な藻類が発生することがあります。そのような藻類を摂食した貝を人間が食べることで、呼吸麻痺や下痢などの健康被害がもたらされることもあるのです。

また、大気中に排出された反応性窒素(NOx, NH3など)は、大気汚染をもたらすことがわかっています。大気汚染は、私たちの健康にも影響を与えます。また、反応性窒素の一酸化二窒素(N2O)は、二酸化炭素の約300倍に相当する温室効果ガスであるため、環境中に流出した窒素が気候変動といった他の環境問題を促進してしまう可能性もあるのです。

反応性窒素と環境問題:環境中に流出した窒素が他の環境問題を促進することも危惧されている。

環境中に流出した反応性窒素を、窒素(N2)に戻すようなシステムも自然界にはもともと備わっています(専門用語で「脱窒」といいます)。しかしながら、人間活動によって増大した反応性窒素には対応できてはおらず、環境中に反応性窒素が多く存在する状態となっています。過剰に存在する反応性窒素の引き起こす影響については予測できないこともあるため、研究と対策を同時に進めていくことが重要な課題となっているそうです。

窒素問題、どう向き合えばいい?

窒素は、食料供給などの面で私たちに多くの利益ももたらしてくれる一方で、さまざまな環境問題を引き起こす原因となっていることがわかってきました。 この窒素が抱える課題が、日本ではあまり取り上げられないのはなぜでしょうか?日本に住む私たちにはそれほど関係のない問題なのでしょうか。

私がこの記事を書こう思うきっかけをくださった、総合地球環境学研究所でSustai-N-ableプロジェクトを率いている林健太郎さんは、
「日本で窒素問題が目立たない理由は、食料・飼料・原料・燃料といった資源の大部分を輸入しているためです。つまり、特に農作物・畜産物の生産において発生する窒素汚染を輸出国が負っていて、日本は生産物だけを輸入しているのです。このことが日本ではよく認識されていません。もし、食料安全保障の観点で食料自給率を上げようとすると、何も対策をしなければ日本の窒素汚染は悪化すると予想されます。」と指摘します。

さらに、私たちの食生活の変化が反応性窒素の排出に影響を与えるとの指摘も。
林さん「畜産物の窒素利用効率は(作物よりも)もっと低いのです。5~20%ぐらい。つまり、畜産物を好んで食べるようになるほど、環境への窒素排出が増えます。日本人の畜産物摂取は1960年代から1990年代半ばにかけてほぼ単調増加しました。今は横ばいです。」

社会や経済の構造によりみえにくくなっていますが、窒素に関わる問題は確実に私たちの生活と深く関わっているのです。それでは、窒素利用がもたらす利益とリスクの間で、私たちはこの課題とどうやって向き合っていけばいいのでしょうか。

林さんは、「今は、投入している窒素の8割がムダになっています。それを、7割、6割に減らしていくことには価値があります。ただ、作物生産に投入する肥料の使用量は(食料供給を考えると)あるラインからは減らせないことがわかっています。でも、食料生産の現場における窒素の利用効率をより上げることができれば、投入した窒素はその分食料にまわってくれるので、環境中に流れ出る量を減らすことができます。それでも出てきしてしまうような窒素については、土にとどめ河川に流れないようにするなど、技術的・農学的な観点を駆使することで改善できる余地があります。こうしたことから、窒素の恩恵を得ながらも、環境への脅威は減らす、といったことが理論的にも、技術的にも可能だと思っています」と取材した際にお話ししてくださいました。

本記事の参考図書である『図説 窒素と環境の科学』の編集者であり執筆者である林健太郎さんに、取材させていただいたときの様子。

現在、適切な窒素の利用により環境中への窒素排出を減らすといった農業分野での技術や、排気ガス中の窒素酸化物を窒素分子(N2)にして大気汚染を防止するといった技術の開発や社会実装が進められています。食品ロス削減の取り組みは、食料生産に関わる反応性窒素の生成や排出を削減することに有用です。ニュースなどでみることはまだ少ないかもしれませんが、窒素の問題に対しても、確実にさまざまな方々によって解決に向けた取り組みが進められています。

さいごに

窒素問題に限らず、環境問題に直面すると、自分ひとりに何ができるだろうと途方に暮れてしまいそうになります。 私が「できることは何だろう?」と考えたとき、多くの人にまずこの問題の存在を知ってもらうことなのではないかと思い、この記事を書きました。
さまざまな環境問題がありますが、向き合い方、取り組み方も本当にいろいろあると思います。みなさんはどんなことを考えていますか? 未来館にきたら、ぜひその思いを科学コミュニケーターに教えてください。未来館が、みなさんの思いが集まるところであり、新たな一歩がはじまる場所になったら嬉しいです。


参考文献
詳しく知りたい方は、ぜひあわせて下記の書籍をご参照ください。
*林健太郎・柴田英昭・梅澤有(編). 2021.『図説 窒素と環境の科学―人と自然のつながりと持続可能な窒素利用―』.朝倉書店.


・一部の微生物がNをNrに変えることを、専門用語では「生物学的窒素固定」といいます。
・プラネタリー・バウンダリーに関する研究では、窒素と(今回は扱っていないが)リンに関する問題は、気候変動、生物多様性の損失、人類による土地の改変、新規物質(プラスチックなど)による汚染といったよく聞く環境問題とともに危機的な状況にあると位置づけられています。
(プラネタリー・バウンダリーの研究について詳しく知りたい方はこちら
→Stockholm Resilience CentreのHP: https://www.stockholmresilience.org/research/planetary-boundaries.html)

謝辞

窒素問題のリサーチのための取材を快く引き受けてくださった、総合地球環境学研究所/国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構の林健太郎さんに心より感謝申し上げます。 

「環境・エネルギー」の記事一覧