こんにちは。去年オランダから日本へ引っ越してきた科学コミュニケーターのセーラです。日本に来て、急いで家を探して、運良く数週間以内気に入ったところが見つかって引っ越してきました。でも、実際に住んでみると唖然とする発見をしました。窓にはガラスが一枚しかない、いわゆる単板ガラスでした!
「いや、それはそんなにおかしくないでしょう?」と思うかもしれませんが、オランダ人の私にとって本当に意外でした。このマンションは築年数9年ですが、オランダでは新築での単板ガラス使用はすでに30年以上前から禁止です。当時、ガラスを二枚以上重ねる「複層ガラス」あるいは「ペアガラス」がすでに主流でした。
ちなみに、オランダでは窓ガラスだけではなくて、壁、屋根、床の断熱性能をあげることも結構人気です。日本ではそうじゃないということを知ってびっくりしました。日本人はいったいなぜ断熱しないかを理解しようと、断熱性能の高い建物の推進に関わっている東北芸術工科大学の竹内昌義先生にインタビューしてみました。
日本人はなぜ断熱性能をあげないの?
日本で断熱性能の高い家がほとんど普及してこなかったのはなぜなのでしょうか。聞いてみると竹内先生はいくつかの理由を上げてくれましたが、最も大きな原因は、日本ではそもそもほとんどの人が、建物の断熱の大切さを理解していないからだと言います。「夏は暑くて、冬は寒いもの。それを我慢しないといけない」や、「冬に家が寒いのは当たり前。暖房を使うのはしょうがない」という考えが一般的で、家の断熱性能をあげようと思う人がまだ少ないというのです。
この考え方は日本の気候風土や歴史とも強い関係があります。
竹内先生:「700年ぐらい前の鎌倉時代に吉田兼好という人は 『家の作りやうは、夏をむねとすべし』 と書いて、『住まいを作るときは主に夏のことを考えるべきで、風通しをよくしてください』 と伝えていました。その時代は冬に火を焚いて暖かくする方法があったけれど、夏の暑さをしのぐには風通しをよくする以外に方法がなかったことがあります。また、冷蔵庫がなかったので夏は食べ物が腐りやすく、食中毒で死ぬ人が増える傾向にありました。それを防ぐためにも風通しがよくて涼しい家にすることが重視されていたのです。」
断熱の大切さ
でも現在では、暑さに耐える以外にも選択肢ができました。冷蔵庫のおかげで食中毒のリスクが減って、エアコンのおかげでいつでも心地よい温度で過ごせるようになりました。「にもかかわらず、風通しがよければよい家だ、というイメージはいまだに変わっていない」と竹内先生は指摘します。
なるほど、日本での「良い家」のイメージには、長い歴史があって、とても強固なものだということが分かりました。でも、「良い家」のイメージが今のままでは、二つの問題が発生します。それは大量のエネルギー使用と健康へのリスクです。
まずはエネルギーを見ましょう。昔の風通しがいい家のつくり方だとたいてい断熱性能は低くなります。なので冬場は家の中の熱がすぐ外へ逃げてしまうので、エアコンやストーブを使って頑張って家の中を暖める必要があります。同じように夏は、断熱性能が悪いと外の熱が家の中に入ってきやすいです。結果としてエアコンなどをたくさん使わないとやっぱり快適ではありません。ということはエアコンのための電気や暖房のためのガスなどをたくさん使わないといけません。ガスは化石燃料で、電気の大半も化石燃料を使ってつくられているのでCO2の排出そして最終的に温暖化につながります。しかも光熱費は...
次、健康リスクは、主に冬に断熱性能が悪い家の中の温度差が大きいことで生じています。このような家は、各部屋に暖房機器を入れて温めなければなりませんが、滞在時間の短いお風呂場や脱衣所、トイレなどは寒いままのことが多いです。実はこの温度差が「ヒートショック」という症状を起こして死亡原因にもなっているのです。
ヒートショックの仕組みは次の通りです。お風呂の前に暖かいリビングから寒い脱衣室に移動して、そこで服を脱ぐと、体は冷えます。寒さの反応として、血管が縮まって、血圧が急激に上がります。その後熱いお風呂に入ると、体が温められます。反応として血管が緩まり、今度は血圧が急激的に下がります。このように血圧が急に上がったり下がったりすることで心臓に負担がかかり、そのまま亡くなる人も多くいます。
ヒートショックの症例についての定期的な調査はありませんが、一年間に全国で17,000人が入浴中に亡くなっていると推定されています(2011年の調査より)。その大半のケースは冬に起こっています。この17,000人は全員ヒートショックで亡くなったとは言えませんが、新型コロナウイルス感染症で国内で亡くなった方の人数(2020年~2022年の3年間で約57,000人、つまり1年間平均で19,000人)と比べてみても、やっぱり相当の数です。
断熱法?
ということで、気候変動対策(省エネルギー対策)と人々の健康を守るために家の断熱は大切ですが、やっぱりまだ普及していません。近年はそれを変えようと、二つの法律が改正されました。それは「住宅の品質確保の促進等に関する法律」(品確法)と「建築物のエネルギー消費性能の向上等に関する法律」(建築物省エネ法)です。
まずは品確法を説明しましょう。この法律は、住宅の性能を購入者に対してわかりやすく表示するための住宅性能表示制度などについて定めているもので、これまで全国共通基準として、「UA値」という数値に基づいた4つの断熱レベルが設定されていました。
UA値とは室内温度と外気の温度差が1℃あるときに1㎡あたり、どれくらいの熱量が伝わるかを示す数値です。熱を通さないほど断熱性能が高いので、UA値は低くなるほど、断熱性能が高いです。等級1はペアガラスなど、断熱性能を高める対策をしていないもので、UA値は1.67W/㎡K以上です。そして断熱性能が最高の等級4のUA値は0.87以下、のように定められていました。
ただ、この「0.87以下」という等級4までしかない表示では、やっぱり足りません。なぜかというと、もっと高い断熱性能を持つ住宅も、数多く建てられていましたが、すべて等級4としか表示できませんでした。断熱性能を正当に評価することができていなかったのです。そのため、あらたに「等級5(UA=0.46-0.60)」(2021年11月決定、2022年11月施行)、さらに「等級6(UA=0.26-0.46)」と「等級7(UA=0.26以下)」(2022年1月決定、2023年4月施行)が加えられました。
これで断熱がより高い家をしっかりと区別して表示できるようになりました。しかし、表示するだけでは、断熱性能が高い家の普及にはつながりません。そこで、建築物省エネ法が登場します。
改正の見送り、「なんだよ!」
建築物省エネ法は、これから新しく建てられる建物に対して、満たさなければならない断熱性能の最低基準を定める法律です。具体的には、300㎡以上の床面積を持つ、住宅ではない建物を新しく建てる場合、断熱等級4以上を満たすことが義務づけられていました。一方、300㎡以上であっても、住宅の場合は、断熱対策をどれぐらい取るかの計画を届け出るだけでよく、また300㎡以下であれば断熱性能について建築主に対して説明するだけでよしとされていました。つまり、住宅や小さめの建物なら、断熱対策を取らなくてもいいという状況でした。でも、建物の省エネはやっぱり大切なので、建物全般に対して断熱性能基準を義務づける必要があるのではないかという議論がでてきました。
そこで、国道交通省、環境省、経済産業省は2021年に合同で 「脱炭素社会に向けた住宅・建築物の省エネ対策等のあり方検討会」 を開催しました。竹内先生は、この 「あり方検討会」 の委員に任命され、建物における省エネルギー対策の専門家として議論に参加。そして4か月の議論を経て、すべての新築の建物に対して断熱性能基準を満たすことを義務化する 「建築物省エネ法」 の改正を柱とした、建物の省エネ化に向けたロードマップがつくられました。
ところが、2022年になって、「建築物省エネ法」 の改正については、次の国会での議題からは外れる見込みとなったと知らされます。
「あり方検討会を経て、国交省はきちんと断熱義務化をやろうとしてくれました。でも法案の国会提出は、今回見送られそうだという。それを聞いたときは 『なんだよ! このまま住宅の断熱が進まないと、温暖化対策の一歩目すら踏み出せない。本当にまずいな! 』 と思いました。法案が次の国会に提出されるようにするために、なにか出来ることはないかと、あれこれ考えた末に、署名活動を始めました。」(竹内先生)
竹内先生が署名を集めたのはインターネット上。「建築物省エネ法を国会に提出してください。」 というメッセージを岸田首相宛に送ることへの賛同を求めました。最初は主に建築業界内の5000人ぐらいの署名でとどまってしまったということですが、SNSで広がったおかげで最終的に15,584の署名を集めることができました。そして2022年4月21日までに、竹内先生は仲間たちと一緒にその署名を政府に提出。すると4月22日に、それまで見送られていた改正案の国会提出が決められました。そして6月中旬に参議院で法案が承認されて、改正建築物省エネ法がついに成立したのです。
新しい時代へ?
この改正建築物省エネ法によって、住宅も含めてすべての新築の建物に対して定められた基準以上の断熱性能を持たせることが義務づけられることになりました。具体的には2025年から新築の建物はすべて等級4以上の断熱基準を満たさないといけなくなります。
そして同時に住宅を売ったりするときには新築か中古品かに問わず、断熱性能についての表示をちゃんとするように 「努力しないといけない」 という努力義務も加わります。努力義務とはいえ、表示しない業者は国から表示するように命令されたりすることがあるので、事実上のエネルギー表示の義務化とみてもいいでしょう。
ということで、新築には等級4の断熱は義務化されて、家を建てたり買ったりする人々にとって断熱性能はどれぐらいあるかはわかりやすくなりました。しかしそれだけで日本が突然 「断熱大国」 になるわけではありません。日本はようやくスタートラインに立ったところだと、竹内先生は言います。
「断熱は義務化されるということは実は大きいですが、等級4ではたりないと思います。それよりかなり厳しくするべきだと私はずっと主張してきました。また、断熱義務化の対象となるのは新しく建てられる建物だけなので、既にある断熱性能が低い建物はまだたくさん残ります。そこには賃貸物件も多く含まれていて、借家暮らしをしている人は大家さんが協力してくれないと何もできないのが現状です。」(竹内先生)
著者など、賃貸住宅に住んでいる人たちのために、また温暖化防止のために、既存の建物に対しても何らかの法律をつくって欲しいですね。でも法律のない現状でも、借家暮らしの私たちにできることがあると竹内先生は指摘します。
「賃貸住宅を探している人たちが、物件のエネルギー表示などを参考にして、断熱性能の高いところを求めるようになるといいです。そうなると大家さんは対策を取るでしょう。だれも借りてくれなくなるのは一番怖いので。『借りてくれればぜひ、何とかしましょう』 となると思います。」(竹内先生)
今回の取材を経て、日本では断熱に関する課題がまだまだ残っていると実感しました。でも、少なくとも 「建築物省エネ法」 の改正をきっかけに日本の 「個人個人が寒さに対して我慢する」 文化がちょっとずつ 「電気使用が少なくて、健康的な家がたくさん建てられるように、社会全体で頑張る」 ことに変わってくるといいと思います。