「こどもからみる不思議世界探求」プロジェクト イベントレポート

「科学でどうしてもわからないこと」と向き合う

3階常設展入口を抜けたすぐ左手にある展示、「ノーベルQ」。ここには、未来館の活動へ理解や協力をくださったノーベル賞受賞者の方々からいただいた「来館者にいつまでも考え続けてもらいたい問い」が、およそ30個展示されています。そのなかの1つ、2002年にノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊先生からの問いはこちら。

小柴先生直筆の問い「科学でどうしてもわからないことって、なんだろう?」

なかなか深い問いで、そう簡単に答えが出そうにありません。私はこれまで何度もこの問いに向き合い、自分だったらどう答えるかいろいろと考えてきましたが、先日行ったイベントを経て1つの回答を見出すことができました。このブログでは、そんなイベント「たんけんしよう! あなたの知らない見た目の世界 ~なにかモヤモヤしたこと、ないですか?」の様子をお届けします。

「見た目で区別する」人間の性質と、その先にある社会問題

このイベントでは、「見た目との向き合い方」をテーマに、研究者の先生方による話題提供(前半)と、グループに分かれての哲学対話(後半)を行いました。まず前半は、赤ちゃんのもののとらえ方を研究している山口真美先生(中央大学文学部)と、外見に基づく偏見や差別(ルッキズム)を研究している西倉実季先生(東京理科大学教養教育研究院)から、それぞれ話題提供をいただきました。

山口先生からは、「赤ちゃんは見た目で人を区別する能力をもっている」というお話がありました。たとえば、生後8か月くらいになると生じる人見知り。人は赤ちゃんの頃からいろんな人の顔を見ることで、「この人は知っている人だ」とか「この人はふだん見ないぞ」というように、人の顔を区別しながら学んでいます。そして、ふだん見ない人に出会ったとき、知っている人にしがみついたり泣き出したりするような人見知りをするのです。

参加者は、自分や自分の子どもが赤ちゃんだったときの世界のとらえ方に思いをはせながら、先生のお話を聞いていました。

続いて西倉先生からは、私たちが見た目を良くすることに強い興味を持っていることが、ときに社会のなかで問題を引き起こしているというお話がありました。たとえば、街中や電車の中でよく目にする、美容整形や脱毛、ダイエットなど、人の見た目に関する施術やサービスの広告。先生のご専門であるルッキズムの研究は、このような広告によって社会のなかで「望ましい見た目」なるものが気づかないうちにつくられ、本来誰かからとやかく言われるべきものではない「自分の見た目」がコンプレックスになってしまっていることを指摘しています。

「望ましい見た目」が広告によって社会のなかに埋め込まれていることを知り、納得したという参加者も多くいました。

「哲学対話」でみんなの考えを深める

前半は2人の先生方から、「見た目で区別するという、人が生まれながらもっている性質と、それが社会のなかで問題を引き起こしていること」について、認知科学と社会科学の視点からお話がありました。

 

ではそれらを踏まえて私たちは、見た目とどのように向き合って生きていけばいいのでしょうか?

 

イベントの後半は「哲学対話」という手法を使い、参加者も先生方も一緒になってこの問いについて考えました。哲学対話とは、7人くらいのグループで輪になって座り、自分の考えを語ったり、他の人の考えを聞いたり、他の人に問いかけたりしながら、答えがすぐに見つからない問いについてみんなで考えていく手法です。今回は、まず見た目に関する個人的なモヤモヤを共有し、そこから見た目との向き合い方を考えていきました。

たとえば、私がいたグループで話題にあがったのは「服」。ある人が「自分の好きな服を着れば自己表現ができていいんじゃないかな」と言いました。納得している人が多いなか、体の大きな私が一言。

「でも僕は、XLサイズの服でさえ小さくて入らないときがあるよ。服を自由に選べないから服での自己表現が難しいんだけど、そんな人はどうすればいいのかな?」

この発言を受けて、グループ内で「たしかに」「それは気づかなかった」「どうすればいいんだろう……」という声があがりました。1つの結論を出そうとはせず、お互いに素朴な疑問をぶつけ合いながらグループ全員で考えを深めていくのが、哲学対話の特徴です。

哲学対話では、研究者も科学コミュニケーターも参加者も、みんな対等な立場で話します。

「科学でどうしてもわからないことって、なんだろう?」への私の回答

冒頭で、小柴先生の問いへの1つの回答を見出すことができたと言いました。それは、「科学でわかったことを踏まえたうえで、私たちはどうするか?」ということです。科学は、さまざまな事実を明らかにしてくれます。薬で病気を治すことも、スマホを介して遠く離れた人とつながることも、科学が明らかにしてきた事実なしには難しいでしょう。しかし、事実をいくら集めても、私たちはどうすべきか、どうするのが善いことなのかはわかりません。いかなるときでも薬を使って病気を治すべきなのか、常に誰かとつながっていることは善いことなのか、といった問いには、科学だけで答えを出すことができないのです。(詳しく知りたい方は、「ヒュームの法則」や「トランス・サイエンス」で調べてみてください。)

このイベントでとりあげた「見た目」についても、先生方のお話にあったように、私たちが気づきもしなかった事実を科学が明らかにしてきました。でも、そのうえで見た目とどのように向き合って生きていけばいいのかについては、科学は正解を教えてくれません。

よくよく考えてみると、見た目だけでなく、人間関係や政治など、私たちのまわりには「科学でどうしてもわからないこと」があふれていそうです。そんな「科学でどうしてもわからないこと」と私たちはどう向き合って生きていけばいいのか――答えは簡単に出ないとしても考え続けていくことが必要なんだと、イベントを終えたいま、私は考えています。


イベントが終わってしばらく経ったある日、「この前のイベントに参加して、モヤモヤしていたことを考えてきました!」という、小学生の参加者に展示フロアで出会いました。自分の考えがびっしりと記された薄ピンク色のリングノートを開き、それを両手に持ちながら考えたことを教えてくれました。そして、それを聞いた私が、「でも、もしそれが正しいとすると……」と哲学対話のときのように疑問を投げると、「うーん……」と言いながら考え込んでしまったよう。このやりとりを行った場所が、小柴昌俊先生の問いを展示している「ノーベルQ」だったのは、単なる偶然でしょうか。

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