臨海青海特別支援学校特別授業2023

15の個性にこんにちは 前編

2023年秋のことです。未来館から歩いて10分ほどのところにある臨海青海特別支援学校の中等部にて、特別授業を実施することになりました。担当することになったのは、中学3年生15名のクラス。目が合うたびに「こんにちは!」と大きな声で何度だって挨拶してくれる生徒(そういえば、一回の挨拶の有効期限ってどれくらいなのでしょうか?)、あえてずれたことをして周りの気を引く生徒、目の前で起きていることを逐一言葉にして確認する生徒など、個性豊かな面々がそろっています。彼らはいわゆる「知的障害」とか「発達障害」と呼ばれる特徴をもっていて、なかには音が聞こえにくい人や感覚過敏をもっている人もいました。彼らが集まるとまあにぎやかで、はじめて授業見学にいったときの底抜けに明るいクラスの雰囲気を、今でも鮮やかに覚えています。

事前見学に訪れた際の生徒たちの様子。この日は音楽の授業でした。各自お気に入りの楽器を手に演奏します。

特別支援学校の先生によると、このクラスの生徒たちはコミュニケーションに課題があるそう。具体的には、先生がある生徒を呼んだとき、その生徒だけでなく全員がいっせいに返事をしたり、生徒が特定の相手に呼びかけることができなかったりするそうです。今回の特別授業では、この課題に取り組むことにしました。

未来館ならではの取り組みにすべく、授業に加わってもらったのは未来館の「未来館をつくるラボ」の研究者たち。「身体性メディアプロジェクト」という研究チームで、身体的な体験を促すテクノロジーの開発によってコミュニケーションの新しいかたちを探っています。そんな彼らと学校の先生たちと協力して、生徒たち専用のコミュニケーションデバイスを新たに開発することにしました。

「ねえねえ」といった言葉を使うかわりに、音や光や振動で(つまり言葉以外の方法で)自分の気持ちを伝えたい相手に送ることができたら、生徒同士が今までにないかたちでコミュニケーションできるようになるのではないか。それがひいては、未来館をはじめ科学館のような場所のコンテンツを十分に活用することが難しい特別支援学校の生徒たちが、彼らにあったやり方で最新の科学技術に親しむ好機となるのではないか――。

そんな思いから生まれたのが、送信機と受信機からなる写真のデバイスです。このデバイスを使うことで、ある人の“伝えたい気持ち”が送信機から送られ、音・光・振動としてほかの人の受信機に届きます。あらかじめ特定の送信機と受信機をペアリングさせておくことで、決まった相手とやりとりできるという仕組みです。生徒たちに親しんでもらえるように、送信機を「おくるん」、受信機を「もらうん」と名づけました。

特別授業用に開発したコミュニケーションデバイス一号機。左が「おくるん」(送信機)で右が「もらうん」(受信機)。送り手が「おくるん」に触れると、気持ちを受け取った受け手の「もらうん」が鳴り、光り、震えます。

1時間目「まずはデバイスを使ってみる」

特別授業は全部で4回。初回授業では、初めて接する生徒たちに、初めて手にするデバイスを使ってもらうことになります。「このデバイスは生徒たちに受け入れてもらえるのか?」――第一回は、この基本の問いからはじまりました。

まずはデバイスの使い方講座です。先生役として心がけたことは、ひとつひとつ丁寧に、具体的な言葉で誤解が生まれないように伝えること。たとえば「おくるん」で発信してほしいときは、「『おくるん』に触れてみよう」と伝えるのではなく、「机の上に『おくるん』が置いてあるね。(デモをしながら)まず、『おくるん』をこんなふうに左手の手のひらの上に置こう。次は右手でこんなふうに手のひらで押してみよう。そしたら「おくるん」はどうなった? ぶるぶると震えたね、光ったね、音がしたね!」といった具合に。

生徒たちはどうだったかというと、こちらが意図した通りにやってくれる生徒もいれば、一回押したら楽しくなって夢中になって連打し続ける生徒、デバイスが気になって話を聞いてくれない生徒、隣の人にずっと話しかけている生徒、周りの楽しそうな雰囲気に影響されて(?)ジャンプする生徒など、まあいろいろでした。なにはともあれ、多くの生徒が楽しそうに「おくるん・もらうん」に触れている姿をみて、ひと安心でした。

デバイスの使い方講座の1シーン。代表の生徒が前に出て、「おくるん」でみんなの手のひらの上の「もらうん」に気持ちを送ります。光をじっと見る生徒、耳を近づけて音を聞く生徒、手のひらで振動を味わう生徒、そのどれでもない生徒がいました。

2時間目「ペアで気持ちを伝えあう」

ひと通りデバイスの基本的な使い方を学んだのち、ペアでコミュニケーションをとってみることにしました。生徒たちは一人一台ずつデバイスを持ちます。クラスの半分が「おくるん」担当、もう半分が「もらうん」担当です。「おくるん」と「もらうん」はあらかじめ特定のペアでペアリングされているので、ランダムに配布されたデバイス一台を持った生徒たちにとって、教室のどこかに一人だけペアの相手が隠れている状況が生まれています。

授業では、ゲーム感覚でペア探しを行いました。このゲームを成立させるための特殊な設定として、研究チームが裏でデバイスを遠隔操作することで、特定の1組のペアだけが反応するようにし、かつそのペアをどんどん切り替えられるようにしました。生徒全員が円になった状態で、「おくるん」担当の生徒たちがいっせいに「おくるん」に触ると、とある「おくるん」だけが反応し、(その「おくるん」とペアリングされた)とある「もらうん」に気持ち(音・光・振動)が届きます。こうしてペアになった二人から一抜けしていき、全員相手が見つかるまで続けます。ペアになった組は、気持ちを送ったり受けとったりしあいます。

ペアの相手が見つかり、ハイタッチする生徒たち。

ここで、とある事件が起きます。ペアが決まる順番はランダムでした。このゲームでは、最初に手に取ったデバイスによって、早めに相手が見つかるか遅くまで見つからないかが決まります。それは偶然なのですが、にもかかわらず、最後まで残った子(ここでは仮にNさんとします)が突然しくしく泣き出してしまったのです。まったく予期していなかった展開だったので、私たちは驚きました。ペアになる生徒があっちで待っているという状況を本人に伝えることでその場はこと無きを得たのですが、後になって先生に話を聞いたところ、「かつてみんなから置いていかれて辛い思いをした記憶が、フラッシュバックしたのではないか」とのことでした。

それは、私自身もかつてどこかで経験したことがある気持ちだと思いました。かつての経験と今目の前で起こっていることとを完全に無関係なことと割り切れないのは、自然なことだと思います。それが強い経験であれば、なおのことです。Nさんには悪いことをしてしまったと反省すると同時に、ほんのちょっとだけ彼のことを知れたような気がしました。もちろん本人から直接話を聞いたわけではないので、実際のところはわかりませんが。

ほかにも、想定外のことがいろいろと起こりました。たとえば「おくるん」と「もらうん」のどちらを担当するかは、挙手で選んでもらったのですが、結果的に手を挙げたのは、ふだんから自分の意見を表明できている子たちだけだったそうです。「挙手しない」という行為の裏には、ノーという明確な意思だけでなく、イエスかノーか判断できないというどっちつかずの思いもあることを痛感したできごとでした。でもそもそも、はっきりと白黒つけられるものごとってどれくらいあるでしょう……?

また、ある生徒は最初の授業ではほとんどデバイスに触ってくれませんでした。その生徒は、初めてのことや、次に起こることが予測できないことが苦手なんだそう。なにか新しいこと(それは怖いことでもあります)を受け入れ慣れていくまでには、個人差はあれど誰しも時間がかかるものです。周りとはちがう方法での参加が許容されていることは、大切なことだと思います。

こうした数々のエピソードに共通して私が感じたのは、「自分たちがこしらえた“メッセージ”は決してそのまま生徒に届かない」ということ。コミュニケーションの奥深さを、味わいました。ことあるごとに思い込みや常識の問い直しを私に迫る彼らと接していると、どちらが先生でどちらが生徒なのかわからなくなる瞬間がたくさんありました。教えることと教えられることは紙一重で、どちらも“先生”であり、かつ“生徒”でもあるのだと思います。

スリリングな授業は、まだまだ続きます。続きは後編で。

授業スライドより。文字も絵も、できるだけストレートに伝わるように工夫しました。先生によると、「きもち」という言葉が抽象的で生徒たちにはイメージしづらかった(「たのしい」とか「かなしい」とか具体的な言葉の方が伝わりやすい)とのこと。うーん、奥が深い!

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